2011年10月21日
庵治石の味が、「庵治石の声」となって舞台に戻ってくる。
てなわけで、去年の夏、るいまま組の女優たちも出演しました
(歩いてるだけやけどねw)
映画「庵治石の味」の中で、東野五郎役を演じた「なすび」さんが
脚本・演出を担当する「絆-庵治石の声」が舞台となって、高松に帰ってきます。

先行して、今まさに、東京の阿佐谷ザムザで上演中。
来週10月29日~高松公演です。
高松工芸高校前のビルには、石屋さんたちの手によって貼られた
こんなポスター風景もあるそうですから

「なんだ? なんだ?」と見た方もいるはず。
杉の内ゆきちゃんの、「ミュージックさらえ」に
なずびさんはじめ、出演者にみなさんが出演したので

「ああ、きいた きいた」と思う方もいるはず。
映画「庵治石の味」は、美しい牟礼、庵治の映像が大スクリーンいっぱいに広がり、
これがきっかけに、絶対できないと言われた庵治石の「石琴」が開発され
映画関係者の方たちも、その後も、公私に渡り牟礼庵治に来られているようで
そんな中から、「なにか恩返しを」という声のなか
「庵治石の声」の舞台化が決まったのです。
うちらの世代では、きわもの芸人のイメージが強かった
なすびさんですが、

方言指導を手伝うために、実際にお目にかかったとき
言葉に対しての姿勢が、とても真摯で、映画のなかでも主人公の先輩職人として
無理のない演技で、一番好感がもて
よくよく、その後の動きをみていると、舞台座長として
俳優として活躍されていました。
ほんまに、テレビのイメージって怖いな!
なすびさんは、福島の出身で、震災後、たくさんの思いを抱え
四国遍路の旅にでていて
今年の石あかりロードの期間中に結願されました。

この 舞台「絆-庵治石の声」のコピー
「もう一度日本を、日本人を好きになろう」
について、
制作blogの中に
「福島出身のなすびさんが、
高松で学んだ「先祖を敬う心・物作りへの情熱・人との紲の大切さ」を描き、
「もう一度日本を、日本人を好きになろう」という思いを込めて作ります。
と、あります。
東日本大震災のあと、失われたものは多くとも、そこから生まれたものは多く
再び、ここを自分たちで作っていこうという思いが
必ず東北を強くすると、私は信じたいと思っています。
DATE
■舞台「絆-庵治石の声」 高松公演
日時:
10月29日(土)
開演 13:00( 開場 12:30)
開演 18:00( 開場 17:30)
10月30日(日)
開演 12:00( 開場 11:30)
会場:
生涯学習センター「まなびCAN」ホール (片原町駅近)
チケット:
前売り-2000円
当日券-2500円
※ チケットは、ローソンチケットなど各種販売所でも扱っておりますが
http://www.ajimovie.com/ticket/
牟礼・庵治のみなさんも、一生懸命広報活動している模様。
お声掛け下さい!
2011年02月07日
気になるお兄ちゃんは、高橋努(笑)
docomoスマートフォンのCMの渡辺謙を見るたび、
気になって仕方ない、
呼び出し音や警告音が全て渡辺謙の声なら絶対買う
…てな話を、よく聞くようになって、
さすが渡辺謙だな!
と、思っておりましたが


最近は、このところ流れている「妹の上京」編の、やたら心配する兄役に、話題集中(笑)
あれだけ心配されるとウザいはずだけど、あの人はなんか憎めない
今どき、あんな兄ちゃんいないやろと思うのに、いて欲しいとも思う(笑)
あの方は、牟礼庵治で、まだ撮影、編集が続いている映画「庵治石の味」で、主人公の父親役をしてる高橋努さんであります。
映画の中では、回想部分での出演で、洲崎寺でお葬式をあげられてしまいますが、さすがの存在感。

演劇チーム「渋谷ハチ公前」を主宰し、そこでは、脚本もかき演出も担当していまして、
ごまかしのきかない舞台の人らしく、石屋役のみなさんの石のはつり研修のときも、ひとり異彩を放っていました。

今回のCMで、気になって仕方ないない一人になったのもうなずけますわ。
■スマートフォンCMデータ
「峠の我が家(Home on the Range)[インスト/アレンジ]」
瀬川英史
●出演者
渡辺謙(スマートフォン役)
朝倉あき(姉役)
石野真子(母親役)
小倉一郎(父親役)
高橋努(兄役)
野口真緒(妹役)
るいまま
http://ruimama.ashita-sanuki.jp/
2010年11月23日
男たちは無念というけど これからやん


庵治石の味制作チームの男たち
彼ら中途半端だと無念さをかくしきれなかったけれど
ほんとの制作はこれからやん。
頑張れ 男たち!!
映像の美しさ
細かなところのライティング
カメラワーク
やはり プロの作品だとおもいますよ。
審査員長の中島さんの言われた後半部を練り直し、次にむかってくださいね。
喫煙スペースでの反省会のあと 男たちは祝勝会にむかいました(笑)
2010年09月15日
2010年09月07日
男たち かく語る!(映画「庵治石の味」)
土曜日の、石あかり月あかりライブ at 洲崎寺「るいまま組玉手箱ライブ」、日曜日の桂平治さんの落語会のお手伝いと終えまして、
日曜日、夜7時30分からは、いよいよクランクアップとなった映画「庵治石の味」の打ち上げでございました。
石あかり月あかりライブをご覧いただいたみなさまはご存じのように、
ワタクシ、加減というものをしらないので、ステージではすべて出し切りますので
日曜日の朝は、立ち上がるのもやばいんじゃないか?という状態ではあったのですが、
なんたって、愛するカメさんに会えるのも、この日が最後

はってでもいかねば・・・(笑)
「るいまま、よく、それだけ動けますね」と、みっちが言うてましたが
私はごくごく普通の人間ですが、人とちょっと違うとすれば、
「欲望」が「体力」を作り出せる特技を持っているってことですなっ!
■映画「庵治石の味」は、若いけど相当力のある片岡秀明監督によって撮られていることはお話ししましたが
そのまわりを固める、照明・撮影の部隊もすばらしく


【撮影】はやしまこと 【照明】吉角壮介 という名前をきけば、映画好きの人ならば「あっ」と思うのです。
しかし、そこがすごければすごいほど、若い片岡くんが、しんどいだろうなと言うのは想像できること。
私たちのつくるステージも同じながら、
力のある人との仕事は、勉強になることは山ほどあるけど
それを仕切っていくしんどさは、並大抵ではありません。
■そんなことは重々わかっていたので、私はずっと片岡くんに声はかけなかったし
現場で仲良くなったり友好を結んだりしようとは思っておらず、
「るいまま、片岡監督と、未だ心かよわせず」
と、書き続けていました。が!
※くち歪んでます。
はい、このとおり、片岡監督とるいまま、この日最初の言葉交わしましたよ。
「撮影はすんだけど、これからの編集のほうが大変だね」というと
笑ってるんだか、泣いているんだか、寝てるんだか、生きているんだかわからんような
もう、精魂尽き果てたようなお顔で「はい」と、監督がお返事。
そのやりとりをみていた、ブログウォッチャーたちが、
「るいまま、片岡監督と仲直りしたん?」
と、言い、事情もわからぬ片岡くんは、
「えっ えっ、何ですか、それ」
「うん、ええんだ。君は、そんなこと考えんでええので、ええ映画つくってくれ(笑)」
■その後、それぞれのチームの挨拶がつづき




■やはり、この日、実際に言葉を交わしたのははじめてとなる、
東京で、この映画の撮影現場にいられないことにもんもんとする、プロデューサーの有川くんともお話。

彼が、中学生のころ、一度人生を放棄したいような落ち込みの日々をすごし
そのころ、がらがらの映画館でみた「ニューシネマパラダイス」によって、立ち上がる力をえたことは
ブログ「映画「庵治石の味」制作日記」にも書かれていましたが
同じ年代(時代は違うけど)、やはり家に引きこもって人生の果てばかり考えていた私には
心の芯のあたりにぎゅ~っとくるものがあります。
あきらめてしまえば、そこですべては終わってしまう。
映画でも、舞台でも、音楽でも、落語でもなんでもかんでも
とにかく、あきらめれば、そこですべては終わってしまうわけで
なにかを成す力なんて、才能でもなんでもなく、「続ける」という「心の体力」なのです。

この人は、たぶん、それを知って動いています。
■映画「庵治石の味」のチームが万全であったとは、私は思いませんでした。
初めてエキストラをつれて、撮影に参加したとき、なぜ、このくらいのこと把握してない!と
助監督の長谷川君を怒鳴り飛ばしたのは私です。
こんな状態で、ほんとに進んでいけるのか!とも思っていました。
その中で、常に、口の重い片岡くんに寄り添うように、
まわりに気をつかうカメさんこと亀田さんの力は偉大でした。

二次会の席で、カメさんが言ったことば
「この映画の75%までは、牟礼のみなさんがつくったんです」
これが、彼の人柄のすべてを表しているような気がします。
そう、この映画は、ビールのジョッキーひとつでも、夜中まで探し走る「おとこたち」の
「言うたことは、言うたもんが必ずする」
の動きがあったから、わずかな撮影時間のなかにとりあげられたのです。
「牟礼・庵治の男でなけりゃ、こんなもん できとるかい!」

この、職人気質の男たちだったからこそ、途中でなげだすことなく
彼らのサポートを続けたんです。
(この人たち、たぶん、撮影期間中、仕事になってないよ 笑)
そして、職人たちだから、片岡監督の苦しさも、有川プロデューサーのもんもんとする心も
言葉には出さずとも、ちゃんとくみ取ったのでしょう。

■打ち上げの最後の挨拶で、片岡監督が言った
「撮影は終わりましたが、映画の制作は終わっていません。
これは、やっと折り返し点まできたというところ。
だから、僕は、この席ではしゃくごとはできないのです」
片岡くんや、有川くんよりも、もうひとまわり若い子たちが


この暑さのなか、わずかな睡眠時間、雑魚寝状態の現場でもついていくのは
そうした、映画バカともいえるまっすぐで真摯な姿勢を、背中から見続けているからであって
いいことも、悪いことも、全部全部ふくめて
きっと、この先、彼らの血肉になっていくんだろうな。

■キャストのみなさんは表側にでる華であり、そのぶん直接観客の批判も賞賛もうけるわけで
だからこそ、真剣であるというのは当然ですが

このかわいらしい顔をもつ青年からでた言葉
「監督、僕は本気で監督にぶつけてるんです。監督も本気でうけてください」
最後の日、ぎりぎりの時間まで、監督があきらめてはいけない
僕は、ぎりぎりまでつきあう覚悟はあるんです。
と、詰め寄る姿は、まちがいなく「男」でありました。
■そして、総指揮をとった大久保さん、アソシエイトプロデューサー伊藤さん

こんな大人がいないと、できんかったわな。
ある意味、このチームの誰よりも「少年」であったのは大久保さんかもしれません。
■さて、最後に読んでいただきたいブログがあります。
映画「庵治石の味」制作日記の中にある、監督・片岡秀明くんの日記です
「ブラジルで映画を撮った時の話」
2006年、片岡くんが単身ブラジルに渡り、15人のブラジル人スタッフと映画をとります。
注意に注意を重ねていたにもかかわらず、撮影途中の事故により、女優さんが大けがをしました。
それは映画の撮影続行不可、いやプロダクションの崩壊にもつながるものでした。
<<本文から
「本当に「終わりだ」と思った瞬間、自分の中で何かが「崩壊」した。
気が付くと、僕はその場にいた全員に抱きしめられてました。
ルシア(家の肝っ玉母さん)が、「大丈夫、みんな分かってるから大丈夫」
と、強く強く抱きしめてくれた。
そして、次の日から「何か」が変わった。
プロダクションを建て直すため、ベアトリス(プロデューサー)が、
制作会社、機材屋、弁当屋、ロケーション、あっちこっち奔走。状況を説明。
ほとんどの方々が、
「今回はお金は払わなくて良い。他に出来る事があれば力を貸す」と言ってくれて、
カチャ(けがをした女優)は「私は辞めたくない、続けたい」と言い手術を受け、
クルーたち全員もすぐさま、他の仕事をキャンセル。
プロダクションは二週間で建て直り、撮影が続行されました。(つづく)」
詳しくは本文で。
**************
人間は一人ではない、決して一人ではないのです。
世界中どこにいっても、そこにいるのは「人」であり、「心」です。
なにがどう便利になって、なにがどう効率をもとめても
「映画」なんて、効率の悪い芸術の魔物にとりつかれてしまう人がいて
彼らが、愛すべき人なのは
そこに、「人」と「心」が、確かに介在しているからなのです。
日曜日、夜7時30分からは、いよいよクランクアップとなった映画「庵治石の味」の打ち上げでございました。
石あかり月あかりライブをご覧いただいたみなさまはご存じのように、
ワタクシ、加減というものをしらないので、ステージではすべて出し切りますので
日曜日の朝は、立ち上がるのもやばいんじゃないか?という状態ではあったのですが、
なんたって、愛するカメさんに会えるのも、この日が最後

はってでもいかねば・・・(笑)
「るいまま、よく、それだけ動けますね」と、みっちが言うてましたが
私はごくごく普通の人間ですが、人とちょっと違うとすれば、
「欲望」が「体力」を作り出せる特技を持っているってことですなっ!
■映画「庵治石の味」は、若いけど相当力のある片岡秀明監督によって撮られていることはお話ししましたが
そのまわりを固める、照明・撮影の部隊もすばらしく


【撮影】はやしまこと 【照明】吉角壮介 という名前をきけば、映画好きの人ならば「あっ」と思うのです。
しかし、そこがすごければすごいほど、若い片岡くんが、しんどいだろうなと言うのは想像できること。
私たちのつくるステージも同じながら、
力のある人との仕事は、勉強になることは山ほどあるけど
それを仕切っていくしんどさは、並大抵ではありません。
■そんなことは重々わかっていたので、私はずっと片岡くんに声はかけなかったし
現場で仲良くなったり友好を結んだりしようとは思っておらず、
「るいまま、片岡監督と、未だ心かよわせず」
と、書き続けていました。が!

はい、このとおり、片岡監督とるいまま、この日最初の言葉交わしましたよ。
「撮影はすんだけど、これからの編集のほうが大変だね」というと
笑ってるんだか、泣いているんだか、寝てるんだか、生きているんだかわからんような
もう、精魂尽き果てたようなお顔で「はい」と、監督がお返事。
そのやりとりをみていた、ブログウォッチャーたちが、
「るいまま、片岡監督と仲直りしたん?」
と、言い、事情もわからぬ片岡くんは、
「えっ えっ、何ですか、それ」
「うん、ええんだ。君は、そんなこと考えんでええので、ええ映画つくってくれ(笑)」
■その後、それぞれのチームの挨拶がつづき




■やはり、この日、実際に言葉を交わしたのははじめてとなる、
東京で、この映画の撮影現場にいられないことにもんもんとする、プロデューサーの有川くんともお話。

彼が、中学生のころ、一度人生を放棄したいような落ち込みの日々をすごし
そのころ、がらがらの映画館でみた「ニューシネマパラダイス」によって、立ち上がる力をえたことは
ブログ「映画「庵治石の味」制作日記」にも書かれていましたが
同じ年代(時代は違うけど)、やはり家に引きこもって人生の果てばかり考えていた私には
心の芯のあたりにぎゅ~っとくるものがあります。
あきらめてしまえば、そこですべては終わってしまう。
映画でも、舞台でも、音楽でも、落語でもなんでもかんでも
とにかく、あきらめれば、そこですべては終わってしまうわけで
なにかを成す力なんて、才能でもなんでもなく、「続ける」という「心の体力」なのです。

この人は、たぶん、それを知って動いています。
■映画「庵治石の味」のチームが万全であったとは、私は思いませんでした。
初めてエキストラをつれて、撮影に参加したとき、なぜ、このくらいのこと把握してない!と
助監督の長谷川君を怒鳴り飛ばしたのは私です。
こんな状態で、ほんとに進んでいけるのか!とも思っていました。
その中で、常に、口の重い片岡くんに寄り添うように、
まわりに気をつかうカメさんこと亀田さんの力は偉大でした。

二次会の席で、カメさんが言ったことば
「この映画の75%までは、牟礼のみなさんがつくったんです」
これが、彼の人柄のすべてを表しているような気がします。
そう、この映画は、ビールのジョッキーひとつでも、夜中まで探し走る「おとこたち」の
「言うたことは、言うたもんが必ずする」
の動きがあったから、わずかな撮影時間のなかにとりあげられたのです。
「牟礼・庵治の男でなけりゃ、こんなもん できとるかい!」

この、職人気質の男たちだったからこそ、途中でなげだすことなく
彼らのサポートを続けたんです。
(この人たち、たぶん、撮影期間中、仕事になってないよ 笑)
そして、職人たちだから、片岡監督の苦しさも、有川プロデューサーのもんもんとする心も
言葉には出さずとも、ちゃんとくみ取ったのでしょう。

■打ち上げの最後の挨拶で、片岡監督が言った
「撮影は終わりましたが、映画の制作は終わっていません。
これは、やっと折り返し点まできたというところ。
だから、僕は、この席ではしゃくごとはできないのです」
片岡くんや、有川くんよりも、もうひとまわり若い子たちが


この暑さのなか、わずかな睡眠時間、雑魚寝状態の現場でもついていくのは
そうした、映画バカともいえるまっすぐで真摯な姿勢を、背中から見続けているからであって
いいことも、悪いことも、全部全部ふくめて
きっと、この先、彼らの血肉になっていくんだろうな。

■キャストのみなさんは表側にでる華であり、そのぶん直接観客の批判も賞賛もうけるわけで
だからこそ、真剣であるというのは当然ですが

このかわいらしい顔をもつ青年からでた言葉
「監督、僕は本気で監督にぶつけてるんです。監督も本気でうけてください」
最後の日、ぎりぎりの時間まで、監督があきらめてはいけない
僕は、ぎりぎりまでつきあう覚悟はあるんです。
と、詰め寄る姿は、まちがいなく「男」でありました。
■そして、総指揮をとった大久保さん、アソシエイトプロデューサー伊藤さん

こんな大人がいないと、できんかったわな。
ある意味、このチームの誰よりも「少年」であったのは大久保さんかもしれません。
■さて、最後に読んでいただきたいブログがあります。
映画「庵治石の味」制作日記の中にある、監督・片岡秀明くんの日記です
「ブラジルで映画を撮った時の話」
2006年、片岡くんが単身ブラジルに渡り、15人のブラジル人スタッフと映画をとります。
注意に注意を重ねていたにもかかわらず、撮影途中の事故により、女優さんが大けがをしました。
それは映画の撮影続行不可、いやプロダクションの崩壊にもつながるものでした。
<<本文から
「本当に「終わりだ」と思った瞬間、自分の中で何かが「崩壊」した。
気が付くと、僕はその場にいた全員に抱きしめられてました。
ルシア(家の肝っ玉母さん)が、「大丈夫、みんな分かってるから大丈夫」
と、強く強く抱きしめてくれた。
そして、次の日から「何か」が変わった。
プロダクションを建て直すため、ベアトリス(プロデューサー)が、
制作会社、機材屋、弁当屋、ロケーション、あっちこっち奔走。状況を説明。
ほとんどの方々が、
「今回はお金は払わなくて良い。他に出来る事があれば力を貸す」と言ってくれて、
カチャ(けがをした女優)は「私は辞めたくない、続けたい」と言い手術を受け、
クルーたち全員もすぐさま、他の仕事をキャンセル。
プロダクションは二週間で建て直り、撮影が続行されました。(つづく)」
詳しくは本文で。
**************
人間は一人ではない、決して一人ではないのです。
世界中どこにいっても、そこにいるのは「人」であり、「心」です。
なにがどう便利になって、なにがどう効率をもとめても
「映画」なんて、効率の悪い芸術の魔物にとりつかれてしまう人がいて
彼らが、愛すべき人なのは
そこに、「人」と「心」が、確かに介在しているからなのです。
2010年09月05日
打ち上げ終わります
さて、映画の人たちは、たくさんの思い出をのこして本日の打ち上げ終了
僕たちは、この映画を必ず世界にもっていきますと、アリPがかたり
涙声の片岡監督が、すべてのみなさんにお礼をいい
大久保さんの一本しめで終了
るいまま
http://ruimama.ashita-sanuki.jp/