2018年05月25日
なぎ姉の日本の神様 番外編!
【オラクル オラクル】
そして、なぎ姉の日本な神様のカードの会がはじまる。

ま、私は毎度のカードであるがの(力業で物事を動かすやつ、やるといったらやるやつ。男の神様ね(笑))。

あきこさんは、やっぱり素晴らしいお母さん(私も子どもとしてお世話になり中)。


起業のご挨拶にきていた中野 織由美 ちゃんもカードを引いてみる。納得してた(笑)

奈美ちゃんは弁天さん。そして、銀河に飛んでいく~(笑)

最後に、ひろかちゃんが持ってきてくれた猿田彦コーヒーで、神様づくし(笑)

そして、なぎ姉の日本な神様のカードの会がはじまる。

ま、私は毎度のカードであるがの(力業で物事を動かすやつ、やるといったらやるやつ。男の神様ね(笑))。

あきこさんは、やっぱり素晴らしいお母さん(私も子どもとしてお世話になり中)。


起業のご挨拶にきていた中野 織由美 ちゃんもカードを引いてみる。納得してた(笑)

奈美ちゃんは弁天さん。そして、銀河に飛んでいく~(笑)

最後に、ひろかちゃんが持ってきてくれた猿田彦コーヒーで、神様づくし(笑)

2008年05月22日
確かにお嬢様くささが

てなわけで、今日も始まりました。
本日、2時から花禄の落語を聞きにまいります。
江戸落語なんで、先日、かしぽんからとりあげた縦縞の着物にしようと思っていましたが、そのあと「お堅い会議」がはいりまして、それも間髪ない予定なので、果たして、これでええのか・・・
と、思案中 るいままです。
*********************

この章にでてくるのは、豊玉姫。
アマテラス(天照)の孫、ホノニニギの命が地上に降り立って、国つ神オホヤマミツの娘「コノハナノサクヤ姫」と結婚して三兄弟が生まれました
(つまり、アマテラス直系由緒正しき神様ですな)
その三兄弟の一人「山幸彦」が
海神(ワダツミ)の娘「豊玉姫」と出逢うシーン。
山幸彦はなくした釣り針をもとめて、海神の宮にむかうわけですが、探しもせずに桂の木に登ってまっております。
そこに豊玉姫の侍女が水を汲みに行きまして、水にうつる山幸彦をみつけ
恋に落ちます。
じゃ、身分の違う侍女と山幸彦の、みちならぬ恋かといえば、侍女は「言うまでもなく豊玉姫の分身ですから、山幸彦と豊玉姫は、むすばれるわけです」。
言うまでもなく・・・って。
まぁまぁ、そのへんのことは、これまでも神様について読み続け、結論として
「現代の人間の感覚で読んではいけない!」わけですから、なんなく読み飛ばし、
ここからがエロティックで、ちょっと好きな場面。
山幸は侍女に水を乞い、侍女が器にはいった水を差し出しますが、彼はそれを飲まずに、首飾りを解いてその珠を口に含み器に吐き出します。
侍女が、珠をとろうとしてもとれません。
これを「魂結び」といい、男女の魂を強く結びつける呪術です。
やむなく珠のはいった器を持ち帰った侍女が豊玉姫に事情を話し、不思議に思って表にでた姫が山幸をみたとたん 一目惚れしてしまいます。
珠を口に含み吐き出すというのは、結構 素敵なエロですな。
それから3年、山幸は、なにをしに来たかを忘れて豊玉姫と楽しくやってしまいます。
さて、仲良くしていれば身ごもり、出産もするわけですが
豊玉姫は夫に言います
「出産のときは自分の本の国の姿になって生むものです。決して覗かないでくださいね」
覗くなと言われて覗かない男神などいるはずもなく(このころの神様社会っていうのは自由ですから)、山幸は覗いてしまいます。
豊玉姫は、巨大な鮫に変身して生みの苦しみの中におりましたから、そりゃもう山幸は腰をぬかすほど驚いて逃げてしまいます。
一方、豊玉姫は、鮫になった自分を見られたことを恥じて、子どもを置いたまま海神の国に帰ってしまいます。
けれど、山幸を思うこころは押さえられず、残してきた子のことも気になり、妹の玉より姫を養育係として差し向けるわけです。
本の中で問題にしているのは、こうした男女のことではなく、豊玉姫と、その父「海神」の関係です。
考えれば、豊玉姫は、そう考えもせず山幸と結婚してしまいますが、山幸がなんぼのもんやという疑問は残ります。
仕事もわすれて3年も遊んでしまうような男です。
その任務を思いだした後も、豊玉姫の父 海神に助けてもらって果たします。
麗しき男ではあったようですが、妻の出産シーンにも耐えられない男です。
その男との結婚を、あっさり許してしまう豊玉姫の父「海神」
あんまり頼りになりそうもない婿を3年も家に置いてやる父。
そして、娘夫婦の仲があやしくなったら、娘におうちに帰っておいでといい、豊玉姫もあっさり帰ってしまいます。
実は、この父と娘の強い結びつきのお話に、「母親」が出てこないというのが、この章のテーマです。
女神は、巫女であり、母であり、女性としての熟した部分がクローズアップするのに、豊玉姫さまは、どこか「お嬢さん臭さ」がぬけない女神ではないか?
てな話しです。
そんなこんなで、以降は、また、次回に。落語いってきます。
2008年04月15日
巫女という職業

このドレス。丸亀町のブライダルのお店に、夕べ、飾られていたドレスっす、クリス。
ここは、頻繁に、むっちゃ素敵なのが、次々と飾られるので、嬉しいですね~。
********************
■天照は強い英雄と言うよりも、人に愛されて助けられ、善なる「母」としてのイメージが強い。けど、それが本来「天照」が望んでいた形かというと、それはアヤシイ(w
以前にも話したけれど、元々 日本の神さまは、ゆるやか~な括りの、上下関係のないざっくりした世界にくらしていた。
弥生時代には、土地の守り神である大国主命が主神として出雲の国から、いろいろなことを発信していた。
ところが、「大和朝廷」がが全国制覇にむけて動き出したとき、このままでは地方豪族も王家も同じ神を祀ることになるので、それより格上のブランド神をつくることになり
一番偉いんは「天照大神」だ!
と言いだして、それまでは、「常世国」とい場所でくらしていた神さまを、「高天原」系と、「常世」系にわけてしまう。
高天原系の「天つ神」の長が「天照」で、「天つ神」は「国つ神」より格上とされた。
太陽神たる天照がいなければ、いろいろ不都合もあるし、天照の孫(ニニギノミコト)が王家のはじまりと言われているのだから、ほかとはちょっと違う「神さま」でないといけなかったのは分かるけれど、
結局のところ、そうした権力意識で、神さまの世界もいろいろ都合良く書き換えられている。
■そうして天照をブランド化したため、最初は、彼女を祀る「伊勢神宮」は、庶民では参詣できなかった。
けれど、平安時代になって朝廷の財政悪化により、広大な伊勢神宮をいじできなくなり、御師を各地の貴族のところに送って布教させ、資金集めをはじめた
それでも足りず、鎌倉時代には庶民も布教の対象にした。
今の税金対策と、とっても似てる(w
■で、表題の「巫女という職業」
巫女というのは、私たちの感覚では、「神聖で堅い処女」の職業だが、「処女性」の考え方が違うのと同様、「巫女」のイメージも違う。
そのころの「巫女」というのは、かなり先進的な大人の女性だった
天石屋戸に隠れた「天照」を呼び出した功績の「アマノウズメ」も、巫女だ。
「アメノウズメ」が石屋戸の前で踊ったダンスは、かなりエロティック。
「乳房をかきだし、衣装を押し下げて女性の陰部を露出させ、拍手を取って踊る」
それを見ていた神々たちの「笑い声」が、天照を誘い出すことになる。
日本神話には、女性の陰部により「魔神や悪霊を追い払える」という観念があった。
女性の陰部は、邪神を払い、神を和ませ、元気づける力があるともされていた。そこに「笑」が加わると、さらに効果的。
それは、琉球の神話にも、アイヌの神話にも、ヨーロッパの神話にも残っているというので、全世界共通の「説」なのかもしれない。
けどま、いくら神聖なこと、神のよろこぶことであっても、そんなことを、だれでもかれでも出来るものではなく、それを「巫女」が担っていた。
和泉式部が夫の浮気癖をなくし、夫の愛を取り戻すため神社に祈願した際、巫女が、
鼓をうち、前をかきあげて「このようにしてください」というと、
和泉式部は「神に見られるのもはずかしい!!」と歌を詠んだそうで、
巫女とは、神の国と人を繋ぐ、重要な役割を果たす職業の「選ばれし女性」だった。
**********************
巫女だけで、えらい長くなったので
「天照」巫女説は、次回(笑)
2008年04月15日
処女神・天照

さて、沙世@るいまま でございます。
本日のテーマは、天照は、神か人かシャーマンか?
天照を語る前に、ギリシャ神話の「アテナ」のことを語らなくてはいけなくて、なぜかと言えば、その前に「処女性」について語らないといけないからです。
■単に「処女」といわれるけれど、「処女」ってなによ?
ここでいう「処女」というのは=誰にも属せず、どの男性からも独立している
ってことなので、天照は「処女神」。
■でも、そのくくりがギリシャ神話の処女神「アテナ」とは、ちょっと違うかも。
アテナは、きわめて禁欲的な生活を送り、英雄たちの援助はするが性的な関係は一切もたない。女性的な性質ももたず、武器の発明や、冶金、医術など、きわめて男性的な技術の神だった。
なんたって、父ゼウスから生まれたとき(アテナも、天照も父親から生まれている)、すでに甲冑をつけ武装していたと言われている。
彼女が男の神にあたえるのは、女性としてのものではなく、戦略や策略。
だから、知性の神とも言える。
出産についても、足にヘーパイストスの精液をひっかけられたとき、それをぬぐった羊の皮から子どもができたとあるが、彼女は、その誕生をちっとも喜ばない。
別の文献では、精液をひっかけられたとき、アテナ自身の姿がとけてなくなったともある。
よっぽど、いやだったのね・・・
■こなた、天照は、豊穣の神・機織りの神。
豊穣の神は、母性の象徴で、「機織り」は神衣をつくる神聖な仕事、その神といえば特別な意味をもつ。
天照は、決して自ら英雄とはならず、周りが「天照ちゃんのために、してあげよう!」と動いた。
あくまでも女性として生き、戦うこと武装することは、まずない。
一度だけ、高天原に上ってこようとする乱暴者の弟スサノヲを止めようと武装したこともあるが、そのときも口先でスサノヲを煙に巻き、決して力で争わない。
ところで、天照の「処女性」だが、
豊穣の神・天照は処女神だから、誰のものでもないが、反対に誰にでも我が身を与えることもできた。豊穣に仕える男性であれば天照からの愛は受けられた。
「処女」の意味合いが、現代社会とは大きく違うので、混乱しやすいけれど、子どもを生もうが何をしようが、天照は処女です。そのあたりを頭においていただいて
■天の石屋戸のあとの天照
スサノヲという天照の二番目の弟は、乱暴狼藉やりまくりの困った神。畦はこわす、灌漑の溝は埋める、神殿に大便はする、果ては、神聖なるはたおり女めがけ、皮をはいだ馬を投げ込む。
そんなこんなで怒った天照は天石屋戸に隠れたといわれているけれど、豊穣の神として、それはどうなんだろう。
太陽がなくなって、闇の世界になると、困るのはスサノヲじゃなく、むしろ住民のみなさま。
天照は、びびりなので、スサノヲの乱暴が恐くなり、あとさきなく逃げ込んだってことかも。
石屋戸は「棺桶」をあらわすことで、「死」を現し、たいていの場合「死」して「再生」したときには、とっても強くなる、改心してすばらしい人となるなど、「変化」が起き、それはヨーロッパの神話でもいわれてまして、
かのユングも「死の航海」とまとめております。
「死の航海」とは、太陽が夕方、西の「死の海」にのみこまれ、その子宮たる洞窟中に現れた龍の分身と戦い(様々な試練を乗り越え)、勝利して東の天に勝ち誇る「太陽」となって現れる。
これは、少年が大母(無意識)を克服し、自我(意識)を確立するという意味
なので、天の石屋戸から、でた天照も、一皮むけた英雄となって現れるはずが、相変わらずの依存で、
天の石屋戸からでるときも、アマノウズメのダンスにみんなが笑っているのを見たくなって扉をあけたところを、力持ちの神さまに引っ張り出してもらってでてきて、逃げかえらないように退路にフトダマノミコトがしめ縄をはってくれたので、元に戻れ、
自らの動きではないわけです。
そんな天照ちゃんの「巫女」説は、次で
2008年04月09日
日本の娘女神は



精霊崇拝という言葉があります。
日本の古代人たちは、万物には霊魂があり、空気中にも数多くの霊魂がいて
雨が降り、風が吹くのも霊魂たちによるものと思っていました。
そして、その様々な霊魂によって自分たちは「生かされている」と感じ、あらゆるものを神様として祀ってきたようです。
この素朴な考え方、私は嫌いではありません。
外国の人たちだって、たぶん、最初は水の精、火の精という自然神といきていたはず。
仏教というのは、釈迦の教えを、インドや中国の知識人がまとめ、朝鮮を経由して渡ってきた外国文化。
当時(6世紀半ば)の日本にとっては、とても先進的な科学知識満載の教えでした。
自然事象だけにたよる、観念的な神道では解明できないことを説く仏教を取り入れないとヤバい!
と感じた豪族たちが「僧」をやとい、神前で仏事をおこなわせたのが
「神仏習合」
のはじまり。
中世期には
「日本の神は仏がかわりに現れたもの」
とまで話は飛躍(笑)
で、表題の女神
天照大神やイザナミは「母」なる顔が色濃くありますが
娘神と呼ばれる女神たちは母がおらず
父親との結びつきが大変強いとか。
トヨタマヒメもこのカテゴリのようです、マロン。
(そのあたりは、おいおいに)
それはさておき
なぜ 水辺で恋が生まれやすいかについて
水に映った影だけで男女が結ばれたり、身ごもったりするという言い伝えが 世界中にあります。
昨日書いた「ルサルカ」だって
人間の姿になった途端、王子と結婚にまでいたるのは
「水」というキーワードがあるからこそ
と
私は、思います(笑)
一瞬で恋におちたり
一夜で子を身ごもったり
このむちゃぶりこそが神様ロマン。
本日みた映画
「人のセックスを笑うな」
の
「セックス」
を
「ロマンス」
と英訳してるのは正解ですな。(笑)
てなわけで、本日のスタバでの資料よみ終了
(携帯からだと この程度が限界なので、つづきは帰ってからということで…
面倒になって書かない気もするが(笑)
ご飯たべにいきま〜す
2008年04月08日
水の精ルサルカ
BSで「ドン・カルロ」を見ながら、このところご無沙汰になっていた
「PCから、ちゃんとブログを打つ作業」 をしていた、るいままです。
やっぱり、携帯から写真だけ送ってたんじゃダメっすね。自分でよんでも、意味わからんわ(笑)
ましてや、6日のお花見Dayのやつは、すべてが「酔っぱらい」な状態なので、ますます意味不明。
「馬鹿か おまえは」との指摘もいたしかたない状態(w
で、オペラを見ながらやってたからってことでもないのですが、香川を代表するソプラノDIVA Lindaのブログに、「ルサルカ」の話があったので、ついでに ちょこっと調べておこうかと。
「ルサルカ」は、ドヴォルザーク作曲のオペラでして、チェコ語で上演されます。
このチェコ語というのが、なかなかの難題のようで、スラブ系と呼ばれる言語のひとつで、もともとはひとつの言語であったスラブ語が、歴史の中で方言分化されているうちに1つの言語として成立していっているので、
似ているようで 似てなくて 法則があるようで なさそうで・・・・
外国人が学ぶ外国語のなかでも最も難しいといわれているそうです。
ロシア語、ウクライナ語、ポーランド語、チェコ語etc ってのが「スラブ言語」の末裔。
正直、ドヴォルザークっていえば、オペラよりも交響楽・・・アメリカに渡ってからの「新世界」のほうが先に頭にうかび
あとは、以前にコンサートの解説をしたときに喋った「我が母の教えたまいし歌」、「ユーモレスク」・・・・
それくらいしか頭に浮かばない貧弱な知識しかないので、なんら偉そうなことはいえないのですが、資料を集めているとおもしろいこともわかったのでメモを。
ドヴォルザークは、11曲のオペラを残しているのに、スラブ語系であるハンディもあって、オペラ「ルサルカ」以外の上演は、あまりなされていない模様。
解説には、話そのものがおもしろくなかったのでと書いてあるものもある。
確かに、オペラは、音楽・文学・演劇・舞踏などの総合芸術だから、脚本がおもしろくないんじゃねぇ。(と、偉そうにいってみるw)
さて、「ルサルカ」とは
スラブ神話の水の女神が「ルサルカ」。美しい女神というよりも、若くして亡くなった女性の「迷える魂」という感じで
美しい美貌と妖艶な踊りによって男性をまどわせ、男性が命尽きるまで踊らせるとか (いやいや、なかなかの女神です!)
オペラ「ルサルカ」の中の「ルサルカ」は、もっと可憐。
お話の元になっているのは、北ヨーロッパの水の精の伝説。
アンデルセンがそれをもとに書いたのが「人魚姫」で、オペラ「ルサルカ」は、ドイツロマン派の作家 フケーの「ウンディーネ」のアレンジ。
「ウンディーネ」はドイツ語。フランス語だと「オンディーヌ」。 和訳すれば「美しき水の精」ってことかな?
とにかく、よく人間に恋をする妖精です。
水の精ルサルカが、湖にやってくる王子様に恋をし、魔女に頼んで「人間」にしてもらう。その代わりに「声」を失うことになる。
試練はもっと深く、王子がもし心変わりしてしまえば王子もルサルカも命を失う・・・
美しい娘「ルサルカ」に、王子はすぐさま恋をして城に連れ帰り結婚をすることになる。
けれど、「しゃべらぬ姫」のことがだんだん退屈になった王子は、よりにもよって結婚式の客としてやってきていた外国の王女さまに求愛してしまう。
取り乱したルサルカは、城の湖に住む、父のように慕う「水の精」に事の成り行きを話し、怒った水の精は王子に呪いをかける。
傷心の中 湖にもどったルサルカに、魔女は、「王子の命をうばわねば、おまえの命もない!」といってナイフを渡すが、ルサルカは自分の身を犠牲にしてでも王子を助けたいと・・・
ルサルカを追い、湖にきた王子は、もはや「人間」でもなく「妖精」でもない傷ついたルサルカを見て、大きく後悔し許しをこうが、ルサルカは心を開こうとしない。
ルサルカは、裏切った王子に「死の接吻」をしなくてはいけないが、愛ゆえにそれができない。
しかし、王子は、ルサルカが、どんなにいっても「死による安らぎ」のほうがいいと接吻を求める。
そして、死の接吻の末、王子はルサルカの腕に抱かれ死んで行く・・・
死によって、王子の呪いはとけたが、ルサルカも運命からのがれることはできず、湖の底に沈む。
なんでこんな意志薄弱な浮気男に恋しちゃったかねぇ・・・
いや、わがままな男前ってのに弱いのも、これまた真なり・・・ああ
まぁまぁ、男と女には、どうしても超えられない意識の性差があるってことで。
********************
そして、テレビは、
今は昔 竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。名をば、さぬきの造となむいける
と、はじまっております・・・
こちらは、気まぐれなお姫様に翻弄される男性のみなさま。ですかね。
★写真は、DIVA・Linda と るいまま組3月30日版 の みなさま。