2022年09月02日
万民に理解されずとも 天心と八雲
【万民に理解されずとも】
9/2 goodmorning
9月2日は、「茶の本」を書いた #岡倉天心 の天心忌。
岡倉天心の来歴を見ながら、今書いている #小泉八雲 とリンクする部分が多いなと感じ、
またまたいらぬことをしている間に昼がきた(笑)。

岡倉天心は、1863生まれ。
1870年に母親を亡くし、父の再婚をきっかけに養子に出される。10歳で東京外国語学校に入学、16歳で結婚。
小泉八雲は、1850年生まれ。
ギリシャのキシラ島出身の母親とアイルランド人の父の間に生まれるが、1854年、母が精神を病み父との離婚をきっかけに、厳格なカトリック神学校で暮らすことになる。1901年、日本に来て1年目、セツと結婚。
天心にしても八雲にしても、一国とどまらず、世界を見て日本を見る。
東洋の美を世界に紹介したひとという点だけでなく、先見の才をもって、日本の美や日本の精神を伝えるために精一杯のことをするが、理解されない力に何度も否定される点も似ている。
それでも、彼らは、自身の思いを曲げず貫く。
自国に理解されずとも異国には理解されたのかというと、それもまた違う。
理解してくれるひとは万民でなくてもよいのだ。自身の信念にあると思っていたのではないだろうか?

2021年09月02日
花子は最後まで日本人だった
9/2 goodmorning
【花子は最後まで日本人だった】
明け方から雨。茶の本を書いた岡倉天心の忌日。

岡倉天心は「茶の本」を英語で書き、別の日本人によって、日本語に翻訳された。
とてもよくできた翻訳らしいのだが、なんでそんな面倒なことをしたんだろうと思っていた。
昨日、マダムハナコを読みながら、思考の問題かもなと、ふと思った。
岡倉天心は、英語の思考で「茶の本」を書いたんじゃないか?
先ほど、鴎外の「花子」について、あちこちみていると、
「花子」はフランス語で書かれたものであれば、より3人(ロダン、通訳、ハナコ)の関係性が鮮やかになるだろとの書評があった。鴎外は、フランス語の思考で花子を書いたからだとの解説だった。
まだ少女だった津田梅子や大山捨松が外国に渡り、苦労の末学んだことを日本に持ち帰り、
近代日本の女性としての礎を作ったお話は、たくさんの小説になっているが、
様々な調査結果や花子からの聞き取りをまとめてくれた「マダムハナコ」を読むと、
そうした日本を背負い外国文化を持ち帰る使命あるひとたちとは別に、
たくさんの日本人が、ヨーロッパ(西欧も北欧も)、ロシア、アメリカを縦横無尽に動き回っており、
彼らには、あやしげな通訳がいるときもあるが、言葉もわからないまま、興行師とやりあったり、領事館に飛び込んだり、法をすり抜けたり、逞しく生きている(笑)
花子も流暢に言葉が操れたわけではなく、ましてや習う相手も相手なので、かなりブロークンな言葉だったようだが、
それでもだいたいの意思疎通はできていて、外国におもねるというより、何を求めているかをキャッチするのが上手かったようだ。
花子のステージは歌舞伎の演目をもじったものも多く、日本で舞妓や芸者だった時代に見聞きしたものかもしれない。一番人気のハラキリも景清からきている。
身体が138センチと小さく、ヨーロッパ人が鼻がないと驚くほどの幼い顔だったので、34歳でヨーロッパに渡っているが、健気な少女女優くらいの年齢詐称はしてただろうね(笑)
花子たちは、最後まで思考は日本人で、ロダンに対してもケチなお爺さんだなとは思っていても、恋愛関係には落ちずちゃんと礼を果たしている。
パリ万博から話をはじめようと思っていたけど、当時、ヨーロッパは博覧会ばやりで、
花子は、日本で結婚した若旦那が一向にはたらかず、うちに帰って金もろてくるわと京都に帰ったきりになって困っているときに、
デンマークコペンハーゲンで博覧会があるのでいかないかと誘われヨーロッパに渡った1902年(明治35)のことだ。
てなわけで、朝の珈琲。つづきは、ぼちぼち。

写真は、岡倉天心の「茶の本」2種。

左は、大川裕弘の写真が美しいのだけど、写真や文字がやや邪魔をして活字族には読みにくい。
パラパラめくるにはすごく楽しい(笑)
文庫は輪読会のとき使ったけれど、文字が小さすぎてしんどいので、青空文庫(net)がオススメ(笑)
2020年07月24日
茶の本 花
【茶の本】
岡倉天心の「茶の本」輪読会も、あと「茶の宗匠」を残すのみ。
今日は「花」の項で、華道家 細川 康秀こそ言いたいことがたくさんあったはずなのに、お仕事中で聴くだけになっていて お気の毒なこと。
花に対することを書いているのだけど、物言えぬひとを思わせる記述が多く、切ないことよ。
花は自ら動けず、ひとによってたおられ、命を長らえるためにひどい目に合うけれど声をあげることもできない。
がしかし、茶室における花の役目は亭主と同じくらいの力をもつ。
さて、次回、「花」について康秀くんがいかなる話をしてくれるか、楽しみになってきた。

2020年06月20日
冷静に、清潔に、静かに、心豊かに
【冷静に清潔に静かに心豊かに】
誕生日のメッセージを送っていた るいちゃ社長から「ありがとう。誕生日も仕事するバリバリバリバリ。忙しいのはありがたいことだ」と返事がきて、もう大丈夫だなとさんぽに出た。
東京は、高松より早くから自粛がはじまり、会社の危機に、さすがのるいちゃ社長も弱る時期もあったのだが、早め早めの動きや、いいひとたちにであえたことで確実に巻き返してきた。
いろんなことがあるたびに、ひとに優しくなっても来ている。何事も無駄ではないのだ。
私も、願掛けをして封じていたおうちコーヒーを解くことにして、#スコップビーン にコーヒーを注文しに行き、#和工房あき で夏用のマスクを買った。
安芸さんが、先日の #柴田俊幸 くんを迎えての演奏会付き茶会を「るいまま、おもしろい茶会やってたね」と言ってくれ、嬉しい限り。
http://ruimama.ashita-sanuki.jp/e1197954.html
柴田くんの帰国の日も近づいているけれど、チャンスがあれば是非!
三越は、入り口のゲートを少しゆるめ、お客さまもずいぶん増えていた。今日も体温は36度。ずっと、ここで計ってもらってたな(笑)
ブラジルで感染拡大しているとのことで、暑くなったからといってコビット19の威力が弱まるとも言えないそうで、まだまだ予断は許さないが、
冷静に、清潔に、静かに、心豊かに暮らすことを旨に日々を過ごしたいね。
写真は、あきさんのところで買ったリネンのマスク Lサイズ♪

2020年06月20日
茶の本 そして小川淳也チャンネル
【茶の本】
金曜日は、岡倉天心「茶の本」の「茶室」の章の輪読勉強会。

輪読会終了後、茶室の話にでた民本化の話になり、地方の名士たる貴族院議員から、なぜか妾宅の話になり、2号さんという言葉は戦前まで法律用語だったと知る夕方。
なんだかんだと、昔を塗り替えてしまう日本ではあるけれど、エリートたちが守っていた部分もある。今の、エリートがそれを担っているかどうかは怪しいけどさ。
今や、日本は民主主義ってよりポピュリズム(平民大衆主義)だなってことで、また2週間後。
エリートといえば、夜、youtubeをみているとき、たまたま小川淳也チャンネルのyoutubeライヴが始まっていて、後半40分を見た。
https://youtu.be/y2h_eyrs4ws
最後までみてしまってから思い出したが、
娘が、まだ歩くか歩かないかくらいの頃、初めて高松まつりに参加したとき、最初は張り切って歩いていたのだが、当然ながらすぐにリタイアしてしまい、その時、娘を背負いずっと歩いてくれた高校生がいた。
彼は、誰かに言われて、いやいややってるではなく、それはそれは楽しそうに背負ってくれ、ほんとにありがたかった。
それが小川淳也さんだということを知ったのは、ずっと後のこと。彼が政治家になると決めた頃だ。
地方から、東大、官僚といえばエリート中のエリートで、政治家に転身するひとは多いが、政治家に良い印象を持っていない私は、「へー、政治家になんかなるんだ」と思った。
その後も、なんだかんだと選ぶ道が閉ざされるイメージが強く、小川淳也さんてひとについては大きな興味も期待もしなくなっていたのだが、
昨日のyoutubeライヴをみながら、このひとは、いまも自らなにかを背負って歩き続けてるんだなと感じ、
その姿勢は、「心を持たないをヨシとする今の政治」の真逆をいくから、なかなか難しいものがあったのかもしれないなと思った。
政治については個々が決めることで、誰を推す推さないはいうつもりもないが、いまは小川淳也さんには頑張って欲しいと願っている。
2020年05月22日
茶の本 zoom輪読勉強会♪
【茶の本zoom 勉強会】
今年の石あかりsidetripLIVEの舞台にあげるつもりで書いていた音楽と言葉「茶の本」。
石あかりの中止が決まった途端、力が抜けて中断しておりましたが、天が鞭うつようにはじまった、「茶の本」zoom輪読勉強会。


がっつり2時間、ひとりで読んでいると闇におちそうな「茶の本」も、お察しの会&実相寺の山本住職のおかげで、謎解きや考え方がわかり、道が開けた感じ。
岡倉天心がどう思っていたかも大事だが、ここに書かれている情報を、
茶人は茶の世界から、ご住職は禅宗の世界から解説くださり、
教授が時代背景や難解な言葉については注釈をいれてくれるので、私は、船に乗って自由にゆらゆらやってる客みたいなもの。
やがて出てくる「花」の章には華道家もいる。
次回は、「茶の本」第三章 道教と神道 から。
「茶の湯は、茶、茶き、絵画等を主題に仕組まれた即興劇であった。茶室の調子を破る一点の色もなく、物のリズムをそこなうそよとの音もなく、調和を乱す一指の動きもなく、四囲の統一を破る一言も発せず、すべての行動を単純に自然に行なう こういうのが即ち茶の湯の目的であった。」(岡倉天心 茶の本より)
本日のzoomは、まさにそのような時間。
楽しかった!
みなさま、ありがとうございました♪
夜の時短簡単
今夜も、焼き魚、酢の物、和え物、漬物、味噌汁とご飯。

日本人やな(笑)
#時短簡単
#日本の食卓
2020年05月08日
喫茶去 まぁ 茶でも一服のんで去れ(笑)
5/8 Goodmorning 【喫茶去】
茶道は、節季、節句、十干十二支、陰陽五行に基づき様々な決まりごとがあり、それが日本の気候、文化、生活様式に大きく関わり、理にかなっていることも多いということは、
先日のネットラジオ ruimama channel「茶室る庵 節句」でも、入門的に茶人 中條晴之さんからお話いただいた。
■ruimama channel 「茶室る庵 節句」
http://ruimama.ashita-sanuki.jp/e1191067.html
昨日、華道家 細川康秀くんと話していると、華道も十干十二支陰陽五行との関わりが深く、五行に基づく色づかいなどもあるとのことだったので、
次は、茶道と華道での関わりをと、昨夜は、茶室る庵の次回ネットラジオを作るためのリモート打ち合わせ。

ところがだ!
十干十二支陰陽五行、節季節句は、語りあえばあうほど迷宮に迷い混み、20時から23時までミーティングをしたのに、結論はでないまま、
「わからん! 今日は、これにて解散」(笑)
ほぼ物理と数学の世界なる、陰陽五行、十干十二支の世界「暦」を、
「中国の暦をそのまま採用しても日本には適合しない」
と、日本に合わせた大和暦(貞享暦)として作り直した、天文学者 渋川春海の才に敬服するばかり。
■渋川春海wiki
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%8B%E5%B7%9D%E6%98%A5%E6%B5%B7
私は、この件は、茶人と華道家にまかせ、栄西「喫茶養生記」と陸羽「茶経」をポチる朝。
いつのときでも「喫茶去!」(茶でも一服飲みなはれ。茶を飲んで去れ(笑))だわよ。
■喫茶去
http://www.kissako.org/kissako/

#朝茶
2020年04月07日
刹那的から永劫的へ
【茶の本】
音楽と言葉「茶の本 天心かくかたりけり」の締め切りがのびまして、やはり神様はいるにちがいないなと思う夜。
書きはじめてから、去年の「どうぶつ人生相談」と同じ時間しかとっていなかったのは、計画があまかったと気付き、
音楽をお願いしている演奏家のみなさんに早く原稿を渡して選曲をお願いしなきゃと思うほどに書けず、あぁ ご迷惑かけなけてよかった。
今年は、派手で大きいのに一瞬で溶け去る刹那的なものではなく、
静かに深く考え未来に繋ぐ永劫的なことを考える時間を与えられたのかもしれない。
かん「そうかもしれんな。じゃ、おやすみ」


いろいろ気がかりなことが、ひとつひとつ解決しはじめ、やっと眠れる。
2020年03月31日
茶の本 茶道と華道
【華道と茶道】

桜を持ってきてくれた康秀くんに、「稽古が始まってるみたいだけど、今年、僕は?」と、今年の石あかりsidetrip のことを聞かれ、
実は、音楽と言葉「茶の本 天心かく語りけり」に出演いただこうと思っているんだが、なにぶんにも難解すぎてと、なかなか本が書けないとはなす。
情勢がどんどん変化し、今年の石あかりも、どうなるかわからないけど、作品は作り稽古しておけば無くならないから。8/22だからね」と言って見送った。
長い歴史の中で、お花とかお茶とかの精神性が強くいわれたのは、たぶん死が背中合わせにあった頃だ。
現実の世界とは違う世界に救いをもとめたのかもしれない。
茶室は、一回ごとにすべてをかたずけ、空っぽの箱にする。そして、客のために、またひとつずつ道具を選ぶ。
虚であるから、他者を迎え入れることができる。
世の中が不安になると、それにひっぱられるように心を壊すひとがでてくる。
阪神大震災のときは身近な作家が、3.11のときは福島での聞き取りで知った。
あのときは、ここにお出でというだけでも、心は支えられるといわれたが、
いまは、それすら言えなくなっている。だから、なるべく普通にして、どんと構えておかねばと思うのだが……
とにもかくにも、このスパイラルだけは避けよう。自身を支える心身を大事に。

2020年03月29日
茶の本 この王の名前は徽宗皇帝(きそう)です(笑)
【茶の本】
石あかりsidetrip 8/22公演 音楽と言葉「茶の本 -天心かく語りけり」の原稿執筆中。

読めども読めども果てなき本で、しばし捨て置いたのですが、ただいま 二度目の音読中。
わかっていたようでわかっていない。あれこれ資料を見すぎて、研究者の大久保先生の論に押されないように書こうと心に誓ってはおりますが、はてさて。
私が「茶の本」に難儀してるのに、教授はすでに、茶の本にでてくる、陸羽の「茶経」も読み終えておるようです。もとより競り合う気はございません(笑)
「茶経」によれば、今の日本の茶の湯の形式は宋代に生まれ爆発的に流行り、その後消え、日本にて再構成されたものであるとのこと。
その時代の皇帝は「あまりに偉い芸術家であって行いよろしきにかなった王とはいえない、茶の珍種を得んためにその財宝を惜しげもなく費やした」だったそうで 、なかなかよい感じに嫌味っぽく誉めてもらってます(笑)。
では、ただいまより 第三章の音読にもどります~
