2021年03月11日
10年目の春が来たね。
3/11 goodmorning
10年目の春が来たね。
復興はまだ終わらず、この時期になると、国や社会を嘆いたり非難したりの声が大きくなるが、私に何がいえる。
震災からの数年は、支援だなんだと忙しく動き回っていたのに、今はどうだ?
あの日、私は公演準備に忙しく、東北、関東であんなことが起きてるとも知らずリハーサルをしていた。
臨時ニュースを見た人たちがざわざわし始め、「まま、東京大変らしいよ。るいちゃ大丈夫?」と娘の心配をしてくれるひとが増えた頃、東京で予備校講師をしていた娘の第一報が届く。
「すごく揺れた。戸山公園に避難してる。私も子どもたちも無事」。
それから電話はぜんぜん繋がらなくなり、真夜中、遠くからきている子どもたちを全員送り届け、予備校に帰ってきた娘から2回目の連絡。
「町によって被害の様子が違うよ。ただ事じゃない」。
娘の言葉どおり、ただ事じゃない様子がテレビでネットで流れだす。
地震と津波と原発事故。
毎日流れる災害映像に、なにかしなくちゃと突き動かされるように、ZENKONの子たちとの支援活動を始め、ひとりで支援活動を続けるバリトン村山岳と知り合い、翌年の夏には、恵美さん慶子先生と福島に慰問にでかけた。
そこで私は、自分があまりにもダメな支援者であったことを目の当たりにするのだ。
見事に晴れた日だった。
空と海の境界には何もなく、ただただ雄大で美しい夏の海がひろがる。海水の透明度は驚くほど高く、今すぐにでも裸足になって走りだしたいような海だった。
でも、その美しい海は、離れたところから見つめるしかできない海になってしまっていた。
海を見ながら、町のひとは言った。
昨日までそこにあった町が根こそぎ津波に持っていかれたことは悲しく苦しくはあるが、憎んではいない。海は私たちにいろんなものを運んでくれた。怒っているのは、この海を遠いものにされたことだ。
美しい海は町の誇りで、遠来の客である私たちに見て触れて欲しいものなのに、それすらできないことを憂うひとを見ながら、私は、支援だ慰問だとおごっていた自分を恥じた。

2016年04月25日
映画「広河隆一 人間の戦場」を観る。

フォトジャーナリスト広河隆一さんは、決して激しい物言いはしないが、その生き方はきちんとした背骨をもつ。
全世界の人間に平等に与えられるは「生きる権利」だ。しかし、世界では、それすら守られず、人間の尊厳を打ち砕かれる場所がある。
彼は、そこに出向き、取材をし報告するだけでなく、自らの命をかけて救済支援活動をつづけ、命を守る。
イスラエルに出向いた広河は、現地のひとに言われた言葉から自分の立ち位置を決めたと話す。
「それが悲惨なことであっても撮らなくてはダメだ。カメラをむけること、それが東洋人のあなたであることで、抑止力があるのだ」
1982年 レバノンのパレスチナ難民キャンプの虐殺事件を撮影し、その映像が証拠として世界に配信された。
その後、広河は、パレスチナの子どもの里親運動をし、親をなくした子どもたちの生活費や教育費支援や生活環境の支援を行っている。
1989年、西側ジャーナリストとして初めてチェルノブイリの立ち入り禁止地区にはいって取材し、隠された放射能汚染を告発したあと、チェルノブイリ子ども基金を開設、医療支援や保養所の建設をおこなった。
この医療支援で甲状腺ガンの手術をし、治療を続け、大人になって子どもを生んだナターシャさんが、その頃の様子を話す。
被曝しても、早い段階で治療をはじめ、保養所で年に20日ほど過ごすことで体内被曝量が軽減されるのだそうだ。
日本でも、広河たちの運動で沖縄に保養所ができた。
広河は、「ナターシャは成功例なのです。日本のようにのんびりしていけはいけないんです」ど語気を強めた。
普段、私たちは、生きることは当たり前のことだと思っている。しかし「生」が当たり前ではない場所があり、それは日本だって他人事ではない。
映画館をでると、珈琲倶楽部の大西さんに会った。
「ヘビーな内容だったね。でも、観てよかった」と帰られた。
高松での上映は終わってしまったが、まだまだ自主上映会が日本全国で行われる。
機会があれば是非観てほしい、そして考えて欲しい。私たちは、なにを選ぶべきか。
2016年04月22日
映画「広河隆一人間の戦場」本日最終日

毎度のことながらバタバタしてたら、映画「広河隆一 人間の戦場」本日最終日だわ。
本日は12:25からです。まだのかたはお急ぎを!
http://kagawa-soleil.co.jp/10058
15:00から、石あかりSidetripLlVE9/10ステージ「フラメンコ夛田順子」の打ち合わせ。
夜18:30〜、披雲閣で「伝説の愛の歌物語」竹田先生が残された装花みてくる。
結構、きちきちなので自分に「途中で立ち話したり、お茶飲んだりしてはダメだぞ」と言い聞かすためのmemo(笑)
2014年09月03日
私たちにもできる支援はある。
鎌仲ひとみ監督の映画「ミツバチの羽音と地球の回転」を観たときの衝撃は、
いまも忘れない。
祝島のじいちゃんばぁちゃんたちの揺るがぬ動きをみながら、自分自身の弱さを知る。
だめなものはだめなんだよ。地球の未来を守るのは自分の意思ひとつなんだ。
こうした映画を作る力は私にはない。けれど、それを後方支援するチャンスはある。
鎌仲監督の最新作「小さき声のカノン-選択する人々」の制作と全国上映会を
みんなの力で実現させるための支援システム。
■クラウドファンディングサイト「Indiegogo(インディーゴーゴー)」
https://motion-gallery.net/projects/littlevoicecanon?utm_source=facebook&utm_medium=social&utm_campaign=project_319_thank_facebook_feed
******************
その“小さな声”がかき消される前に―。
奇しくも公開直後に3.11が起き、全国600ヶ所での上映という社会現象を巻き起こした
「ミツバチの羽音と地球の回転」から4年。
一貫して「核・被ばく」を描いてきた鎌仲ひとみ監督の
最新ドキュメンタリー映画「小さき声のカノン-選択する人々」にかかる製作費と
全国での上映実現のため、みなさんの力を貸してください。
本作で主人公となるのは、
福島原発事故後の日本とチェルノブイリ原発事故後のベラルーシを生きる「お母さん」たちです。

■鎌仲ひとみ監督web http://kamanaka.com/
先ほど、小さな力で支援した。
いまも忘れない。
祝島のじいちゃんばぁちゃんたちの揺るがぬ動きをみながら、自分自身の弱さを知る。
だめなものはだめなんだよ。地球の未来を守るのは自分の意思ひとつなんだ。
こうした映画を作る力は私にはない。けれど、それを後方支援するチャンスはある。
鎌仲監督の最新作「小さき声のカノン-選択する人々」の制作と全国上映会を
みんなの力で実現させるための支援システム。
■クラウドファンディングサイト「Indiegogo(インディーゴーゴー)」
https://motion-gallery.net/projects/littlevoicecanon?utm_source=facebook&utm_medium=social&utm_campaign=project_319_thank_facebook_feed
******************
その“小さな声”がかき消される前に―。
奇しくも公開直後に3.11が起き、全国600ヶ所での上映という社会現象を巻き起こした
「ミツバチの羽音と地球の回転」から4年。
一貫して「核・被ばく」を描いてきた鎌仲ひとみ監督の
最新ドキュメンタリー映画「小さき声のカノン-選択する人々」にかかる製作費と
全国での上映実現のため、みなさんの力を貸してください。
本作で主人公となるのは、
福島原発事故後の日本とチェルノブイリ原発事故後のベラルーシを生きる「お母さん」たちです。

■鎌仲ひとみ監督web http://kamanaka.com/
先ほど、小さな力で支援した。
2014年06月09日
あきおさん急性骨髄性白血病だったのですね。

DASH村の農業指導をされていた、福島県浪江のあきおさん。
亡くなられたことが公になるまえ、Twitterなどで亡くなったのではないか?いや、亡くなっていないと
情報がざわざわし、
ニュースとなったときも亡くなられた原因不明となっていたけれど、
地元紙には、急性骨髄性白血病とあったよう。
うむむ。うむむ。
2014年03月27日
「一握り人の罪」を聴きながら・・・
沢田研二が出した「一握りの人の罪」を聴きながら、
私だってドキュメンタリーをみるまで、上関原発建設計画のことはしらなかった。
対岸の祝島のじっちゃんばっちゃんたちが船を出して体を張ってひき伸ばしてくれたおかげで、
上関原発は建設予定が遅れ、
そうこうしているうちに東日本大震災がおきて、私たちは原発の恐ろしさをようやく実感した。
おとなしく、扱いやすい人間であることは、なんの意味もないのだと知った。
私たちの知らないところで、いろんなことは計画される。
それをなんとなく見過ごしながら生きてきた。
流されず、言葉を発すること、おかしいと思える力は必要なんだ。
と、私は思う。
*******************
東北大震災が起こって3年前の3月11日に哀悼の意を表して、
2014年3月11日にリリース。震災をオマージュした楽曲構成。
【一握り人の罪/沢田研二】
昔 海辺の小さな寂れかけた村に
東電が来て 原発速く作りたいと
国の肝入り工事は 直ぐに道路を通し
海岸や丘を削って
反対意見は軽んじ
機動隊投入
東電も信じた 受け入れ側も信じた
安全神話鵜呑みに
一握り人の罪
海が命の漁師は海が死ぬのを怖れた
村はいびつに裂かれた
一握り人の罪
嗚呼無情
いつか原発廃炉に 除染は何年先
東電は未来型エネルギーに無関心か
国もただこまぬくだけ
被災地に 僕たちに
復興延々と進まず
国は荒むよ
僕らに還して国を
原発に乞われた町
原発に憑かれた町
神話流布したのは誰 一握り人の罪
原発に怯える町
原発に狂った未来
繰り返すまい明日に 一握り人の罪
嗚呼無情
https://www.youtube.com/watch?v=YfTPL9Wx790
2013年05月11日
自分の言葉をもてているか?

映画「六ヶ所村ラプソディー」をみた。
2時間のなかに埋め込まれた思いを
私たちはどう受けとるか?
自分のたち位置はどこだ?
自分の言葉を持っているか?
中立という名のもと、現実からにげてはいないか?
何人かBlogを見て行きましたという連絡をいただきました。
ありがとうございました。
,
2013年05月11日
本日午後 映画「六カ所村ラプソディー」
今だからこそ、もう一度見ておきたい 映画「六ヶ所村ラプソディー」
本日午後13:00 〜 15:30 〜 eとぴあかがわBBスクエアで上映されます。
鑑賞料金 1000円

お問合せ 自由席 090-3181-4519
【ストーリー】
2004年、六ヶ所村に原発で使った燃料からプルトニウムを取り出す再処理工場が完成した。
この工場の風下には豊かな農業地帯が広がっている。菊川さんは12年前からチューリップ祭りを開催し、再処理計画に反対し、くらしに根ざした運動を実践している。
隣接した村々で農業を営む人々、特に有機や無農薬で安心、安全な作物を作ってきた農家もまたこの計画を止めたいと活動している。
一方、六ヶ所村の漁村、泊では職を失った漁師の雇用問題が深刻だ。村はすでに再処理を受け入れ、経済的にも雇用の面でも必要だという考えが行き渡っている。
2005年、イギリスの再処理工場で事故が起きた。取材で見えてきたのは事故の影響よりも、44年間日常的に放出されてきた放射性物質の行方だった。
圧倒的な力と経済力に、普通の人々はどうやって立ち向かっていけばいいのだろうか。その取り組みを、人々の営みをそしてそれぞれの選択を見つめてゆく。
是非!
六ヶ所村ラプソディーweb http://www.rokkasho-rhapsody.com/story.htm
2012年12月06日
北欧の暮らし〜10万年後の安全。


「素敵にハンドメイド」の北欧特集をみながら、
映画「10万年後の安全」を思う。
北欧が素晴らしいと手放しで言うつもりはさらさらなく、
北欧3国だって、様々な問題を抱えているだろうと予想はつく。
ただ、この映画が世界に問うたことを、忘れてはいけないと思う。
無駄をなくした生活や、暮らしを楽しむ色や光は、
流行りの北欧だけにあるのではなく、
日本中にもあふれるほどある。
それだけは忘れないで欲しいと思う、12月6日。
http://ruimama.ashita-sanuki.jp/e461259.html
■10万年後の安全web
http://www.uplink.co.jp/100000/
2012年07月11日
ふくしま二本松のとうちゃんたちの声を聴いてほしい!
いわきから帰って、今もって、私の中に解決できない思いが残る。
いやいや、これは日本中から原発が消えない限り、ずっとずっと残る思いだ。
私が行った、いわき市。そして、第2原発まで18kmの久ノ浜。
この位置関係は、四国のものにはわかりにくく、地図をみて、
「そうか、こんな近い場所に原発をかかえて毎日を暮らしてるんやね」
と、言う人も多かった。
でも、いわきで伺った、「これは、福島のこのあたりだけの問題じゃないんです」という声。
高松に帰り、地図を開きながら、もう一度福島のことを調べてみた。
この動画は、ふくしま二本松の同朋幼稚園の子どもたちと、とうちゃんたちの声。

http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1391
2011年3月11日まで、普通のしあわせがそこにあって、あたりまえの毎日を過ごしていた
普通の人たちの声です。
二本松市は、福島県の県都・福島市の南に位置するまち。


【OurPlanetTVの動画解説より】
去年4月25日に訪問した福島県二本松市の同朋幼稚園。
入園式以降、子どもたちは外出られず、天気の良いその日も、屋内で遊んでいた。
園庭には大きな桜が一本、きれいな花をつけていた。
4月も終わりのこの日、園長ははじめて子どもたちを5分間だけ外に出し、
この桜の下で、恒例の記念撮影をした。
撮影は一瞬で終わり、子どもたちは再び、園舎に入らなければならない。
遊び盛りの子どもたちはみんな外で遊びたいとダダをこねる。
「晴れている日はお外で遊ぶんだよ」
「遊べなんだよ」
「保育園は外に出てるんだよ」
「でも同朋幼稚園は出られないんだよ」
「マスクをしてればいいんじゃない」
「マスクをしてたってダメなんだよ」
職員は、子どもたち一人ひとりをなだめながら、園内に連れて行く。
そのせつない光景から1年。
私は、再び今年の春、同朋幼稚園の記念撮影を取材しようと決めていた。
しかし、桜は4月上旬、切り倒された。
同朋幼稚園では、園庭の土を取り除き、芝を張り替えたほか、
屋根もふき替えるなど、あらゆる除染を行ってきた。
しかし、桜の木は、どんなに樹皮をはがしても、放射線量が下がらなかったのだという。
結局、切り倒すしかないという結論に至り、桜が咲く直前に、大きな幹は倒された。
無惨な姿の桜。
この桜の幹を囲んで花見をするという話を聞き、私は、再び、同朋幼稚園を訪れた。
楽しいバーベキューだったはずのそこで目にしたのは、父親たちの苦しむ姿だった。
大飯原発が再稼働した今こそ、彼らの言葉を、そして福島の現実を聞いて欲しい。
(OurPlanetTV白石草)
■OurPlanetTVweb http://www.ourplanet-tv.org/
離れているから大丈夫なのではなく、日本中には、これと同じものが張り巡らされているのです。