2025年02月03日
簡単には終わらない…
【簡単には終わらない…】
ケース会議前に、狂人74(兄)と並んで待つようにと椅子が出され、病棟からでてきた74歳の兄の姿をみた途端、身体が震えだして逃げた。
看護師さんたちが「大丈夫ですか?」と集まり病棟は一瞬ざわめいたが、心臓を押さえながら「同じ部屋に並んで座ることは無理です」と言うと、
「配慮が足りませんでした」と、すぐに対応してくれたのだが、自分の弱さに落ち込む。
兄は相変わらず同じことを繰り返す。ドクターが辛抱強く話をしてくれても聞く耳はもたない。
ここでは決して言葉を発してはいけないのだ。発すれば、そこに向かい執拗な攻撃が始まる。だから、ずっと岩のように黙っていたのに、
自立をする家に帰るを繰り返し、年金でのんびり自宅で療養したいのだ、15万もあれば僕はひとりでやれると言う言葉に反応してしまった。
兄の年金は、父や母がかわりにかけたもの。手取りにしたら、最低の国民年金額だけだ。日本のどこに働きもせず15万も年金をいただけるひとがいるものか。
「年金で自立なんて出来ないよ」と一言言ったばかりに、兄から執拗に「いくらだ?」と責め立てられはじめた。
入院費と月一万円のお小遣いを払えば全てなくなる金額しか国の年金は保障してくれない。兄が何か起こせば父や母がしてきたように、代わっての出費が私の肩にかかる。それだけだ。
健康ゆえに介護認定もつかず、お金もなく、自炊も洗濯もできず、ましてや社会の中で生きることもできないのに、外になど出られるわけがない。
わけがないが…、それを理解できないのが、兄の病であり、19歳のときから74歳のいままで、一度も改善なく異世界にいる兄の現実なのだ。
兄に会うと、しばらく気持ちが落ち込むので、3ヶ月に一度のケース会議になんとか行かずに済む方法はないかと考えるが、あのひとに残された家族は、妹である私しかいない。
そして兄は、現状に納得いかずとも、終わらない人生を歩くしかない。
ケース会議のあと、ドクターから、ああして同じことを繰り返し言うけれど、若い頃のように暴れたりはしなくなっています。家に戻ることや、どこかに移ったりが現実的ではないのは、ご本人以外、みんな分かっていますからと声をかけてくれた。
あなたはひとりではない、私たちがいますからと言ってくださったのだと思う。ありがとうございます。

2025年01月19日
まずは ごはんを食べよう 映画「どうすればよかったか?」鑑賞記録」
【ごはんを食べよう】
映画「#どうすればよかったか?」を観終わり、少しさんぽしてきた。
教授から、この映画は観るひとによっては苦しくなるかもしれませんと聞いていたが、私は清々しい。
8歳年上の優秀で天使のようだった姉が、医大生となり24歳のとき精神分裂症(統合失調症)と思われる症状を発症する。
しかし、救急車で運ばれた彼女は、青年期にはよくあること分裂症と診断するのは時期尚早と言われたと家に帰される。
これにより、両親は、#娘は精神病ではない!という考えから逃れられないまま時間は過ぎる。
それから約10年。
弟である監督の #藤野智明 さんが録音した、姉が喚き散らす音声から映画ははじまる。
この映画は、是非を問うものでも解決をいうものでもなく、精神分裂症患者の家族をもつ青年が、たんたんと記録を取り続けたドキュメンタリーだ。
ピアノも絵も上手で学力優秀な姉は、研究者の両親と海外での生活を経て、生徒会の会長としてひとをまとめるような快活な少女時代を送り、医大生となる。
マコちゃん(姉)、パパ、ママ、ともちゃん(弟・監督)と呼び合う家族は、普段からナイフやフォークを使い食事をするモダンな一家だ。
誕生日や季節ごとのパーティーもかかさない。研究者の両親の研究室には高額な精密機器がならぶ。母親は、それを得意げに話す。
優秀じゃなかったという弟だって、北大の学生だ。
こんな非の打ち所のない家族に精神病患者が生まれるはずがない。マコちゃんは分裂症じゃない、パパが国家試験を強要するからいけないのだ。マコちゃんは国家試験はいいから論文をかけばいい。
その考えは、たぶんママが亡くなるその日まで続く。
弟のともちゃんが大学生になり、姉をちゃんと病院に連れていき治療しなきゃだめだと言う。
しかし、8年遅れて生まれてきたともちゃんは、この家の家族ではあっても、姉のことについては他人だ。
ママは、「あなたになんか何もわからない、何十年も彼女とくらし、ドクターである自分たちの判断こそが正しい!」と、弟を突き放す。
藤野監督が、姉が発病し自分が家を出る子ども時代のことを話す。
毎日が地獄のような日々なのに、それを認めない両親、自分(監督)は家族として認められない環境にあって、死んでやろうか、殺してやろうかと思うこともあった。でも、そんなことをして、自分の人生を台無しにはしたくなかった。
正に…。
私も、そのとおりの少女時代を送り、大学にいくといって家をでた。いや、出口の見えない地獄から逃げた。
藤野家は、ママが80代になりせん妄症状がでて、だれかが来る、だれかに狙われていると言い出し、家にはふたりの常軌を逸したひとがいるようになる。
そして、83歳でママは亡くなり、50代になったマコちゃんは、ようやく専門医の治療をうけられるようになって、幸いにも彼女の症状に合った薬がみつかり苦しみから逃れられた。
監督が帰省のたびに記録した動画のなかで、両親は確実に老いていく。マコちゃんは、症状が悪くなると表情がなくなり凄まじい声で叫ぶが、治療がすすみ落ち着くと笑顔も増え、おどけてもみせる。
大正生まれのパパが脳梗塞で倒れてからは、マコちゃんが食事の世話や介護をしていく。
が、彼女がこうした平和な生活を取り戻したとき、彼女の身体はステージ4の癌に侵されており、60代で亡くなる。
残されたパパは、100歳を超えている。ともくんは、パパに聞く。なぜ姉を精神科につけなかったのか。果たして、我が家のやり方はただしかったのか?
パパは言う「認めたくはなかった…」
親ならば、誰だってそうだ。ましてや、優秀と言われた子に、精一杯の愛情と経験と学ぶ機会を与えつづけ、それに間違いなどなかった。
この子が、精神分裂症などであるはずがない。社会から後ろ指をさされるはずがない。
私は弟のともちゃんと似た人生を送ってきた。いや、父が早くに亡くなり、母が老い、共に兄を診るために夫とはなれ実家に暮らし、日常的に兄と接していたぶん、もっと壮絶だったかもしれない。
8年前、病院の力を借りて兄を入院させ、4年前からは施設のひとの力を借りながら母を看るいまが、人生の中で一番おだやかだ。
それでも、兄の姿をみるたびに心は荒む。金銭的にも肉体的にもしんどい、この時間がいつ終わるのだという思いにもなる。
だから… 、マコちゃんの葬儀のシーンを観ながら、この果てない闇は、必ずいつか終わるのだとホッとした。
まずは、ごはんを食べよう。
泣くことも、嘆くことも、まだ許されはしない。

2025年01月18日
大方の病気はストレスでできている
【月に一度の五色台】
週のはじめから明日伸ばしになっていた狂人74(兄)の支払いに行く。

障害保険の手続きやら、私が一番苦手な本人を交えてのケース会議の日程調整やら。
看護師さんに、ご本人は大変元気に過ごされてますと言われ、苦く笑うしかない自分の心の濁りを感じる。
そして、いつもどおりの「いつまで続くんだ?」を考え、咳き込みながら建物を出る。
世の中の大方の病気はストレスでできていると私は思う。
2025年01月16日
よし! できた
【よし! できた】
私の担当タスクは完了。鎌田さんの最新ブロマイドが届けば一段落。

ま、カルテが出来ただけで、今から実際の中身を作り込んでいくんたが、悪代官てくてくの厳しい取り立てに「もってけドロボー」と言える(向こうは何も思ってないが 笑)
netで繋がっていないガイドさんは事務局に追ってもらっているので気長に待つよ。
事務局の返事がくるまで少し時間ができるので、
明日は、兄のところに行ってズンと落ち込みついでに 映画「どうすればよかったか」を観てくるか。
いま正に、映画と同じ渦中にいる自分がどんな反応をするか興味がある。
■映画「どうすればよかったか」
https://dosureba.com/

2024年11月27日
狂人74(兄)の誕生日に思うこと
【世間はそんなに優しくない】
11/27 brother's birthday
気づけば、今日は狂人74(兄)の誕生日だ。
母は私の誕生日はあいまいだが、兄のことはしっかり覚えているので、
19歳で発病し、母と暮らした66歳までは、ささやかながら毎年祝ってもらっただろうし、入院してからは病院の中で祝ってもらっているので、特に可哀想がることもないのだが、
誕生日がくるたびに、あの人の人生てなんだったんだろうと思う。
自分のお小遣い程度のアルバイトにいったことはあるが、それは一夜にして無くなるもので、働くということではなく、
父と母に、金銭的なことから衣食住まで、すべて見てもらい、父は亡くなった今も兄の支援をしているようなものだ。
精神障害があるとはいえ、身体は健康なのだから、料理をするとか、洗濯をするとか、掃除をするとか、基本的な暮らしの訓練はできたはずだが、
小さい時から、身体が弱いを理由にかわいそうがられ、面倒をみてもらうことが当たり前で来たものだから、それもできず、60代で一度入った自由度の高いグループホームもひと月もたなかった。
本人は自分は不当な扱いを受けていると思っているかもしれないが、ひとりになれば、ご飯も食べられずゴミ屋敷の中で朽ち果てるだけだ。
今まで、食べることに困ったけでもなく、欲しいものを我慢したわけでもなく、自分以外の愛しいひとのために必死になったこともなく、同世代のひとたちに比べたら、ずっと楽ちんな毎日じゃないかと思うが、
#さぞつまらん日々 であっただろうとも思う。
成功しようが失敗しようが、自ら動き乗り越えた時にだけある幸福感を、このひとは知らないのだ。
そのくせ、何もしないひとに限って、他人が悪い社会が悪いを並べ立てる。
他人や社会なんぞ、あんたごときに変えられるはずもないじゃないか。まずは、自分のことをしっかりね。

そういえば、一昨日の真夜中、努力なきものに苦しめられる若い友だちと、そんな話を長々した。
努力もせずに成功やしあわせがやってくるほど、世の中は優しくない。
認められないと腹をたてるまえに、すべき事はあるような気がするよ。
2024年10月10日
なんてこった!
【なんてこった!】
10/10 腹ペコ昼ごはん
狂人73(兄)がお世話になっている病院から電話があり、保護入院の法律がかわり、再々の手続きが必要になったよう。
病院側の診療受け入れは準備できたので家族の手続きを10月中にしてくださいとのこと。10月中にしないと兄の居場所がなくなる。
なんてこった!
そんなことになったら、なんとか保たれている我が家の平安は一気に崩れ、今は落ち着いている兄がまた牙をむき、共依存にある母までザワつき、えらいこっちゃになるのは想像がつく。
すぐ行きます。今日行きます。と返事して昼ごはんを作る。
朝から、まぁまぁめんどくさいことをしていて、今日は1日集中できるぞとおもっていたが、そんな時間は与えてもらえないのさ。
しかし、法律はなんのためにそんなことになったのだ? 家族が高齢や遠方だったらどうするんだろう。兄弟親戚さえも寄り付かないひとも たくさんいるという。
自分の話しかしない、むちゃくちゃでヤバい老人が市井に溢れたら、どうすんだよ!
…と、書きながら、狂ってるか狂ってないかの差で、そんな老人はたくさんいるな…。ふー
改悪としか思えない法律改正に腹をたてつつ、キャベツともやしと豚肉のお好み焼き。

………………
月に一度の五色台。
狂人73(兄)の入院費の支払いと、医療保護入院の手続きをしてしてきた。
看護師さんから、医療保護入院と今回の法改正についての説明を受ける。
兄の場合は、任意入院への切り替えをすることは難しい病状であるので医療保護入院がつづくでしょうの説明にホッとする。ただ、これからは半年おきに手続きが必要なんだそう。
病院も、そのたびに書類制作の手間が増えるわけで大変。
たぶん、任意と保護の曖昧なところにいるひとが、一番悩ましいんだと思う。この病は、ご機嫌が波のように変化するしな。
■netで拾った解説
「任意入院」:患者様が入院治療の必要性を理解してご自分の意志でする入院。
「医療保護入院」:患者様が病気であることや治療の必要性を十分に理解や判断できず、精神保健指定医の判断と家族等の同意によるもので患者様にとっては不本意となる入院。
10/10 腹ペコ昼ごはん
狂人73(兄)がお世話になっている病院から電話があり、保護入院の法律がかわり、再々の手続きが必要になったよう。
病院側の診療受け入れは準備できたので家族の手続きを10月中にしてくださいとのこと。10月中にしないと兄の居場所がなくなる。
なんてこった!
そんなことになったら、なんとか保たれている我が家の平安は一気に崩れ、今は落ち着いている兄がまた牙をむき、共依存にある母までザワつき、えらいこっちゃになるのは想像がつく。
すぐ行きます。今日行きます。と返事して昼ごはんを作る。
朝から、まぁまぁめんどくさいことをしていて、今日は1日集中できるぞとおもっていたが、そんな時間は与えてもらえないのさ。
しかし、法律はなんのためにそんなことになったのだ? 家族が高齢や遠方だったらどうするんだろう。兄弟親戚さえも寄り付かないひとも たくさんいるという。
自分の話しかしない、むちゃくちゃでヤバい老人が市井に溢れたら、どうすんだよ!
…と、書きながら、狂ってるか狂ってないかの差で、そんな老人はたくさんいるな…。ふー
改悪としか思えない法律改正に腹をたてつつ、キャベツともやしと豚肉のお好み焼き。

………………
月に一度の五色台。
狂人73(兄)の入院費の支払いと、医療保護入院の手続きをしてしてきた。
看護師さんから、医療保護入院と今回の法改正についての説明を受ける。
兄の場合は、任意入院への切り替えをすることは難しい病状であるので医療保護入院がつづくでしょうの説明にホッとする。ただ、これからは半年おきに手続きが必要なんだそう。
病院も、そのたびに書類制作の手間が増えるわけで大変。
たぶん、任意と保護の曖昧なところにいるひとが、一番悩ましいんだと思う。この病は、ご機嫌が波のように変化するしな。
■netで拾った解説
「任意入院」:患者様が入院治療の必要性を理解してご自分の意志でする入院。
「医療保護入院」:患者様が病気であることや治療の必要性を十分に理解や判断できず、精神保健指定医の判断と家族等の同意によるもので患者様にとっては不本意となる入院。
2024年09月30日
生きづらさに負けずに生きてる
【生きづらさに負けずに生きてる】
9/30 goodmorning
ソレイユで七福さんの落語「一文笛」を聞いたあと、ご用があってふたたび時宅へ。
#本屋ルヌガンガ での「生きづらさ夜話(余話)」お話会ー『#ルポ自殺』から考える」をおえた、ルポ自殺のライター #渋井哲也 さんと中俣教授たちが、アフター飲み会をしていてちょい参加。
渋井さんの話す「#自殺する力」という言葉に、なるほどと思う、人間はなかなか死にきれるものではない。自殺未遂を繰り返していた兄を見ていればわかる。
「自殺するひとは、未来を見てないわけではないんです。未来の予定を入れている。でも死を選んでしまう」
これも、帰ったらあれもしようこれもしよう、るいまま身体にきをつけて待っててとメールをくれた優しい友人が、旅先で命を落としたことで納得できる。
ただいまメニエールの疑いありで検査中の教授と、メニエールとの長い付き合いのるいまま。ふたりとも脳のMRIでは悪いものは何もでないのに(むしろ褒められるのに)、目眩につきまとわれる。
メニエール経験者の方に、メニエールは、目眩、耳鳴り、鬱病がセットでくるでしょうときかれ、「え! 私たち、鬱なの!」と言うと、
渋井さんが、とても鬱に見えませんねと笑い、教授が「ここ(いまの状態)が、鬱状態なんですかね?」と笑いに変えたが、私たちは間違いなく生きづらいチームだ。
躁鬱を繰り返す双極性障害のひとの自殺者が多いが、悲観的な鬱のときより、明るく元気に見える躁状態のときのほうが自殺率は高いそうで、そんなひとほど気をつけておかないとならない。
鬱のときは、死のうという力もわかないのかもしれないな。
土曜日から日曜日にかけて、まぁまぁやっかいな話に付き合いながら、これはどう考えても言いがかりだな、言いやすいところに攻撃してきてるんだなと思っていたが、
鬱傾向にあるメニエール族は、だからって死んで終わらそうとは思わず、山盛りの締切りを、まずおわらそうと、話に付き合いながら、ずっと仕事をしていた。
この、仕事をやり遂げてからと思うのが文系にありがちな 鬱傾向らしく、体育会系とは違うよう。渋井さんは、完璧な体育会(笑)
やり過ぎる前に手を離さないといけないのは学習してるが、こちらが望まずともやっかいなことは、次々やってくる。
もう身近なひとたちとだけ創作活動がしたいとおもうが、そうもいかないのが人生(笑)
渋井さんの話は、あまりに身近でタイムリーだったので、いまの私には納得だらけ。
生きづらい自分を扱いかねているひとは読んでみるといいかも。
「ルポ自殺」
本屋ルヌガンガで探してくださいな。

2024年09月19日
9月18日 大安 望月 午前中
9月18日 大安 望月 午前中
今日から、R5号を履きます。

【今日のルートを決めよう】
五色台にいくので、漫遊帖の配達は、一気に西に向かう。
がしかし、9/18 大安 望月だから、午前中にR5号と土を踏まねばならんので、ご近所もまわっとくか。
まずは、ヤマロール食べる。

月に一度の五色台。山は五色台じゃないけどさ。支払いに来るだけなのに気持ちはおちるので、新しい靴でスキップしてみる。

2024年08月05日
お安い 憂さ晴らしだよ
【お安い憂さ晴らし】
狂人73(兄)の #ケース会議 に行ってきた。
参加者は、ドクター、本人、家族(私)、担当介護士さん、主任さん。理学療法士さんと、栄養士さんからも経過報告あり。
なんとも贅沢なこと。
本人は発病した19歳とあんまり変わらない精神性だけど、11月には74歳。ドクターと話すのは、彼の老後。
今はどこも悪いところはなく、166センチ 56キロ BMI20と、みんながなりたい健康体。
レクレーションも夏祭りも積極的に参加していて、お買い物も自由。特に文句はなかろうと思うが、本人は、早く家に帰らなくてはならないという。
会議のとき、家に戻れる可能性はありますか?と、本人の前で一応聞かれるけれど、
可能性が0であることは、会議に参加している介護士さんも主任さんも、ドクターもわかっている。私は、無理ですと答える。
わかってないのは本人だけ。
自分のパンツも洗えない、ご飯も作れない、掃除もできない、すぐに激昂して問題行動を起こす、お金の使い方もしらない。
帰ってどうすんねんと思うが、毎日、それしか考えてないから仕方あるまい。
先生が、ああやって帰る帰るというけれど、若い頃のように、強い思いが継続してはいないようですと話してらしたので、それなりに老けてはいるんだろうな。
帰りに誰かを呼び出し茶でも飲もうと思って出かけたのだが、スマホを忘れていたので連絡をとる手段なし。スマホに侵されてるわね(笑)
てなわけで、帰ってきて辛めのパスタを作る。

ボンボニエールのご褒美カップケーキ480円を食べながら、憂鬱をはらい中。

お安い 憂さ晴らしだよ(笑)
2024年08月05日
それは美しくも優しくもない話だ
【それは美しくも優しくもない話だ】
8/5 goodmorning
朝、露地に水やりにいって、#母屋の1階 がおもいのほか涼しく、あぁ、夏場はここで稽古すりゃいいのかと気づく。
この部屋は、陽があまりはいらず昼でも暗く、子どもの頃は寒くて寒くてたまらない部屋だったのに、亜熱帯かと思ういまとなれば #夏のオアシス。
…と、思うのだが。
ここは昔、父の部屋兼応接間で、大事なことは、すべてここから始まった。
兄が発病し、まるで別人となり大学をやめて帰ってきたときも、ここで最初に会った。
暗い部屋の黒い応接セットの椅子にすわる目のすわった兄を見て後ずさりすると、私の気持ちを察した母が、「お兄ちゃんは病気だからね。優しくしてあげてな」と言った。
子どもなりの正義感で、私が助けようと思ったが、そんな思いは、簡単に崩れ去る。
居ることを忘れるほどおとなしかった兄の壊れた精神は、収まりどころがわからないまま、暴れる、叫ぶ、壊す。20代30代のストッパーのない腕力により、部屋も父の趣味のものも、大方 兄に壊された。
父が亡くなると母の部屋になり、母と兄は、ここで毎日ご飯を食べる。
母のヒステリックに兄を叱る声と、兄の反抗的な叫び声が常に聞こえていて、実家に帰っても、兄がいるときは、ここで食事をすることはなかった。
兄が短期入院をしているときだけが我が家の平安で、母のヒステリーも収まる。
もう、ずっと入院させればいいのにと思ったが、母は社会の中で生きていればいつかは正気を取り戻すと、息子を諦めなかった。
改善の気配もないまま、母が86歳、兄が66歳になるまで、その生活は続き、母と兄の力関係が逆転し、兄が経済の要だった母に手をあげたことで、私が兄を強制入院させ、地獄のような日々は終わった。
はずだったが、
母は、自分が施設に入ったいまも、兄が寂しげな顔で夢にでてきたの、あの子は優しい子やから、あの子が困るようなことのないようにしてやらなと言い続ける。
「あんたはお嫁に行った子やからな」と、遠慮にも聞こえることをいうたび、夫と再婚するとき言われた「あんたは家族を捨てるんやからな、あとは私はしらんで」と言った母の言葉が蘇る。
赤ん坊の娘を連れて24歳で離婚し実家に戻ったとき、「あんたは女やけど、本家の長男と一緒なんやからな」と、母なりにここにいればいいと言ったのだろうが、
これで一緒に兄をみてくれると思った娘が、再婚してまた家をでて、自分を裏切るのかという恨みにも似た思いもあったのだ。
老親が何十年もニートの老いた子どもをみる8050が問題になっているが、そこにいたるまでのエライコッチャは、なかなか他人にはわからない。
捨てればいいやんと思っても、親はなかなか子を捨てることはできないのだ。
今日は、改善してるはずもない73歳の兄と、ドクターや担当の看護師さん栄養士さんリハビリさんとの面談の日。
3ヶ月に一度のこの日のたびに、12歳から今までの兄と母にまつわる嫌なことがフラッシュバックし、一生こなければいいと毎回思い、
おとながすべて敵に見え登校を拒否をしていた思春期の頃と同じような、部屋からでたくない身体の重さを感じるが、
ま、拒否しても現実は来る。致し方あるまい。おとなだしな。
夕べ、「まま、優しいな。世の中は捨て置かれる老人もたくさんいるんやで」と言われ、
「ほんまに、いつ終わるんかな。ま、兄は母が死んだら私にすてられるやろな(笑)」と、笑ったが、そうもいくまい。
それは美しくも優しくもない話だ。
猫でも犬でも亀でもなんでも、簡単に捨てるひとは捨てるし、捨てられないひとは捨てないと同じだよ。

■8050問題とは
8050(はちまる・ごうまる)問題とは、80代の親が50代の子どもの生活を支えるために経済的にも精神的にも強い負担を請け負うという社会問題のことをいいます。 子どもが自立した生活を送れないため、80代の親の年金を頼りに生活しているケースが多く、困窮した生活を送っている方が少なくありません。
8/5 goodmorning
朝、露地に水やりにいって、#母屋の1階 がおもいのほか涼しく、あぁ、夏場はここで稽古すりゃいいのかと気づく。
この部屋は、陽があまりはいらず昼でも暗く、子どもの頃は寒くて寒くてたまらない部屋だったのに、亜熱帯かと思ういまとなれば #夏のオアシス。
…と、思うのだが。
ここは昔、父の部屋兼応接間で、大事なことは、すべてここから始まった。
兄が発病し、まるで別人となり大学をやめて帰ってきたときも、ここで最初に会った。
暗い部屋の黒い応接セットの椅子にすわる目のすわった兄を見て後ずさりすると、私の気持ちを察した母が、「お兄ちゃんは病気だからね。優しくしてあげてな」と言った。
子どもなりの正義感で、私が助けようと思ったが、そんな思いは、簡単に崩れ去る。
居ることを忘れるほどおとなしかった兄の壊れた精神は、収まりどころがわからないまま、暴れる、叫ぶ、壊す。20代30代のストッパーのない腕力により、部屋も父の趣味のものも、大方 兄に壊された。
父が亡くなると母の部屋になり、母と兄は、ここで毎日ご飯を食べる。
母のヒステリックに兄を叱る声と、兄の反抗的な叫び声が常に聞こえていて、実家に帰っても、兄がいるときは、ここで食事をすることはなかった。
兄が短期入院をしているときだけが我が家の平安で、母のヒステリーも収まる。
もう、ずっと入院させればいいのにと思ったが、母は社会の中で生きていればいつかは正気を取り戻すと、息子を諦めなかった。
改善の気配もないまま、母が86歳、兄が66歳になるまで、その生活は続き、母と兄の力関係が逆転し、兄が経済の要だった母に手をあげたことで、私が兄を強制入院させ、地獄のような日々は終わった。
はずだったが、
母は、自分が施設に入ったいまも、兄が寂しげな顔で夢にでてきたの、あの子は優しい子やから、あの子が困るようなことのないようにしてやらなと言い続ける。
「あんたはお嫁に行った子やからな」と、遠慮にも聞こえることをいうたび、夫と再婚するとき言われた「あんたは家族を捨てるんやからな、あとは私はしらんで」と言った母の言葉が蘇る。
赤ん坊の娘を連れて24歳で離婚し実家に戻ったとき、「あんたは女やけど、本家の長男と一緒なんやからな」と、母なりにここにいればいいと言ったのだろうが、
これで一緒に兄をみてくれると思った娘が、再婚してまた家をでて、自分を裏切るのかという恨みにも似た思いもあったのだ。
老親が何十年もニートの老いた子どもをみる8050が問題になっているが、そこにいたるまでのエライコッチャは、なかなか他人にはわからない。
捨てればいいやんと思っても、親はなかなか子を捨てることはできないのだ。
今日は、改善してるはずもない73歳の兄と、ドクターや担当の看護師さん栄養士さんリハビリさんとの面談の日。
3ヶ月に一度のこの日のたびに、12歳から今までの兄と母にまつわる嫌なことがフラッシュバックし、一生こなければいいと毎回思い、
おとながすべて敵に見え登校を拒否をしていた思春期の頃と同じような、部屋からでたくない身体の重さを感じるが、
ま、拒否しても現実は来る。致し方あるまい。おとなだしな。
夕べ、「まま、優しいな。世の中は捨て置かれる老人もたくさんいるんやで」と言われ、
「ほんまに、いつ終わるんかな。ま、兄は母が死んだら私にすてられるやろな(笑)」と、笑ったが、そうもいくまい。
それは美しくも優しくもない話だ。
猫でも犬でも亀でもなんでも、簡単に捨てるひとは捨てるし、捨てられないひとは捨てないと同じだよ。

■8050問題とは
8050(はちまる・ごうまる)問題とは、80代の親が50代の子どもの生活を支えるために経済的にも精神的にも強い負担を請け負うという社会問題のことをいいます。 子どもが自立した生活を送れないため、80代の親の年金を頼りに生活しているケースが多く、困窮した生活を送っている方が少なくありません。