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2025年03月13日

昼下がりのお茶会



【春の和菓子】

和菓子の話をしていたら、無性に生菓子が欲しくなり、片原町 #三友堂 さんへ。ついでに94(母)のところに寄って、煎茶を淹れて昼下がりの茶会。




春の生菓子から、#桃の花(ういろう、黄身餡)、#菜種餅(雪平餅、カステラそぼろ、こしあん)、#つくし(薯蕷饅頭、こしあん)、#草団子 はすでに母の口の中)。




せっかくなので、茨城の母の妹である叔母に電話をかけ、母、叔母、叔父で電話ごしのご機嫌伺いをしてもらったんだが、

聴こえてなかったり、みんなが勝手な話をしたりでトンチンカンになるところも多々あったものの、最後は「元気でな、元気が一番やで」で綺麗にまとまり終了(笑)

桜が咲いたらさんぽに行きましょうと約束して解散。

■お菓子の説明は、三友堂Instagramで
https://www.instagram.com/sanyu_do?igsh=MWRvOW90bDM0Nm55Yw==



  

2025年02月17日

短くとも濃く。小さい成功体験を積み重ねよう!



【お疲れさん】

るいちゃ社長1年ぶりの帰省おしまい。マリンに乗ってお江戸に帰りました。高松滞在16時間。




私が関西は日帰りさんぽというと驚かれるよう、東京から四国への帰省が一泊二日というとびっくりされると言うてましたが、

昨日も大阪さんぽから帰って、ふたりとも自分の仕事をコツコツやってましたので、これ以上は時間は取れないんです(笑)

短くとも濃く。小さい成功体験を積み重ねよう!

が、ふたりの合言葉。

ほな、また次回。1年後やな、たぶん(笑)


  
Posted by るいまま at 23:37Comments(0)るいまま組■老人90日記

2025年02月17日

おばあちゃんと一緒♪


【grandma's day お買い物&スタバ】

るいちゃ社長 弾丸帰省2日目は、おばぁちゃん孝行の日。老人94(母)の外出届を出して、お買い物&お気に入りのスタバで珈琲。

AfternoonTeaでるいちゃ社長からいろいろ買ってもらい嬉しそう。

で、俄然元気になりまして、人生訓を語る語る(笑) 帰る家があるというだけで気持ちに余裕ができるもんやでというてます。











【梅見に栗林公園】

さすがに栗林公園を歩くのはハードすぎるので、公園事務所で車椅子を借りて梅林へ。

梅まつりは終わりましたが、梅の花がひらくのはこれから。

コロナの間は外出もままならなかったので、栗林公園にくるのも5年ぶり。緑の中を歩く(歩いてないけど)と、気持ちがすっきりするわ。やっぱり栗林公園はいいな!と言うてます。

長居は出来ませぬが、また、桜が咲いたら参りましょう。











【ご対面】

自宅にもどって、お仏壇に手を合わせてから、お茶を一杯。やっぱり落ち着くわと話していると、かん氏がやってきて熱烈歓迎。

母が倒れるまでは、母と猫のふたりで暮らしていたようなものなので、かん氏も寂しかったようで、会いたかったと強くアピール。

こうして迎えてくれるひとがいると嬉しいものだよと母。

でも、もうかん氏を抱き抱える力はない。

外出してすぐは記憶が曖昧だったけど、あちこちぐるぐる回って自宅にもどると、いろんな記憶がよみがえってきたようで、目をはなした隙に2階にあがっていて、びっくり。

「久しぶりやから見ておきたいんよ(笑)」

というお気持ちはわかるけど、のぼるよりおりるほうが危ないので、探検のあとは、るいちゃと私で上と下から支えて階下へおろす騒動。

好奇心の強さとお転婆ぶりは変わらず(笑)

帰りの車で、やっぱり家はいいな。あの家ならひとりでも住めるかもしれんなと楽しげに言っておりますが、その記憶が続かないのが94歳。

食べることも、お風呂も掃除も洗濯も、なにより暮らしをひとりできりもりするのは難しいこと。

ときどき帰って、きゃあきゃあ言ってるのが一番平和。

外出緩和になったから、またゆっくり帰りましょな。











  

2025年02月03日

簡単には終わらない…



【簡単には終わらない…】

ケース会議前に、狂人74(兄)と並んで待つようにと椅子が出され、病棟からでてきた74歳の兄の姿をみた途端、身体が震えだして逃げた。

看護師さんたちが「大丈夫ですか?」と集まり病棟は一瞬ざわめいたが、心臓を押さえながら「同じ部屋に並んで座ることは無理です」と言うと、

「配慮が足りませんでした」と、すぐに対応してくれたのだが、自分の弱さに落ち込む。

兄は相変わらず同じことを繰り返す。ドクターが辛抱強く話をしてくれても聞く耳はもたない。

ここでは決して言葉を発してはいけないのだ。発すれば、そこに向かい執拗な攻撃が始まる。だから、ずっと岩のように黙っていたのに、

自立をする家に帰るを繰り返し、年金でのんびり自宅で療養したいのだ、15万もあれば僕はひとりでやれると言う言葉に反応してしまった。

兄の年金は、父や母がかわりにかけたもの。手取りにしたら、最低の国民年金額だけだ。日本のどこに働きもせず15万も年金をいただけるひとがいるものか。

「年金で自立なんて出来ないよ」と一言言ったばかりに、兄から執拗に「いくらだ?」と責め立てられはじめた。

入院費と月一万円のお小遣いを払えば全てなくなる金額しか国の年金は保障してくれない。兄が何か起こせば父や母がしてきたように、代わっての出費が私の肩にかかる。それだけだ。

健康ゆえに介護認定もつかず、お金もなく、自炊も洗濯もできず、ましてや社会の中で生きることもできないのに、外になど出られるわけがない。

わけがないが…、それを理解できないのが、兄の病であり、19歳のときから74歳のいままで、一度も改善なく異世界にいる兄の現実なのだ。

兄に会うと、しばらく気持ちが落ち込むので、3ヶ月に一度のケース会議になんとか行かずに済む方法はないかと考えるが、あのひとに残された家族は、妹である私しかいない。

そして兄は、現状に納得いかずとも、終わらない人生を歩くしかない。

ケース会議のあと、ドクターから、ああして同じことを繰り返し言うけれど、若い頃のように暴れたりはしなくなっています。家に戻ることや、どこかに移ったりが現実的ではないのは、ご本人以外、みんな分かっていますからと声をかけてくれた。

あなたはひとりではない、私たちがいますからと言ってくださったのだと思う。ありがとうございます。






  
Posted by るいまま at 16:55Comments(0)狂人日記■老人90日記

2025年01月19日

まずは ごはんを食べよう 映画「どうすればよかったか?」鑑賞記録」



【ごはんを食べよう】

映画「#どうすればよかったか?」を観終わり、少しさんぽしてきた。

教授から、この映画は観るひとによっては苦しくなるかもしれませんと聞いていたが、私は清々しい。

8歳年上の優秀で天使のようだった姉が、医大生となり24歳のとき精神分裂症(統合失調症)と思われる症状を発症する。

しかし、救急車で運ばれた彼女は、青年期にはよくあること分裂症と診断するのは時期尚早と言われたと家に帰される。

これにより、両親は、#娘は精神病ではない!という考えから逃れられないまま時間は過ぎる。

それから約10年。

弟である監督の #藤野智明 さんが録音した、姉が喚き散らす音声から映画ははじまる。

この映画は、是非を問うものでも解決をいうものでもなく、精神分裂症患者の家族をもつ青年が、たんたんと記録を取り続けたドキュメンタリーだ。

ピアノも絵も上手で学力優秀な姉は、研究者の両親と海外での生活を経て、生徒会の会長としてひとをまとめるような快活な少女時代を送り、医大生となる。

マコちゃん(姉)、パパ、ママ、ともちゃん(弟・監督)と呼び合う家族は、普段からナイフやフォークを使い食事をするモダンな一家だ。

誕生日や季節ごとのパーティーもかかさない。研究者の両親の研究室には高額な精密機器がならぶ。母親は、それを得意げに話す。

優秀じゃなかったという弟だって、北大の学生だ。

こんな非の打ち所のない家族に精神病患者が生まれるはずがない。マコちゃんは分裂症じゃない、パパが国家試験を強要するからいけないのだ。マコちゃんは国家試験はいいから論文をかけばいい。

その考えは、たぶんママが亡くなるその日まで続く。

弟のともちゃんが大学生になり、姉をちゃんと病院に連れていき治療しなきゃだめだと言う。

しかし、8年遅れて生まれてきたともちゃんは、この家の家族ではあっても、姉のことについては他人だ。

ママは、「あなたになんか何もわからない、何十年も彼女とくらし、ドクターである自分たちの判断こそが正しい!」と、弟を突き放す。

藤野監督が、姉が発病し自分が家を出る子ども時代のことを話す。

毎日が地獄のような日々なのに、それを認めない両親、自分(監督)は家族として認められない環境にあって、死んでやろうか、殺してやろうかと思うこともあった。でも、そんなことをして、自分の人生を台無しにはしたくなかった。

正に…。

私も、そのとおりの少女時代を送り、大学にいくといって家をでた。いや、出口の見えない地獄から逃げた。

藤野家は、ママが80代になりせん妄症状がでて、だれかが来る、だれかに狙われていると言い出し、家にはふたりの常軌を逸したひとがいるようになる。

そして、83歳でママは亡くなり、50代になったマコちゃんは、ようやく専門医の治療をうけられるようになって、幸いにも彼女の症状に合った薬がみつかり苦しみから逃れられた。

監督が帰省のたびに記録した動画のなかで、両親は確実に老いていく。マコちゃんは、症状が悪くなると表情がなくなり凄まじい声で叫ぶが、治療がすすみ落ち着くと笑顔も増え、おどけてもみせる。

大正生まれのパパが脳梗塞で倒れてからは、マコちゃんが食事の世話や介護をしていく。

が、彼女がこうした平和な生活を取り戻したとき、彼女の身体はステージ4の癌に侵されており、60代で亡くなる。

残されたパパは、100歳を超えている。ともくんは、パパに聞く。なぜ姉を精神科につけなかったのか。果たして、我が家のやり方はただしかったのか?

パパは言う「認めたくはなかった…」

親ならば、誰だってそうだ。ましてや、優秀と言われた子に、精一杯の愛情と経験と学ぶ機会を与えつづけ、それに間違いなどなかった。

この子が、精神分裂症などであるはずがない。社会から後ろ指をさされるはずがない。

私は弟のともちゃんと似た人生を送ってきた。いや、父が早くに亡くなり、母が老い、共に兄を診るために夫とはなれ実家に暮らし、日常的に兄と接していたぶん、もっと壮絶だったかもしれない。

8年前、病院の力を借りて兄を入院させ、4年前からは施設のひとの力を借りながら母を看るいまが、人生の中で一番おだやかだ。

それでも、兄の姿をみるたびに心は荒む。金銭的にも肉体的にもしんどい、この時間がいつ終わるのだという思いにもなる。

だから… 、マコちゃんの葬儀のシーンを観ながら、この果てない闇は、必ずいつか終わるのだとホッとした。

まずは、ごはんを食べよう。

泣くことも、嘆くことも、まだ許されはしない。






  
Posted by るいまま at 19:35Comments(0)狂人日記■老人90日記

2025年01月16日

ママ、ごちそうさん(笑)



【ご褒美】

老人94(母)のところに頼まれていたものを持っていくと、昨日は早くからよく寝た、今日も昼寝してしもたんよと言う。

昨日の 病院、ランチ、買い物、スタバでお喋りは、楽しかったけど、普段の凪のような暮らしに比べるとちょっとハードだったようで、

「昼寝をしながら、このままあっちの国に連れていかれるんかと思ったら、復活したわ(笑)」と、いつものブラックジョークを投げてきたので、「そんな簡単にいけるもんかいなw」と投げ返す。

こんなことくらいと思うことが響くのが歳をとるってことだと、しみじみ言う94歳。

いや、それは、みんなもっと若い頃に気づいてます(笑)

本日のおつとめ終了間際に、「あんたも忙しいのにありがとうで。好きなもん買い」というので、

春日水神でご褒美カフェラテとボンボニエールのクッキー。

ママ、ごちそうさん(笑)





  

2025年01月16日

よし! できた



【よし! できた】

私の担当タスクは完了。鎌田さんの最新ブロマイドが届けば一段落。




ま、カルテが出来ただけで、今から実際の中身を作り込んでいくんたが、悪代官てくてくの厳しい取り立てに「もってけドロボー」と言える(向こうは何も思ってないが 笑)

netで繋がっていないガイドさんは事務局に追ってもらっているので気長に待つよ。




事務局の返事がくるまで少し時間ができるので、

明日は、兄のところに行ってズンと落ち込みついでに 映画「どうすればよかったか」を観てくるか。

いま正に、映画と同じ渦中にいる自分がどんな反応をするか興味がある。

■映画「どうすればよかったか」
https://dosureba.com/






  

2025年01月15日

朝から老人94(母)sday。



【スターバックス】

今日は朝から老人94(母)sday。

病院、ランチ、お買い物を済ませ、UNIQLOの子ども服売り場の隣にあるスタバでコーヒーをのみながら、

「いっつも右向いても左向いても年寄りばっかやから、気持ち弾むな」と言う。

その年寄りのひとりが、ママだがな(笑)






………………

コーヒーを飲みながら、古い友だちとの最期の電話の話を母から聞く。

薬剤師としてのキャリアをもった美人で優等生だったおばちゃんのことは、私もよく知っている。

若いころに子どもを失い、夫も亡くなり、仕事もやめ、たったひとりで大きな家に暮らしていたおばちゃんが、友人である母に残した言葉は、あまりに切ない。

「それでも、生きないかんのやで」と母なりの励ましを贈ったが、思いは届かなかった。

80代くらいまでは、すぐ喧嘩したり仲直りしたり ふたりとも元気だったが、まわりの親しい人たちがポロポロと欠けるごとに生きる力を失っていたんやねと母は言う。



  

2024年12月24日

また1年がんばりましょ



【また1年がんばりましょ】

老人94(母)の、施設、ケアマネさん、家族、本人集まっての1年間の計画会議。

こんな資料もらっても、なんちゃみえんのよと返してくるので、気は心よ写真用にお持ちくだされ(笑)

厳しめの独り言は多いものの、身体はしっかりしていて押し車も自在に扱いお元気。

足腰が丈夫なのは、なにかスポーツされてたからですか?と聞かれたのだけど、いやいや歩き回っていたただけです。

リハビリがわりの洗濯ものたたみが、きちっと美しく、とても助かっているんですと言っていただき、本人とてもご機嫌。

ご機嫌ついでにエレベーターまで送ってくれました。

コロナ規制がぐっと緩和され、外出や面会も自由度が増しましたが、いまはインフルエンザも流行っているので、季節が良くなったら、またお買い物行きましょな。











  
Posted by るいまま at 12:02Comments(0)■老人90日記

2024年12月20日

12/20 HAPPY BIRTHDAY Maman



12/20 HAPPY BIRTHDAY Maman

母が94歳になった。

母との確執は長く、私が思春期突入と同時に起こった兄発病のときから続く。

兄の事しか頭にない(と見える)母を見ながらおとなになり、常にこんな風にはなりたくない、父のように生きたいと思っていて、

若い頃、父にうり二つと言われることが生きる寄る辺であったのに、

どんなに抗っても、母親からの遺伝は確実に私の中にあって、朝、顔を洗って鏡をみると、母がいる(笑)

けど、ま、94歳ながらしっかりした足取りで歩く母の下半身の筋肉や筋力が、私も受け継がれているようだから、それには感謝している(笑)。






…………
AIが集めた情報

父親から子供に遺伝するものは、次のようなものがあります。
顔つきや体つき、骨格など、外見的な遺伝

・運動能力
・芸術的才能
・情動

母親から遺伝するものは、次のようなものがあります。

・記憶や思考、音声、知覚などの認識能力をつかさどる脳の大脳皮質です。

ミトコンドリアDNA(mtDNA) 母親からしか遺伝しないミトコンドリアDNA(mtDNA)は、母系でのみ遺伝するとされています。

容姿などの外見的遺伝 遺伝子のバリエーションによって、目の色や髪の色、身長、顔の形、体型などが決まります。