2010年11月17日
高槻まんなか まち歩きリポート(長いで~)
てなわけで、ようやく高松に帰ってきた るいままでございます。
ずっと、Twitterで追跡くださっていたみなさま、お疲れ様でした。
帰りに、高松駅からクラックに寄ると、しげきさんに
「絶対、るいままは3人いると思った」と言われまして、まったくもって面目ないw
さて、横浜CATS~東京大森~横浜山下くんと回って、
そのまま東京駅なんぞに向かったら、紅葉を求めて長野新幹線とかに乗る恐れもあったので
品川で弁当を買い、とにかく西へ

新幹線にのるまでの気持ちとしては、10月に心を残してかえってきた、大阪の空堀界隈に寄って帰ろうとなっておったのですが、
Twitterを見ていると、先月高松修行をした、大阪高槻のこの青年が高槻で休暇中とわかりまして

おんなじ大阪やし、高槻いったことないしってことで
「京都」で下車しまして、電車を乗り換え新快速で一駅の「高槻」までびゅ~ん。


青年「西隊長」は、JR高槻駅前のカフェで本を読んでいたので、私が到着すればすぐに合流と思われていたようですが
なにぶんにも、初めてのまちにくると、まず迷子になってみるという癖がありまして・・・
twitterに足跡を残しながら動き回るワタクシを捕まえられないまま、
「じゃ、ぼくが阪急いきます」「じゃ、城北むかいます」とメールがつづき。
軽くtwitter鬼ごっこ状態。(これ、おもろいんちゃうん?w)
西隊長が、私を捕獲したころ、高槻のまちはこんなことになっておりました。

***************
駅前の写真をみただけで、「なつかしいわ~」とコメントがくるほど、松坂屋と花時計は有名なようで、
花時計のあるらせん階段を下りると、たかつき本通り商店街っていうのがございましたから、
まずは、そこをまっすぐ

夕方5時すぎってことで、人であふれております。
この写真の右側に見える、四角い赤い旗! これが、アリPの作ったタカツキツクエアでございます。
これね。
くねくねと路地をぬけて歩いていると
かなり年代物の陶器屋のおっちゃんが、どうみても手作りの段ボールを丸めた棒で店の前の街灯のスイッチいれたり、お兄ちゃん二人が約束したのにやってこない女の子のことについて語り合っていたりしてて
目が離せない面白さに、気が付けば、阪急高槻市駅まできてしまい、

そこから、ちょっと引きかえすと、「grillミカサ since1968」の文字

昔ながらのサンプルケースもあって、こういうものには、むちゃくちゃひかれるんですが
すでに明かりもおちておりまして、閉店しているのかお休みなのか・・
もっと進むと、
なんだ、この建物は! 明らかに昭和以前の旅館か料亭じゃないか。

今は、いささかどうしたもんかと思う看板がべたべたくっついているけど
建物は、素敵すぎるじゃないか! その裏手には、きれいに刈り込みの入った前庭をもつお宅が数件。
さらに進むと、隆盛の極み「和洋折衷住宅」じゃないか!

いったい、この豪華な町はなんなんだ! 戦災にあっていないのか? 特別な地区なのか? と思いながら、先をすすむと
一階の軒の丸瓦が、ええかんじにたわんだ「かしわ屋」さんが。

お肉といえば「かしわ」よ。牛肉や豚肉が肉屋ではなく、かしわ屋さんこそが日本の食卓の主流だったのよ。
何年まえからあるんかな。商店街のわきで間口のひろいしっかりしたお店を構えてらっしゃるってことは
ここは老舗やで。きっと!
そんなこんなで、メインストリート高槻センター街を通って、阪急高槻市駅から裏手にまわると

城北通りのゲート。
やっぱり城下町なんだな。結構、古くていいものが残っているのはそのせいなんだなと進んでいくと
大手筋や、しろあと歴史館などの表記があって、そのところどころに
「高槻現代劇場」のネオン。
現代劇場! なんて心そそるネーミング。映画館? 芝居小屋?
Twitter鬼ごっこ中に西隊長に
「高槻現代劇場ここから200メートルって書いてある。私200メートル2分で歩けますからいってくる」
と、メッセージを残し進んでみたんだけど、なにぶんにも、もう真っ暗でわからずじまい。

午後6時。大手通りまでもどってくると、まちに響きわたる本行寺のお寺の鐘。
この日の私のまち歩きも、このへんにしとけという合図のような鐘に、一旦まちあるき終了。
ようやく合流した西隊長と、城北通り路地「宇久」さんへ


お店の名前の由来はきかなかったけれど、「悠々宇久」の宇久ですよね?
「何者にもとらわれない独自の世界」
まさに、その言葉のとおりのお店でありました!
結局、知りたいことが山ほど残ってしまったので、高槻に泊まることにしました(笑)
****************

朝、「高槻は京都に近いので、意外に寒いんです」の西隊長の言葉通り。寒い!
でも、まち歩きの時には、このくらい寒くないといかんのです。
西隊長のもうひとつのキーワード、「ここは、西国街道の宿場町でもあるんです」
では、まず、その宿場町に向かうことにして、駅で地図をもらおうとしたんですが

いかにもウォーキングに行くぞ~の、おじちゃんおばちゃんには、大変優しいのに
私には、むっちゃ「はい、そこどいて」的な対応。
だめじゃん、観光案内所やのにと思っておりましたが、

結局、こんな姿で5キロも10キロも歩くとは思われず、地図だけもっていく輩と思われたんでしょう。
服装は大事です! (私のほうが絶対歩いてるけどな!)
さて、高槻駅を西武側にでて、アクトモールを抜け「芥川商店街」にはいると、

旅館で落語会が継続的につづけられていたり、社交ダンス場があったり
そんな中にロッククライミングの練習壁があったり、いろんなものが混ざり合った人間臭さがよくて



きれいにすましたよそいきを着てでかける商店街とは違った、人の呼吸を感じます。
そして、宿場町「芥川宿」の東入り口に着きました。


ここは、12世紀にはすでに宿場町としての形を成し、17世紀はじめ徳川幕府によって整備され
19世紀ころには、旅籠33、民家253の大きな町でした。
そのなごりの建物もいくつか残っています。


ちゃんと表札がかかっていたので、リノベーションしながら大事に守ってらっしゃるのでしょう。
この宿場町の通りにあった酒屋さん「西田本店」


路地から裏に回ると、ずいぶん奥行きのあるお宅で、ここもかなり由緒がありそうな感じです。
裏手の路地も気になりながら、お話をきけなかったのが心残り。
宿場町の先の芥川橋を渡りますと、芥川の堤に桜のアーチがありまして、このへんの高校生は、たいていここでデートをすると、西隊長(笑)


もちろん、西隊長の初デートも、ここだったそうです。そんな甘酸っぱい思い出もあるのでしょうが、
地形的に、ここが宿場町となるのは当然といえば当然。
芥川と淀川に挟まれ、海運も発達していたでしょうし、
京都と大阪という大都市に挟まれた立地もあったでしょうし、
400メートルほどの宿場町は、文化と人と経済の交流で活気にあふれていたに違いありません。
気持ちもよかったので、そのままどんどん奈良時代のまち「郡家」のほうまで足を延ばし

奈良時代の寺の廃寺と言われている素戔嗚神社までは地図にあったのだけど、
あとは「?」
気が付けば、まわりは田園風景で


けどま、気持ちいいので、どんどん歩き続け、今城塚古墳のあたりまで行ったようです。
(迷子になってたんで、よくわかんないけどさっ(笑)
まちのおばあちゃんと「こんにちは」とか言いながら、あっちいったりこっちいったりしているうちに
ようやく、見覚えのある みどり**病院にでてきたので、無事芥川へ。
さて、ここで、お昼。
早くしないと、昨日の謎解きができないので、また、JR高槻駅から本通側におります。

まず、昨日、中が見たくて仕方なかった「グリル ミカサ」さん


当然ながら大好きなカウンター席から、コックさんの手元をみておりましたが
ハンバーグはよくこねたミンチを、焼く直前にぽんぽんとふんわり丸め
エビフライも注文がきてから衣をつけるので、気持ちの良い揚がり具合
私が注文したチキンカツ850円も、絶品でございました。


このスポットライトは船をイメージしているとか。
料亭か旅館かと思っていた「贔屓屋」さんのはいっている建物。


派手な看板が見えない昼がいいでしょ?
裏手の前庭のある建物は、二階の窓の建具がものすごくしゃれたデザインで手すりに弁柄が塗ってありました。
昔は粋筋の建物だったのでは?。ああ、よだれでそうだ。
贅沢な洋館と和のテイストがはいった和洋折衷のお宅


昼見ると、美しい洋瓦でしたわ。
昭和の民家をカフェにしている河東さんや、民家をアートギャラリーにしているアートデアートさんがあったり


現代劇場は、私の想像を破り市民ホールでありました。西くんの成人式もこちらだったそうで・・・(笑)


一時、高槻城をおさめていた、歴女にも人気の高いキリシタン大名高山右近については、
この像くらいしか見つけられず残念。

でも、この像のある教会の向かいに
表札がわりにお人形が演奏しているおうちがあったり

大手町、城北のあたりも、まち歩きにはええ感じでございます。
整然とした大手町の街並みは、現代劇場や教会や野見神社の唐門(今は工事中)をライトアップして
夜の散歩コースにするとええかもなぁ~と妄想は膨らみます。
たとえば、石井幹子さんがデザインした善通寺市みたいにね。
http://www.21kagawa.com/topics1/topics_search.php?id=176&mode=print
と、善通寺のことを書くのは、宇久で知り合った美空ちゃんが、さぬき善通寺を歩いてみたいと
言ってくれたからです。

さて、今回の高槻の締めくくりは、宇久で西隊長から紹介された「NOTE」
建物のリノベーションもほとんど素人の手でやった、ほんとに手作りのカフェ


けれど、集められたもののセンスのよさや、整えすぎない優しさが、ゆるやかな時間をくれる
不思議な空間です。

窓辺でお茶をのみながら、本を読んだりおしゃべりしたり、はじめて会った人とも会話がはずみます。
建物は70年前のもの。70年の間には、いろんな家族の語らいがここにあったのでしょう。
それを大事にしながら、今、使わせていただく。そんな思い詰まったカフェでした。
西隊長が言っておりました。
ここは、なんでもそろう街もあって、でも20分も車を走らせば山や自然があふれている。
田舎だと思うところがあっても、やっぱりここにいたいと思わせるまち。
「ぼくは、やっぱりこのまちが好きです」
ああ、こんな殺し文句をいうワカモノが居るまち。すきだな~
この二日間で歩いた歩数 38000歩
で、これを書くために調べているといに見つけたyoutube「高槻魂」
http://ruimama.ashita-sanuki.jp/
ずっと、Twitterで追跡くださっていたみなさま、お疲れ様でした。
帰りに、高松駅からクラックに寄ると、しげきさんに
「絶対、るいままは3人いると思った」と言われまして、まったくもって面目ないw
さて、横浜CATS~東京大森~横浜山下くんと回って、
そのまま東京駅なんぞに向かったら、紅葉を求めて長野新幹線とかに乗る恐れもあったので
品川で弁当を買い、とにかく西へ
新幹線にのるまでの気持ちとしては、10月に心を残してかえってきた、大阪の空堀界隈に寄って帰ろうとなっておったのですが、
Twitterを見ていると、先月高松修行をした、大阪高槻のこの青年が高槻で休暇中とわかりまして

おんなじ大阪やし、高槻いったことないしってことで
「京都」で下車しまして、電車を乗り換え新快速で一駅の「高槻」までびゅ~ん。


青年「西隊長」は、JR高槻駅前のカフェで本を読んでいたので、私が到着すればすぐに合流と思われていたようですが
なにぶんにも、初めてのまちにくると、まず迷子になってみるという癖がありまして・・・
twitterに足跡を残しながら動き回るワタクシを捕まえられないまま、
「じゃ、ぼくが阪急いきます」「じゃ、城北むかいます」とメールがつづき。
軽くtwitter鬼ごっこ状態。(これ、おもろいんちゃうん?w)
西隊長が、私を捕獲したころ、高槻のまちはこんなことになっておりました。
***************
駅前の写真をみただけで、「なつかしいわ~」とコメントがくるほど、松坂屋と花時計は有名なようで、
花時計のあるらせん階段を下りると、たかつき本通り商店街っていうのがございましたから、
まずは、そこをまっすぐ
夕方5時すぎってことで、人であふれております。
この写真の右側に見える、四角い赤い旗! これが、アリPの作ったタカツキツクエアでございます。

くねくねと路地をぬけて歩いていると
かなり年代物の陶器屋のおっちゃんが、どうみても手作りの段ボールを丸めた棒で店の前の街灯のスイッチいれたり、お兄ちゃん二人が約束したのにやってこない女の子のことについて語り合っていたりしてて
目が離せない面白さに、気が付けば、阪急高槻市駅まできてしまい、
そこから、ちょっと引きかえすと、「grillミカサ since1968」の文字
昔ながらのサンプルケースもあって、こういうものには、むちゃくちゃひかれるんですが
すでに明かりもおちておりまして、閉店しているのかお休みなのか・・
もっと進むと、
なんだ、この建物は! 明らかに昭和以前の旅館か料亭じゃないか。

今は、いささかどうしたもんかと思う看板がべたべたくっついているけど
建物は、素敵すぎるじゃないか! その裏手には、きれいに刈り込みの入った前庭をもつお宅が数件。
さらに進むと、隆盛の極み「和洋折衷住宅」じゃないか!
いったい、この豪華な町はなんなんだ! 戦災にあっていないのか? 特別な地区なのか? と思いながら、先をすすむと
一階の軒の丸瓦が、ええかんじにたわんだ「かしわ屋」さんが。
お肉といえば「かしわ」よ。牛肉や豚肉が肉屋ではなく、かしわ屋さんこそが日本の食卓の主流だったのよ。
何年まえからあるんかな。商店街のわきで間口のひろいしっかりしたお店を構えてらっしゃるってことは
ここは老舗やで。きっと!
そんなこんなで、メインストリート高槻センター街を通って、阪急高槻市駅から裏手にまわると

城北通りのゲート。
やっぱり城下町なんだな。結構、古くていいものが残っているのはそのせいなんだなと進んでいくと
大手筋や、しろあと歴史館などの表記があって、そのところどころに

現代劇場! なんて心そそるネーミング。映画館? 芝居小屋?
Twitter鬼ごっこ中に西隊長に
「高槻現代劇場ここから200メートルって書いてある。私200メートル2分で歩けますからいってくる」
と、メッセージを残し進んでみたんだけど、なにぶんにも、もう真っ暗でわからずじまい。

午後6時。大手通りまでもどってくると、まちに響きわたる本行寺のお寺の鐘。
この日の私のまち歩きも、このへんにしとけという合図のような鐘に、一旦まちあるき終了。
ようやく合流した西隊長と、城北通り路地「宇久」さんへ


お店の名前の由来はきかなかったけれど、「悠々宇久」の宇久ですよね?
「何者にもとらわれない独自の世界」
まさに、その言葉のとおりのお店でありました!
結局、知りたいことが山ほど残ってしまったので、高槻に泊まることにしました(笑)
****************

朝、「高槻は京都に近いので、意外に寒いんです」の西隊長の言葉通り。寒い!
でも、まち歩きの時には、このくらい寒くないといかんのです。
西隊長のもうひとつのキーワード、「ここは、西国街道の宿場町でもあるんです」
では、まず、その宿場町に向かうことにして、駅で地図をもらおうとしたんですが
いかにもウォーキングに行くぞ~の、おじちゃんおばちゃんには、大変優しいのに
私には、むっちゃ「はい、そこどいて」的な対応。
だめじゃん、観光案内所やのにと思っておりましたが、
結局、こんな姿で5キロも10キロも歩くとは思われず、地図だけもっていく輩と思われたんでしょう。
服装は大事です! (私のほうが絶対歩いてるけどな!)
さて、高槻駅を西武側にでて、アクトモールを抜け「芥川商店街」にはいると、
旅館で落語会が継続的につづけられていたり、社交ダンス場があったり
そんな中にロッククライミングの練習壁があったり、いろんなものが混ざり合った人間臭さがよくて



きれいにすましたよそいきを着てでかける商店街とは違った、人の呼吸を感じます。
そして、宿場町「芥川宿」の東入り口に着きました。
ここは、12世紀にはすでに宿場町としての形を成し、17世紀はじめ徳川幕府によって整備され
19世紀ころには、旅籠33、民家253の大きな町でした。
そのなごりの建物もいくつか残っています。


ちゃんと表札がかかっていたので、リノベーションしながら大事に守ってらっしゃるのでしょう。
この宿場町の通りにあった酒屋さん「西田本店」


路地から裏に回ると、ずいぶん奥行きのあるお宅で、ここもかなり由緒がありそうな感じです。
裏手の路地も気になりながら、お話をきけなかったのが心残り。
宿場町の先の芥川橋を渡りますと、芥川の堤に桜のアーチがありまして、このへんの高校生は、たいていここでデートをすると、西隊長(笑)


もちろん、西隊長の初デートも、ここだったそうです。そんな甘酸っぱい思い出もあるのでしょうが、
地形的に、ここが宿場町となるのは当然といえば当然。
芥川と淀川に挟まれ、海運も発達していたでしょうし、
京都と大阪という大都市に挟まれた立地もあったでしょうし、
400メートルほどの宿場町は、文化と人と経済の交流で活気にあふれていたに違いありません。
気持ちもよかったので、そのままどんどん奈良時代のまち「郡家」のほうまで足を延ばし

奈良時代の寺の廃寺と言われている素戔嗚神社までは地図にあったのだけど、
あとは「?」
気が付けば、まわりは田園風景で
けどま、気持ちいいので、どんどん歩き続け、今城塚古墳のあたりまで行ったようです。
(迷子になってたんで、よくわかんないけどさっ(笑)
まちのおばあちゃんと「こんにちは」とか言いながら、あっちいったりこっちいったりしているうちに
ようやく、見覚えのある みどり**病院にでてきたので、無事芥川へ。
さて、ここで、お昼。
早くしないと、昨日の謎解きができないので、また、JR高槻駅から本通側におります。
まず、昨日、中が見たくて仕方なかった「グリル ミカサ」さん
当然ながら大好きなカウンター席から、コックさんの手元をみておりましたが
ハンバーグはよくこねたミンチを、焼く直前にぽんぽんとふんわり丸め
エビフライも注文がきてから衣をつけるので、気持ちの良い揚がり具合
私が注文したチキンカツ850円も、絶品でございました。


このスポットライトは船をイメージしているとか。
料亭か旅館かと思っていた「贔屓屋」さんのはいっている建物。


派手な看板が見えない昼がいいでしょ?
裏手の前庭のある建物は、二階の窓の建具がものすごくしゃれたデザインで手すりに弁柄が塗ってありました。
昔は粋筋の建物だったのでは?。ああ、よだれでそうだ。
贅沢な洋館と和のテイストがはいった和洋折衷のお宅
昼見ると、美しい洋瓦でしたわ。
昭和の民家をカフェにしている河東さんや、民家をアートギャラリーにしているアートデアートさんがあったり


現代劇場は、私の想像を破り市民ホールでありました。西くんの成人式もこちらだったそうで・・・(笑)


一時、高槻城をおさめていた、歴女にも人気の高いキリシタン大名高山右近については、
この像くらいしか見つけられず残念。

でも、この像のある教会の向かいに
表札がわりにお人形が演奏しているおうちがあったり

大手町、城北のあたりも、まち歩きにはええ感じでございます。
整然とした大手町の街並みは、現代劇場や教会や野見神社の唐門(今は工事中)をライトアップして
夜の散歩コースにするとええかもなぁ~と妄想は膨らみます。
たとえば、石井幹子さんがデザインした善通寺市みたいにね。
http://www.21kagawa.com/topics1/topics_search.php?id=176&mode=print
と、善通寺のことを書くのは、宇久で知り合った美空ちゃんが、さぬき善通寺を歩いてみたいと
言ってくれたからです。

さて、今回の高槻の締めくくりは、宇久で西隊長から紹介された「NOTE」

建物のリノベーションもほとんど素人の手でやった、ほんとに手作りのカフェ


けれど、集められたもののセンスのよさや、整えすぎない優しさが、ゆるやかな時間をくれる
不思議な空間です。

窓辺でお茶をのみながら、本を読んだりおしゃべりしたり、はじめて会った人とも会話がはずみます。
建物は70年前のもの。70年の間には、いろんな家族の語らいがここにあったのでしょう。
それを大事にしながら、今、使わせていただく。そんな思い詰まったカフェでした。
西隊長が言っておりました。
ここは、なんでもそろう街もあって、でも20分も車を走らせば山や自然があふれている。
田舎だと思うところがあっても、やっぱりここにいたいと思わせるまち。
「ぼくは、やっぱりこのまちが好きです」
ああ、こんな殺し文句をいうワカモノが居るまち。すきだな~
この二日間で歩いた歩数 38000歩
で、これを書くために調べているといに見つけたyoutube「高槻魂」
http://ruimama.ashita-sanuki.jp/
http://ruimama.ashita-sanuki.jp/e342884.html" target=_blank>

2010年11月16日
パン作りの野坂さんと NOTEで

NOTEの日だまり席で知り合った野坂さん。
人懐っこく、お話上手なパン作りの先生です。
ただパン作りを教えるのではなく、習いに来た方がほっとした時間をもてるようにと自宅を開放して教えられてます。
ほんとに若々しくて楽しくて、
大阪や高槻の情報を教えていただきました。
ありがとう(^-^)/
るいまま
http://ruimama.ashita-sanuki.jp/
2010年11月16日
NOTEの日だまり席で





高槻市京口に本日オープンの「NOTE」
昨日の夜、食事をした「宇久」の息子さんごりさんが始めたカフェと雑貨のお店。建物は70年前のものです。
リフォームを重ねつつも、当時の面影ものこす建物は、
昭和27年製るいまま組事務所同様、階段はきゅうですが、落ち着きますです。
ひとりで二階の日だまり席でティーいただきます。
るいまま
http://ruimama.ashita-sanuki.jp/
2010年11月16日
高槻城ご城下散策中




腹いっぱいで眠くなってきたので、昨日あきらめた大手筋から、しろあと歴史館にいき歴史館のジオラマをみつつ休憩(笑)
野見神社の唐門は修復中で、市の方と神社のかたが深刻そうなお話をしてたんで、軽くお参りして、
西くんが成人式をむかえた現代劇場
藤井竹外邸跡のあるあたりを歩いてます〜
るいまま
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2010年11月16日
気になる昭和住宅を再び



夕べ、闇に消えた贔屓屋さんの裏にある綺麗に庭をつくられたお宅群を再び散策。
二階の洒落た窓の手すりにべんがらが。このあたりは粋筋のまちだったんでは。
いいなぁ
このまま残して欲しいよ。
路地をはいると昭和の住宅をギャラリーにしたりカフェにしたり、好物が点在。
北園町ってありますな。
るいまま
http://ruimama.ashita-sanuki.jp/
2010年11月16日
2010年11月16日
迷子から脱出 芥川宿まで帰ってきました(笑)


くねくね歩いているうちに、芥川宿までもどってきました
宿場町にあった酒屋さん。路地からの奥行きが深く歴史を感じるお店ですわ。話きいたらよかったわ
るいまま
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2010年11月16日
素戔嗚尊神社あたり

奈良時代の寺跡(芥川廃寺)、境内の手水鉢は塔心礎
このあたりは「郡家」とよばれる
付近の遺跡から、山陽道に南面して多くの建物跡、木簡、はじきなど出土
今は、田園風景がひろがってます
るいまま
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2010年11月16日
芥川桜堤 紅葉はじまってます




往時を思い起こさせる建造物もいくつか残っています。
芥川までくると堤の桜が紅葉し始めてました。
高槻は、横浜より東京より寒く、夕べ、西くんの解説によれば京都寄りの気候ではないかなとのこと。
るいまま
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2010年11月16日
高槻の朝は 快晴!




おはようございます(^-^)/
気まぐれに高槻に来てみたら、京都と大阪にはさまれたこの街は
中世の城下町
江戸期は西国街道の主要な宿場町
ってことで、歩けば歩くほどおもしろくなってきたのに
秋は日暮れがはやく、大手筋「本行寺」の6時の鐘を聞かせていただいたところで
まち歩き断念(笑)
高槻は、有川プロデューサーや特機の西くんといった男前をうんだ街
今日は朝から、夕べ闇に包まれていった街を歩きます。
写真は、私がTwitterに次々上げていくつぶやきを見ながら、私の出没先を追跡していた西くん
と
城北通り路地裏「宇久」でであった美空ちゃん。
美空ちゃんは、さぬきに友だちがいて志度や善通寺にきたことがあるけど、バーでのんだくらいで「まち」のこと知らない〜しりた〜い
と、おっしゃるので次回は善通寺あるきましょう!と、お約束(笑)
「ぼく、高槻すきです」
という青年に、私もこのまちがどんどん好きになってます
昨日は15614歩でした〜
るいまま
http://ruimama.ashita-sanuki.jp/