2025年01月31日
世界にひとつの織部茶入
【世界にひとつの織部茶入】
るいまま組 音楽と言葉「#織部はバロックだ!」の公演のとき、全部織部で揃えたかったのに、織部の茶入だけが間に合わず、ぐい呑でお茶を濁しておりましたら、
Facebookに織部の茶入が現れ、これは、今後の公演のためにも、なんとしても手に入れたい!と、作家の #植村なおみ さんにお願い。
本日、とうとう、世界にひとつの茶入が出来上がり、受け取りました!
初めて会う、なおみさんは、可愛くて頭の回転がよく、発想や妄想を形にしてしまう女子。
2月5日からは、バレンタインに合わせ次なる仕掛けの茶器が登場するようで楽しみ。
今日の名言。おじさんこそ かわいいものを!(笑)

植村なおみさんは、読売テレビの人気アナウンサーだったので、この写真で、すぐに「ファンでした!大好きでした」の声が(笑)
早期退職されてフリーアナウンサーとして活躍しながら、陶芸家として茶人としてマルチに活躍中。
いまも、抜群に可愛くて知的。

ふくあかりで大和とろろ蕎麦

いつものカフェpigna
【御影到着】
御影 世良美術館にきたとき、美味しい珈琲飲みたいんだよねと言いながら、時間がなくてなかなかゆっくりできないので、
今日こそは #BBSHEEP だと張り切って2階にあがったら木曜日は定休(笑)、裏の #ダンケ は12:00から、で、安定の #にしむら珈琲。






【春節】
春節を体感するために南京町にきましたが、人混みにやられ、すぐ退散(笑)





るいまま組 音楽と言葉「#織部はバロックだ!」の公演のとき、全部織部で揃えたかったのに、織部の茶入だけが間に合わず、ぐい呑でお茶を濁しておりましたら、
Facebookに織部の茶入が現れ、これは、今後の公演のためにも、なんとしても手に入れたい!と、作家の #植村なおみ さんにお願い。
本日、とうとう、世界にひとつの茶入が出来上がり、受け取りました!
初めて会う、なおみさんは、可愛くて頭の回転がよく、発想や妄想を形にしてしまう女子。
2月5日からは、バレンタインに合わせ次なる仕掛けの茶器が登場するようで楽しみ。
今日の名言。おじさんこそ かわいいものを!(笑)

植村なおみさんは、読売テレビの人気アナウンサーだったので、この写真で、すぐに「ファンでした!大好きでした」の声が(笑)
早期退職されてフリーアナウンサーとして活躍しながら、陶芸家として茶人としてマルチに活躍中。
いまも、抜群に可愛くて知的。

ふくあかりで大和とろろ蕎麦

いつものカフェpigna
【御影到着】
御影 世良美術館にきたとき、美味しい珈琲飲みたいんだよねと言いながら、時間がなくてなかなかゆっくりできないので、
今日こそは #BBSHEEP だと張り切って2階にあがったら木曜日は定休(笑)、裏の #ダンケ は12:00から、で、安定の #にしむら珈琲。






【春節】
春節を体感するために南京町にきましたが、人混みにやられ、すぐ退散(笑)





2025年01月16日
御影 世良美術館のこと
【御影】
1/16 goodmorning
月末は、夏に行きたかったのに満席で涙をのんだ #御影ふくあかり でランチ。
#植村なおみ さんにお願いしていた織部の茶入れがとうとうできあがり、その受け取りに参るので、どこで受け渡すかの打合わせをしていて、
世良美術館やブーランジェリービアンヴニュのことを話すと、御影よくご存知なんですねとなり、「ふくあかりにも行きたいんです」と話すとランチしましょうとなった次第。嬉しいね。
御影と言えば、夏の楽しみだった蘊蓄ギタリストのコンサート。
会場の 御影 #世良美術館 が3月で閉館になると なおみさんが知らせてくれびっくりしたんだが、
運営は変わるけれど、あの大理石の建物は残り、コンサート会場としては残るのでコンサートはできるよう。良かった。
昨夏の #西垣正信 #石井としじ「夏休みの午後の音楽会 at 世良美術館」 の様子
https://ruimama.ashita-sanuki.jp/e1355362.html





世良美術館は
「1992年(平成4年)画家、ピアノ指導者として活躍していた故・世良臣絵(せらとみえ)が、80歳で私財を投じ、個人美術館として開館致しました。
個性的な文化施設が多く集まる「東灘」の地で文化の“揺籃”となるよう願って運営してまいりましたが、世良没後17回忌を迎える2025年で、
その役割を果たすことができたのではないかと考えております」
https://seramuseum.weebly.com/
明日は1月17日。阪神大震災から30年。世良美術館の建物も震災を乗り越えたんだなぁ。
2024年11月18日
TSUNDOQ マンドリン 佐上善昭
【TSUNDOQ 佐上善昭】
滴翠美術館から徒歩5分 本と音楽を楽しむ隠れ家サロン TSUNDOQで蘊蓄ギタリストたちと待ち合わせ。
ところが、近くまできているのに隠れ家を見つけられず、芦屋のお屋敷街のくねくね坂道で茶人と迷子になっていると、前方からマンドリン演奏家の佐上くんが楽器とともに登場。

救出してもらって、そのままTSUNDOQでの佐上くんのマンドリンコンサートを聴く。
蘊蓄ギタリストのコンサートの打ち上げで何度も会っていて、その蘊蓄家ぶりは、蘊蓄ギタリストと並ぶほどであることは知っておりましたが、
マンドリンの演奏家 佐上善昭のコンサートは初めて。




マンドリンの起源や奏法、演奏曲の蘊蓄、それにまつわる人々のお話、ワルツを感じられない日本人まで、演奏とともに楽しく聞きながら1時間。

TSUNDOQで知り合ったみなさんと夜更けまで、打ち上げ?(笑)。思いがけない楽しい夜となりました。




昼間の隠れ家 TSUNDOQ と佐上くん

夜の隠れ家 TSUNDOQ と 西垣さん
昼間は見つけられませんできたが、夜はこのドアが開くと、すぐに気づくかも。
滴翠美術館から徒歩5分 本と音楽を楽しむ隠れ家サロン TSUNDOQで蘊蓄ギタリストたちと待ち合わせ。
ところが、近くまできているのに隠れ家を見つけられず、芦屋のお屋敷街のくねくね坂道で茶人と迷子になっていると、前方からマンドリン演奏家の佐上くんが楽器とともに登場。

救出してもらって、そのままTSUNDOQでの佐上くんのマンドリンコンサートを聴く。
蘊蓄ギタリストのコンサートの打ち上げで何度も会っていて、その蘊蓄家ぶりは、蘊蓄ギタリストと並ぶほどであることは知っておりましたが、
マンドリンの演奏家 佐上善昭のコンサートは初めて。




マンドリンの起源や奏法、演奏曲の蘊蓄、それにまつわる人々のお話、ワルツを感じられない日本人まで、演奏とともに楽しく聞きながら1時間。

TSUNDOQで知り合ったみなさんと夜更けまで、打ち上げ?(笑)。思いがけない楽しい夜となりました。




昼間の隠れ家 TSUNDOQ と佐上くん

夜の隠れ家 TSUNDOQ と 西垣さん
昼間は見つけられませんできたが、夜はこのドアが開くと、すぐに気づくかも。
2024年11月18日
滴翠美術館60 【勾当】
【勾当】
450年前、#初代長次郎 によって作られた茶碗「#勾当」。



#滴翠美術館 所蔵の貴重なもので、簡単に茶会にはでてこないので、普通の茶碗のように茶を点てられるたびにどんどん変化していくということはないけれど、450年もたつと「#時間が彼女を変えていく」そう。
なぜ、彼女と書いたかというと、茶人と「なんともいえない艶かしさがありますね」と話したからだ。
色といい、膨らみといい、手の中に収まったときの質感といい、これは一筋縄ではいかない女を感じる。
「勾当」の言葉の意味を調べれば「事務を担当して処理すること。その役人」とつまらぬ答えがでてくるのだが、この茶碗にそんな意味を充てるか?
ところが、中国語になると「よからぬこと」と意味深な解説。日本語でも「勾当内侍」になると、話は茶碗に寄ってくる。
南北朝時代「#勾当内侍」と呼ばれた女がいる。後醍醐天皇に勾当(事務職)をする内侍(女性職員)として仕えており「長橋の局」とも呼ばれた。のちに後醍醐天皇が新田義貞に授け、義貞の妻のひとりとなる。
「太平記」によると「天下一の美人」で、彼女の弾く琴の音に恋した義貞が歌を贈ったのがはじまりだそう。
ところが、彼女があまりに美しいがゆえに、新田義貞は彼女によって何度も機を逸している。
「足利尊氏が九州に没落していたとき直ちに下向して討ち滅ぼすべき好機を失したのは、義貞が内侍との別れを惜しんで下向を延期したため」「また後醍醐天皇が比叡山に逃れたとき、勝に乗って追撃すべきところをしなかったのも内侍に迷ったせい」
彼女の作為ではないけれど、戦国の世においては、なんとも罪深い美しさ。
茶会あと、妄想にふける夜。この茶碗に「勾当」の名をつけた方から本当の意味をききたいような、自説に浸りたいような…(笑)
※追記
山口さんから謎解きが届きました。
「銘の勾当の由来ですが、長次郎七種に数えられる検校という銘のついた名碗がありまして、それに次ぐ位として検校の下の勾当という同じく盲官の名前が付けられたというのが由来と考えられています」
確かに言葉を調べているときに、「盲人の官の一つ。検校、別当の下。座頭の上位」という項目がありました。そこから来ていたとは!
・・・・・・
■その後の勾当内侍
足利尊氏に敗れた新田義貞は北陸へ落ち延びる途中に、妻の匂当内侍を堅田に残したまま越前の藤島で戦死。悲報を聞いた内侍は悲しみのあまり、近くの湖水で投身自殺したという説や、嵯峨野の奥で義貞の菩提を弔ったという説、群馬県太田市の郷土の歴史を伝える尾島かるたには「つつじ咲く勾当内侍のつつじ塚」という札もあったりして、その後については様々。
2024年11月18日
滴翠美術館60 【ちどり】
【ちどり】
#滴翠美術館 60周年記念「錦秋の茶会」の茶席を受け持ったのは、#堀尾宗苗先生。私は親しみをこめ、sanae先生とよぶ。
美術館についてすぐご挨拶をすると、包容力たっぷりのハグでむかえてくださり、お客様ひとりひとりに笑顔で声をかける姿に来てよかった!と思う。
茶会の内容をきき、すごいプログラムですねというと、「私はなにもできないから、みなさまの力を借りてやります。無茶だといわれても「茶」はあります!」と笑わせてくれたsanae先生だけど、
滴翠美術館所蔵の道具とsanae先生の道具が見事に溶け合い、素敵な道具組。
この茶席で、見逃してなならないのは、sanae先生が娘時代始めて自分で買った「#浜千鳥」の平大棗とたくさんの千鳥が飛ぶ水指。



そして、ふたつの大樋焼の茶碗と大樋焼の蓋置。その間に置かれた太田先生所蔵のストラデイバリウスのネックを使った茶杓「#ハルモニア」。
芦屋は、私がうんと若い頃、文学の勉強に通っていた場所。
毎月、海辺の小さな会場で、ただただおとなしく先生たちの話をききつづける日々だった。いやいや、おとなしいってよりも、無知な私には、なにか言える言葉も知恵もなく聞き続けるしかなかったのだ。でも、あの時間があったから、今がある。
1995年1月。その日も阪神芦屋駅で電車をおり、いつものように会場に向かい、こてんぱんにやられ、梅田のおでん屋で打ち上げて、20:20の新大阪発の新幹線に飛び乗って高松に帰ってきた。
それから1週間。阪神大震災は起きた。
Sanae先生は「ちどりが大好きなの」と言ったあと、能登と阪神をちどりが結びますようにと話した。
経験した人にしかわからないことはある。経験したからできることがある。ことさら大きな声でいわずとも、笑顔のままで優しさを届けるひとこそが尊い。
心のこもった、笑顔あふれるお席でした。ありがとうございました。
・本席 床 「#寒松一色先年別」(春屋宗園筆)

「風雪を耐え抜き寒中にたたずむ一本の松は今も昔も変わることなく千年の緑をたたえる」という意味。
・花はsanae先生のベランダで色づいた「#カシワバアジサイ」。

葉の大きさといい照り具合といい、うらやましいような美しさであると茶人がいっておりました。
・菓子 #亥ノ子餅 (老松製)

・待合立礼席床 「#関」(小堀宗中筆)


sanae先生と 西行庵さん。
#滴翠美術館 60周年記念「錦秋の茶会」の茶席を受け持ったのは、#堀尾宗苗先生。私は親しみをこめ、sanae先生とよぶ。
美術館についてすぐご挨拶をすると、包容力たっぷりのハグでむかえてくださり、お客様ひとりひとりに笑顔で声をかける姿に来てよかった!と思う。
茶会の内容をきき、すごいプログラムですねというと、「私はなにもできないから、みなさまの力を借りてやります。無茶だといわれても「茶」はあります!」と笑わせてくれたsanae先生だけど、
滴翠美術館所蔵の道具とsanae先生の道具が見事に溶け合い、素敵な道具組。
この茶席で、見逃してなならないのは、sanae先生が娘時代始めて自分で買った「#浜千鳥」の平大棗とたくさんの千鳥が飛ぶ水指。



そして、ふたつの大樋焼の茶碗と大樋焼の蓋置。その間に置かれた太田先生所蔵のストラデイバリウスのネックを使った茶杓「#ハルモニア」。
芦屋は、私がうんと若い頃、文学の勉強に通っていた場所。
毎月、海辺の小さな会場で、ただただおとなしく先生たちの話をききつづける日々だった。いやいや、おとなしいってよりも、無知な私には、なにか言える言葉も知恵もなく聞き続けるしかなかったのだ。でも、あの時間があったから、今がある。
1995年1月。その日も阪神芦屋駅で電車をおり、いつものように会場に向かい、こてんぱんにやられ、梅田のおでん屋で打ち上げて、20:20の新大阪発の新幹線に飛び乗って高松に帰ってきた。
それから1週間。阪神大震災は起きた。
Sanae先生は「ちどりが大好きなの」と言ったあと、能登と阪神をちどりが結びますようにと話した。
経験した人にしかわからないことはある。経験したからできることがある。ことさら大きな声でいわずとも、笑顔のままで優しさを届けるひとこそが尊い。
心のこもった、笑顔あふれるお席でした。ありがとうございました。
・本席 床 「#寒松一色先年別」(春屋宗園筆)

「風雪を耐え抜き寒中にたたずむ一本の松は今も昔も変わることなく千年の緑をたたえる」という意味。
・花はsanae先生のベランダで色づいた「#カシワバアジサイ」。

葉の大きさといい照り具合といい、うらやましいような美しさであると茶人がいっておりました。
・菓子 #亥ノ子餅 (老松製)

・待合立礼席床 「#関」(小堀宗中筆)


sanae先生と 西行庵さん。
2024年11月18日
滴翠美術館60 【時空】
【時空】
芦屋 #滴翠美術館 は今年会館60周年を迎えた。銀行家として阪神の経済界で活躍した山口吉郎兵衛の邸宅を美術館として開放している建物は、
昭和のモダニズム建築家の #安井武雄 の設計で、がっしりした鉄筋コンクリート造。芦屋のまちを見下ろす高台にあり、テラスからの景色をみると、いつも深呼吸をしてしまう。
この滴翠美術館60周年を記念して、石川県 大樋焼の #当代大樋長左衛門(年雄)さんを迎えての「錦秋の茶会」は、普段はガラスの越しにしか見られないお道具が、わたしたちの手の中にやってきた。

この日、美術館の展示室では「千利休・今も残る茶聖の美学展」が開催中で、その展示物の中にところどころ出張中の作品があり、それが茶室に並べられたのだ。
まず、床には利休が七哲たちに送った消息、つまりお手紙が掛けられている。内容は、利休から弟子たちに伝えるべきこと。

中央に見えるのは、利休手製の竹の花入れ。

3つの茶杓は、左から、細川三斉(忠興)、古田織部、そして、大樋焼のある前田藩ともゆかりの深い高山右近のもの。キリシタン大名であった右近の茶筅筒にはクロスが書かれ透き漆が掛けられている。
なんとも言えぬやわらかな質感の茶碗は、楽焼 初代長次郎の「勾当」。これについては、別でまた書くのだけれど、展示室にはこの「勾当」の写しも展示されており、それが本物と見がもうほど。陶芸窯を持つ滴翠美術館に陶芸家がきて本物を見ながら制作したとのことで、なんとも贅沢なこと。



そして、11代大樋長左衛門(年雄)さんが手にしているのが、大樋焼茶碗「時空」

今年元旦、大樋焼きが窯を置く石川県は大きな地震に見舞われた。大樋焼の工房でも、その被害は免れず100展以上の茶碗が壊れ、そのなかには、先年亡くなられた父上の作品、先々代の作品も多く含まれる。
多くの思いが重なり、そのかけらを捨てることができなかった年雄さんは、破片やかけらを集め分別し置く。
三代の茶碗のかけらを合わせてひとつにする発想はあれど、地震で100年続いた窯も破損し焼くこともできない。窯を再生し、試行錯誤を重ね、単につなぐのではなく、焼成の技法で再び焼き新しい命を吹き込んだ。

窯は未だに元のようには焼けないのだという。何代にもわたり積み重ねた窯の歴史を、再び重ねていくことから始まる。
年雄さんの講演の中で、日本の文化を語るとき、日本から世界をみるのではなく、視点を世界から日本に変えてみましょうというお話があり、あぁっと思った。
そして、ただ楽しいだけでは制作はできないのだ。そこには「悲しみ」もなくてはならないという言葉にも胸を打たれた。
芸術家たちは、みんな人並外れた感受性をもつ。それをそのままにしていると自分自身を見失う。ものごとを客観的にみること、冷静なる自分、公平なる目を忘れてはいけない。
…………
大樋焼11代 大樋長左衛門(敏雄)さんから
素晴らしいコメントをありがとうございます。今も私には悩むことが多々ありますが、心を強くされました。心から感謝申し上げます。
Thank you for your wonderful comments. It has strengthened my heart, although I still have many things that trouble me. Thank you from the bottom of my heart.
芦屋 #滴翠美術館 は今年会館60周年を迎えた。銀行家として阪神の経済界で活躍した山口吉郎兵衛の邸宅を美術館として開放している建物は、
昭和のモダニズム建築家の #安井武雄 の設計で、がっしりした鉄筋コンクリート造。芦屋のまちを見下ろす高台にあり、テラスからの景色をみると、いつも深呼吸をしてしまう。
この滴翠美術館60周年を記念して、石川県 大樋焼の #当代大樋長左衛門(年雄)さんを迎えての「錦秋の茶会」は、普段はガラスの越しにしか見られないお道具が、わたしたちの手の中にやってきた。

この日、美術館の展示室では「千利休・今も残る茶聖の美学展」が開催中で、その展示物の中にところどころ出張中の作品があり、それが茶室に並べられたのだ。
まず、床には利休が七哲たちに送った消息、つまりお手紙が掛けられている。内容は、利休から弟子たちに伝えるべきこと。

中央に見えるのは、利休手製の竹の花入れ。

3つの茶杓は、左から、細川三斉(忠興)、古田織部、そして、大樋焼のある前田藩ともゆかりの深い高山右近のもの。キリシタン大名であった右近の茶筅筒にはクロスが書かれ透き漆が掛けられている。
なんとも言えぬやわらかな質感の茶碗は、楽焼 初代長次郎の「勾当」。これについては、別でまた書くのだけれど、展示室にはこの「勾当」の写しも展示されており、それが本物と見がもうほど。陶芸窯を持つ滴翠美術館に陶芸家がきて本物を見ながら制作したとのことで、なんとも贅沢なこと。



そして、11代大樋長左衛門(年雄)さんが手にしているのが、大樋焼茶碗「時空」

今年元旦、大樋焼きが窯を置く石川県は大きな地震に見舞われた。大樋焼の工房でも、その被害は免れず100展以上の茶碗が壊れ、そのなかには、先年亡くなられた父上の作品、先々代の作品も多く含まれる。
多くの思いが重なり、そのかけらを捨てることができなかった年雄さんは、破片やかけらを集め分別し置く。
三代の茶碗のかけらを合わせてひとつにする発想はあれど、地震で100年続いた窯も破損し焼くこともできない。窯を再生し、試行錯誤を重ね、単につなぐのではなく、焼成の技法で再び焼き新しい命を吹き込んだ。

窯は未だに元のようには焼けないのだという。何代にもわたり積み重ねた窯の歴史を、再び重ねていくことから始まる。
年雄さんの講演の中で、日本の文化を語るとき、日本から世界をみるのではなく、視点を世界から日本に変えてみましょうというお話があり、あぁっと思った。
そして、ただ楽しいだけでは制作はできないのだ。そこには「悲しみ」もなくてはならないという言葉にも胸を打たれた。
芸術家たちは、みんな人並外れた感受性をもつ。それをそのままにしていると自分自身を見失う。ものごとを客観的にみること、冷静なる自分、公平なる目を忘れてはいけない。
…………
大樋焼11代 大樋長左衛門(敏雄)さんから
素晴らしいコメントをありがとうございます。今も私には悩むことが多々ありますが、心を強くされました。心から感謝申し上げます。
Thank you for your wonderful comments. It has strengthened my heart, although I still have many things that trouble me. Thank you from the bottom of my heart.
2024年11月18日
滴翠美術館60 錦秋の茶会 点心席
11月16日は、待ちに待った 芦屋 #滴翠美術館 60周年「#錦秋の茶会」。
美術館所蔵の貴重なお道具を直にみたり触れたりできるお茶会なんて、初めてのこと!
当代大樋焼ご当主の大樋先生のお話がむちゃくちゃ響いたので、いろいろ書きたい!
さなえ先生、大樋先生、山口さん、ご同席のみなさま、ありがとうございました!

詳しくは帰ってから!
…………
先に点心席のことを書いておきます!
【点心席】
滴翠美術館は、銀行家 山口吉郎兵衛の邸宅だった建物。普段はプライベートになっているダイニングルームでの点心をいただく。
お料理は、西宮 割烹つかさ。


向付のはいった器には「楽」の印。実際に、当主 山口吉郎兵衛がお客様を迎えたときに使っていた器。


久慈良餅白味噌椀。わさびが入っておりました。美味しかった。
器は長野横笛の置き松葉。長野横笛は江戸後期の蒔絵師。


お酒は、能登 手取川 と 灘の仙介。
お猪口も、山口吉郎兵衛のコレクション



暖炉まわりのタイル。1枚1枚手描きで表情が違い かわいい!

そして、さりげなく置かれた1930年代のバカラのライト

2024年10月16日
ついに滴翠美術館の茶会に参ります
【滴翠美術館 参ります】
去年の10月、奈美ちゃんと芦屋さんぽに行き、#滴翠美術館 のお茶室を見て、
こんなところでお茶を頂きたいもんだよと言いながら「#家庭画報みたいに写して」と無理難題を強いた写真がこちら。

そののち、今年の春、京都 #有斐斎弘道館 の月釜で、法螺貝からはじまる #西行庵 の庵主さまの茶会に紛れ込み(笑)
法螺貝いいねぇ! うちもこれだけ演奏家がいるんだから、誰か法螺貝ふけんものか!と思っていたら、
むちゃ明るいお茶人さんたちが、西行庵さんを囲み かるたの話をされており、それが #堀尾さなえ先生 で、滴翠美術館で茶を教えてらっしゃるお茶人と知り、おぉ!
滴翠美術館のお茶室が少し近づいたぞ。いつか紛れ込まねばと思い1年。
来月、念願叶い、とうとう密やかに紛れ込みます(笑)
#滴翠美術館60周年 ということで、観世流から祝言あり、西行庵さんの法螺貝もあり、追っかけ状態にある 茶人の太田達さん、石川県金沢市から前田藩の茶を支えた大樋焼ご当主も来られ、
お菓子はもちろん #老松。点心は、これまた、普段のさんぽでは決して参れないお店。
ほかにも、さなえ先生が組んでくださった、趣向こらした祝の茶会にちゃっかり乗ります。
茶は楽しいもの。発想の力こそがもてなし。技も道具も持たぬ嘘茶の私でも拒否せぬ茶に巡り合い、嬉しい限り。
■滴翠美術館 Instagram
https://www.instagram.com/tekisui_museum?igsh=MWpnYWp3YXdpemQ0cw==
………………
■大樋焼
寛文六年(一六六六年)加賀藩主五代・前田綱紀侯は京都より仙叟宗室(裏千家四代)を茶道普及の為に金沢へ招きました。その際、初代長左衛門が京都より同道し、金沢郊外・大樋村(現大樋町)からなどの粘土によって、茶盌などを制作したことで大樋焼と称されるようになりました。
また、仙叟宗室は千利休の理念を受け継いだ孫・宗旦(千家三代)の四男であり、この地に千家茶道を普及させました。初代・大樋長左衛門は楽・長次郎を始祖とする一入(楽家四代)の高弟であり、身につけた楽焼の技術や理念を仙叟の指導のもとに、楽焼唯一の脇窯として金沢独特のものにしました。後に仙叟は京都に帰り裏千家を興し、そして長左衛門は金沢に残り、三百五十年以上継承されてきた大樋焼の礎となりました。
………
ああ、このとき、まだ50肩じゃなかったんだ…。これ着ていきたいのに、後ろに手がまわらん(涙)
2024年08月19日
類は友をよぶ 打ち上げ(笑)
【打ち上げる】
西垣正信、石井としじ、石井Naia舞を囲んでの打ち上げ。



私たちは、御影さんぽをしていたので、少々遅れて到着。
芸術家比率が圧倒的に多い場は、すでにアヤシキ盛り上がり(笑)類は友を呼ぶっていう言葉はほんとね。
舞ちゃんからフランス語の女性名詞男性名詞についての解説をうける。

お皿は女性名詞、グラスは男性名詞。なんとなく受け身の皿が女性で華やかなグラスが男性かと勝手な想像を膨らませながら、これは何か決まり事があるの?と聞くと、それはもうそういうものだからということで、なかなか難解。
そのあと、なぜか血液型の話になり、るいまま組調べによる、A型には純正と亜種があり、
日本人の多くが思うちゃんとしていて整理好きなA型と、とにかく片付け下手で広がってしまうA型がいて、稽古のとき、亜種は譜面台周りがごちゃごちゃになっていると話すと、
どうも似た方が多かったようで、ここ調べによると「芸術系のA型は亜種が多い」ってことに(笑)
こころちゃんがB型でも姉妹では違うと言い出し、O型姉の女将とB型姉のこころちゃんが語りだす。

O型妹のわたしとしては「姉」という存在が、なかなか濃い存在なんじゃないかと思います。
と、ま、音楽会打ち上げとも思えぬ会話ですが、ちゃんと音楽についても話したような記憶がございます。演奏会のときは動きやすく、特にアームホールにストレスのない衣装がベストであることとか。(音楽ちゃうやないかいw)
茶室の話は茶室の中でと同じように、打ち上げのはなしは、打ち上げのなかで。
そんなこんなで解散。
新神戸まで来ますと、まってたように広島行きの「のぞみ」がきまして、その日のうちに、おうちに到着。
2024年08月19日
御影をあるく
【御影をあるく】
世良美術館の音楽会のあと、女将推奨の御影 #ブーランジェリービアンヴニュ でパンを買い、


音楽会の打ち上げに行く前に、中之島香雪美術館で見た、御影の村山龍平の邸宅のジオラマの広大さを実際に感じたく、長期休館中の #御影香雪美術館(村山邸住宅)まで歩いてみるものの、



いったいどこからどこまでが敷地なのかわからず、これは塀をたどるだけで1時間はかかるぞと思い、とりあえず門の前で写真だけ写す(笑)

****************
朝日新聞を創刊した村山龍平が神戸・御影に構えた居宅は、阪神間に広がった郊外住宅の先駆的存在でした。
旧村山家住宅は、広大な敷地と和洋の建物を擁する明治、大正期の邸宅の面影を今に伝え、国指定重要文化財に指定されています。
村山龍平が御影郡家の地に数千坪の土地を取得したのは明治33(1900)年頃でした。
当時、一帯は六甲山の裾野の荒れ地でしたが、村山龍平が大阪から移り住んだことなどを契機に、明治、大正、昭和初期にかけて大阪の実業家達が競ってこの地域に私邸を構えました。
これらの人々の土地取得は単位が千坪を下らず、いずれも豪壮な建築でした。住吉村が「長者村」、御影が高級住宅地と呼ばれるに相応しい地域となっていった由縁です。
また、御影塀を巡らした村山邸の園林には野鳥や昆虫が多く生息しています。洋館と日本館は起伏に富んだ地形を生かして配置され、自然と共生する生活空間が構成されています。