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2019年04月05日

【亡羊の嘆】小説「まちの風景」最終回に寄せて



(IKUNAS 小説「まちの風景」最終回に寄せて)

【亡羊の嘆】

IKUNASに連載していた小説「まちの風景」が最終回となったからか、読んでいたよ~好きだったのに終わった~次はいつから?と声をかけていただいたり、みずがめ座の女(主人公ゆりこが水瓶座)ですとメールを頂いたりが続いている。

私は、たいした苦労もなく、早くに賞を頂いたり、朝日、毎日、読売の月間賞に何度も選ばれたりと、地方で小説を書くものとしては、まぁまぁ順調な30代を送っていた。書けないなんてことは一度もなく、いくらでも書けていた頃だ。

新聞で審査員をしていた社会派の小説家に、四国で上手上手と言われるのはきみのためにはならないとお手紙をいただき、関西に通うようになって、いろんなひとに会った。

先生のおかげで、とても可愛がってもらえたが、「四国にこんな世界があるはずがない」と、四国はすごく田舎だと偏見を持つおじさん作家から言われたり、「グラビア雑誌に載ってるような文章ね」と大学教授をしながら小説を書いていた女流作家にやられたり、確かに四国ではなかったようなことはたくさんあった。

しかし、そこでの数年は私にとって貴重な時間で、小説家という仕事を生業にしているひとたちの話をきくうちに(私は、ペーペーすぎて話すというより聞くばかり)、四国で自由気ままに書いていたときには思わなかったことも思うようになり、40歳のとき「小説は60になっても書ける」と筆を置いて、机の前から離れた。

このまま小説だけを書いていたら、自分はダメになるとぼんやりとした危機感もあった。

40のときに書いたのが、小説「亡羊の嘆」だ。

亡羊の嘆というのは、
「逃げた羊を追いかけたが、道が多くて、見失ってしまって嘆くこと。学問の道があまりに幅広いために、容易に真理をつかむことができないことのたとえ。また、あれかこれかと思案に暮れることのたとえ」とコトバンクにはあるが、

あの頃の私は、まさに亡羊の嘆で、少々利口になったばかりに迷い、前に進めない人間になってしまっていた。


小説は書かなくなったが、文章を書くのをやめた訳ではなく、脚本や台本は書いていたので、紙の上で人を動かすか、リアルに人を動かすための設計図を書くかだけの差で、創作にかわりはないのだが、活字の世界を捨てたように言われることもあった。だが、言われた所で痛くも痒くもないほどに、文学同人の世界は衰退していった。


なぜ60という線引をしたかといえば、40歳の私は「60になれば、もう迷いもなくなっているだろう、バタバタと仕事もしていないだろう、小説を書く時間も十分にあるだろう」と思ったからだ。ところが実際20年たっても、時間も迷いも40のころとたいして変わらず、ますます道は広がって、いったいどれが進みたかった道なのかわからなくなってしまった(笑)。

小説は、人が思うよりも手間がかかる。

小説というのは、書き足すものではなく、書いたものを捨てていくものだと私たちは教えられた。真夜中に書いては捨て書いては捨てを繰り返す作業は、脳内に妙なアドレナリンを生み、寝ない生活が続く。40歳のときと確実に変わったのは、それを果てしなくは続ける体力はなくなったということだ。

そんなわけで、60がそこに見え始めたのに一向に気持ちが「再び(長い)小説を書く」へ向かないところに、IKUNASから連載小説のオーダーが入った。まだ60になってないからとぐずぐず言っていたが、とりあえず書き始め、脚本台本と小説の差を強く知ることになる。

文章が書けるから何でも書けるなんていうのは嘘だ。不遜の塊だった頃、「小説なんて日本語がかければ、誰でも書けるよ」と言っていたが、それは間違いです。日々の努力と鍛錬と、持って生まれたセンスが無ければ手を出してはいけない世界です。

ただ、50代のおわりから、のんびりとリハビリのように書き始めた小説「まちの風景」のおかげで、私の中で中途半端に止まっていた小説「亡羊の嘆」は完結を迎えることができた。

40歳はまだまだ若い。向こう見ずで怖いもの知らずで、誰の力を借りずとも何とかしてみせるという強い女であることこそが大事だと思っていた。「亡羊の嘆」の主人公は、世間からの評価があがるほどに自分を見失い、ほんとうに大切だったものの手を離してしまう。

人間は、少々弱ったほうがいい。弱れば見えてくるものもある。年を重ねるというのは、そういうものをリアルに体験することだ。


閉じていた扉をどんどんと叩き、締切を設けて机の前に座らせてくれたIKUNASの #久保月 社長には、感謝の言葉しかない。

ありがとうございました。ようやく、小説を書きたくなってきました。



【亡羊の嘆】小説「まちの風景」最終回に寄せて










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この記事へのコメント
るいままさんの小説読んだことないんで読んでみたいです。「持って生まれたセンスが無ければ手を出してはいけない世界」、そういや、村上春樹さんも同じこと言っていましたね。「まちの風景」ってどこで読めるんだろう。
Posted by 屋台ブルー at 2019年04月05日 18:37
ひそかに、雑誌IKUNASに連載しておりました。花園町 IKUNASギャラリーにバックナンバーもございますので、お時間あるときに。
Posted by るいままるいまま at 2019年04月27日 09:11
ひそかに、雑誌IKUNASに連載しておりました。花園町 IKUNASギャラリーにバックナンバーもございますので、お時間あるときに。
Posted by るいままるいまま at 2019年04月27日 09:11
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