2024年11月18日
滴翠美術館60 【勾当】
【勾当】
450年前、#初代長次郎 によって作られた茶碗「#勾当」。
#滴翠美術館 所蔵の貴重なもので、簡単に茶会にはでてこないので、普通の茶碗のように茶を点てられるたびにどんどん変化していくということはないけれど、450年もたつと「#時間が彼女を変えていく」そう。
なぜ、彼女と書いたかというと、茶人と「なんともいえない艶かしさがありますね」と話したからだ。
色といい、膨らみといい、手の中に収まったときの質感といい、これは一筋縄ではいかない女を感じる。
「勾当」の言葉の意味を調べれば「事務を担当して処理すること。その役人」とつまらぬ答えがでてくるのだが、この茶碗にそんな意味を充てるか?
ところが、中国語になると「よからぬこと」と意味深な解説。日本語でも「勾当内侍」になると、話は茶碗に寄ってくる。
南北朝時代「#勾当内侍」と呼ばれた女がいる。後醍醐天皇に勾当(事務職)をする内侍(女性職員)として仕えており「長橋の局」とも呼ばれた。のちに後醍醐天皇が新田義貞に授け、義貞の妻のひとりとなる。
「太平記」によると「天下一の美人」で、彼女の弾く琴の音に恋した義貞が歌を贈ったのがはじまりだそう。
ところが、彼女があまりに美しいがゆえに、新田義貞は彼女によって何度も機を逸している。
「足利尊氏が九州に没落していたとき直ちに下向して討ち滅ぼすべき好機を失したのは、義貞が内侍との別れを惜しんで下向を延期したため」「また後醍醐天皇が比叡山に逃れたとき、勝に乗って追撃すべきところをしなかったのも内侍に迷ったせい」
彼女の作為ではないけれど、戦国の世においては、なんとも罪深い美しさ。
茶会あと、妄想にふける夜。この茶碗に「勾当」の名をつけた方から本当の意味をききたいような、自説に浸りたいような…(笑)
※追記
山口さんから謎解きが届きました。
「銘の勾当の由来ですが、長次郎七種に数えられる検校という銘のついた名碗がありまして、それに次ぐ位として検校の下の勾当という同じく盲官の名前が付けられたというのが由来と考えられています」
確かに言葉を調べているときに、「盲人の官の一つ。検校、別当の下。座頭の上位」という項目がありました。そこから来ていたとは!
・・・・・・
■その後の勾当内侍
足利尊氏に敗れた新田義貞は北陸へ落ち延びる途中に、妻の匂当内侍を堅田に残したまま越前の藤島で戦死。悲報を聞いた内侍は悲しみのあまり、近くの湖水で投身自殺したという説や、嵯峨野の奥で義貞の菩提を弔ったという説、群馬県太田市の郷土の歴史を伝える尾島かるたには「つつじ咲く勾当内侍のつつじ塚」という札もあったりして、その後については様々。
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