2009年05月31日
面談終了〜疲れた〜

さてさて、秋の漫遊帖新コースの個別面談終了
いやぁ 休みなしで6組
しんど〜
でも、ええ感じのコースが目白押しですよ〜
さて このあと 各コースのまち歩き構築がはじまり、6月下旬からは ワタクシのコピーをかくためのコース確認歩きが毎日はじまりまする
あと何年 真夏のまち歩きができるか、プロデューサーだけに特化できんもんか
いろいろ考えますわな
2009年05月30日
帽子を買いに〜




杜のとなりで 念願の帽子ゲット!
内側まで、素敵!
日除け防止一番で買うつもりが どうしても欲しい子にであったので、この子連れて帰ります(笑)
つばの広い紫に緑のリボンは 杜のとなりさんが
「今日のお洋服にぴったり」
と、探してくれたもの(笑)
今日のは 相当きわどい色合わせなので それはまたの機会に〜
帽子展も明日まで。
今新町たかす東「杜のとなり」
2009年05月30日
森かおりさん

写真の彼女は、昨日まで 今新町ギャラリーenで作品展をしていた 森かおりちゃん 26歳。
偉大なる26歳でございました。
16でニュージーランドに単身渡り、絵と心理学を学び、今年からロンドン大学の大学院に行きます。
こうした、プロフィールは、正直とてもナンセンスではあるんですが、とりあえず紹介しないと、次に話がすすまないので(笑)
彼女の絵は、額縁もなく号数もきまっておらず、縦横も、素材も、すべてが彼女の思いのままに作られ
思いのままと書けば、彼女の中で完結するととられがちですが、
実は、人や場所によって、すべては自由に言葉を発する絵です。
対話する絵と、説明されていました。
キャンバスの中は、絵と簡単に読んで良いのだろうかと考える素材がたくさん使われていますから、
絵と呼ばず、「森かおりの生み出すもの」
と、言うべきかも知れません。
ロンドン大学の大学院のための入学審査には、それまでの学問の経歴はもちろん、
彼女自身の「人生」も審査対象にあるときき
「26歳の人生!」と、思いましたが
そちらが重視されているというところが、精神性の成熟を大事にする国柄を感じます。
彼女は善通寺でうまれ、丸亀の高校から16のときにニュージーランドに渡り、自分の表現方法と、存在をみつけ、
それをまっとうするために必要な「大人」としての技術も、思考も育ててきたことを、
ギャラリーenのHさんさんから伺い
たしかに、見た目は、若くて可愛いお嬢さんなのに、今新町の杜で、彼女がHさんと話している姿は、
しっかりした根と幹をもつ「女性」だったなと、この写真をみながら思いだしています。
2009年05月30日
2009年05月30日
秘宝





普段はみられない後藤太平の茶具いれ
美術館に一つしかない。
大正2年作
東の後藤(太平)
西の後藤(後藤盆)
これだけのくり抜きはむずかしい
この継ぎは デザインもあり 実際、継いでいるのもある
美術館が日銀あとにでき21年
1階にある日銀の石門あとあり
栗林公園にあった前美術館は 昭和24年似合った観光博のための建物でできていた
2009年05月30日
2009年05月30日
2009年05月30日
2009年05月29日
まちづくりは職業として成り立つか?
朝から、香川大学のN先生・H先生・I先生とうち合わせ会議。
久々の香川大学。
前に通っていたときは、I先生の研究室が新館にお引っ越しの時期で、今日はそのあたらしい教授棟。
I先生から、「いやぁ、るいままにお礼言わなくちゃ! るいままの紹介してくれた弁天餅、絶品。もう はまってます」

おおっ! よかったです。
私も、現時点で私が知る情報内では、味・大きさとも弁天餅は群を抜いております!
「また、まちあるきでみつけたら、教えてね」
もちろんでございます! I先生も、新情報教えてくださいましね!
******************
てなお話をしているとき、ホワイトボードに議題を書いている若い方がいて、よく動く学生さんだ
・・・と思っていたら、この方がN先生(すみません)
本日は、黄門さま・るいままと、先生たちで、ざっくばらんに大学とまちあるきが協力しあえることはないか情報交換もかねた会議です。
■N先生
高松にいらして間のないN先生が、学生たちと一緒に自らまちをあるいて感じたままの仮説をたて、聞き取り調査で裏付けをとっていく
地道な課外活動について話してくださり
「ぼくのやっていることは、直接、まちあるきと繋がらないかも知れないのですが」と、控えめにおっしゃるので
いや、それがまちあるきの基本です! と、お話し。
今、コースを構築されている、まちあるきチームのみなさんが、独自のまちあるきコースを作るときも、
とにかく、まちに興味をもち、妄想をふくらませ、あるいてあるいて、聞き取りをし、また妄想をふくらませ、
小学生のころにみんなやった
「まちのおじさんに聞いてみよう!」
と同じ方法ですすめているわけですから、
それなくして「まちあるき」のコース構築なんかできっこないですから。
ゼミ生になるまえの2年生をつれて、N先生がやってくださっていることが、彼らが次の段階にはいるとき、必ず役にたちます!
■H先生
H先生は、私が、今、プロデュースでかかわっている塩江時遊びの舞台「しおのえセカンドステージ」のある上西地区で、エコツーリズムの活動をしておられて
N先生が街中の路地裏派であれば、H先生は山間村・島など自然派
これまた、何かのご縁でございますな! ってことで、さまざまな活動や、先生の考えをうかがう。
歩く、見る、感じる、考えるという「まちあるきの基本ライン」は、漫遊帖だけではなく、
塩江時遊びとも、石あかり月あかりライブとも、もっと広義の「るいままとしての活動」とも繋がってくるので
何かコラボできないか一度ゆっくりお話しすることに。
■誤解
一般的に、「まちづくり系」の人たちは、横の繋がりが密にあって、協力して活動していると思われがち>だけれど
実はそれぞれの活動をめいっぱいやっていると、外にまででかけるのは難しく(忙しいからね)
なかなか横同士の繋がりというものはありません。
私も、上西地区にはいったときに、地元でもある「奥塩江」のみなさんが、自ら企画を発信し、活動報告をつづけている姿を、あしたさぬきのブログでみつけ、
おおっ! 地道にいろんなことやってらっしゃるじゃないか!!
と、思ったものの、実際にはコンタクトをとれていなかったりするわけで(内気やからね)
だから、H先生とのお話で、小さいながら橋をみつけたような思いになっています。
■学生たちとの関わり方
はてさて、こうした、まちづくりと大学と漫遊帖の関わり方のようなお話のあと
学生達とまちづくりの関わり方についての話になり
香川の「まちづくり」が職業としては成り立たない現状についてのお話。
特に、今のような不況下では、夢を語る前に資格を取ろうと、学生が考えるのは当然のことで、
「まちづくり」を仕事としてやりたいと思っても、生活が成り立つだけの収入を得られる受け入れ先がなく、
結局、やりたければボランティアか行政になってしまうのですな。
「かといって行政にはいっても、思いとは別部署になってしまう現実」を考えると、どう学生たちに関わってもらうか・・・
あまりに熱心になったとき、将来のために、のめり込み過ぎないでとブレーキをかけないといけないのか?
いやいや、まちづくりというのは、経済的には難しくても
若い頃のある時期、「自分が暮らす地域」を考えたという時間が、大きな財産になるのは間違いなく
ブレーキはかけたくないな・・・
■現実は厳しい
私は、飽きるだけサラリーマン稼業も経験し、るいちゃさんも育て上げ 今、自分一人が食べて行ければいい身の上だから、
こうした、明日をもしれないアドベンチャーな生活もできるけれど、
就職したら、結婚もしよう、子どもも作ろう、家族の家を建てよう
なんて普通のことが、「まちづくり」だけにかかわっていてはできないことを・・・賢い学生たちは知っている・・はず。
この間、塩江で堀越さんが、
「私たちのような仕事は、純粋に時給換算したら、たぶん、時給3000円とかよね」
と話され、
「だとすると、私は、たぶん 100円以下の世界です(笑)」
と、笑ったけれど、それが現実。
来て欲しい、やって欲しい、プランが欲しいと望まれる場所は山ほどあっても、
「それが、るいままのお仕事」という認知が、相手にはないですからね。(笑)
■現実事例
今日も今日とて、大学をでたあと、ご飯も食べずに、次の会議に出向いたわけだけれど
「何かしたい。一緒に考えてほしい」と、いう人たちに対して、
こういう方法がありますね。
こういう人がいますね。
こういう人たちとなら、こういう風にやっていけますよね
私なら、こう組み立てます。こう描きます。
と、お話しし、
「それ、いいですね!」
と、お相手に大いにお喜びになっていただきましたが、結局、それから仕事に繋がることは100%なく(笑)
実際、お金に換算できるはずの「書く仕事」は、コンペに勝った別の企業が持っていってしまうわけで
「るいまま、ありがとう 助かったわ~」
の言葉に、「はいはい、どうも」と笑って過ごせるようにならねば、やっていけませんよ。きっと。
■なぜ、続けるか
それでも やっぱり、この生活を続けていくのは
「自分にとって、やりたいことはなにか?」を、生活の中心に置いて暮らしたいからで、
残された人生、時給いくらの換算よりも、どれだけの夢を実現できたかだなと、青臭いところにいるからでございますな。
私は活動家ではないので、「まちづくりをしています」=「社会貢献をしています」という意識は皆無です。
まちを歩くことで、遠大なる取材活動をしており、今、そこに私が行くことによって何かが始まるというなら行きます
・・・ってことです。
ただ、任されたことはやり遂げないといけないし
責任もって出来ることには限界があるし
体はひとつなので
10年前、心が動くものはすべてやりますといっていたときとは、違ってきているのも事実です。
ま、私自身が、もあもあなわけわからん慣例や現実を乗り越えて、
これを職業として成り立たせることも、一つの挑戦ではありますわな。(笑)
久々の香川大学。
前に通っていたときは、I先生の研究室が新館にお引っ越しの時期で、今日はそのあたらしい教授棟。
I先生から、「いやぁ、るいままにお礼言わなくちゃ! るいままの紹介してくれた弁天餅、絶品。もう はまってます」

おおっ! よかったです。
私も、現時点で私が知る情報内では、味・大きさとも弁天餅は群を抜いております!
「また、まちあるきでみつけたら、教えてね」
もちろんでございます! I先生も、新情報教えてくださいましね!
******************
てなお話をしているとき、ホワイトボードに議題を書いている若い方がいて、よく動く学生さんだ
・・・と思っていたら、この方がN先生(すみません)
本日は、黄門さま・るいままと、先生たちで、ざっくばらんに大学とまちあるきが協力しあえることはないか情報交換もかねた会議です。
■N先生
高松にいらして間のないN先生が、学生たちと一緒に自らまちをあるいて感じたままの仮説をたて、聞き取り調査で裏付けをとっていく
地道な課外活動について話してくださり
「ぼくのやっていることは、直接、まちあるきと繋がらないかも知れないのですが」と、控えめにおっしゃるので
いや、それがまちあるきの基本です! と、お話し。
今、コースを構築されている、まちあるきチームのみなさんが、独自のまちあるきコースを作るときも、
とにかく、まちに興味をもち、妄想をふくらませ、あるいてあるいて、聞き取りをし、また妄想をふくらませ、
小学生のころにみんなやった
「まちのおじさんに聞いてみよう!」
と同じ方法ですすめているわけですから、
それなくして「まちあるき」のコース構築なんかできっこないですから。
ゼミ生になるまえの2年生をつれて、N先生がやってくださっていることが、彼らが次の段階にはいるとき、必ず役にたちます!
■H先生
H先生は、私が、今、プロデュースでかかわっている塩江時遊びの舞台「しおのえセカンドステージ」のある上西地区で、エコツーリズムの活動をしておられて
N先生が街中の路地裏派であれば、H先生は山間村・島など自然派
これまた、何かのご縁でございますな! ってことで、さまざまな活動や、先生の考えをうかがう。
歩く、見る、感じる、考えるという「まちあるきの基本ライン」は、漫遊帖だけではなく、
塩江時遊びとも、石あかり月あかりライブとも、もっと広義の「るいままとしての活動」とも繋がってくるので
何かコラボできないか一度ゆっくりお話しすることに。
■誤解
一般的に、「まちづくり系」の人たちは、横の繋がりが密にあって、協力して活動していると思われがち>だけれど
実はそれぞれの活動をめいっぱいやっていると、外にまででかけるのは難しく(忙しいからね)
なかなか横同士の繋がりというものはありません。
私も、上西地区にはいったときに、地元でもある「奥塩江」のみなさんが、自ら企画を発信し、活動報告をつづけている姿を、あしたさぬきのブログでみつけ、
おおっ! 地道にいろんなことやってらっしゃるじゃないか!!
と、思ったものの、実際にはコンタクトをとれていなかったりするわけで(内気やからね)
だから、H先生とのお話で、小さいながら橋をみつけたような思いになっています。
■学生たちとの関わり方
はてさて、こうした、まちづくりと大学と漫遊帖の関わり方のようなお話のあと
学生達とまちづくりの関わり方についての話になり
香川の「まちづくり」が職業としては成り立たない現状についてのお話。
特に、今のような不況下では、夢を語る前に資格を取ろうと、学生が考えるのは当然のことで、
「まちづくり」を仕事としてやりたいと思っても、生活が成り立つだけの収入を得られる受け入れ先がなく、
結局、やりたければボランティアか行政になってしまうのですな。
「かといって行政にはいっても、思いとは別部署になってしまう現実」を考えると、どう学生たちに関わってもらうか・・・
あまりに熱心になったとき、将来のために、のめり込み過ぎないでとブレーキをかけないといけないのか?
いやいや、まちづくりというのは、経済的には難しくても
若い頃のある時期、「自分が暮らす地域」を考えたという時間が、大きな財産になるのは間違いなく
ブレーキはかけたくないな・・・
■現実は厳しい
私は、飽きるだけサラリーマン稼業も経験し、るいちゃさんも育て上げ 今、自分一人が食べて行ければいい身の上だから、
こうした、明日をもしれないアドベンチャーな生活もできるけれど、
就職したら、結婚もしよう、子どもも作ろう、家族の家を建てよう
なんて普通のことが、「まちづくり」だけにかかわっていてはできないことを・・・賢い学生たちは知っている・・はず。
この間、塩江で堀越さんが、
「私たちのような仕事は、純粋に時給換算したら、たぶん、時給3000円とかよね」
と話され、
「だとすると、私は、たぶん 100円以下の世界です(笑)」
と、笑ったけれど、それが現実。
来て欲しい、やって欲しい、プランが欲しいと望まれる場所は山ほどあっても、
「それが、るいままのお仕事」という認知が、相手にはないですからね。(笑)
■現実事例
今日も今日とて、大学をでたあと、ご飯も食べずに、次の会議に出向いたわけだけれど
「何かしたい。一緒に考えてほしい」と、いう人たちに対して、
こういう方法がありますね。
こういう人がいますね。
こういう人たちとなら、こういう風にやっていけますよね
私なら、こう組み立てます。こう描きます。
と、お話しし、
「それ、いいですね!」
と、お相手に大いにお喜びになっていただきましたが、結局、それから仕事に繋がることは100%なく(笑)
実際、お金に換算できるはずの「書く仕事」は、コンペに勝った別の企業が持っていってしまうわけで
「るいまま、ありがとう 助かったわ~」
の言葉に、「はいはい、どうも」と笑って過ごせるようにならねば、やっていけませんよ。きっと。
■なぜ、続けるか
それでも やっぱり、この生活を続けていくのは
「自分にとって、やりたいことはなにか?」を、生活の中心に置いて暮らしたいからで、
残された人生、時給いくらの換算よりも、どれだけの夢を実現できたかだなと、青臭いところにいるからでございますな。
私は活動家ではないので、「まちづくりをしています」=「社会貢献をしています」という意識は皆無です。
まちを歩くことで、遠大なる取材活動をしており、今、そこに私が行くことによって何かが始まるというなら行きます
・・・ってことです。
ただ、任されたことはやり遂げないといけないし
責任もって出来ることには限界があるし
体はひとつなので
10年前、心が動くものはすべてやりますといっていたときとは、違ってきているのも事実です。
ま、私自身が、もあもあなわけわからん慣例や現実を乗り越えて、
これを職業として成り立たせることも、一つの挑戦ではありますわな。(笑)