2024年08月19日
御影をあるく
【御影をあるく】
世良美術館の音楽会のあと、女将推奨の御影 #ブーランジェリービアンヴニュ でパンを買い、


音楽会の打ち上げに行く前に、中之島香雪美術館で見た、御影の村山龍平の邸宅のジオラマの広大さを実際に感じたく、長期休館中の #御影香雪美術館(村山邸住宅)まで歩いてみるものの、



いったいどこからどこまでが敷地なのかわからず、これは塀をたどるだけで1時間はかかるぞと思い、とりあえず門の前で写真だけ写す(笑)

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朝日新聞を創刊した村山龍平が神戸・御影に構えた居宅は、阪神間に広がった郊外住宅の先駆的存在でした。
旧村山家住宅は、広大な敷地と和洋の建物を擁する明治、大正期の邸宅の面影を今に伝え、国指定重要文化財に指定されています。
村山龍平が御影郡家の地に数千坪の土地を取得したのは明治33(1900)年頃でした。
当時、一帯は六甲山の裾野の荒れ地でしたが、村山龍平が大阪から移り住んだことなどを契機に、明治、大正、昭和初期にかけて大阪の実業家達が競ってこの地域に私邸を構えました。
これらの人々の土地取得は単位が千坪を下らず、いずれも豪壮な建築でした。住吉村が「長者村」、御影が高級住宅地と呼ばれるに相応しい地域となっていった由縁です。
また、御影塀を巡らした村山邸の園林には野鳥や昆虫が多く生息しています。洋館と日本館は起伏に富んだ地形を生かして配置され、自然と共生する生活空間が構成されています。
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