2024年07月31日
銹絵水仙文茶碗 写真をみながら
【水仙】
茶の湯の茶碗 和物茶碗Ⅱ 届きましたぞ。

で、この #銹絵水仙文茶碗 をうっとり見ながら、ちょっと思い出したこと。

この茶碗は、茶人 #金森宗和 が自身と母の墓所 京都 #天寧寺 に寄進したもののひとつ。作は #野々村仁清。
いっとき、金森宗和や宗和流にかぶれていて(笑) 読んだり見たりで天寧寺の事も知り、京都駅から天寧寺まで歩いて訪ねた。
御所よりも同志社よりも向こうで、まぁまぁな距離を歩いたところにあった天寧寺は、小ぶりながら静かで綺麗なお寺。額縁門からは比叡山が見える。
金森宗和をザクッと説明すれば、
飛騨高山藩主の子として生まれるが、父に勘当され廃嫡し母と京都に隠棲。大徳寺で禅を学んで剃髪し「宗和」となった。
茶の湯に秀でていたこともあり、天皇と縁の強い親王や公家、多くの茶人文化人との交流を深め、自ら作り上げた「姫宗和」と呼ばれる茶風は、京の公家たちに愛された。
のちに、加賀前田藩から茶人として召し抱えの話もあったが、それは子に譲り、ずっと京に暮らし続けたあたり、美意識高い都会派だったんだろうなと想像がつく。
野々村仁清を見出したのも、金森宗和と言われている。
その金森宗和が寄進した5つの茶碗のうちのひとつが「銹絵水仙文茶碗」
京都から帰ってすぐ、仁清の水仙茶碗写があるというので、早速にポチッとやった。
そのちょっと前、とてもよくできた野々村仁清の鱗写を手にいれ、本物は見られずとも、稽古のときの話のタネになるやんと思っていた。
が、届いたのは、ロクロ跡もないつるんつるんの茶碗に横たわる水仙。水仙は黄色い花、緑の葉と彩色していた(笑)
#銹絵 ちゃうやん!
#京都国立博物館 の「茶の湯の茶碗展」で、本物の銹絵水仙文茶碗 をみたとき、この子とは、生まれや育ちはもちろん、写真さえ見ずに作られたまるで他人だなと確信(笑)。
偽物には偽物なりの良さをみつけたいんだが、大きさも締まりがなく、自由にどれでもお使いくださいと茶碗棚にだしているのに、稽古にくる盆点前ガールズにもイマイチ人気がない、かわいそうな茶碗。
でも、また冬には一服点ててあげましょう。可愛がっているうちになんとかなりますように。
いまの天寧寺の宗和のお墓は明治期になって #高橋箒庵 が建てたもの。
天寧寺には、明智光秀の位牌もある。
2024年07月31日
夏の貴族猫と自堕落猫
【貴族猫と自堕落猫(笑)】
7/31 goodmorning
江戸時代よりだいぶ暖かかったといわれ る、平安時代中期。
貴族たちは夜明けとともに起き、自分の星を読みその日の占いをして、特別な問題がなければ粥を一椀食べ仕事にでかけ、良くない結果がでたら家から出ない。
仕事は正午まで。あとは趣味と勉強についやし4時過ぎに夜のご飯を食べて、日暮れには寝る。
貴族の暮らしをつらぬく #さび嬢 には、早朝にしか会わないが、現代人とともにエアコン下で「あづい あづい」という #かん氏 は、勝手にスマホをいじり、このテイタラク。

肉球でも、スマホは扱えます(笑)
では、朝ごはん。

2024年07月31日
ブラックキギョウは世界語?
【ブラックキギョウ】
昨夜は、風もあり、なかなか心地よい夜。
私だけが感じてるんじゃないようで、中央通りはランナーがたくさん走っておりました。
信号待ちをしていると、後ろに品良き男女ふたり。
ずっと中国語で話してるので意味はわかんないんだけど「#ブラックキギョウ」だけは聞き取れまして、
今や、ブラックキギョウは、カラオケ同様、世界語なんだと知る(笑)


2024年07月30日
夜さんぽ 数年前とは違う
【夜さんぽ】
20:45 この時間になると、さすがに海辺は凉しいね!

JR高松駅の一階にあった旅行会社が居酒屋に変わっておりますな。これだけ暑いとビール飲まずに帰れないひと、増えますはな(笑)

私は水ですけどね。

夕涼みしながらみているyoutubeでDr.石黒が、老化状態を作ったマウスを温熱療法すると代謝が上がったというお話されてますな。閉経後の女性にはサウナがオススメらしいですよ。
私はポンコツ心臓なのでサウナはご法度ですが、これだけ暑いと温熱療法とかわらんのじゃないか? 一向に痩せないけどさ(笑)
では、帰る。
夜は凉しいとはいえ、数年前の夜の高松駅前の涼しさはないね。
アリーナができて風が通りにくくなったのもあるけど、気温は確実に上がってる。
2024年07月30日
山田屋の珈琲を飲みながら 慶子さんを思う
【山田屋珈琲を飲みながら】
難解な問題をなんとか自分なりに理解したいと、朝からずっと活字と格闘してたんだが、いきつもどりつまとまらず。
腹ペコで我にかえり、おやつ(とも思えぬ量 笑)。
昨日、春日水神で初めて #山田屋珈琲 の豆を買ったので淹れてみる。
山田屋と言えば、るいまま組音楽班の慶子先生。


石あかりをやってる頃は、シンセサイザーの慶子さんと、ピアノのくりすには常にいろいろ編曲を頼んでいて、年がら年中、慶子さんちに行っては、レッスン室で稽古や打合わせをしていた。
そのあと、慶子さんの淹れてくれる 山田屋珈琲の #ゆうなぎ を飲みながら、たっぷりお喋りをして帰るってのが定番。
私は、語り班なんで、音楽班の稽古に全部行かなくてもいいようなもんだが、プロデューサーという名をかさに、行っては飲んで食べて喋って帰るという 、姉の家に遊びにいってるような甘えっぷり(笑)

だからと言うわけではないんだが、「山田屋珈琲は慶子さんの珈琲」みたいな思いがあって、買えるのに買わないままだった。
初めての珈琲豆は、有機珈琲の神山アラビカ。美味しい。
でも、慶子さんちでお喋りしながら飲む山田屋珈琲は、もうひとつ魔法がかかっていたような気がする。また、なんか理由つけて、くりすと押しかけよう(笑)

2024年07月30日
江戸期は小氷河期
【江戸期は小氷河期】
7/30 goodmorning
今日も体温を上回る暑さ。#熱中症アラート がでていますな。

天気予報で、エアコンのない家は、図書館や大型商業施設に避難してくださいと言ってびっくりしたが、
昼間に野外を歩くと、そこに行くまでに倒れてしまいますはな。行くなら早めに。
こんなはずではと思っても、どうにもならない高気温だが、
17世紀から19世紀ころの日本は「#小氷河期」と呼ばれ、広重の「#東海道五十三次」のなかでも雪の風景は多い。
逆に、#平安時代 は、江戸時代よりだいぶ暖かかったという話も聞く。だから、建物や衣裳も気候にあったものだったのだな。
兎にも角にも、いまの気候はたまたまでも、気のせいでもなく、長い歴史のなかのうねり。
生き抜く知恵を働かせるしかありませんな。
ほな、朝ごはん。

…………
広重が描いた「東海道五十三次」(1833年刊行)のうちの有名な「蒲原夜之雪」です。蒲原は、静岡県の富士川河口にある町で、山奥ではありません。現在は温暖なこの地でも大雪が降っていたことが分ります。当時は太陽活動が低調で、1795-1830年はDalton極小期と呼ばれており、文化10年(1813)には大阪の河川が全て凍結したと摂陽奇観に記されています注1)。
2024年07月30日
ハマノ製靴所 R5号はスカイブルー
【ハマノ製靴所】
私の大きい足の、外反母趾、幅広、甲高の三重苦をまとめた木型があるハマノ製靴所で、るいままオーダーシューズR5号つくりが始まりました。
革はイタリア製のスカイブルー。形はいつものバレエシューズ形。まで決めていたので、
次はステッチの糸を何色にするか、内側の革をどうするか、底は何にするかを決め込み。何色にするかで、イメージが一気に変わります。

作るたびに少しずつ改良してますと濱野くん。私は1号ちゃんからずっと問題なく履いておりますが、すべて職人のこだわりのおかげ(笑)
また、随時ご報告。
2024年07月29日
なんだ この殺人的な暑さは!
【昼さんぽならず】
#春日水神 に買い出しにいったついでに、巻き寿司もって屋島あたりさんぽするかと 竹皮帽子ももってでかけたんだが、
あまりの暑さに身の危険を感じ、とりあえず帰ってきて、おやつがてら巻き寿司いただき中。

そんなところに女将から8月の遠征の問合せ。女将との珍道中はすごくたのしいが、この殺人的な暑さのなか、真昼に歩くのはよくないから、気候のよきときに参ろうと提案。
さんぽは、日の暮れた夜に。
あっ、夜の突然さんぽの会は復活します。崎さんとも、歩くことで得た免疫力の高い身体を維持していきましょうと話したしさ。
みかけたら、ご一緒に。
ひしわの しょうが紅茶。夏にも合うよ!

2024年07月29日
茶の湯の茶碗講座 梶山博史さん at 中條文化振興財団
【茶の湯の茶碗】
去年、岡山の古美術 #三沢美術 さんで「#ほんとにいい本ができました!」と見せていただいた
「#茶の湯の茶碗」の和物茶碗Ⅱを担当された #梶山博史 さんが、#中條文化振興財団 の文化講座にこられました。


織部の時代がおわり、遠州以降の江戸前記から中期の茶の湯の茶碗のお話。
茶室る庵の仁清「鱗写し」や、最近嬉しそうに使っている安南焼写「とんぼ」も、本物はこの時代。
鱗茶碗写をみせては、仁和寺のご近所で御室窯を開く大プロデューサー野々村仁清の…と私は言ってましたが、
梶山さんは仁清を「親方」と表現し、そうだな!織部は開発発注だからプロデューサーだが、仁清自身は作るひとでもあったのだから「親方」だなと納得。
#梶山さんの講座は隅から隅までおもしろく、その模様は書き出すと果てないのだけど、それは財団の #文化通心 にまとめられるとおもうので、私はこの本のこと。

#野村美術館 の谷晃さんを中心に、若手の学芸員や博物館職員、美術家のみなさんが結集して取材、編纂された「茶の湯の茶碗」の画期的なところは、
一番美しいと言われる方向からの写真だけでなく、全方向からの写真が収められていること。
秘すれば花を美徳とする世代からは、ここまで晒す必要があるのか?との声もあったようだけど、
三沢美術さんも言われていた「#未来に残すための本」として、一番心身が充実している世代が作ったことに大きな意味がある。
この本の出版を記念して、京阪神の美術館では「茶碗展」が開催され、私も #京都国立博物館 からはじまり、#野村美術館(京都南禅寺)、#滴翠美術館(芦屋)、#逸翁美術館(大阪池田)、#中之島香雪美術館(大阪中之島) と、毎月のように京阪神に通った。
たぶん、そのあたりから、ようやく「#茶の湯おもしろいわ」と、それまでの「私は茶人ちゃいますから!」の頑なさが解けてきたような気がする。
わからん茶碗を「ふむふむなるほど」と解ったような顔して珍重するのは苦手だが、
その茶碗が生まれた時代や背景、ひとやエピソードによって、掌のなかの世界は広がる。知ろうとすることが大事。
有斐斎講道館の 太田さんが話していた、それに触れたひとによって「茶碗に歴史ができる」というお話にも、茶の湯や茶道具というのは、そこに大なる意味があると思えた。
話はもどるが、日本に茶がわたり、足利や珠光や利休によって大成した日本の茶の湯の道具は、
立派な先生が好きなものを作るというよりも、わがままで無理難題いう発注者(大名とか豪商とか)が、いかに満足するかも考えながら、
新しいもの、写したもの、ほかの美術工藝とのつながりのあるもの、日本らしいものを、時代とともに変化させながら作っていた。
発想もさることながら技術がなくてはできないことで、#江戸時代に育まれた日本の芸術 はたくさんあるが、それを支えるひとたちもたくさんいたということだ。
講演のあと、この本の素晴らしさを教えてくれた三沢美術 さんとのお話を梶山さんに伝えると、
「写真がいいんです!。彼は北村美術館の写真も写しています。僕は学生時代に北村美術館にであったからこの世界に入ったのかもしれません。なんといっても展示方法が素晴らしいんです」
と話してくれ、おぉ!今出川あたりまでよくいくのに #北村美術館 は、まだいけておりませんでした、近々に参りますと言うと「#庭も含めてみてくださいね」とのこと。
梶山さんは、私たちが中之島香雪美術館を訪ねた頃、そこにいらした模様。
この春からは、初めて行ったとき時間が足りず、必ずまた行く!と言ってたらまもなくコロナ休館になり、そのまま大改修にはいって、オープンはまだかまだかと待っていた #東洋陶磁美術館 にいらっしゃるそう。
東洋陶磁美術館は、ようやくオープンし、新しく美術館カフェもでき、今は子どもたちも楽しめる展示になっているようなので、夏休みのお出かけに是非。
私は、夏休みがあけたら、待ちに待った恋人に会うような気持ちでまいります(笑)
■北村美術館
https://www.kitamura-museum.com/
■東洋陶磁美術館
https://www.moco.or.jp/
……………
で、ま、これは見せていただくもので私が買うものではないと言っていた 「茶の湯の茶碗 和物茶碗Ⅱ」ポチッとしてしまいましたわ(笑)
https://www.book.tankosha.co.jp/shopdetail/000000001751/ct360/page1/order/
……………
12/21 この広間で るいまま組 音楽と言葉「#建礼門院徳子2024」を公演させていただくので、帰りにちょっと採寸など。
30名 ゆっくり座っていただけます。


2024年07月28日
崎さんと さんぽ
【昼さんぽ】
さんぽ途中で、ミスター漫遊帖の崎さんに会い、お喋りしながら さんぽ。
崎さんは19年前のまちかど漫遊帖立ち上げのときの中心的ガイドさん。
漫遊帖を卒業されたあとも、うどんツアー社として高松にうどん観光にこられたみなさんのご案内していたのだけど、今は原付ライダーになったんだよとのこと。
車のない生活はどんなものかとおもったけど、中心市街地にいると意外に不便はないよとのこと。
崎さんが、昔、漫遊帖で組んでくださった「新しい老人施設を見学させてもらうコース」でご協力いただいた施設に母がいることを話し、
あのとき崎さんが取材してくだったことが大いに役にたちましたとお礼を言う。
崎さんも私も、特別なことはしていないけど、よく歩いていたからか、コロナ騒動のときも元気で、やっぱり「よく歩く」は、免疫力を高めるんですね。私たちが実証しましたねと言いながら丸亀町で解散。
ひさびさに、崎さんと話せ、楽しかった!
