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2023年08月30日

春日家みっち 18年!



広報 高松 9月号の裏表紙は、春日家みっち。

みっちが落語塾に現れて18年。ミニスカートで自転車に乗って遠いところからきていたのも今は昔。

一期生は、いまも活躍してる子が多い。嬉しいね。

枝鶴師匠、こわいけど愛があるからな。師匠にお願いして良かった。





  
Posted by るいまま at 10:32Comments(0)■落語るいまま組

2022年09月04日

讃岐乃音子追善落語会 無事終了しました



#讃岐乃音子追善落語会 無事終了しました。たくさんのご来場、お心遣いありがとうございました。

みなさん、よく笑っていただき、塾生も乗りに乗って、ほんとに良い落語会となりました。

笑福亭枝鶴 師匠は、最初も最後もずっと玄関に立ち、お客様にお声がけくださり、枝鶴師匠の塾生でもあり大ファンでもあった音子さんは、どんなに嬉しかったかわかりません。ありがとうございました!



音子さん、よかったね!




久々 笑福亭枝鶴 師匠と!

落語塾が始まったのが2006年。まだ40代だった 私たち。若かったなぁといいあう。


■笑福亭枝鶴師匠の
第39回「にちよう寄席」のご案内。



日時 11月13日(日) 17:00

会場 百間町 料亭 ニ蝶

木戸銭 2500円 (前売 2000円)

お申込 070-8427-2941

第38回にちよう寄席は、9月11日(日)です。


…………

#讃岐乃音子追善落語会





べっぴん #泡乃家ほっぷ の名調子からはじまりました。
音子さんが最後のお稽古でやりたがっていた「トクさん、トメさん」



想呂家笑志 「たけのこ」





お稽古のときの音子さんのさりげない気遣いやら、優しいけど的をえた意見をくれるひとやったとお話してからはじまりました。

今日のお茶子は、扇亭かしぽん





笑皆亭凡々 「妻の旅行」





愛媛県から参加。生きてるうちにやりたいことはやっておきましょ。少々ひとに迷惑かけても(笑)と、場を盛り上げてから始まりました。



笑福亭枝鶴 師匠のお楽しみは「孝行糖」でした。







これは自分のネタではないが、今日はどうしても孝行糖をすると言われていたのは、これは音子さんがお稽古されたネタだったということが まくらでわかる。

やっぱり師匠やなと思う。

音子さんが、このネタ好きなんわかるわ〜


(中入り)


家造亭艶九 「お血脈」





艶九といえば歌入り落語。そのきっかけとなったのは音楽家でもある音子さんに褒められてしまったからと話して 迷曲「わたしの横腹」を一曲うたってから始まる(笑)



春日家みっち 「桃太郎」







このネタは、落語塾がはじまって、一番最初の落語会で音子さんがやったネタ。音子さんの柔らかい桃太郎は、そこはかとなくおもしろかったなぁ。



落語会 準備の様子。






















  
Posted by るいまま at 11:56Comments(0)■落語るいまま組

2022年08月14日

それぞれのリハビリで


【凱風快晴】

8/14 goodmorning

6代目円楽が高座に帰ってきたニュースを見た。

国立演芸場の北斎の赤富士「凱風快晴」が上がると円楽がいるという演出は華々しいが、



円楽さんは出囃子のなか高座に上がりたかっただろうなと思っていたら、やはり歩いて高座にあがり歩いて高座をおりたいと話していた。

ニュース映像になっていたまくらのあたりは心配になるくらい泣いていたが、



高座(猫の皿)が終わってからのインタビューの顔つきは晴れ晴れとしてキュッとしまっていたので、



やっぱり落語家さんは落語で復活していくんだなと感じた。



今日は、一週間ぶりに老人90に会う。

こちらは落語家じゃないけど、ひとりでいるとぼんやりした顔つきになるので、鬼娘との丁々発止は1つのリハビリ(笑)



ところで「赤富士」は夏の季語。それも晩夏から秋にかけてで、まさにいま。

国立演芸場の緞帳が「凱風快晴」になったのは2009年で、その前は箱根の急峻だったよう。

緞帳について読んでいたら、へーと思う記事があったので貼り付けておく。

江戸時代は、歌舞伎にしか引幕は許されていなかったのね。

■"日本の舞台を彩る幕「緞帳」 | September 2020 | Highlighting Japan" https://www.gov-online.go.jp/eng/publicity/book/hlj/html/202009/202009_03_jp.html




では、あさごはん








  
Posted by るいまま at 10:25Comments(0)■落語■お茶をのみながら

2021年08月12日

遅ればせながら「昭和元禄落語心中」



8/12 goodmorning 【時代】

昨夜、NHKオンデマンドで一気に見終えた「昭和元禄落語心中」。




一気に見ると、八代目八雲を演じた岡田将生が、年代を追って変化させる背中や視線がゾクゾクするくらいよかったよ。

勢いと影を演じ分ける山崎育三郎や、竜星涼の啖呵売の動の演技も良かったけど、

岡田将生の与太が助六で真打ちになりたいと言ったときの表情や、ヤクザの親分に与太が啖呵売をまくしたとき隣の部屋にいたときの八雲の細かな表情がいい。

養女小夏と八代目八雲の関係や、二代目助六と八代目八雲のみよ吉の関係は、

私は「私の男」や「あ うん」に引っ張られながら見たけれど、落語好きなら落語に重ねながら楽しんだんだろうね。

八雲、助六、与太のモデルは、助六は五代目古今亭志ん生、八雲は八代目桂文楽、与太郎は三代目古今亭志ん朝と書く人がいたけれど、

wikiを見たら、あまり重なるような気がせず、むしろこの時代の落語家さんすべての中から生まれたひとたちなんでしょうね。



落語家さんを贔屓にしてお座敷に呼ぶ上客さん(パトロン)は、お金持ちや実業家、親分さんも当たり前だった時代。

そんな時代だから、破天荒や冷徹や侠気も物語になるけれど、みんなお行儀よくなり、そのぶん陰にかたよるいまが、果たして文化的で健全な社会とよべるかどうか、考えてしまうね。



とても面白かったけれど、やっぱり着物っていうのは、どんなに姿のいいひとよりも、着慣れているというのが一番。

ほんものの落語家さんたちが着物を着こなす姿はさすがのもんだと思う400分でございました。





昨夜の快眠落語は、三代目古今亭志ん朝。

では、朝の珈琲。








  
Posted by るいまま at 11:34Comments(0)■落語■お茶をのみながら

2021年08月11日

今日は「死神」の三遊亭圓朝忌。




8/11 goodmorning 【三遊亭圓朝】

今日は三遊亭圓朝忌。




近代落語の基を作ったひとと言われ、古典落語以外にも、オペラや文学、歌舞伎にも通じ、

今も語られる新作落語(明治に書かれた落語は、もう新作とは言わないらしいのだけど)を多く書いている。

最近、米津玄師が影響をうけたと話題になった落語「死神」も、三遊亭圓朝がグリム童話「死神の名付け親」の翻訳から作った落語。

流れをくむ、三遊亭圓生の「死神」を貼り付けとくよ。

https://youtu.be/0Ecdhz-6GH4


口語体、文語体という話になるとややこしいので、また書くとして、

二葉亭四迷が「浮雲」を書く際、圓朝の落語口演筆記を参考にしたとされ、明治の言文一致運動にも大きな影響を及ぼしたとあるので、

このひとの才は尋常のものではなく「大圓朝」と表記されるのもわかる。

もちろん、そうなれば、当時の文化人の集まりであった茶の湯にも名前はでてくるわけで、井上薫や大茶人 益田鈍翁との交流もあった。



私は、落語にすごく詳しいわけではないけれど、圓朝の残した功績は、2009年に谷中を歩いたとき、圓朝のお墓がある谷中 全生庵でお年寄りから聞いた。

記録魔は、ちゃんとそのときのメモを残している(笑)

圓朝のお墓「三遊亭円朝無舌居士」の文字は山岡鉄舟の筆であるというのも、このとき教えてもらった。

8/11の圓朝忌は、元々は、圓朝を愛するひとたちが個々に静かに悼んでいたようだが、

時代の流れで、何万人もひとが集まるイベントとなり、私が谷中を訪ねた頃は、谷中の圓朝まつり華やかなる頃だったようで、

お年寄りから「そりゃ楽しいから、夏にまたおいで」と言われたのを覚えている。

さきほど調べると、ひとが集まるイベントは2012年に終わり、いまはまた静かに圓朝さんを思う圓朝忌になっているよう。

2012年ということで、その意味は深い。





■るいままとしての365日 2009.11.8 谷中まちあるきメモ

https://ruimama.ashita-sanuki.jp/d2009-11-08.html

では、朝の珈琲。






  
Posted by るいまま at 10:06Comments(0)■落語■お茶をのみながら

2021年07月24日

おでん ことこと 右から左まで制覇(笑)




【ことこと】

ジャー・パンファンコンサートのあと、ひさびさ 藤塚町 #ことこと。

ご近所さんなのでママとはよく会うのに、コロナでお休みが続いたりしているうちにご無沙汰。

るいままのところから着物着た子がよくでてきてるけど、落語してるん?と聞かれ、

最近は盆点前ガールズって茶の湯クラブしてるんですと話す。

笑福亭枝鶴師匠が、まだ小つるさんだった頃、るいまま組事務所で落語塾をしてくださっていて、あの頃は、ことことにはよくお世話になりました。


ひさびさなので、3人で右から左まで全制覇(笑)

タクシーに乗りそうになる茶人と、うちらに付き合い容量オーバーとなったyokoちゃんとで、ことでん栗林公園駅まで夜さんぽ。

茶人を見送り、ますます膨らんだ月を見ながら夜さんぽ。









  

2021年06月13日

桂雀三郎師匠の「寝床」をきく


【桂雀三郎師匠】

レクザムホールから穴吹学園ホールまでが、ほぼ一本道で、その上とても空いていて移動もスムーズで良かったよ。

数分で元テルサ 穴吹学園ホールに到着。

ちょうど中入りながら、すでに受付はおしまいされていたので、みっちから聞いていた指定席に座ると、

ややとうのたったお茶子がめくりをめくりに出てきて、大トリ「桂雀三郎」のお名前が。

鶴橋の雀三郎師匠の小屋 雀のお宿を訪ねたのは何年前になるんだ?なんて思う間もなく、出囃子がなり 雀三郎師匠登場!



今日のネタは「寝床」。



下手の横好きくらいはた迷惑なものはなく、それが大店の旦那 長屋の大家となると断るほうも一苦労(笑)

けどま、日本人てのは実は断り上手やったやんな。ああいやこういう店子たちの言い訳は、一応 筋も通っている。政治家さんも落語で学べばよいのに(笑)

雀三郎師匠らしい動きの大きな爆笑ネタで、マスクがなければ会場が揺れるくらい笑いが起きたはず。ほんとにコロナはめんどくさいわ。


笑いに笑って、チケット代を払うべくみっちを探していたら、係の方が声をかけてくれて、無事支払い(笑)


直島の、福島節ファミリーにも久々に会い、お嬢ちゃんの渚ちゃんがすごく大きくなっていてびっくり。cobaで初めて福島節さんの歌を聴いて以来、まきさん、節さん、渚ちゃんの動きはいつも気になってる。

みっちの貧乏神のネタのとき、マクラに出てくる(今や実業家)のみっちの弟さんが、福島ファミリーとも、佐々木良くんとも縁が深いときいて、世の中ってほんと狭いなぁと思うよ。



とうのたったお茶子と来場記念のお写真を撮っておいとま。




雀三郎師匠の名曲、焼肉焼肉食べホーダイ♪と歌いながら帰宅!

(正しくは、焼肉バイキングで食べホーダイ)

次回は、雀太と来てくださいね〜


ネタを終えた師匠




福島ファミリーと みっち



  
Posted by るいまま at 18:19Comments(0)■落語るいまま組

2021年04月23日

常磐街 常磐茶寮 解体されるんだね。





【桃山の間】

常磐街 #常磐茶寮 がだいぶ前から営業をやすんでいたのはしっていたのだが、このたび取り壊しが決まったことを、山下さんのfacebookで知った。

常磐茶寮と言えば 名人 漆芸家明石朴景と「うるみ会」によって作られた総漆の壁画。

この度の解体前に、どこかに移された模様で、むざむざと解体され産廃となったわけではなかったことにホッとし、また、どこかで誰かに愛されていますようにと願うばかり。


2011年4月、#春日家みっち が、常磐街 常磐茶寮 桃山の間で生誕記念落語会をすると言い出し、打ち合わせにいったときや本番のお写真がでてきた。

これを見て、物怖じせずに「ここで落語会したいんです」と言った、当日50歳のみっちにブラボー。もっと写真とっておけば良かった。

まさか、10年後に無くなるとは誰も思わなかったよね。

















山下誠さんのfacebookから…………………

常盤本館 漆壁画

かつての名門料亭「常盤本館」の解体工事が始まりました。
この建物の中で一番重要な場所「桃山の間」には、漆による大壁画がありました。
栗林公園の松並木をモチーフにした壮大な漆絵。床の間の対面に、常盤松を彫漆、存清、きんま、蒔絵などあらゆる技法を屈指して仕上げ、松の樹間には、蓮、菖蒲、推薦、アジサイなどが咲き乱れ、その上を彫金による56匹の蝶が舞います。右側面には竹、左側面には梅、左側面奥には松平家の御座船が描かれていました。

この作品は、常盤街を作り上げた実業家溝渕氏の依頼で、漆芸家明石朴景の指導のもと、彼の所属する「うるみ会」の仲間たちによって、昭和33年に制作されたもの。

明石氏は、1992年に高松市美術館で開かれた「明石朴景展」の図録の中のインタビューで次のように語っています。
「溝渕っつぁんいう人は、あの人はやっぱり太っ腹な人だった。あれ、制作しよる間、いっぺんも見に来んのや。金は、いうたら全部新聞紙に包んで、あそこの若い衆が持ってくる。何十万かの金をね。ほやけど、仕事しょうる間は何も見ず、全然どんなもんが出来よんか、こんなもんが出来よんか、あれだけのもん、しょうるわりには、あらー大変なもんです。
ふんだんに漆使うしね、金粉はふんだんに使うしね。あの漆が高い時にね、ええ漆使いました。日本産のね。
だからあの仕事くらい気もちようできたん無いかな。思うままに。」

情報によると、大壁画は、解体業者が入る前に、既に取り外されていたとのこと。
香川漆芸の昭和の歴史を飾った大きな遺産。
どこかに旅立ったようです。  
Posted by るいまま at 12:56Comments(0)■落語■るいままの漫遊帖

2021年04月11日

鬼背参り 愛情にあぐらをかかないでね。




【鬼背参り】

昨日、#春日家みっち できいた 落語「鬼背参り」を柳家喬太郎できく。

この落語は、夢枕獏が柳家喬太郎のために書き下ろしたもので、喬太郎師匠が本家。

その凄みや若旦那のダメっぷりはさすがのものだが、みっちが演じた おみつの切なさは女性ならではのもの。



でてくるのは四方吉、おみつ、幇間(陰陽師)の3人。

放蕩者の若旦那 四方吉は、おみつという女がいながら、おしずと駆け落ちするが、結局、おしずには逃げられ、なにもかも無くして江戸に戻ってくる。

馴染みの幇間に、おみつの行方をきくと、彼女は四方吉を探しもとめ、ついには亡くなったという。だが、その亡骸は荼毘に付そうとするたびに消えて、次々と奇妙なことが起こり、ついに、おみつは鬼になったと言う。

四方吉は、彼の非道な態度も放蕩も許すおみつの一途さを鬱陶しく思っていたのだと言うが、それは勝手な言い分。幇間は、鬼になったおみつを成仏させてやるための方法は、陰陽師に頼むしかなかろうと言う。

四方吉は、おみつを気味悪がり、またもおみつから逃げようとするが、陰陽師となった幇間にさとされ、ようやくおみつと向き合うことになった。

そこには、四方吉にどんなに足蹴にされても、四方吉を愛し、四方吉からもらった安い櫛を大事にする女の真心があり、ようやく四方吉はおみつへの愛に気づくのだが…




日本には、伝統的な考えとして、男は不器用で愛情表現が下手であるほうが誠実という幻想がある。

そういうひともいるとは思うが、愛されることが当たり前になりすぎると、相手の愛にあぐらをかいてしまう男は多い。

女もそこをわかってやれと思うだろうが、なかなかそうはいかず、あぐらをかきっぱなしの男は、しらずしらずのうちに愛想をつかされ、いよいよとなって「なぜだ!」と思っても、時すでに遅し。

神様は、ちゃんとみてるのさ。

眼の前の当たり前のしあわせを、ないがしろにしちゃだめってことだよ。



ただ、いまは、男女関係なく、両者の愛情バランスが崩れると、度が過ぎてストーカー行為に走る場合もあり、それを愛情と履き違えるひともいるので、要注意。

この現代落語の舞台を、現代ではなく江戸にしたのも、そんな社会背景があってのことかもしれないね。



てなことを思う午後。


おやつに、昨日の振る舞いのお餅をいただく。

草薙さんの萩焼のカップ使ってみました。ありがとうございます。





  
Posted by るいまま at 16:10Comments(0)■落語■お茶をのみながら

2021年04月10日

春日家みっち還暦de落語会 無事終了


【ただいまー】

春日家みっち還暦de落語会、無事終了。







みっちの「鬼背参り」初めて聞きましたが、メモをとっていてもなかなか難解。

よくぞ、こんな難しい話をやったなぁと思うけれど、この女の一途さは、みっちならでは。夢枕獏の作らしく陰陽師もでてきて、摩訶不思議な世界。



衣装のワンピースで行ったのは失敗。寒かったぁ。薮太郎さんはセーター着てたものな。でも、おもしろかったぁ!

みっちは、ほんとに仲間に恵まれているなと思う。

たくさんの仲間がまわりを支え、たくさんのお客様がかけつけ、よい落語会でした。

帰りにおばあちゃんが、5年後も必ず来るからと声をかけてくれました。伝えておきますね!



#かねすえ さんからのお祝いのお餅が会場のみなさんに配られ、私もお相伴。くりすが、私にまでお花をもってきてくれていて、ありがたや。





あとであとでと思っているうちに食べそびれた お弁当で晩ごはんにいたします








  
Posted by るいまま at 18:30Comments(0)■落語るいまま組