2021年11月30日
老いらくの恋
【老いらくの恋】
11/30 goodmorning
昭和22年、歌人の川田順 が年下の愛人鈴鹿敏子との恋に悩み、家出した日を「シルバーラブの日」にするとはね、やれやれ。
カタカナってのがいかに軽々しくなるものかの見本だな。その時は走りであっても、後で古臭くなるのはカタカナ言葉の弱さ。
川田順が、鈴鹿敏子と恋に落ち、亡妻の墓前で自殺をはかったのは66歳の12月1日。
弟子であった鈴鹿俊子は27歳年下の39歳だった。そして、そのとき俊子は、中川与之助の妻だった。
死のうとする直前、川田順は俊子に、
「墓場近き 老いらくの恋は 怖るる何ものもなし」と贈る。
結局、後に養子とする俊子の子どもたちに助けられ、川田順は一命をとりとめ、夫と離婚した俊子と結婚し84歳まで生き、俊子夫人は99歳の大往生を迎える。
考えれば17歳で大学教授だった中川与之助と結婚して過ごした時間(22年)より、川田順との結婚生活(18年)より、その後の人生(42年)のほうがずっと長い。
川田順と鈴鹿俊子のことを書き「老いらくの恋」としたのは、当時産経新聞の記者だった司馬遼太郎。
昭和22年当時の66歳。小泉八雲の弟子、住友では確固たる重責を果たした、文学者としても人間としても立派な人生とされていたからこその記事だったと思うが、
「怖るる何ものもなし」とは言ったもの、39歳の女盛の弟子に恋してしまう66歳の自分に苦しみ、妻だったひとの墓前で救いを求めるように自殺未遂をはかった川田順は、
まだまだ 惑から抜け出せてなかったんだと思うよ。
てなわけで、珈琲飲んだら、今日は多度津。

11/30 goodmorning
昭和22年、歌人の川田順 が年下の愛人鈴鹿敏子との恋に悩み、家出した日を「シルバーラブの日」にするとはね、やれやれ。
カタカナってのがいかに軽々しくなるものかの見本だな。その時は走りであっても、後で古臭くなるのはカタカナ言葉の弱さ。
川田順が、鈴鹿敏子と恋に落ち、亡妻の墓前で自殺をはかったのは66歳の12月1日。
弟子であった鈴鹿俊子は27歳年下の39歳だった。そして、そのとき俊子は、中川与之助の妻だった。
死のうとする直前、川田順は俊子に、
「墓場近き 老いらくの恋は 怖るる何ものもなし」と贈る。
結局、後に養子とする俊子の子どもたちに助けられ、川田順は一命をとりとめ、夫と離婚した俊子と結婚し84歳まで生き、俊子夫人は99歳の大往生を迎える。
考えれば17歳で大学教授だった中川与之助と結婚して過ごした時間(22年)より、川田順との結婚生活(18年)より、その後の人生(42年)のほうがずっと長い。
川田順と鈴鹿俊子のことを書き「老いらくの恋」としたのは、当時産経新聞の記者だった司馬遼太郎。
昭和22年当時の66歳。小泉八雲の弟子、住友では確固たる重責を果たした、文学者としても人間としても立派な人生とされていたからこその記事だったと思うが、
「怖るる何ものもなし」とは言ったもの、39歳の女盛の弟子に恋してしまう66歳の自分に苦しみ、妻だったひとの墓前で救いを求めるように自殺未遂をはかった川田順は、
まだまだ 惑から抜け出せてなかったんだと思うよ。
てなわけで、珈琲飲んだら、今日は多度津。

2021年11月29日
昭和8年 モスリン屋ってある。
【モスリン】
頼まれていたことを思い出し、昭和8年の高松の住宅地図を確認中。

片原町、兵庫町、丸亀町北部近辺は、三越呉服店を中心に圧倒的に衣料品店が多く、お洒落発信地だったとわかるね。
結構たくさん見る「モスリン」屋さん。
もうモスリンという言葉もあまり聞かなくなったけど、ガーゼともブロードとも違う風合いの自然素材の生地モスリンは、便利な生地だったのにね。
■モスリンとは、木綿や羊毛などの梳毛糸を平織りにした薄地の織物の総称。名称はメソポタミアのモースルに由来するとも、そのふんわりとした風合いを示すフランス語のムースに由来するとも言う。ヨーロッパではモスリンは薄手の綿織物を指し、またアメリカ合衆国ではキャラコのことをモスリンと呼ぶ。
2021年11月29日
細川頼之 亀石神社
【細川頼之 亀石神社】
高知の #長宗我部フェス にいっていた城ガールが柚子やみかんとともに来る。
こんな季節だねぇといいながら、宇多津で聞いた #細川頼之 についてきた亀が岩となり、それを祀ったと言われる #亀石神社 の石垣の話をする。
今は堰き止められているけど、祠の下の石垣は古く当時の水路のものと説明を受け、堰き止めた側は現代のもの。
水路と言えばお壕か!とおもったのだが、そういう工事は、灌漑工事が得意な生駒様の時代になってからで、細川頼之の時代だと違うかもと城ガール。なるほど。
宇多津町役場にあった松平藩の西の米蔵を囲む水路は、間違いなくひとによって作られたもの。
亀石神社の亀は、細川頼之を慕いついてきた亀が石になった説と、頼之が京都の高僧を宇多津に呼び秋葉神社(火の神様)を分社するときについてきた説と、金毘羅の神様が亀に乗ってここに上陸した説
象頭山に火事があり焼け残った仏様があるから大切に安置せよとお告げをしたのが、この亀に乗った神様だったはず(笑)
細川頼之は、宇多津にはご縁の深い方。
https://www.town.utazu.lg.jp/machi/tokushoku/rekishi/rekishi2/
城ガールにもらったみかんでおやつ。


2021年11月29日
西光寺の山門と舟形茶室
【西光寺の山門と舟形茶室】
宇多津古街 大束川沿いにある西光寺の山門。実は高松の浄願寺からきております。

浄願寺は、元々は宇多津にあったお寺。生駒様が高松に入られた翌年、高松にうつりました。その後、高松松平様の菩提寺となります。
高松中央公園が浄願寺の地所であったことを知るひとも少なくなりましたね。
宇多津西光寺は、秀吉公との繋がりも深く、ここから大阪に向かってたくさんの物資がおくられたよう。
西光寺にある舟形茶室は、元は多度津藩の御座船。水に浮かべて茶を楽しんでおりました。

茶室ヨットで日本一周をし、寄港地で茶を振る舞う、茶人の長谷川さんに、
「昨日のまち歩き。茶室付御座船の茶室部分だけが、さぬき宇多津 西光寺にありまして、茶室つきヨットを思い出しました(笑)」
と話すと、
長谷川「やはり茶室付き御座船有ったのですね。
いにしえの風流人は川遊び、船遊びでお茶に興じたと思って居ました^ - ^
教えて頂き有難う御座います」
るいまま「二階建てのなかなか立派なものでした。水に浮かぶ姿、みたかったですね」
長谷川「調べましたら明治時代に茶室部分だけ移設したとありました。明治の数寄者(お金持ち?)は、利用出来なかったのかな--^ - ^」
るいまま「多度津藩が宇多津に売ったようですね。お金持ちという点では、その頃の讃岐の一番のお金持ちがそろっていたのが多度津ですが、鉄道、電力等のほうにお金はいったのでしょうね。
高松の能舞台も、そのころ「いらない」となって移築されてしまい、今も高松には能舞台がないので、風流や文化以上に経済大事となっていたのかもしれませんね。」
最後の最後に香川県になった讃岐。それまでは、愛媛県に組み込まれていました。
文化よりも、まず経済を立てて、遅れをとりもどしたかったのかもしれないね。
時代は移り変わり、いろんな事情はあっても、ひとも歴史もまちも、なにかと繋がっている。
ちなみに私のコートは豹じゃなく水玉。奈美ちゃんのスカートは犬じゃなくウサギです(笑)
2021年11月29日
西鶴の「万の文反古」がこっちを見ている。
西鶴の「万の文反古」がずっとこっちを見ている。

いつになったら書けるのやらと思っていたが、狭い茶室劇場向きかも。今こそかも。なんて夢想しながら早めの昼ごはん。
石あかりが再開したら、一本目は建礼門院でいくか。子役を探すか配役を完全に変えないといかんな。
なんだかんだと考えること多し。
鰤の塩焼き
新生姜の甘酢漬け
根菜ゴロゴロ粕汁卵落とし
玄米ご飯

2021年11月29日
寺門広気 シュールな魅力と溢れる愛
【LOVE】

#寺門広気 展 at まちのシューレ。
ひとつひとつの食器に愛があり、果てなく話が広がる(笑)
愛が足りない時に見てほしいわ。
展示会は、11/28が最終日ながら、残る子もいるので見に来てねとのこと。



寺門広気さんは、水戸生まれ。
東京藝術大学院美術研究科彫刻専攻修了。
1999年に栃木県益子町に開窯。
「使いやすくてスマイリーな食器が特徴」
と言われるのは、
シュールでくすくす笑えて、器を挟んで何時間でも話せる魅力を持つデザインでありながら、
益子焼きとしてもしっかりとした技術で作られた器であるので、軽くて強いこと。
モチーフに使われるハートがまるで甘くなく(笑)、ひねくれものの気持ちを「うひひ」と揺さぶり、
それでいて使い勝手がよいのが、雑貨との微妙な分かれ目。
重い器は、だんだんしんどくなるからねぇ。
連れて帰ります♪
【ふたりで晩ごはん】
#まちのシューレ の 寺門広気展から連れ帰りました子たちで、るいまま&洋子 ふたりでご飯。


るいままの愛いっぱい?の茶碗(笑)と洋子ちゃんのスノーピー?の皿(笑)


coopの焼売
舞茸とムカゴと大根と人参と葱と焼き豆腐の粕汁
玄米ご飯
2021年11月29日
宇多津地蔵餅と 寺門広気のお茶碗
【原ヲビヤ園】

宇多津かえりに、宇多津みやげをもって、片原町 #原ヲビヤ園 でお茶する。
原さんが、まちのシューレで求めたという、#寺門広気 のお茶碗を出してくれたので、宇多津地蔵餅でかったお菓子と、洋子ちゃんのお点前でいただきます。
一緒に宇多津を歩いた早織ちゃんは、はじめての 原ヲビヤ園。
「今日は大変お世話になりました。ありがとうございました!
楽しかったです♪
原ヲビヤ園さんにもお伺いでき、思いがけず欲張りな1日を過ごさせて頂きました♪」
とのコメント。こちらこそ、ありがとう!






2021年11月29日
漫遊帖 うたづ古街 まち歩き 11/19.11/28 記録
11/29 goodmorning
今朝もよきお天気。
11/19、11/28の まちかど漫遊帖2021秋の「うたづ古街のまち歩き」が終わりました。
うたづ古街をガイドさんたちと丁寧に巡り、やっぱり宇多津いいなぁと改めて思い、ここを終の棲家に選ぶひとが増えることの意味を知ります。
宇多津が香川県のなかで住みたい町の上位に来ることを、
高松に暮らすひとたちは新都市を見て「なぜ?」と言うのだけれど、
宇多津の本骨頂は「古街」にあり、宇多津の「ひと」たちにあるのは、まち歩きをされた方には解っていただけたはず。
この街に生まれ育ったひと、結婚してここに暮らすようになったひと、進学や就職で都会に暮らしたあと帰ってきたひと、ガイドさんには様々な人生がありましたが、共通しているのは、
「この街が好きで、誇りをもっていること」
都会や県庁所在地は、一応なんでも揃って便利ながら、そのぶん猛スピードで切り捨てていくものも多かったことを、改めて考えないといかんね。
宇多津古街に生まれ育ち、まち歩きガイドとして、街の記録者として頑張る 玉井ちゃんの言葉。
「ガイドチームの藤岡貴さん Keiko Soneさん、
畑 元 さん ゆうこさん 大岩本さんと
高松まちかど漫遊帖 るいまま、スタッフの皆さまの進行で、本日も無事終了。
お客さまに、宇多津古街、ご満足いただきました。
改めて、まち歩きができていることに
感謝を申し上げます
戻ってきて
公楽さんの灯りをみて、
南隆寺の鐘の音をきいて
ほんとうに、いいまちだなぁ、と
しみじみ…
また、ぜひ、一度
宇多津古街にお越しくださいませ
#宇多津古街
#南隆寺
#本妙寺
#西光寺
#料亭公楽
#蔵カフェこうらく
#高松まちかど漫遊帖
■では、宇多津のガイド さんのリポート

【レポート】
2021年11月19日
高松まちかど漫遊帖
るいままと歩く、宇多津古街
今回は、寺社を巡るコース
実は、宇多津古街は、お寺が多いまち。
一社九カ寺と、お寺が固まってあります。
さらに昔はもっと多かったそうですが
なぜ、お寺が多いのか、
高松の御坊町という地名の由来も、
実は宇多津に関係している、とのこと
今回は、街道を通らず、
宇夫階神社から、本妙寺さん、
寺づたいの道を通っていきました。
南隆寺ご住職の大石光昭さんのお話
お寺の興りや変遷をうかがいました。
宇多津から丸亀や高松にお寺が移転されて
また、当地で再考されたことなど
藩の動きの中、まちの人の暮らしとともに
この場も今に続いていることなどをお話いただき
長い長い時の流れを、感じていただきました。
料亭公楽・ダンスホールを見学、蔵カフェ公楽、お裾分け膳でほっと一息、川を眺めながら、宇多津が港町だったことに想いを馳せていただきました。
みなさま、宇多津古街まで足をのばしていただき、
ありがとうございました!

【レポート】高松まちかど漫遊帖
晩秋の小旅「うたづ古街寺社巡りと料亭からのお裾分け膳」コース
2021年11月28日
岸落地蔵堂をはじめとし、町内各地にあるお堂や祠を紹介しつつ、今回のテーマである、寺社を巡りました。
今日、巡ったのは、本妙寺、南隆寺、西光寺の3つのお寺ですが、宇多津には現在、合計で9か所ものお寺があります。それでも多いほうですが、歴史を遡ると、なんと、27もの寺院・塔中の名前が確認されています。
その痕跡として、安養寺、長興寺などの旧寺の井戸が山裾に残っています。また、南隆寺ご住職のお話のなかにも、この街角は庵があった…とのこと。
中世に栄えた港町には、物が集まり、人が集まり、必然的に寺が集まっていました。宇多津は青野山の山裾、高台に寺社が並び、まるで城のような構えをしています。何かがあった際にはたてこもることができる「まちの城」を寺社が担っていた可能性があります。寺社が一つのまちに集まりすぎると脅威にもなり、宇多津のいくつかのお寺は、近世支配権力により丸亀や高松に移転されました。それでも、宇多津に残されたお寺、また、信仰心や暮らしの必要性から、お寺が再興されて、今に残ります。数百年の歴史の中で、宇多津の町民の暮らしと寺社は結びつきながら変遷を経てきています。
そのような時の流れを、歩くと感じてくださるのか、
歩みをすすめるごとに、みなさまから、いいまちだ、いいまちだと言われて嬉しくなりました。
「町家とおひなさん」のイベントにも度々足を運んでいますが、このようにゆっくり話を聴きながら、歩き、宇多津の良さを改めて発見しました、と感想をいただきました。
お越しいただいた皆様、ご協力いただいた皆様、ありがとうございました。
駅出発コース
岸落地蔵堂⇒安養寺跡の井戸⇒本妙寺⇒南隆寺⇒西光寺⇒料亭公楽、ダンスホール、蔵カフェこうらく
役場出発コース
浜町の裏路地⇒旧陸桝塩田水門(移設)⇒宇夫階神社前⇒本妙寺⇒南隆寺⇒古街の家臨水⇒西光寺⇒料亭公楽、ダンスホール、蔵カフェこうらく












2021年11月27日
【食べたものlog 11/16〜11/26】
【食べたものlog 11/16〜11/26】


水曜日の茶室る庵→ クリスマスキャロル稽古

大窪寺

宇多津まち歩き

土曜日の茶室る庵→ 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館

さぬきマルシェ→ 佐々木良の古事記

ZENKONnex総会

秋田慎治ライブ→ 栗林公園

クリスマスキャロル稽古


善通寺まち歩き
2021年11月27日
福森雅武の土鍋 まずは肉豆腐
【福森道歩】
2日間の下処理を終えた #福森雅武の土楽鍋 最初の料理は肉豆腐。


ひとり鍋としての深さ大きさ満足の形。
鍋や煮物だけじゃなく、蒸し料理もできるし肉も焼けるそう。
8代目を継いだお孃さんの #福森道歩 さんは陶芸家であり料理家でもあって、この土鍋の可能性を広げる本も書いている。
https://www.1101.com/store/donabe/2018w/2018-12-20.html
鍋を買ったとき、道歩さんの小鉢も買ったらよかったなぁ。きっとしっくりきたなぁ。