2012年06月30日
そうか、きみはねずみ年だったのか・・・
るうじぃの年齢を、娘の年齢を元に、もう一度ゆっくり計算していたら。
13歳11ヶ月じゃなく、15歳11ヶ月だったことがわかった。
たぶん、どこかで、私が加算するのを忘れてしまっていたのだ。
だから寅年じゃなく、ねずみ年 (だから、小柄ですばしっこいのか・・)

猫の年齢は年齢で、人間と換算するのはナンセンスだと思うのだが
生き抜いた歴史をみてみたいと思って、換算してみた。
猫年齢の換算方法は、いくつもあって、一番古い方法だと15年は 90歳
でも、そんな年齢にはとうてい見えず、
マンションやアパートで暮らす猫の換算法でいくと 80歳前後だったようだ。
http://www.nekohon.jp/zy-idea-koneko-age.html
猫の成長は早い。
我が家に来た最初の数年。
彼は、鍵っ子の娘にとってはなくてはならない存在で、
すごく小柄でやんちゃだったので、彼女は猫を弟のようにして暮らしていたが。
実は、1年目には、もう彼女の年齢を追い抜き、常に兄だった。
娘が家をでて、私が彼の面倒をみるようになったころ
彼は、30代、40代ってところで、マンションの100平方メートルだけが彼の縄張りだった。
ほかに猫をみることもなく、人の言葉はおおかた解っているようで、
言葉で話すと、たいがいのことは理解していた。
やがて、私が癌になった年、彼は完全に私を追い抜いた。
私は、癌の手術のあと、自宅では仕事がはかどらないことや、自宅で人を待つ生活は耐えられないと
「ひとりで生きたい」と事務所に移り住んだ。
そのとき、彼は、私と一緒に、まちなかの古い一軒家にやってきたのだ。
そこから私と猫、二人の生活がはじまった。
人間の年齢に換算すると、50代半ばにさしかかろうとするころだったようだが、
見た目は、まだまだ子猫のようだったし、なんたって自分以外の猫をみたことがないので、
完全に猫分布ができていているこのあたりで、彼の縄張りなどできないだろうと思っていたが、
彼は、自らの力で、4軒ぶんの陣地をつくり、そのパトロールに余念のない生活がはじまる。

私は癌のホルモン治療の副作用で、なんどもうつうつとした状態になるが
そのたびに、自由と孤独のどちらを取る?と自分に問い、
暗い部屋で、猫を抱きしめながら孤独を耐えた。
そんな風だから、「るいままは、いつ寝ているんだ」といわれる数年がつづき
その間、彼は、いつもいつも、私の傍らにいた。
老いを感じたのは、ほんとに今年にはいってからくらいからで、
それも、二階のベランダからトナリの物置に飛び降りるときの音が少し大きくなったとか、
ブロック塀の上をあるくとき、ちょっと足を踏み外すことがあるとかのこと。
それは、本人としては許せないことだったようで、私にみつかると、ものすごくバツの悪そうな顔をした。
4月、彼は人間でいうところの、後期高齢者となって、若い猫との喧嘩に負ける。
生まれてはじめての病院が70代になってからというのも、すごいことだ。
傷が治らず、治らないままウィルス性の病気に感染し、それがわかってすぐ治療をして
ウィルス性の病気のほうは回復してきていたのだが
たぶん・・・・、喧嘩に負けたころ、頭に悪性腫瘍ができていた。
それも、負傷してやられた左目の奥あたり。
傷からでる膿を洗うのも、粉薬を飲むのも、嫌だったろうけど
そこが大人のたしなみというか、我慢づよさというか
渋い顔をしつつも耐え、2ヶ月を過ごし
もうすぐ16歳になる 15歳11ヶ月で旅だった。
亡くなる前日、腰が立たなくなっても、外に外にでていこうとし
トイレでおしっこをすると、ふらふらとトイレにいこうとし
この気力があるなら大丈夫だと病院に行き、先生と相談して血液検査をした。
心臓もしっかり動いていたし、
肝臓も、腎臓も異常なし
糖尿病もない。
猫白血病や、猫エイズの感染もしておらず、陰性とはっきりでた。
つまりは、老齢の猫としてはものすごく健康体だったのだ。
ただ、貧血があること。でも、それが立ち上がれないほどのものではなく
問題は、血液再生ができていないので、あとは点滴と栄養のあるものを食べて様子を見ることになった。
先生の手から栄養食を食べたので、できる限り「口」から食べる努力をすることになり、
私が、いわきに公演に行っている間は、病院に入院することにして、
病院をあとにし・・・
その夕方、息を引き取った。
maxiしゃちょーに「子どもの頃の写真を」と言われ、探して見たけれど、
写真は、私と二人でくらしはじめた6年前の物しかなかった。
特に、娘を東京に見送り、次に私の相棒としてここで暮らすようになるまでの間は
わざと姿を隠していたように、自分を残していない。
猫が亡くなったことを娘に伝えたとき、娘が電話の向こうで声をあげて泣くことを
ずっと離れているのに、そんなにショックだったのかとびっくりしたのだが、
こうして年表を書くと、「るい」は、若い頃は思春期の娘にぴたりと寄り添い守り、
そして中年になってからは、常に私の傍らで生きてきたのだ。
彼女の悲しみの大きさは、計り知れない。
通夜の日、無意識に、maxiの二人に
「猫って、子どもではないですね。もちろん家族だけれど、
しらぬ間に自分を追い越しておとなになってる」
と話している。
あとのときには、ぼんやりとそんなことを思っていたけれど、
るうじぃは、もう私の母親と同じ年齢になっていた。
長く患うことなく旅立てたのは、よかったことなのだ・・・・。
※ こうやって、ひとつひとつ整理をつけています。見苦しいことで、すみません。



るいのカテゴリ「猫 るい」を作りました。
http://ruimama.ashita-sanuki.jp/c2808.html
2012年4月2日~6月28日の がんばる猫(闘病記)は別にしました。
http://ruimama.ashita-sanuki.jp/c20406.html
2012年06月30日
抱えきれない悲しみを乗り越えるために書こう

考えられないほどの悲しみがやってきてしまった。
昨日、るうちゃんの身体を火葬場に見送り、ばばさまの家でるうちゃんの思い出を話ながら
会食をすると、からっぽの胃の中に血液が回り、なん十時間ぶりに眠くなったので、
「元気になってきたよ」と、事務所にもどることにした。
ところが、ひとりで事務所にはいったとたん、うっと押し返すような悲しみがやってきた。
通夜のときも、ばばさまの家で葬儀社の車を待つ間も、大丈夫だったのに、
その場にうずくまり、声をあげて泣いた。
泣いたほうがいいんだ、泣いて心を洗い流そうと思っていた。
そんなことをいって、今までたくさんのひとを励ました。
ところが、泣くほどに悲しみが大きな波となって重なるように押し寄せて
呼吸があやしくなり、胃の中にはいっていたものがでそうな
過呼吸がやってきた。
私と猫、たった二人で暮らしていたこの小さな住まいには、どこを見ても彼が居る。
窓辺や、台所のカウンターはもちろん
テーブルの椅子に隠れていたり、えさ場の奥にいたり、
お風呂場で水をのんでいたり、衣装部屋の隅に潜んでいたり
押し入れの布団の上で眠っていたり
思い出は、容赦なく私を襲う。
押しつぶされそうな思いに、
あああ、こんなことしてちゃダメだ。
ここで、るうちゃんの幻を追っていてはダメだ。
声を上げてないたら、声がでなくなる。歌えなくなる。もう、ここでやめないといけない。
こんなことになるはずじゃなかったじゃないか・・・・
思えば思うほど、感情は氾濫した川のごとく、すべての思いをなぎ倒す。
孤高の猫と、一人で生きるわたし。
お互いは、別の世界で生きていると思っていた。
ベタベタしない関係を貫いているとおもっていた。
でも・・・気づいたのだ。
これまでも、耐えがたいいくつのも別れがあったけれど、そのとき、私の周りには必ず誰かいた。
一緒に、別れの時間を過ごす人がいた。
るうじぃも、その時間、私のそばで「傍らの猫」としていてくれた。

もう・・・ だれも・・・ いない・・・。
嗚咽は止まらず、とにかくここから出ようと、外に飛び出した。
夜まで、maxiでだらだらと過ごし、まったく別の話をして
覚悟をきめて事務所に戻ると
やはり猫はいなかった。
「るいままさん、いまから行きますから」と、maxiの二人がやってきて
ごはんを食べましょう.私たち食べていないですといい、じゃ、なんかつくるよと久々に台所に立った。
私は14年、あの猫がいることがあまりにも当たり前になっていて、
最後の最後までいてくれたのが、彼だということを、今日まで気づかなかったんだよ・・・・
そんな話をすると
「るいまま、縁があって来た子なんです。るうじぃが、ここに来るには来る意味があったんですよ」
と、カエルが言った。
「るうじぃは、まだ、いるんですよ。すぐに居なくなったりしない。
いや、むしろ、肉体がなくなったぶん、これからは、るいままとずっと一緒にどこでもいける。
いわき、病院に入院するんじゃなく、一緒にいきたかったんですよ。きっと」
だから、しばらくはこの感情をゆっくりと乗り越えた方がいいのですと、二人は言う。
「今は、なにを見ても悲しみは押し寄せるかもしれないけれど、
まだここにいる るうじいさんが音をたてたり、物を移動させたりと、
いつものいたずらをしているはずだから
それを楽しまないとだめですよ。
やがて、鈴の音もしなくなり、夢にるうじぃがでてくるとき、そのとき、ようやくほどよい距離となるんです。
それは、いつだかはわからない。
でも、あの子は、必ずここに縁あってきたこですから、るいままさんを守っているんですよ」
しゃちょーが
「るいままさん、るうじぃさんの小さい頃の写真もみせてくださいね」
といい、二人は、ごはんを一緒に食べて帰って行った。
二人が帰ってから、ふと思い出した。出張からかえったときのるうじぃとの儀式、
三日も四日も一人で留守番をし、私が帰ってきて電気をつけると
部屋の真ん中で振り向き「おかえり~」と言う。
それは、るぅちゃんの、その時々で違う
機嫌のいいときは

http://ruimama.ashita-sanuki.jp/e456331.html

いささか待たされた感のあるときは

http://ruimama.ashita-sanuki.jp/e359510.html
長い旅のあとは、


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http://ruimama.ashita-sanuki.jp/e160150.html
仕事で夜中まで一人で起きていても、必ず猫は傍らにいて・・・

http://ruimama.ashita-sanuki.jp/e449596.html

http://ruimama.ashita-sanuki.jp/e350727.html

http://ruimama.ashita-sanuki.jp/e216517.html
考え事をしているときも、そっと寄り添い・・・・・

http://ruimama.ashita-sanuki.jp/e334250.html


http://ruimama.ashita-sanuki.jp/e76997.html

http://ruimama.ashita-sanuki.jp/e64829.html

http://ruimama.ashita-sanuki.jp/e12792.html

http://ruimama.ashita-sanuki.jp/e63881.html
とんでもなくかわいい顔を見せ・・・・・私を笑わせてくれた・・・

http://ruimama.ashita-sanuki.jp/e310387.html


ぶりだいこん狙うの図

http://ruimama.ashita-sanuki.jp/e125656.html

http://ruimama.ashita-sanuki.jp/e98635.html


男3人 打ち合わせ中。るうじぃ、ちょっと困惑~

http://ruimama.ashita-sanuki.jp/e500921.html


http://ruimama.ashita-sanuki.jp/e79413.html
おまえのその仕草に、おまえのぬくもりに、おまえの眼差しに
私はどんなに励まされただろう。
一人で生きるなんていきがっていたけれど、それは、おまえが居てくれたからのことだったこと。
14年もたってようやく気づいた私を許してほしい。
※ るいは、15歳11ヶ月であったことがわかりました。尊敬ばかりです。
2012年06月29日
2012年06月29日
きみの死が・・・現実のものとなっていく
るうじぃの通夜にお越しくださったみなさん。
お電話やメールをくださったみなさん、あらためてありがとうございます。
真夜中、東京で暮らす娘から、「なんで春に帰ってやらなかったんだろう」と、
泣いて悔やむ電話があって、この2ヶ月のことを様子を話しながら、
そうか、この子が病気だった時期は、たったの2ヶ月だったのだ・・と改めて思いました。

13年と11ヶ月生き、
そのほとんどが活発でニヒリストで、人の手を煩わせることなく孤高をつらぬく、
猫らしい猫。
それは、死の直前までつづきました。
るい(るうじぃの本名)が、まだ我が家に来て間もないころから知っている、るいまま組のこたつが
「考えれば、あの頃、まだ るいさんは子猫だったんですね?」と言い、
子どもだったはずなのに、遊んで欲しいというでなく、すっと膝の上にのって
嬉しい嬉しいなんて顔をせず、しばし時を過ごすと、すっと下りていく
「るいさんは、ダンディズムの極みでしたな」。
目を腫らしながら通夜にきてくれた、しゃちょーやカエルに、
「猫って、子どもではないですね。もちろん家族だけれど、
しらぬ間に自分を追い越しておとなになってる」
と話しながら、
特に、るうじぃは、早いうちに大人な風情をだして、見た目の幼さとは別に
いつも、どこか少し離れたところから、私たちをみている感じだったなと思っていました。

夕べ、立てなくなっているのに、それでも外に行こうとする るうじぃの身体を抱え
「ひとりにしないで・・・」
と、つぶやくと、彼は、涙をたたえたような顔で私をみました。
三日前、忽然と姿をけしたとき、たぶん、この子は自分の死に場所を探しにいっていたのです。
でも、もう一度だけ、私にさようならを言いに来て、
もう食べるのも難儀していたえさを、茶碗いっぱい食べる姿を見せ
翌日、出て行くつもりにしていたんだと思います。
その矢先、身体が自分の思うように動かなくなり、
それでも、ひょろひょろと立ち上がっては暗い隙間に隙間にはいっていこうとしました。
こたつが
「もう一回、ままに姿を見せに来たのは、るいさんなりのダンディズムですよ。
るいままのことが心配だったおっさんの気持ち、おれはわかりますよ」
まだぬくもりののこる、るうじぃののど元をかきながら、みゃうが、
「今すぐにでも起きてきそうですね」と言い
「そうなんだよ」
傷も治ってきて、喧嘩の傷で禿げてしまっていた頭のてっぺんも
目をこすりすぎて毛が抜け落ちていた左手の内側も、回復し、
るうじぃは、もう病気の猫ではありませんでした。
今朝、病院で体重を量ったときには、2.25キロしかなかった体も
ドライアイスのはいった箱に寝かせるとき、思いの外ずしりとして
洗濯ネットにはいって病院通いをしていたときじゃなく、
両隣の家を縦横無尽に走り回っていた頃のようでした。

孤高の猫なのだ、人にベタベタしない猫なのだと言いながら
でも、私と二人だけの暮らしになったあとは、寂しいおもいをすることもあったはずで
晩年は、
「夕方になると、必ず、ちょんと、るぅちゃんが食卓の横にすわってるんよ」
と、ばばさまがいい、
ばばさまの家の、夕餉の卓のとなりで、ほんの少し鰹節を食べると納得して
あとは、私が帰ってくるまで、すんすんと眠っていたそうです。
でも、どんなに遅くなっても、ばばさまの家に泊まることはなく、
カタンと音がすれば、目をさまし一目散に帰っていく姿に、
「家は、やっぱりあんたんちやって思ってるんやで」
徹夜あけでも容赦なく、朝7時になると私を起こすのは、それが家族のつとめと
思っていたからでしょう。
私を起こすと、また寝てしまうの図
部屋が汚れているのが大嫌いで、
トイレや、茶碗の汚れも断固許さず、猫のいる家なのに猫のにおいがしないと言われるのは
猫自身が、そういうものを嫌っていたからです。
風呂上がりの図
怪我をしたのが、4月2日。
抗生剤が一向に効果を示さず、病院を変え、詳しい検査をしたとき、
彼から、なにかのサインが送られてきたような気がして
私は、検査の詳しい結果がでるまえに、自分に覚悟をきめていました。
それが、5月29日のことです。
http://ruimama.ashita-sanuki.jp/e553224.html
ちょうど1ヶ月。
これが、るうじぃが私にくれた「お別れの時間」だったのでしょう。
今、こうしていても、るうじぃの眠る箱がカタっと音を立て、彼がでてきそうです。
もう鳴ることもないはずの猫鈴が鳴ります。

なにかを見据えたような綺麗な目は、いったい何をみているのでしょう。
福島にたつまえに、旅だったのは、誰にも迷惑をかけたくなかったからでしょうか。
彼のほんとの飼い主である娘がいなかった年に亡くなったのは
自分の妹だと思っていた彼女に、辛い思いをさせたくなかったからでしょうか。
でも・・・・・るぅちゃん。
27缶も残っている缶詰も、90枚も残っているペットシートも、買い換えてまもないトイレも
どうしてくれる・・・・


この部屋に残る君の気配や、遊んでいた場所や、眠っていた窓辺や
太陽を浴びながら白い腹をみせて幸せそうにころころところがっていたベランダを
私は、どうやって見ればいいんだろう。
君がくれた1ヶ月という時間を、こんな思いにはならないように
覚悟をきめて過ごしたつもりだったのに
夜明けが近づくほどに押し寄せる、君を失った悲しみは現実のものとなっていく。
こんな風に、また邪魔してほしいんだよ・・・
しあわせそうな寝顔をみながら眠りにつきたいんだよ・・・
もう一度。るいまま、おかえり・・・て、言って・・・・
追記
※ るいは、15歳11ヶ月であったことがわかりました。尊敬ばかりです。
お電話やメールをくださったみなさん、あらためてありがとうございます。
真夜中、東京で暮らす娘から、「なんで春に帰ってやらなかったんだろう」と、
泣いて悔やむ電話があって、この2ヶ月のことを様子を話しながら、
そうか、この子が病気だった時期は、たったの2ヶ月だったのだ・・と改めて思いました。

13年と11ヶ月生き、
そのほとんどが活発でニヒリストで、人の手を煩わせることなく孤高をつらぬく、
猫らしい猫。
それは、死の直前までつづきました。
るい(るうじぃの本名)が、まだ我が家に来て間もないころから知っている、るいまま組のこたつが
「考えれば、あの頃、まだ るいさんは子猫だったんですね?」と言い、
子どもだったはずなのに、遊んで欲しいというでなく、すっと膝の上にのって
嬉しい嬉しいなんて顔をせず、しばし時を過ごすと、すっと下りていく
「るいさんは、ダンディズムの極みでしたな」。
目を腫らしながら通夜にきてくれた、しゃちょーやカエルに、
「猫って、子どもではないですね。もちろん家族だけれど、
しらぬ間に自分を追い越しておとなになってる」
と話しながら、
特に、るうじぃは、早いうちに大人な風情をだして、見た目の幼さとは別に
いつも、どこか少し離れたところから、私たちをみている感じだったなと思っていました。

夕べ、立てなくなっているのに、それでも外に行こうとする るうじぃの身体を抱え
「ひとりにしないで・・・」
と、つぶやくと、彼は、涙をたたえたような顔で私をみました。
三日前、忽然と姿をけしたとき、たぶん、この子は自分の死に場所を探しにいっていたのです。
でも、もう一度だけ、私にさようならを言いに来て、
もう食べるのも難儀していたえさを、茶碗いっぱい食べる姿を見せ
翌日、出て行くつもりにしていたんだと思います。
その矢先、身体が自分の思うように動かなくなり、
それでも、ひょろひょろと立ち上がっては暗い隙間に隙間にはいっていこうとしました。
こたつが
「もう一回、ままに姿を見せに来たのは、るいさんなりのダンディズムですよ。
るいままのことが心配だったおっさんの気持ち、おれはわかりますよ」
まだぬくもりののこる、るうじぃののど元をかきながら、みゃうが、
「今すぐにでも起きてきそうですね」と言い
「そうなんだよ」
傷も治ってきて、喧嘩の傷で禿げてしまっていた頭のてっぺんも
目をこすりすぎて毛が抜け落ちていた左手の内側も、回復し、
るうじぃは、もう病気の猫ではありませんでした。
今朝、病院で体重を量ったときには、2.25キロしかなかった体も
ドライアイスのはいった箱に寝かせるとき、思いの外ずしりとして
洗濯ネットにはいって病院通いをしていたときじゃなく、
両隣の家を縦横無尽に走り回っていた頃のようでした。

孤高の猫なのだ、人にベタベタしない猫なのだと言いながら
でも、私と二人だけの暮らしになったあとは、寂しいおもいをすることもあったはずで
晩年は、
「夕方になると、必ず、ちょんと、るぅちゃんが食卓の横にすわってるんよ」
と、ばばさまがいい、
ばばさまの家の、夕餉の卓のとなりで、ほんの少し鰹節を食べると納得して
あとは、私が帰ってくるまで、すんすんと眠っていたそうです。
でも、どんなに遅くなっても、ばばさまの家に泊まることはなく、
カタンと音がすれば、目をさまし一目散に帰っていく姿に、
「家は、やっぱりあんたんちやって思ってるんやで」
徹夜あけでも容赦なく、朝7時になると私を起こすのは、それが家族のつとめと
思っていたからでしょう。

部屋が汚れているのが大嫌いで、
トイレや、茶碗の汚れも断固許さず、猫のいる家なのに猫のにおいがしないと言われるのは
猫自身が、そういうものを嫌っていたからです。

怪我をしたのが、4月2日。
抗生剤が一向に効果を示さず、病院を変え、詳しい検査をしたとき、
彼から、なにかのサインが送られてきたような気がして
私は、検査の詳しい結果がでるまえに、自分に覚悟をきめていました。
それが、5月29日のことです。
http://ruimama.ashita-sanuki.jp/e553224.html
ちょうど1ヶ月。
これが、るうじぃが私にくれた「お別れの時間」だったのでしょう。
今、こうしていても、るうじぃの眠る箱がカタっと音を立て、彼がでてきそうです。
もう鳴ることもないはずの猫鈴が鳴ります。

なにかを見据えたような綺麗な目は、いったい何をみているのでしょう。
福島にたつまえに、旅だったのは、誰にも迷惑をかけたくなかったからでしょうか。
彼のほんとの飼い主である娘がいなかった年に亡くなったのは
自分の妹だと思っていた彼女に、辛い思いをさせたくなかったからでしょうか。
でも・・・・・るぅちゃん。
27缶も残っている缶詰も、90枚も残っているペットシートも、買い換えてまもないトイレも
どうしてくれる・・・・


この部屋に残る君の気配や、遊んでいた場所や、眠っていた窓辺や
太陽を浴びながら白い腹をみせて幸せそうにころころところがっていたベランダを
私は、どうやって見ればいいんだろう。
君がくれた1ヶ月という時間を、こんな思いにはならないように
覚悟をきめて過ごしたつもりだったのに
夜明けが近づくほどに押し寄せる、君を失った悲しみは現実のものとなっていく。



追記
※ るいは、15歳11ヶ月であったことがわかりました。尊敬ばかりです。
2012年06月28日
みなさんありがとうございました。




先ほど、夕方5時50分。
るうじぃ13歳が旅立ちました。
眠るような大往生でありました。
ばばさまに電話をもらい、あわてて帰ると、
わたしのかえりを待っていたように、最期のちいさな鼓動を止めました。
ありがとうね。
13年も、いてくれてほんとにほんとにありがとう。
歯は一本もかけず、白い胸毛はいまもふんわりしています。
こんな男前はなかなかおりません。
ご心配いただいたみなさん、ほんとにありがとうございました。
*******************
追記
るいのカテゴリ「猫 るい」を作りました。
http://ruimama.ashita-sanuki.jp/c2808.html
2012年4月2日~6月28日の がんばる猫(闘病記)は別にしました。
http://ruimama.ashita-sanuki.jp/c20406.html
そして、
※ るいは、15歳11ヶ月であったことがわかりました。尊敬ばかりです。
2012年06月28日
2012年06月28日
上勝くるくるmapの「ふんいき〜」

漫遊帖の中心市街地のmapづくりがはじまっておりますが、
デザイナーさんに、参考として渡したのが、
上勝のくるくるmap.。
この地図の縮尺のところにある「ふんいき」の言葉、大好きだよ。
2012年06月28日
るうじぃ 点滴うけました。

病院は休診日だったのですが、みてくださるってことで動物病院。
血液検査の結果、内蔵はわるいとこもなく、心臓も大丈夫。
ただ、貧血がひどく、血液そのものを作っていない可能性あり。
猫AIDSと白血病もしらべてもらったけれど、こちらも陰性。
点滴してもらって、先生の手から病人食をたべさせてもらって(先生の指噛んで)、あとは様子をみることほ
東北にいく間は、病院に預かってもらうことになりました。
2012年06月28日
るうじぃ ようやっと落ち着いた
るうじぃ、夜半から、ちょっと具合がわるくなり、まっすぐ歩けなくなってしまいました。
今朝は、朝からご飯もくちにしておらず、怒ったりマーキングでおしっこをすることはあっても
寝ていて粗相をすることはなかったのに、寝床のバスタオルが濡れており
これは、ちょっと尋常ではないな・・・。
そんなにヘロヘロなのに外に行きたがり、あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、
出口をさがしている様子。
たぶん、もう、目が見えていないんだろうな・・・
しばらく抱いて、「まぁまぁ、そういわずに、しばらく一緒にいようや」と
話しかけておりましたが、
狭いところ、暗いところにはいりたがるので、段ボールで寝床をつくり
そこに寝かしたら、ようやっと観念したようで、寝ております。

昨日は、バタバタしてたのに。
はぁ・・・・