2011年03月18日
総社での「せとちとせ」ライブ終了したようです
総社 吉備野工房ちみち主催の せとちとせ弾き語りライブ
「東日本大震災 復興プログラム~地域が元気になるタネをまこう~」終了
義援金55114円が集まり、日本財団に寄付されます。

先日の、総社での、まちかど漫遊帖の研修のときにお世話になったみなさんも、来てくださってます!
「東日本大震災 復興プログラム~地域が元気になるタネをまこう~」終了
義援金55114円が集まり、日本財団に寄付されます。

先日の、総社での、まちかど漫遊帖の研修のときにお世話になったみなさんも、来てくださってます!
2010年12月19日
るいまま総社を歩く考える(まち歩きサミットリポート!)
さて、昨日の「第2回 全国まち歩きサミット at 総社」
いつものことながら、直前までぐずぐ言ってたので(笑) 泊まる算段はしておりませんでしたが
行ってしまうと、「泊まったらよかった!」ですわ。

では、はじめての総社リポート!!
***********
■9:30am S隊員号がるいまま組事務所までお迎えにきてくれまして
坂出で財田の近藤さん、M隊員と合流するまで、まち歩きについてアレコレ。
綾川の話になったので、勇心酒造の小林さんからお話のあった酒蔵見学のお話などしながら坂出へ~。

■11:00am
総社につきまして、「るいままは、駅から、会場のサンロード吉備まで、一人で歩きます」
と、S隊員がいうと、近藤さんも一緒に歩くことになり
「私、むっちゃ足が強くて速いけど、いいですか?」
と確認してから、総社駅前を出発。

S隊員が言い残したのは、「ここのパン美味いです」と「老舗のお菓子屋があります」の二点。
「食うもんばっかりじゃん!」(笑)


でも、もちろん、助言を無にするようなワタクシではなく、さっそくお買いもの。
「トングゥ」の昭和の「給食のあげぱん」。
私は、子どもの頃 とにかく給食が嫌いだったのに、むっちゃ美味いんですけど(笑)
■さて、「総社」というのは全国に多くみられる地名とのことで、
数百にも及ぶ神社を国司が毎年巡拝することが大変だったため、ひとつにまとめ、
岡山県総社も、備中の国の324社をまとめ生まれたとのこと。
今回あるく旧街道は、総社宮の門前にひろがったまちで
「総社の中心部は総社宮の門前町にして
城下町松山(高梁市)へ通じる松山街道の宿場町的性格を帯びた在郷町として発展」

とあります。
■途中の種屋のおばあちゃんにきくと、このあたりは戦災にもあっていないので


大きな商家や民家が相当数残っているとのこと。
おばあちゃんのお店は、戦後すぐからですが、整然と並ぶ木箱の種入れや、五つ玉のそろばんが
歴史を感じます。 (おばあちゃん、かわいいでしょ!)
■建物の写真は、撮りはじめるときりがなく、駅からすぐよりは、しばらく歩いたところから
和風の建築だけでなく、和洋折衷や、洋風建築など、さまざまな建物が現れます。





こうした建物の写真をとるのが大好きな皆さんには、いいスポットですが
実際、生活している方もいらっしゃるので、そこはご注意。
※こちらのサイトにも、美しい建物の写真がたくさんございます。
備中総社宮の門前町から発展した和洋の町並み
■さて、ここが商店街か?というと、現在では商店は減り、香川県の志度街道・松島あたりと一緒で
住宅地として変化しているように見えます。
私の持論としては、まちは生活者の必要なまちに変化していくことのほうが健全であって
昭和のころ、商店街といえばアーケードをつけて囲ってしまい、商店が閉店すると
そのままシャッターのまちになってしまうまちは、やっぱり無理がある。
と、思うのです。
とはいえ、こうしたお宅を保存していくには、大変なことも多いでしょうし
景観を守っていくための動きは、どう進んでいるんだろうとおもっていたら

こういう看板がでてきたので、まちぐるみの動きがあるんですね?と、サミットのあとの食事会で
地元市役所の方にきいてみたのですが、この取り組みは、すでに終了しているとのこと。
■総社駅から、サミット会場のサンロード吉備路の、ちょうど真ん中あたりにあるのが総社宮
その隣にある、元警察署の「総社市まちかど郷土館」は、約100年前の建物。

ここから、まちかど漫遊帖の塩江地区ゆかごん&楠先生が一緒に歩きます。
郷土館の中にはいると、総社が、越中富山と並ぶ「くすり」の町であったことを教えられ
薬売りが配ってあるく紙風船をいただきました。(富山のももってるよ わたし)



丸薬をいれるための瓶・貼り膏薬をつくる機械
置き薬のための木箱
愛おしい姿のものたちがたっぷり。
■今回、ぜひとも中が見たかった「宮筋文化堂」に到着しましたが、この日はお休み。

ここは、今回のサミットを主催する NPO吉備野工房ちみちさんが運営していた古民家ギャラリーを
こうしたお店をしたいと考えていた方に引き継いだ
NPOが掘り出し軌道に乗せ、運営者に引き継ぐという、素敵なモデルケースで
ずっとNPOが抱え込んでいては、いつか窒息してしまうし、広がりも限界があるので
その辺の「変化」のお話もきいてみたかったのですが、また、次回に。
鍵のかかった宮筋文化堂の前で、未練たらしく写真をとっていたのは、私と、塩江地区ゆかごんであります。


■文化堂の近くに、着物を洋服にリフォームしますという看板のかかった小さなお店がありまして
「夢編樹」の名のとおり、裂き織のバッグや、着物生地のスカーフや、畳の縁の袋などお手頃な価格で。

■そろそろ、サンロード吉備路に向かわないと、1時30分からのサミットに間に合いませんことよ(笑)
てなわけで、総社高校のあたりから右折して、くねくねと歩き20分ほどで
定刻通り1:30pmに、サンロード吉備についたんですが・・・・
考えてみれば、ワタシタチ 昼ごはんを食べておりませんでして

迷うことなく、吉備野工房ちみちさんの拠点もある「珈琲と人」に吸い込まれ、昼ごはん。


■で、「どうせ遅れちゃったしさ、この吉備津ってところもよさそうだぜ」という、るいまま。

「ほんとですね、おもしろそう!」という、不良たち。
がしかし、この時点でくねくねと5キロほど歩いておりまして、

満腹になった不良グループの一人が、こっくりこっくりはじめ(笑)
みんながみんな、私のような鋼鉄の体力と足をもってるわけじゃないと反省し会場へ。
■全国まち歩きサミットは、去年、香川県善通寺市の「第1回全国まち歩きサミット」からはじまり
こんな顔をしてますが、しっかりもののヒゲ親父・・・いやいや観音寺路地裏あるきのボス豊浦くん

が中心になって、結構、おもしろい集まりとなりました。
第1回とつけたので、当然、「翌年は?」というはなしになったとき、
今回基調講演をしてくださった長崎市の田上市長の言葉を借りるなら「男気」のある
吉備野工房ちみちの加藤さんが引き受け二回目の開催となりました。
ともに忙しすぎて、一緒になることは、まずないだろうといわれていた、


「長崎さるく」の田上さんと、「別府ハトウオンパク」の野上さんが一緒に見られるという
まち歩きフリークにとっては、夢のサミットとなったわけです。
加藤さん、ありがとう&お疲れ様!!

■香川県からは、志度高校と、志度まちぶら探検隊、そしてchuくんが作り上げた

「げんない学園」の事例発表が出動しておりまして、これはなかなかの感動ものでしたが

たぶん、一番感動して泣きまくったのは、志度高校で彼らをひっぱった「松浦先生」

帰りの車のなか、野球部で鍛えた声で「ぼくはね、ぼくはね、うれしいんです」
「まちぶら探検隊の岡さんと、chuに合わなければ、今のぼくはないんです!」と
何回叫んだことでしょう。(笑)
こんな熱い先生、久々にみたわ(笑)
■その後、交流会という名の飲み会がありまして、例のごとく男前写真を集め


香川県から来てくれた工代局長とも写真をとり

この後、二次会に参加する方は手をあげてって言われたので、観音寺の豊浦、多度津の泉川っていう
二大悪党とともに手をあげそうになると、向こうのほうで、S隊員が「ダメです!」
と、正義の信号を出しましたので、泣く泣く高松へ(笑)
■翌日まで残ってまち歩きコースに参加した悪党どもの、この顔をみてやってくださいまし。

普段、どんなことがあっても、まち歩きをするとみんな子どものような顔になります。
吉備の里を、古墳めぐりするおっちゃん7人。はしゃぎまくっておるようでした。
こんな時間を持つためには、自分たちのまちに来てくれたとき
ガイドとなる私たちは、「この町が大好き、ここで楽しんでいってな」という思いを忘れてはダメです。
ガイドさんが、仲間と言い争ってたりなんていうのは、もってのほかですよ。
持って帰る思い出は、りっぱな観光施設でもなく、どこにでもあるお土産でもなく
ここでしか出会えない人であり、ストーリーなのです。
****************
「総社」のカテゴリーはここにまとめますhttp://ruimama.ashita-sanuki.jp/c14935.html
いつものことながら、直前までぐずぐ言ってたので(笑) 泊まる算段はしておりませんでしたが
行ってしまうと、「泊まったらよかった!」ですわ。

では、はじめての総社リポート!!
***********
■9:30am S隊員号がるいまま組事務所までお迎えにきてくれまして
坂出で財田の近藤さん、M隊員と合流するまで、まち歩きについてアレコレ。
綾川の話になったので、勇心酒造の小林さんからお話のあった酒蔵見学のお話などしながら坂出へ~。

■11:00am
総社につきまして、「るいままは、駅から、会場のサンロード吉備まで、一人で歩きます」
と、S隊員がいうと、近藤さんも一緒に歩くことになり
「私、むっちゃ足が強くて速いけど、いいですか?」
と確認してから、総社駅前を出発。
S隊員が言い残したのは、「ここのパン美味いです」と「老舗のお菓子屋があります」の二点。
「食うもんばっかりじゃん!」(笑)
でも、もちろん、助言を無にするようなワタクシではなく、さっそくお買いもの。
「トングゥ」の昭和の「給食のあげぱん」。
私は、子どもの頃 とにかく給食が嫌いだったのに、むっちゃ美味いんですけど(笑)
■さて、「総社」というのは全国に多くみられる地名とのことで、
数百にも及ぶ神社を国司が毎年巡拝することが大変だったため、ひとつにまとめ、
岡山県総社も、備中の国の324社をまとめ生まれたとのこと。
今回あるく旧街道は、総社宮の門前にひろがったまちで
「総社の中心部は総社宮の門前町にして
城下町松山(高梁市)へ通じる松山街道の宿場町的性格を帯びた在郷町として発展」
とあります。
■途中の種屋のおばあちゃんにきくと、このあたりは戦災にもあっていないので

大きな商家や民家が相当数残っているとのこと。
おばあちゃんのお店は、戦後すぐからですが、整然と並ぶ木箱の種入れや、五つ玉のそろばんが
歴史を感じます。 (おばあちゃん、かわいいでしょ!)
■建物の写真は、撮りはじめるときりがなく、駅からすぐよりは、しばらく歩いたところから
和風の建築だけでなく、和洋折衷や、洋風建築など、さまざまな建物が現れます。
こうした建物の写真をとるのが大好きな皆さんには、いいスポットですが
実際、生活している方もいらっしゃるので、そこはご注意。
※こちらのサイトにも、美しい建物の写真がたくさんございます。
備中総社宮の門前町から発展した和洋の町並み
■さて、ここが商店街か?というと、現在では商店は減り、香川県の志度街道・松島あたりと一緒で
住宅地として変化しているように見えます。
私の持論としては、まちは生活者の必要なまちに変化していくことのほうが健全であって
昭和のころ、商店街といえばアーケードをつけて囲ってしまい、商店が閉店すると
そのままシャッターのまちになってしまうまちは、やっぱり無理がある。
と、思うのです。
とはいえ、こうしたお宅を保存していくには、大変なことも多いでしょうし
景観を守っていくための動きは、どう進んでいるんだろうとおもっていたら
こういう看板がでてきたので、まちぐるみの動きがあるんですね?と、サミットのあとの食事会で
地元市役所の方にきいてみたのですが、この取り組みは、すでに終了しているとのこと。
■総社駅から、サミット会場のサンロード吉備路の、ちょうど真ん中あたりにあるのが総社宮
その隣にある、元警察署の「総社市まちかど郷土館」は、約100年前の建物。
ここから、まちかど漫遊帖の塩江地区ゆかごん&楠先生が一緒に歩きます。
郷土館の中にはいると、総社が、越中富山と並ぶ「くすり」の町であったことを教えられ
薬売りが配ってあるく紙風船をいただきました。(富山のももってるよ わたし)
丸薬をいれるための瓶・貼り膏薬をつくる機械
愛おしい姿のものたちがたっぷり。
■今回、ぜひとも中が見たかった「宮筋文化堂」に到着しましたが、この日はお休み。
ここは、今回のサミットを主催する NPO吉備野工房ちみちさんが運営していた古民家ギャラリーを
こうしたお店をしたいと考えていた方に引き継いだ
NPOが掘り出し軌道に乗せ、運営者に引き継ぐという、素敵なモデルケースで
ずっとNPOが抱え込んでいては、いつか窒息してしまうし、広がりも限界があるので
その辺の「変化」のお話もきいてみたかったのですが、また、次回に。
鍵のかかった宮筋文化堂の前で、未練たらしく写真をとっていたのは、私と、塩江地区ゆかごんであります。
■文化堂の近くに、着物を洋服にリフォームしますという看板のかかった小さなお店がありまして
「夢編樹」の名のとおり、裂き織のバッグや、着物生地のスカーフや、畳の縁の袋などお手頃な価格で。

■そろそろ、サンロード吉備路に向かわないと、1時30分からのサミットに間に合いませんことよ(笑)
てなわけで、総社高校のあたりから右折して、くねくねと歩き20分ほどで
定刻通り1:30pmに、サンロード吉備についたんですが・・・・
考えてみれば、ワタシタチ 昼ごはんを食べておりませんでして

迷うことなく、吉備野工房ちみちさんの拠点もある「珈琲と人」に吸い込まれ、昼ごはん。


■で、「どうせ遅れちゃったしさ、この吉備津ってところもよさそうだぜ」という、るいまま。

「ほんとですね、おもしろそう!」という、不良たち。
がしかし、この時点でくねくねと5キロほど歩いておりまして、

満腹になった不良グループの一人が、こっくりこっくりはじめ(笑)
みんながみんな、私のような鋼鉄の体力と足をもってるわけじゃないと反省し会場へ。
■全国まち歩きサミットは、去年、香川県善通寺市の「第1回全国まち歩きサミット」からはじまり
こんな顔をしてますが、しっかりもののヒゲ親父・・・いやいや観音寺路地裏あるきのボス豊浦くん

が中心になって、結構、おもしろい集まりとなりました。
第1回とつけたので、当然、「翌年は?」というはなしになったとき、
今回基調講演をしてくださった長崎市の田上市長の言葉を借りるなら「男気」のある
吉備野工房ちみちの加藤さんが引き受け二回目の開催となりました。
ともに忙しすぎて、一緒になることは、まずないだろうといわれていた、


「長崎さるく」の田上さんと、「別府ハトウオンパク」の野上さんが一緒に見られるという
まち歩きフリークにとっては、夢のサミットとなったわけです。
加藤さん、ありがとう&お疲れ様!!
■香川県からは、志度高校と、志度まちぶら探検隊、そしてchuくんが作り上げた

「げんない学園」の事例発表が出動しておりまして、これはなかなかの感動ものでしたが
たぶん、一番感動して泣きまくったのは、志度高校で彼らをひっぱった「松浦先生」

帰りの車のなか、野球部で鍛えた声で「ぼくはね、ぼくはね、うれしいんです」
「まちぶら探検隊の岡さんと、chuに合わなければ、今のぼくはないんです!」と
何回叫んだことでしょう。(笑)
こんな熱い先生、久々にみたわ(笑)
■その後、交流会という名の飲み会がありまして、例のごとく男前写真を集め


香川県から来てくれた工代局長とも写真をとり

この後、二次会に参加する方は手をあげてって言われたので、観音寺の豊浦、多度津の泉川っていう
二大悪党とともに手をあげそうになると、向こうのほうで、S隊員が「ダメです!」
と、正義の信号を出しましたので、泣く泣く高松へ(笑)
■翌日まで残ってまち歩きコースに参加した悪党どもの、この顔をみてやってくださいまし。

普段、どんなことがあっても、まち歩きをするとみんな子どものような顔になります。
吉備の里を、古墳めぐりするおっちゃん7人。はしゃぎまくっておるようでした。
こんな時間を持つためには、自分たちのまちに来てくれたとき
ガイドとなる私たちは、「この町が大好き、ここで楽しんでいってな」という思いを忘れてはダメです。
ガイドさんが、仲間と言い争ってたりなんていうのは、もってのほかですよ。
持って帰る思い出は、りっぱな観光施設でもなく、どこにでもあるお土産でもなく
ここでしか出会えない人であり、ストーリーなのです。
****************
「総社」のカテゴリーはここにまとめますhttp://ruimama.ashita-sanuki.jp/c14935.html
2010年12月18日
2010年12月18日
2010年12月18日
2010年12月18日
まちが好きになるということ。

気取らないことをまずはじめて、人と人をつないでいく。
と、コーディネーターのみわ先生
加藤さんは、
まちを歩けば、もっとまちが好きになる。
そんな話がステージで広がってるとき、隣の楠先生が
「私たちは、今日も、いっぱいあるいたよね」
そうですね。駅と会場を車じゃなく歩かなくちゃね(笑)
るいまま
http://ruimama.ashita-sanuki.jp/