2008年06月30日
石あかり委員会〜




てなわけで、今日も今日とて むれです
今年は210点の石あかりが並びます(たぶん増えていくけどね(笑))
デザインコンテストにはイギリスからも応募があったそうで、どんどん愉しげになってます
100トン庵は3期工事がおわり
ほぼできあがりました(はやっ笑)
で、こんなんやら あんなんやら
職人さんたちのつくったものが 話しの途中に出てくるのも むれらしいですな(笑)
石あかりまで あと33日
2008年06月30日
漫遊帖 出そろいました
今日は、朝から、よく働いてるわ。
サクサクっと、校正原稿送ったし、写真送ったし、原稿書いて送ったし、ぐじゃぐじゃをまとめたし、あとは、漫遊帖事務局とうち合わせして、夜の「石あかり」の会議にでて、9時には業務完了だな!
********************
そんなこんなで、「まちかど漫遊帖 2008 秋」

第1回目のコースカルテの締め切りがおわり、予定コースが出そろいました。
もちろん、ここから、新しいコースについては、一緒に歩いてブラッシュアップしていき、
どうしても無理のあるものは、次回にまわしたり、違った形での参加(決して消さない)となるのですが、
3年目の秋を迎え、「たかまつ」が、また広がった感じです。
まちかど漫遊帖は、そのまちに暮らし働き学ぶひとたちが、自分たちなりの「まちの魅力発信」のできるコースをつくるもので
観光名所や、史跡を繋いでいくモノではなく、人を繋いで行くモノです。
どれだけ、自分のまちを好きになれるかが勝負でして、歩いて歩いて、まちの人たちと仲良くなったコースは、お客様を迎えるごとに進化していきます。
■6月30日現在の 予定46コース一覧
◎印は、これからるいままがはいるコース。
●印は、すでにるいままがはいって動いているコースです。
ベーシックコース(改良コース)
◎ベーシック「黄門様」栗林~宮脇周辺~西方寺周辺まちあるき
・ベーシック「さぬき漆」まちあるき (漆WS)
・ベーシック「しおのえ事始め」まちあるき
◎ベーシック「塩江岳八幡」まちあるき
・ベーシック「お寺ってワンダーランド」まちあるき
・ベーシック「仏生山魅力をぎゅ」
・ベーシック「香西むきむき」
・ベーシック「鬼無盆栽」 (こけだまWS)
・べーシック「水の回廊」
・ベーシック「扇町」
・ベーシック「DEEP in むれ」
・ベーシック「八栗」
・ベーシック「香南」
・ベーシック「ANNRIの水物語」
新&復活改良コース
●花園町周辺まちあるき (菓子木型WS)
◎藤塚町ステイ (かがりてまりWS)
●八坂町周辺まちあるき (高松張り子WS)
●古高松地区まちあるき
●前田地区まちあるき
◎栗林公園~サンポート周辺まちあるき(バス移動)
◎塩江(2コース)まちあるき
●十川地区まちあるき (健脚)
◎北浜まちあるき
◎香西~中山町やまあるき(健脚)
◎鬼無(2コース)まちあるき
◎国分寺地区まちあるき
・むれまちあるき
●高松~直島(「船」移動)まちあるき
◎中央通りまちあるき
◎婆が池周辺まちあるき
夜・夕暮れコース
●瓦町周辺食べ歩き(夜)
●百間町周辺食べ歩き(夜)
◎県民ホール クラシック事始め
・夜の動物園ステイ(夜)
●松島町まちあるき
外部団体企画
ここは、これからうち合わせでございますよ。
・ボーセジュール企画
・四国村企画
・屋島
・やしま
・コトデン企画
・菊池寛記念館企画
・玉藻公園・披雲閣
・eとぴあ
◎・落語
しかし、腹減った・・・・ なんか、たべよ
サクサクっと、校正原稿送ったし、写真送ったし、原稿書いて送ったし、ぐじゃぐじゃをまとめたし、あとは、漫遊帖事務局とうち合わせして、夜の「石あかり」の会議にでて、9時には業務完了だな!
********************
そんなこんなで、「まちかど漫遊帖 2008 秋」

第1回目のコースカルテの締め切りがおわり、予定コースが出そろいました。
もちろん、ここから、新しいコースについては、一緒に歩いてブラッシュアップしていき、
どうしても無理のあるものは、次回にまわしたり、違った形での参加(決して消さない)となるのですが、
3年目の秋を迎え、「たかまつ」が、また広がった感じです。
まちかど漫遊帖は、そのまちに暮らし働き学ぶひとたちが、自分たちなりの「まちの魅力発信」のできるコースをつくるもので
観光名所や、史跡を繋いでいくモノではなく、人を繋いで行くモノです。
どれだけ、自分のまちを好きになれるかが勝負でして、歩いて歩いて、まちの人たちと仲良くなったコースは、お客様を迎えるごとに進化していきます。
■6月30日現在の 予定46コース一覧
◎印は、これからるいままがはいるコース。
●印は、すでにるいままがはいって動いているコースです。
ベーシックコース(改良コース)
◎ベーシック「黄門様」栗林~宮脇周辺~西方寺周辺まちあるき
・ベーシック「さぬき漆」まちあるき (漆WS)
・ベーシック「しおのえ事始め」まちあるき
◎ベーシック「塩江岳八幡」まちあるき
・ベーシック「お寺ってワンダーランド」まちあるき
・ベーシック「仏生山魅力をぎゅ」
・ベーシック「香西むきむき」
・ベーシック「鬼無盆栽」 (こけだまWS)
・べーシック「水の回廊」
・ベーシック「扇町」
・ベーシック「DEEP in むれ」
・ベーシック「八栗」
・ベーシック「香南」
・ベーシック「ANNRIの水物語」
新&復活改良コース
●花園町周辺まちあるき (菓子木型WS)
◎藤塚町ステイ (かがりてまりWS)
●八坂町周辺まちあるき (高松張り子WS)
●古高松地区まちあるき
●前田地区まちあるき
◎栗林公園~サンポート周辺まちあるき(バス移動)
◎塩江(2コース)まちあるき
●十川地区まちあるき (健脚)
◎北浜まちあるき
◎香西~中山町やまあるき(健脚)
◎鬼無(2コース)まちあるき
◎国分寺地区まちあるき
・むれまちあるき
●高松~直島(「船」移動)まちあるき
◎中央通りまちあるき
◎婆が池周辺まちあるき
夜・夕暮れコース
●瓦町周辺食べ歩き(夜)
●百間町周辺食べ歩き(夜)
◎県民ホール クラシック事始め
・夜の動物園ステイ(夜)
●松島町まちあるき
外部団体企画
ここは、これからうち合わせでございますよ。
・ボーセジュール企画
・四国村企画
・屋島
・やしま
・コトデン企画
・菊池寛記念館企画
・玉藻公園・披雲閣
・eとぴあ
◎・落語
しかし、腹減った・・・・ なんか、たべよ
2008年06月29日
そうかきみはもういないのか
高瀬にいく用事がなくなり、ひさびさの終日オフ
********************

一人で暮らし初めてだいぶたつ。
不便なことはないように思うけれど、
なにも予定のない日、誰からも電話がかからない日、メールの数が極端に少ない日、
電球が切れたとき、大型ごみが運び出せないまま部屋の隅にあるのをみるたび
あと10年したら、こんな生活が毎日続くようになるのかも知れないと思う。
家族との生活に疲れ、一人になりたいのだと相談されるたび
子どもを叱ったり、夫に文句をいったり、わぁわぁいってるころが「家族の華の時間だよ」と言うことにしている。
一人は自由だけれど、それがずっと続いている人間と、途中から断ち切られた人間では、その「孤独感」の重さが違う。
私は、自ら断ち切って生きているのだから、その孤独を受け入れることは、自分で自分に課せたものなのだ。
夕べ、屋根裏で、はつらつやマスターと話しをしているとき
「私は、気軽に電話をして、今すぐ誘えるような友人がいないんだよね」
と、言うと
「それは、自分がかけないからでしょ」
と、笑われた。
いや、ほんとに、私は子どもの頃から、だめで
スタバで資料よみをしているときも、女の子同士が勤め帰りにお茶を飲んでいる風景や、待ち合わせている姿をみるたび
私には、こうやって、なにの躊躇もなく誘い出す相手はいないな・・・と思う。
天に向かってこれだけ毒を吐いていきているのに、どんだけ気弱なんだと、笑われるけれど
電話をかけるのも、相手がそのつもりで電話をとってくれなければ、きっと私は凹んでしまうと思うとダイアルできない。
7時から2時間、作家の城山三郎と奥様の愛を描いた
「そうか きみはもういないのか」(BS hi)
を見ていた。
生真面目すぎるほど意志ある生活をつらぬいた「城山三郎」と、太陽のような存在の容子さん。
城山三郎が、晩年は奥様のことを書き続けたのは有名な話しだけれど、
「老い」について考えるには、まだまだ遠い 自分には関係のないものと読んだことはなかった。
が、この番組をみながら、
二人が老いたあとも、お気に入りの店で待ち合わせデートをし、二人だけの時間を持つ夫婦であったことに
いいようもないうらやましさを感じた。
城山三郎は、自分の人生は彼女によって何倍にも楽しいものになったと言う。
そして、晩年の数年
「私はもう膨大な資料を読んで書くものはやめる
容子のことをゆっくりと 短編をじっくりと書く」
と、記している。
************************
城山三郎と容子さんのような夫婦を見ながら、それが特別に素敵なものだと思っていたが
もしかすると、夫婦っていうものを、わたしはちっとも分かっていないのかも知れない。
父が亡くなったあと、父が生前懇意にしていた出版社から、父の特集をすることになったので、奥様に寄稿していただきたいと、母に話しがきた。
母は、父や私とは真逆の真っ当な人間なので、文章を書くなんてヤクザなことはしないから、私が聞き書きをすることになった。
父は、年間200日も出張にでて、家に帰ってきても、自分の部屋で音楽をきいたり、絵を描いたり、本を読んだりしていたので、
テレビ好きの母とは、さして話しが合っているようにはみえず
父がなくなったあとも、「お父さんは肝心なときにいつも家にいなかった」と、しょっちゅう愚痴るので
決して「仲の良い夫婦」ではなかったはずなのに、
「今でも、遅い時間に玄関のあたりで足音がすると、お父さんが出張から帰ってきたっておもうのよ」と、母が言い、
「ほっとするってこと?」と聞き返すと
「無事だったんだ。よかったと思った」と答えた。
ワイシャツなんかクリーニングにだせばいいじゃんと言っても、まるで意地のように洗い、アイロンでピンピンに伸ばし、
出張から帰るとすぐに、「次は何日なん?」とおこったようにきいて、完璧なほどの出張準備をする姿が、
あてつけているようで、痛々しく思っていた子どものころの思いが、少し変わった。
一緒にいることができない夫婦だったから、母にとっては出張にいっている間の父にできることは、完璧な出張準備しかなかったのかもしれない。
男親のいない留守宅を守りきる女は、言うと言わずと父親の役目も課せられ、きつく口うるさくなってしまうのかも・・・
城山夫婦と、父と母は、ほぼ同じ世代だ。
終戦のとき10代で、大きく変わる日本に生き、高度成長の日本を支えた。
7年先になくなった容子さんと夢の中であい、その中でも、彼女を愛し続ける城山三郎の番組を、
たぶん母もみている。
彼女が、この「家でも、取材の旅先でも いつも仲良しで、待ち合わせてはデートにでかける夫婦」になにを感じただろう・・・
父が亡くなったとき、母が言った
「お父さんは、ものすご寂しがりやから、絶対に私が先に死ぬわけにはいかんかったんよ」
ただ、いるだけでいい・・・
そういうことなんかな・・・
********************

一人で暮らし初めてだいぶたつ。
不便なことはないように思うけれど、
なにも予定のない日、誰からも電話がかからない日、メールの数が極端に少ない日、
電球が切れたとき、大型ごみが運び出せないまま部屋の隅にあるのをみるたび
あと10年したら、こんな生活が毎日続くようになるのかも知れないと思う。
家族との生活に疲れ、一人になりたいのだと相談されるたび
子どもを叱ったり、夫に文句をいったり、わぁわぁいってるころが「家族の華の時間だよ」と言うことにしている。
一人は自由だけれど、それがずっと続いている人間と、途中から断ち切られた人間では、その「孤独感」の重さが違う。
私は、自ら断ち切って生きているのだから、その孤独を受け入れることは、自分で自分に課せたものなのだ。
夕べ、屋根裏で、はつらつやマスターと話しをしているとき
「私は、気軽に電話をして、今すぐ誘えるような友人がいないんだよね」
と、言うと
「それは、自分がかけないからでしょ」
と、笑われた。
いや、ほんとに、私は子どもの頃から、だめで
スタバで資料よみをしているときも、女の子同士が勤め帰りにお茶を飲んでいる風景や、待ち合わせている姿をみるたび
私には、こうやって、なにの躊躇もなく誘い出す相手はいないな・・・と思う。
天に向かってこれだけ毒を吐いていきているのに、どんだけ気弱なんだと、笑われるけれど
電話をかけるのも、相手がそのつもりで電話をとってくれなければ、きっと私は凹んでしまうと思うとダイアルできない。
7時から2時間、作家の城山三郎と奥様の愛を描いた
「そうか きみはもういないのか」(BS hi)
を見ていた。
生真面目すぎるほど意志ある生活をつらぬいた「城山三郎」と、太陽のような存在の容子さん。
城山三郎が、晩年は奥様のことを書き続けたのは有名な話しだけれど、
「老い」について考えるには、まだまだ遠い 自分には関係のないものと読んだことはなかった。
が、この番組をみながら、
二人が老いたあとも、お気に入りの店で待ち合わせデートをし、二人だけの時間を持つ夫婦であったことに
いいようもないうらやましさを感じた。
城山三郎は、自分の人生は彼女によって何倍にも楽しいものになったと言う。
そして、晩年の数年
「私はもう膨大な資料を読んで書くものはやめる
容子のことをゆっくりと 短編をじっくりと書く」
と、記している。
************************
城山三郎と容子さんのような夫婦を見ながら、それが特別に素敵なものだと思っていたが
もしかすると、夫婦っていうものを、わたしはちっとも分かっていないのかも知れない。
父が亡くなったあと、父が生前懇意にしていた出版社から、父の特集をすることになったので、奥様に寄稿していただきたいと、母に話しがきた。
母は、父や私とは真逆の真っ当な人間なので、文章を書くなんてヤクザなことはしないから、私が聞き書きをすることになった。
父は、年間200日も出張にでて、家に帰ってきても、自分の部屋で音楽をきいたり、絵を描いたり、本を読んだりしていたので、
テレビ好きの母とは、さして話しが合っているようにはみえず
父がなくなったあとも、「お父さんは肝心なときにいつも家にいなかった」と、しょっちゅう愚痴るので
決して「仲の良い夫婦」ではなかったはずなのに、
「今でも、遅い時間に玄関のあたりで足音がすると、お父さんが出張から帰ってきたっておもうのよ」と、母が言い、
「ほっとするってこと?」と聞き返すと
「無事だったんだ。よかったと思った」と答えた。
ワイシャツなんかクリーニングにだせばいいじゃんと言っても、まるで意地のように洗い、アイロンでピンピンに伸ばし、
出張から帰るとすぐに、「次は何日なん?」とおこったようにきいて、完璧なほどの出張準備をする姿が、
あてつけているようで、痛々しく思っていた子どものころの思いが、少し変わった。
一緒にいることができない夫婦だったから、母にとっては出張にいっている間の父にできることは、完璧な出張準備しかなかったのかもしれない。
男親のいない留守宅を守りきる女は、言うと言わずと父親の役目も課せられ、きつく口うるさくなってしまうのかも・・・
城山夫婦と、父と母は、ほぼ同じ世代だ。
終戦のとき10代で、大きく変わる日本に生き、高度成長の日本を支えた。
7年先になくなった容子さんと夢の中であい、その中でも、彼女を愛し続ける城山三郎の番組を、
たぶん母もみている。
彼女が、この「家でも、取材の旅先でも いつも仲良しで、待ち合わせてはデートにでかける夫婦」になにを感じただろう・・・
父が亡くなったとき、母が言った
「お父さんは、ものすご寂しがりやから、絶対に私が先に死ぬわけにはいかんかったんよ」
ただ、いるだけでいい・・・
そういうことなんかな・・・
2008年06月28日
2008年06月28日
十川あるきました(^-^)/
今年の漫遊帖は 古高松 前田 十川と 東のラインが充実
本日は十川地区を、黄門様、谷川さん、久保さんと調査あるき。
コミュニティーセンターを出発して 権現商店街へ
谷川さんが ここには牛乳を集める場所があったんですと説明してくれて
昔の商店街の姿を思い出話と語ってくれます。
■商店街でひときわ目を引く「多田荘」


昭和7年に建った建物は、庭も含め贅沢なつくり
元はお医者のお住まいだったところを、御料理屋さんの多田荘さんが譲りうけたのですが
2軒続く玄関は被雲閣を思わせるりっぱさ
庭のとうろうも靴脱ぎ石も素敵です!

急に伺ったのに、いろんなものを見せていただき
雨が降ってはいけないからと傘まで貸していただいて
ありがとうございました。
■いぼ石
村民信仰の場は 石に水をかけ
その水を患部につけて 洗い流すというもの
薬師如来もお祀りされてます
谷川さんの教えてくれたおまじないの呪文が 面白い(笑)
■ビニールハウス

梅園天神さんにいくまえに寄ったビニールハウス。
すごく立派で元気なサボテンが!
サボテンて こんなに綺麗なんだぁ
ほかにも 様々なフルーツが
梨や凸ポンの実のつきかた
ちょっと感動
趣味のビニールハウスとおっしゃいますが
すごいですよ〜
■鰹宇神社
この地区の氏神様
秋には、地区の獅子が7つ
御神輿、ヤッコ、舞もでて賑やかなおまつりがあるそう
こんなに高いところにあるのに鰹とは?という名前の由来や
「落神社」の由来
など結構レアで愉しい場所です
■十河城跡
ここにくれば外せない十河一族のこと
1500年ころの城跡は
確かに城だと実感できる、見晴らしのいい立地
白山 前田山 屋島が 普段とは違う場所にみえてきます
■土居さん

命を失った発動機に 再び命をあたえ 新品よりも快調に動かす
技術王国日本の職人!
80を超えた今も 現役です
歩く前の地図での説明では、まちの様子が浮かび上がって来なかったのですが
歩き出すと むちゃ おもろいやん
ここで生まれ育った谷川さんのガイドは なかなかのもの
地域の方とのコミュニケーションもうまくとれているので
ドンドン打ち合わせもはかどります
このまちは 今はフジグランができて 賑わっていますが
その昔も 近在のまちの人たちがたくさん集まった場所
中心部から30分のまちは、新しい家がたち、若い家族が増え 人口増加で小学校は増設中だとか
昔ながらのお宅と 新しいまちとが 共存する コミュニケーションのとれたまちです。
ちょっと健脚コースながら
飽きさせません
2008年06月28日
ゆめ一座の父



新聞読んでなんもせんお父さんを好演中
の
黄門様w
妻の誕生日忘れるは
客がきても動かんは
頭にくるといきり立つは
娘にいきおくれになるぞ言うは
エエ感じのお父さんになっています(笑)
で 最後は男女参画を理解して
みんなで歌います
なんか かわいいっ!!(笑)
2008年06月28日
ほんま好きやわっ(笑)
石あかりロードのロードマップの中の文章や、コピーや、特集記事を書いていて、昨日は朝までかいて、2時間だけ仮眠をとって「まちあるきの調査」に出かけたんだけど

さすがに、「寝ないこと」が、年々体に応えるようになってきましたな(笑)
※ 写真は、とうとう出来上がった、「むれ石あかりロード」(2008)のちらし。 今年も美しいよ!
****************
■八坂町・出晴駅周辺をガイドしてくれる、高松張り子の乃村さんとの出逢いは、今年の2月だから、まだ数ヶ月しかたっていないのだけれど、思いに共通するとこは多く
昨日は、調査あるきのあと、コース構築のこと以外に友人としてのお話もできて、ゆっくりさせていただきました。
ちょうど獅子の型がたくさん干してあるところで、工房でのお茶は、すごく嬉しい。(こういうところ、大好きなんだよ)
お茶をいただきながら
「私は、間尺に合わないことがあると、「違うと思います!」と前に進み出る癖があって、気が付くと天に向かって喧嘩売っていて、貧乏になっているんだけれど、
納得いかんことに頭を下げてまでお金はいただきたくない、貧乏であることこそが清廉だ!なんて思うので、いつまでたっても貧乏から抜け出せないんです」
てなことを、話すと
乃村さんも、「そこ、よく似ているわ」と笑い、若い頃は自分もそんなところあったよと。
「でもね、るいまま。私、気付いたのよ。ちゃんと お金は稼がないとだめなのよ」
「そうですよね・・・大人なんだし・・・」
そういいながら、乃村さんも私も、やっぱりそこが最も苦手で、今後の問題点。(笑)
■ANNRIちゃんから電話があり、Sさんとお茶しない?とお誘いがあったので、そのあと珈琲哲学へ。
「るいまま 顔がものすごく疲れてますよ。大丈夫?」
と聞かれ、さすがに2時間睡眠ではいかんですな(笑)
いろいろ助言いただいて、ちょっと意外なことも伺い、「そうなのか・・・」とショックではあったけれど、その助言を胸に、今は妙な波にまきこまれないように周りをみわたしながら、仕事を続けようと思います。
■夜は、バンドの稽古の日でしたが、途中になってる原稿をもうちょっと詰めようと「稽古遅れます」とメンバーさんたちにメールをたところに、
「まちあるきについて、話しをしてます。るいままも、来て下さい」
と、電話。
酒の席になりそうな気配だったので(てか、なっていたので)、
1杯でも飲めば運転できないから、前田の稽古場にいけなくなるのはわかっていたのだけれど、
とことん議論しあいたい思いがずっとあり、腹を決めて稽古を休んでそちらへいくことに。
3時間。
「まちあるき」をすることの意味を、360度から考えるような話しをしあい、
「まちかど漫遊帖」ってものを、どう組み立てて行きたいかを話し、
横に繋がっていくことの意味を確認しあい
どう、まちの人たちとの繋がりを作っていくかを語り合い
(・・・って、書くと、むっちゃ立派な会議のようですが、3人とも酔っぱらいです。すみません(笑)
むちゃ飲んでいるのに、一人の飲み代1000円以下の立ち飲みです)
最後に、真顔で
「るいまま。自分が身をひけばいいのだと考えることだけは、しないでください。
自分が公(おおやけ)になっていることを、いなくてはいけないのだということを自覚して進んで欲しいんです」
と、言葉をかけられた。
「僕は、ほかのまちで、まちあるきの話しをするとき、あたまのここに「るいまま」を置いて、「るいまま」になったつもりで話しているんですよ」
・・・・・ありがとうございます・・・・(涙)
その日あつまった3人は、来年の大きな渦を見据えて、「まちあるき」を作っている3人。
どんな波がきたとしても、やり抜かないといけない3人で
今は、その土台を作るために動いている。
闘っているのは、一人ではなく、私の言葉は確実に受け継いでいこうとしてくれている人がいることに、
外見は酔っぱらいながらも、頭は全くのシラフで感激し
「大丈夫だよ! やめないよ!」と誓って
10時すぎ、散会。
「私が支える」「私が責任をもつ」
と、肩に力がはいって、背負いきれなくなりそうなっていた、ここ数日の重荷を下ろした思いで、屋根裏にいって、
子どもが家にかえって外であったことを話すように
今日出逢ったまち「八坂町・出晴駅周辺」のことを、マスターにしゃべりまくり(笑)
(クールダウンというより、家にかえるという感じになってきてるがな。そのうち、放り出されるな(笑))
だんだん上手になってきた店じまいを手伝って(笑) 半空珈琲へ移動。
「うらぎられることがわかっていても、愛することをやめられない」病(やまい)(わたしも一緒やけど)をもつ
映画ヲタクたち(マスター二人ですが)の、レア話しを聞いて、むちゃくちゃ笑い、事務所へ。
************************
人間の一日っていうのは、たぶん、ひとつも無駄なものってなく
人の言葉の端々に、いろんなヒントは隠されていて
なんかあったときは、必ず、自分を救う「言葉」に出逢うんだ。きっと
みんな、ほんま好きやわっ(笑)

さすがに、「寝ないこと」が、年々体に応えるようになってきましたな(笑)
※ 写真は、とうとう出来上がった、「むれ石あかりロード」(2008)のちらし。 今年も美しいよ!
****************
■八坂町・出晴駅周辺をガイドしてくれる、高松張り子の乃村さんとの出逢いは、今年の2月だから、まだ数ヶ月しかたっていないのだけれど、思いに共通するとこは多く
昨日は、調査あるきのあと、コース構築のこと以外に友人としてのお話もできて、ゆっくりさせていただきました。
ちょうど獅子の型がたくさん干してあるところで、工房でのお茶は、すごく嬉しい。(こういうところ、大好きなんだよ)
お茶をいただきながら
「私は、間尺に合わないことがあると、「違うと思います!」と前に進み出る癖があって、気が付くと天に向かって喧嘩売っていて、貧乏になっているんだけれど、
納得いかんことに頭を下げてまでお金はいただきたくない、貧乏であることこそが清廉だ!なんて思うので、いつまでたっても貧乏から抜け出せないんです」
てなことを、話すと
乃村さんも、「そこ、よく似ているわ」と笑い、若い頃は自分もそんなところあったよと。
「でもね、るいまま。私、気付いたのよ。ちゃんと お金は稼がないとだめなのよ」
「そうですよね・・・大人なんだし・・・」
そういいながら、乃村さんも私も、やっぱりそこが最も苦手で、今後の問題点。(笑)
■ANNRIちゃんから電話があり、Sさんとお茶しない?とお誘いがあったので、そのあと珈琲哲学へ。
「るいまま 顔がものすごく疲れてますよ。大丈夫?」
と聞かれ、さすがに2時間睡眠ではいかんですな(笑)
いろいろ助言いただいて、ちょっと意外なことも伺い、「そうなのか・・・」とショックではあったけれど、その助言を胸に、今は妙な波にまきこまれないように周りをみわたしながら、仕事を続けようと思います。
■夜は、バンドの稽古の日でしたが、途中になってる原稿をもうちょっと詰めようと「稽古遅れます」とメンバーさんたちにメールをたところに、
「まちあるきについて、話しをしてます。るいままも、来て下さい」
と、電話。
酒の席になりそうな気配だったので(てか、なっていたので)、
1杯でも飲めば運転できないから、前田の稽古場にいけなくなるのはわかっていたのだけれど、
とことん議論しあいたい思いがずっとあり、腹を決めて稽古を休んでそちらへいくことに。
3時間。
「まちあるき」をすることの意味を、360度から考えるような話しをしあい、
「まちかど漫遊帖」ってものを、どう組み立てて行きたいかを話し、
横に繋がっていくことの意味を確認しあい
どう、まちの人たちとの繋がりを作っていくかを語り合い
(・・・って、書くと、むっちゃ立派な会議のようですが、3人とも酔っぱらいです。すみません(笑)
むちゃ飲んでいるのに、一人の飲み代1000円以下の立ち飲みです)
最後に、真顔で
「るいまま。自分が身をひけばいいのだと考えることだけは、しないでください。
自分が公(おおやけ)になっていることを、いなくてはいけないのだということを自覚して進んで欲しいんです」
と、言葉をかけられた。
「僕は、ほかのまちで、まちあるきの話しをするとき、あたまのここに「るいまま」を置いて、「るいまま」になったつもりで話しているんですよ」
・・・・・ありがとうございます・・・・(涙)
その日あつまった3人は、来年の大きな渦を見据えて、「まちあるき」を作っている3人。
どんな波がきたとしても、やり抜かないといけない3人で
今は、その土台を作るために動いている。
闘っているのは、一人ではなく、私の言葉は確実に受け継いでいこうとしてくれている人がいることに、
外見は酔っぱらいながらも、頭は全くのシラフで感激し
「大丈夫だよ! やめないよ!」と誓って
10時すぎ、散会。
「私が支える」「私が責任をもつ」
と、肩に力がはいって、背負いきれなくなりそうなっていた、ここ数日の重荷を下ろした思いで、屋根裏にいって、
子どもが家にかえって外であったことを話すように
今日出逢ったまち「八坂町・出晴駅周辺」のことを、マスターにしゃべりまくり(笑)
(クールダウンというより、家にかえるという感じになってきてるがな。そのうち、放り出されるな(笑))
だんだん上手になってきた店じまいを手伝って(笑) 半空珈琲へ移動。
「うらぎられることがわかっていても、愛することをやめられない」病(やまい)(わたしも一緒やけど)をもつ
映画ヲタクたち(マスター二人ですが)の、レア話しを聞いて、むちゃくちゃ笑い、事務所へ。
************************
人間の一日っていうのは、たぶん、ひとつも無駄なものってなく
人の言葉の端々に、いろんなヒントは隠されていて
なんかあったときは、必ず、自分を救う「言葉」に出逢うんだ。きっと
みんな、ほんま好きやわっ(笑)
タグ :るいまま
2008年06月27日
むちゃ素敵なまち(八坂・出晴)


伝統工芸 高松張り子の 伝統工芸士 乃村さんが 案内してくれるのは
高松一の繁華街だった出晴駅近辺と 職人たちの暮らした町八坂町
今の瓦町駅裏自転車置き場のあたりには志度にむかう軌道の出晴駅と 長尾にむかう軌道の出晴駅という2つのステーションがありました
電車がつくと溢れるように人が出て、栄筋から街に繰り出します
常盤座や昭和館で映画や芝居をたのしみ 商店街で買い物をし、栄筋のお鮨屋さんや南地食堂で ちょっと贅沢をし また帰っていく
街に出掛ける日は、間違いなくハレの日でした。
電車をおりると 藁草履を下駄に履き替え おしゃれをするのも ここが特別な場所だったから。
藤田馬具店は、香川でたった一つの馬具屋さん
今では 馬具よりも鞄の修理が主流になっているとか
南地食堂の先代ご主人は 戦争からかえったあと片原町のトラヤで修行し 栄筋に店を構えました。
この店の前にある スクーター ラビットは40年以上の年代物ですが 今も現役。

電車の駅が一つにまとまり 人の流れがかわり
まちは何度も姿をかえて行きました。
そんな話をあれこれききながら、南地でオムライスを食べて

そのあとは、乃村さんの工房で 高松張り子のお話をきいて、ツアー当日は張り子づくりも。
密度の高いコースです〜。
楽しみ楽しみ

※お気に入りの、虎ちゃん。 むっちゃかわいい表情です。
2008年06月27日
眠いけど(・ω・)/

朝日を見て6時に布団にはいり 9時起床 るいままです
やることおわりません…
本日 10時30分から
八坂町 出晴駅近辺の調査あるきです
はじめてのまちに
ちょっとワクワクですわ
眠いけどさ(笑)
タグ :るいまま
2008年06月27日
愛すること
月に一度、はつらつと、にぎわいづくりについてのラフミーティングをしています。
今日は、まつ宵や尾崎さんと柴洋でランチをし、
東谷の娘たちや、風船葛のあきよちゃんや、まつ宵が手塩にかけた娘たち(作品)をパリに送り出したあと、遅れ気味でミーティング会場でもある 第2事務所スタバへ。


はつらつと話をしていると、表で、黄門様の声が。

丸亀町の通りをみると、黄門様が、赤い「漫遊帖ベスト」を来て、お客様をご案内中。
(「漫遊帖春編」は終わりましたが、人数があつまり、ガイドさんの都合があえば、番外的に、こうして漫遊帖を催行すること「も」あります。ご連絡下さい)
ご挨拶にでると、「あ、るいままや」という声。ありがとうございます。
漫遊帖のマスコットキャラクター(嘘)として、がんばった甲斐がございます。
が・・・・・、
「楽しんでくださいね」と、ご挨拶して、席にもどって気付いたこと。
本日、ワタクシ、すっぴんでしたorz・・・てか、このところ、ずっとですわ。ああぁ
どこでなにが起こるかわからんのに。ちゃんとせぇよ! るいまま!(w
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で、はつらつとのミーティングのつづき。
夕べ、漫遊帖のみっふぃとも緋色天幕で飲みながら、まちづくり まちあるきについてのミーティングをして、
「手あかのついた旧態依然の方法にしがみつくことや、なんでもかんでも詰め込むことは、もうやめにしようや」てな話しを熱く語り合い、
ただ、あんまり門戸をせばめるのはよくない、広く大きく受け入れる余裕も必要と話したのでした。
けど、その場合、注意しないといけないのは「質を保つ、質を高める」こと。
そのために、全体を見渡す人は必ず必要と、みっふぃ。
その話も頭において
にぎわいづくりを急ぐがあまり、なんでもヨシとなると、結果的に短命なものしか作れないかもしれないと、はつらつに話し
お客様に繰り返しきていただくための方法というのを、あれやこれや。
途中、尾崎さんを送った まつ宵が合流して、まつ宵なりの思いも語ってくれ(ありがとうね まつ宵)、にぎわいづくりと可能性について果てしなくお話を続けたんだけど
問題は、夕べのみっふぃとのミーティングでもでた
どういうことでも、
クリエイティブな部分を受け持つ人と、経済を受け持つ人、ふたつの柱がなければいけないということ。
「こころ」が先走り、「思い」が強すぎる私には、経済というのは、常に頭のいたいこと。
みっふぃが話した
「さぬきの人は、お金があったら貯蓄をし、 阿波の人は、そのお金で儲けることをかんがえるんですよ」
の、どちらにも私は当てはまらず、たぶん、どこかよその星の子です。(涙)
それはさておき(置いてはいかん話しなのだが・・・w)
にぎわうっていうのが、新しい人が次々くることもあれば、同じ人が何度も来たくなる仕掛けというのもあって
私は、私なりの方法として
まずは、同じ人が何度もきたくなるものをつくりたいと思い、それは
「モノではなく、人に会いにくる」という方法を提唱中 (それが絶対というのではなくね)。
漫遊帖は、そういうみなさんによって支えられているし
石あかり月あかりライブも、そういったみなさんが、新しいみなさんを連れてきてくださっているのです。
お金も人脈もないものにとっては、それが一番確実で、今日、出逢ったみなさんが財産かも。
だから、クチコミ万歳でございます。
クチコミを軽くみてはいかんし、クチコミこそが、実は真実を一番含む情報だったり・・・
なので、ひとつひとつのことが、手抜きのないようにせなと思うわけです。
さきほど、はつらつから、今日のラフミーティングのリポートが届き、
「熱く愛する情熱が るいままの凄さちゃうかな」
と、ありがたい言葉をいただいたのですが、この「愛する」が、手を広げすぎると薄くなりそうで、一番恐いことですな。
マロンが「アイスルコトノコウノウトヘイガイ」を、書いていましたが
私はたぶん、愛する方向が「まち」やら「ひと」やら妙なところにむいていているため、「コイビトには、ただひたすら愛されたい」と思う自分勝手なやつです。
今、いちばん欲しいモノは・・・安定です(w
そんなこんなで、仕事しますわな。
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7月6日の、徳成寺七夕寄席の 高座について
180×90×75 で、いきますね。・・・って、誰にいってんだか(w



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