2019年10月28日
just so!河合隼雄「昔話の深層」メモ
10/28 Goodmorning 【just so!(まさにそのとおり)】
河合隼雄「昔話の深層」を読み始める。

メモ
■ユングが東アフリカ エルゴン山中のひとたちに、きみたちにとって「太陽は神様か」と尋ねると、酋長が「真上にいる太陽は神様ではない。しかし、太陽が上るとき、それが神様だ」と言う。
人間の魂は光への憧憬があり、暗闇から脱出する、その時こそに神を感じるのだな。
■グリム「トルーデさん」
わがままで生意気な娘が親がとめるのもきかず「トルーデさん」のところにでかける。その途中 えもいわれぬ不気味で恐ろしい体験をし、トルーデさんは「魔女のありのままの姿をみたのだよ」と娘に説明する。途端、トルーデさんは娘を棒切れに変え、火の中に投じて、あたたまりながら「やあれ、明るいこと明るいこと」という。
いかにわがままな娘でも、それはないだろとか、だから、親の言いつけにそむいてはなりませんとか、果ては「こんなお話は子どもに聞かせてはなりません」と教訓をたれるひとは、「既成の道徳の鎧によって、生きた人間としての心の動きを被っているひと」
現代人かつとめて忘れ去ろうとしている死の戦慄は、未開人にとっては真に重要なものであった。
■ロシア民話「美しいヴァシリーサ」
知りたがることは人間の精神としての働きだが、武装されていない好奇心は転落への道をたどる。
知ることに対する欲求が現在の人間の文化を作ったが、私たちは自分の好奇心をどう扱えばよいか。
魔女ババヤガーは美しい少女ヴァシリーサに言う。
「なんでも聞きたいことを聞いてもいいが、なんでも聞けば、それがみんなタメになるとは限らないよ。あんまり物を知りすぎると、早く年をとるものだよ」
■just so!(まさにそのとおり)
自然は善意でも悪意でもなく作用し、そのとおりであって文句のつけようがない。
いかんともしがたいこと。それが昔話のなかに動かしがたい事実としてそのまま描かれる。
では、本日のおにぎりアクション

#onigiriaction
#昔話の深層
#河合隼雄
河合隼雄「昔話の深層」を読み始める。

メモ
■ユングが東アフリカ エルゴン山中のひとたちに、きみたちにとって「太陽は神様か」と尋ねると、酋長が「真上にいる太陽は神様ではない。しかし、太陽が上るとき、それが神様だ」と言う。
人間の魂は光への憧憬があり、暗闇から脱出する、その時こそに神を感じるのだな。
■グリム「トルーデさん」
わがままで生意気な娘が親がとめるのもきかず「トルーデさん」のところにでかける。その途中 えもいわれぬ不気味で恐ろしい体験をし、トルーデさんは「魔女のありのままの姿をみたのだよ」と娘に説明する。途端、トルーデさんは娘を棒切れに変え、火の中に投じて、あたたまりながら「やあれ、明るいこと明るいこと」という。
いかにわがままな娘でも、それはないだろとか、だから、親の言いつけにそむいてはなりませんとか、果ては「こんなお話は子どもに聞かせてはなりません」と教訓をたれるひとは、「既成の道徳の鎧によって、生きた人間としての心の動きを被っているひと」
現代人かつとめて忘れ去ろうとしている死の戦慄は、未開人にとっては真に重要なものであった。
■ロシア民話「美しいヴァシリーサ」
知りたがることは人間の精神としての働きだが、武装されていない好奇心は転落への道をたどる。
知ることに対する欲求が現在の人間の文化を作ったが、私たちは自分の好奇心をどう扱えばよいか。
魔女ババヤガーは美しい少女ヴァシリーサに言う。
「なんでも聞きたいことを聞いてもいいが、なんでも聞けば、それがみんなタメになるとは限らないよ。あんまり物を知りすぎると、早く年をとるものだよ」
■just so!(まさにそのとおり)
自然は善意でも悪意でもなく作用し、そのとおりであって文句のつけようがない。
いかんともしがたいこと。それが昔話のなかに動かしがたい事実としてそのまま描かれる。
では、本日のおにぎりアクション

#onigiriaction
#昔話の深層
#河合隼雄