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2022年05月31日

たつの8 出会いの旅だった


【たつの8 出会いの旅】

すでに21:00をだいぶ過ぎ、私のスマホの充電はとっくになくなり、もう高松に帰って、とっととリポートせよのサイン。

そんなところに、いかしたおねえさんが、ひとりで #ゲストハウスPERCHのバー にふらりと現れました。

ゲストハウスのかわいいおねえさんが、高松から来た私たちと蘊蓄ギタリストを紹介してくれると、

なんと、#音乃蔵 に惚れ込み地元紙に取材手配をされた記者さんで、今日の西垣正信コンサートにも来られていたとのこと。

飲み屋の話は酔っぱらいに聞くのが一番!と、私たちがいろんなひとから美味しいと紹介されたものの、結局行けなかった 酒と飯 #愛山 について聞くと、

美味しいですよ〜いま、そこで飲んでて、帰りにPERCHに寄ったとのこと。自分が出るときテーブル席が2つともいっぺんに空いたので、いまが狙い目。

そんなことを言われると、高松に帰る前に一目見たいのが心情。じゃ、一杯だけ飲んで帰りますか!と、いかしたおねえさんのガイドで 愛山に向かうことに。



その前に、ちょっと見てもらいたいものがと、連れていかれたのが、#かんの文具 。





いかしたおねえさんは、この文具店のお嬢さんでした。

大正時代のおわりから昭和のはじめに流行った、舞台の大道具のように作られる看板建築のお店は築150年。古さを誇る築70年の茶室る庵の倍。素晴らしい!

うまい具合に枯れた建物の良さを残してリノベーションし、重森三玲の孫 重森千青の作る通り庭や揖保川を見通せるドア、こまいを見せる展示壁、空が広がる天井など、素人じゃ思いつきにくい斬新かつ気持ちの上がる場。








のちにわかるのは、彼女はフランスに現代アートを学びに留学していたのだとか。やはりね。

旅の最後、ここがなかなかはいれないバーになる前に見せてもらって良かった!(笑)



さて、酒と飯 #愛山。

行ってみれば夕方までいた、#うすくち龍野醤油資料館 のお隣。

なんだ、こんなにちかかったんだ!と言いながら、一番人気のデザート、#パリパリおさつのバニラアイス を注文してみると、

30センチもあろうかという、細長いさつまいもチップスのタワーがのっかったアイスクリームが(笑)

ふたつも頼んじゃったよ。もう笑うしかないわね(笑)



そうこう言いながらも、ちゃんといただき、いかしたおねえさんともわかれ、西垣さんに見送られながら、23:00いざ高松へ!

最後の最後まで、おもしろきことが続いた たつの遠足。

お付き合いいただいたみなさま、ありがとうございました。

出会ったみなさま、また会えますように。


  

2022年05月31日

たつの7 ゲストハウスPERCH



【たつの7 ゲストハウスPERCH 】

考えてみれば、コンビニのない街で、私たちのような無計画な人間が、飢えもせず喧嘩もせず、夜までご機嫌に、たつのの城下町で遊んでいられたのも、ひとの情のおかげかもしれません。

それで調子にのっていたのかも。

西垣さんの泊まる宿は、映画「#男はつらいよ寅次郎夕焼け小焼け」の撮影現場にもなった #梅玉。



お料理も美味しいと聞くし、一緒に行けば何か食べられるはず…と、思ったのが間違い。

コロナで観光客が激減し、たつのは夜の営業をやめた店も多く、梅玉さんもお食事はできないとのこと。

でも、お友達もお車は置いてくださったらいいですからと、またまた優しい対応で、茶人、蘊蓄ギタリスト、洋子、るいままの4人で、夕飯をいただける場所を探す旅に出ることに。

しかし、いろんな方に紹介いただいたお店に電話するも、満席つづき。これまた、ランチ難民同様の憂き目にあうのか!

てなところに女神が現れる。



夜の早い日曜日の川原町に、まるで灯台のように灯のともる #ゲストハウスPERCH 。

ダメ元で声をかけた蘊蓄ギタリストが、「軽食ならできそうだ、ほかの店があくまで繋ぎで飲んでおきましょう」と話をまとめてくれ、ひとまずそこで腰をおろすことに。



とてもかわいいおねえさんが、たいしたものはできないんですよ、たくさんはできないんですよと言うので、

「いいの、いいの、気にしないで」と言った私たちのほうが間違っていたと気づくのは、そのあとすぐ。

運ばれる料理は豚キムチや麻婆豆腐、焼きそばながら、ツボを抑えたお味で、むちゃ美味しいじゃないの!








なにより、時間をつぶすだけに来たような失礼な私たちにも、丁寧な対応で、たつのの情報を教えてくれたり、次のお店、早く連絡があるといいですねと言ってくれたり。



昼の #看板のないお店の女将さん といい、#うすくち龍野醤油資料館のおじさん といい、#ガレリアのマダム といい、#PERCHのおねえさん といい、この街のひとは、なんて親切なんだ!



だんだん、他のお店に行かなくてもいいんじゃない? ここで十分にお腹を満たしましょうとなり、夜もすっかりふけました。



さて、そろそろ高松に帰るか!となったとき、もうひとりの女神が登場。

それは、次の項で。



■ゲストハウスPERCHは、#KINGDESIGN のデザイナーさんがオーナーさんらしいな。美味しいやんと言ったら、おねえさんがオーナーのレシピなんですと話してくれたが、アウトドアの好きそうな元気でかっこいいお父さんみたいだ。
オープンして半年でコロナの波を被ってしまったようだが、だんだんに元に戻ってきているようで良かった。

たつのに行ったら、また寄りますね。


  

2022年05月31日

たつの6 醤油と醤油まんじゅう



【たつの6 醤油と醤油まんじゅう】

西垣正信コンサートのあと、閉館間近の #うすくち龍野醤油資料館 へ。



#醤油の三大産地 はキッコーマンやヤマサがある #千葉県、我が讃岐の #小豆島、そしてヒガシマルの #兵庫県龍野。小麦、米、大豆、塩の揃う場所と言われる。

醤油の原型は、紀元前700年頃の中国の古文書「周礼」に記されている「醤(ひしお)」だが、産業として醤油づくりは16世紀頃にはじまる。

やがて、日本の食文化には欠かせない調味料となり、大都市大阪京都に近い龍野の薄口醤油は、料理とともに洗練されていく。

うすくち龍野醤油資料館本館は、1932年(昭和7) #菊一醤油造合資会社 本社として建てられ、浅井醤油合名会社との合併後、龍野醤油(株)となり、のちに #ヒガシマル醤油(株)と改称しヒガシマルの本社ビルとして使っていた建物。

外観はレンガ造り風のルネッサンス様式ながら木造建築。



2008年(平成20)には国登録有形文化財に登録。「兵庫県景観形成重要建造物」「地域活性化に役立つ近代化産業遺産」にも認定されている…のだけど、私のスマホの充電があやしくなり、建物の写真は資料館パンフレットの表紙写真から(笑)。


売店があったのでお土産を買おうと思ったら、すでに #醤油まんじゅう は売り切れており(閉館間近だからね)、残念がっていると、

下川原の #觜崎屋本店 から仕入れているので、お店まで行けばあるかもと場所を教えてくれ、それでは参ろう!と、觜崎屋本店へ。









觜崎屋さんは、醤油まんじゅうだけじゃなく、生菓子の種類も多く、古い菓子木型も展示されておりました。

ここで、私は火曜日の織部チームとのお茶菓子をちょっと買い、洋子ちゃんは醤油せんべい。そして、茶人は、残りの醤油まんじゅうを買いしめる。さすがでございます!




ほんのり塩味、甘すぎないおまんじゅうでした。




向かいの駄菓子屋さんで、#シャネルのブローチ(脇坂藩の輪違い紋の缶バッジ 200円(笑))を、茶人に買ってもらったり、下川原のお店を見たりしながら、




(こちらは、もうひとりの醤油まんじゅうの名店 吾妻屋)

うすくち龍野醤油資料館の駐車場に帰ってきたら、資料館の方が待っていてくださり、「ありましたか? よかったです」と声をかけてくれました。

資料館はすでに閉館してるのに、ありがとうございました!



  

2022年05月31日

たつの5 西垣正信 コンサート at たつの音乃蔵



【たつの5 西垣 正信 コンサート】

今回の、たつの遠足のメインイベントに、ようやく到着。

たつの #音乃蔵 で開催される 蘊蓄ギタリスト #西垣正信コンサート でございます。

音乃蔵は、オーボエ奏者の井口英樹さんが自宅敷地内の農業用倉庫を改装した小さなホール。





土壁造りの2階建ての建物を、くぎを使わない日本伝統工法で構造補強して吹き抜けにし、天井高は約5メートル。

単に古民家をホールの形に改装しただけでなく、音楽家がこだわりをもって作ったホールだけあり、会場の響きをなにより重視する西垣さんに、いつまでも弾いていたいと言わしめたホールです。

都会のホールは地下に何かがいて常に振動しているけれど、ここにはほんとうの無があるとも言ってました。

このあたりは、城下町から少し離れた農村地帯で、涼しくのどかで静かな場所なのです。

西垣さんの後ろには、今回は観客となっていたスタインウェイのグランドピアノ。

いまは、コロナゆえ、客席も間隔を広めに開けておりましたが、2階席を含めて65席だそう。

ちょうどいい座席数だなと、感じるクラシックの演奏家は多いはず。

今までにも、ピアノや声楽のコンサートが開催されているようで、

今回、初めてのギターコンサートに音乃蔵さん自身が、ここはギターの聖地になるかもとFacebookに書かれていました。私もそう思うよ。

ホールというよりサロンのように演奏家を近くに感じられる会場の一番前の席には、西垣さんの小さなお弟子さんである さときくん。

YouTubeで、その利発な様子は見聞きしておりましたが、演奏会最後の質問コーナーで、「その音は意図するものですか?」と大師匠に問い、師匠は「意図なくしてしない」と答え、どっちがおとなだというやり取りを、私たちも楽しませていただきました(笑)




西垣正信のコンサートのことを、今更私がなんと書きましょう。早朝から昼下りのこの時間までにあったさまざまなことを浮かべながら、ただただ身を委ねるばかり。

ファリアの火祭りの踊りを聴きながら、三神を食べるために炎天下の坂道をのぼる茶人の姿を思い出していたのは内緒です。

演奏会のあと、さときくんやお弟子さんとお茶を飲む、#ガレリア の会にも誘っていただき、ありがとうございました。














揖保川沿いにそびえ立つ #ヒガシマル醤油 本社ビルのお隣の ガレリアのマダムも親切で、ランチ難民になった私たちのために、夕飯の場所を探すべく、いろんな所にお電話くださって、お世話になりました。



コンサートの様子は、音乃蔵さんのFacebookページから。

「音乃蔵初のギターリサイタルが開催されました♪

想像以上の豊かな響きにビックリ!

演奏していただいた西垣正信さんの楽器や技術もありますが、
「え?!ギター弾きの聖地になるんちゃう?」
ってなるくらいの音響でした。
また次、機会がありましたらその響きを確かめに是非ご来場くださいませ♪」









  

2022年05月31日

たつの4 龍野城とランチ難民


【たつの4 ランチ難民】

さて、たつの遠足午前の部、#聚遠亭、#たつの市立龍野歴史文化資料館 と時間をかけて回ったあと、

隣の 復元されいる #龍野城本丸御殿 に行くと思いきや、「これは… ま、よい」と、またまた茶室を窓から覗き見て龍野城見学終了。












実は、午後から、蘊蓄ギタリスト #西垣正信 が、たつの #音乃蔵 でコンサートをすることになっており、

これが本日のメインなのに遅れたりしたらシャレにならんので、そろそろランチといたそう。

たつのを知るひとから聞いていた候補の店、揖保素麺の人気店 #霞亭 は、たつのを甘く見て予約もしていない私たちでは当然にして入れず、



なにやら素敵なお庭があるやんと行った #じょんの庵 も本日は予約満席の札。





ほかを回るも、このあたりは、小さな古民家を改造したお店が多く、「予約なしのものなどランチ食うべからず」状態。

そんな中、看板は出てないけど、なんか美味しそうなオーラを感じる。と、るいまま洋子が立ち止まって中を伺っていると、中から女将さんが出てきて話を聞いてくれるお店が!

夜は一組限定、お客様のために一週間食材探しをするというお店ながら、女将さんは気さくで優しく、ランチなら私たちでもお支払いできそうなお値段。いよいよランチだ茶人を呼ぼう!って所に、茶人が揖保素麺を食べられる店と連絡がとれたと現れ、さぁここか、揖保素麺かとのせめぎあいが始まる(笑)

すると、女将さんが、「せっかく連絡取られたのだからそちらにいってあげてください。そちらがダメだったら、また帰ってきてくださったらいいですから」と、なんともおとなな言葉をかけてくださり、

心を残しつつも、確かに揖保乃糸の産地まできてんだし素麺も食べとかなねと言いながら、店を目指す。

ところがだ!

そこは、えんえん続く坂の上、いや山の上。私は大好きな坂道なれど、歩くのは最小限にしたい茶人には魔の道。時刻は正午過ぎ。この日は見事な晴天。気温29度!

素麺が勝つか、炎天下の坂道が勝って撤退すると茶人が言い出すか!

私は無情にも茶人を捨て置き先を歩き、今日は奈美ちゃんにかわり洋子ちゃんが茶人に付き添いのぼるのぼる。

かくして、到着したのは #すくね茶屋。素麺が勝ちましたな(笑)

こちらは、揖保乃糸の最上ランク「#三神」がいただけるお店。

揖保乃糸には7つのランクがあり、三神は上質の原料小麦粉を使用しているだけでなく、組合が選抜指定した数軒の熟練した製造者にしか作れないうえ、製造時期が12月下旬〜翌2月上旬と特級よりもさらに短め。そして麺ももっとも細いです。製造量は揖保乃糸全体のごくわずか。

すくね茶屋さんも、いまお出ししているぶんを出し切ったら終了だそうで、私たちは幸運の客であったようです。



すくね茶屋の隣には、たっぷり駐車場がございます。是非、お車で(笑)

優しくしていただいた女将さんのお店は、こののち出会う、たつののひとたちの中でも評判がよく、近々、また たつのに出かけるときにお邪魔し、その時、ご紹介しますね。




■龍野城

復元された本丸御殿も見学もせずあっさりあとにした龍野城についてちょっとメモ。

龍野城は、脇坂氏が入るまでは、なんだか落ち着かず、京極氏が丸亀に移ったあとは、いっとき幕府領となり代官によって支配されていましたが、その間に相当荒らされ、信州飯田から脇坂安政が入部したときには侍屋敷も壊され「城郭の地ことごとく土人の田畑となるありさま」で、安政自身も城下の商家を居館として暮らし、一年かけて城を再建したそう。

私たちからみれば、いきなり現れる裁判所は、明治時代になり廃藩置県のとき、龍野城の建物は競売により取り壊され、大手門から冠木門に至る中間に裁判所が建てられたからのようです。






  

2022年05月31日

たつの3 鹿島守之助、小西惟冲



【たつの3 鹿島守之助、小西惟冲】

私たちには珍しく早朝7:30に高松を出発したこともあり、#聚遠亭 でかなりの時間を費やしたのに、まだまだ午前中。

次に向かったのは龍野城の隣にある、#たつの市立龍野歴史文化資料館 「鹿島記念歴史文化資料館」





あえて、#鹿島記念歴史文化資料館 を加えたのは、この資料館建設において、鹿島建設の中興の祖 #鹿島守之助 は切り離せないから。

鹿島守之助は、江戸期たつの(揖保川町新在家)の豪農としてしられた #永富家 の四男として明治29年(1869)に生まれる。

永富家の隆盛ぶりは、また資料館に行かれたときに確認いただければいいのだが、

守之助の父・敏夫が12歳で家督を継いだ明治8年頃には、永富家の広大な田畑も所有地も倉の中の宝物も、価値あるものはほぼ無くなっており、

敏夫自身も「詩人 撫松山人と号して文人墨客と交わり、関西詩壇に名声を得たが、名利や世俗のことには超然として孤高を愛し、それを誇りとした人物」とあるので、

規模は小さくとも、小説家になるとまぁまぁの商家の身代食いつぶした我が家の3代前あたりも同じ道を辿っているので、守之助少年のご苦労は想像がつく。


とはいえ代々の家柄。永富守之助は東京帝国大学卒業後、外交官となってヨーロッパに赴く。

その船上で、当時の鹿島組(鹿島建設)社長 #鹿島精一 と知り合い、守之助の人柄や才能に惚れ込んだ鹿島精一から、是非娘の養子にと乞われるが、養子には気乗りせず断り続けていたある日、

「私は役人を辞めて政治家になりたい」と言うと「そりゃけっこうですな。鹿島組の事業には、政治が必要ですよ」と言われ陥落。

1927年(昭和2年)2月、鹿島精一長女卯女と結婚し鹿島守之助となり、鹿島組を引っ張っていくひととなる。


たつの市立龍野歴史文化資料館は、その鹿島守之助が設立した #八重洲ブックセンター から建物の寄贈を受け、平成元年10月31日に開館した資料館なのだ。

八重洲ブックセンターは、守之助の「どんな本でもすぐ手に入るような書店が欲しい」との遺志を受け継ぎ、

鹿島建設が赤坂へ移転したとき、八重洲の同社旧本社跡地に、世界一の売り場面積と、当時流通するすべて本を展示する書店として作られた日本最大の書店。

1978年9月18日開業。120万冊ともいわれる膨大な在庫量を誇る。

今のように簡単に本が届く時代ではなく、生きていれば92歳の私の父の世代は、東京出張に行けば八重洲ブックセンターに行くはセットだったことを思い出す。


資料館の展示内容は、あれこれ説明するものでもないのだが、もうひとりだけ書き残したいひとがいる。


龍野藩脇坂家 の記録を細密に残した #小西惟冲 (こにしいちゅう)。

小西惟冲(1769-1854)は、大坂懐徳堂出身の竜野藩の藩医であり、藩校敬楽館の教授。読書指南役、朝鮮通信使来聘御用掛もつとめたひと。

藩医とあるが、知識人として幅広く活躍したことがわかる。

資料館に残された惟冲の筆致と、その細密で整然とした記録が脇坂藩にとってどれほどの力になり、のちのちの藩の行方も左右したのではないかと感じた。











記録というのは、何かと軽んじられるが、ひとの記憶ほど曖昧なものはなく、時がたつほどに記録は重要性を増す。

小さなことをチマチマ書きやがってと思うかもしれないが、小ネタはチマチマ溜め込むに限る(笑)

いや、惟冲先生は、私のような姑息な理由で記録を重ねたのではない。



最後に、脇坂藩の貴重な甲冑や面頬をみながら、脇坂藩の家紋 #輪違い紋 がどうみてもシャネルのマークにしか見えず、

高松出身の現代アート作家 #野口哲哉のシャネル侍 の話ばっかりしていた私たちをお許しください(笑)






いやぁ、ここも楽しかった!



■たつの市立龍野歴史文化資料館
https://www.city.tatsuno.lg.jp/rekibun/top.html

たつの市の資料館情報は、ほんとにあっさりしてるので(笑)、龍野城にいかれたら、是非実際にお運びを。

お土産の古地図5枚組500円は、超お得。一緒に買った茶人は、買って満足し、まだ封を解いてないと思う(笑)



  

2022年05月31日

たつの2 聚遠亭



【たつの2 聚遠亭】

龍野城と言えば、赤松、秀吉、蜂須賀、京極と名前がでますが、そのあたりことは城ガールに任せ(笑)、茶人&三文文士チームの私たちは、

寛文12年(1672年)、#脇坂安政 によって鶏籠山麓の居館のみ陣屋形式で再建された龍野城の茶室があるという #聚遠亭 (しゅうえんてい)へ。



「聚」という文字を見ると、茶に関しては野良猫派を名乗る三文文士のワタクシであっても、最初に思うのは、秀吉が作った #聚楽第(じゅらくだい)。

「聚楽第とは長生不老の楽をあつむるものなり」と言われ、「聚」には集まるという意味があります。

この聚遠亭も「#老中松平定信 が脇坂氏の上屋敷を訪ねたとき、庭園から龍野城城下町越しに淡路島や瀬戸内海の島々を望める眺めの素晴らしさから当地を「#聚遠の門」と呼んだ」とあり、

美しきものが集まった場所。

聚遠亭庭園内にはいり、山から続くその素晴らしき苔むす世界に「素晴らしい」と声をあげ、

すぐ左に見えた茶室(浮堂)の障子の隙間から、ここは水屋だ、床が見えますな、中を見せてくれんのか?、声をかけてくださいとありますよ、事務所はどこだと言うておりますと、

苔の手入れをされていた女性が「ご覧になりますか?」と声をかけてくださったので、見学の手続きをしたいのだけど事務所はどこでしょう?ときくと、「事務所はないんですよ。どうぞ」と水屋側から招き入れてくれました。

意外にあっさり見学できたことに感激していると、ここにある3つの建物は、コロナ前までは茶会もよく行われており、この歴史的茶室 浮堂も使えるとのこと。

■「浮堂」は、安政年間(1854~1859)龍野藩主脇坂安宅が京都所司代の職にあったとき、御所が炎上、その復興に功績があった孝明天皇から賜った茶室。心字池上に浮堂として移築したもので、桃山時代の書院造を模した数寄屋風の建築物。







チーム150の洋子ちゃんでちょうどいい天井高で、私や茶人は注意していないと頭を打ちますが、開け放した窓から遠くまで見渡せ、ここはせわしく動き回らずに、ゆっくり時を過ごせということかもしれませんな。

大きく手をいれず、枯れた風情です。


■ふたつめの茶室「#楽庵」

「昭和58年ヒガシマル醤油株式会社の寄贈により利休居士十五世裏千家鵬雲斎千宗室御家元の御指導と御命名を頂き完成しました。間取りは八畳、六畳の広間と四畳の鞘の間を持つ本格的な広間の茶室」

とある、整った美しい茶室でした。








■そして、一番大きな建物は、脇坂氏の「#御涼所(おすずみしょ)」。

「藩主脇坂家の御涼所で質素勤倹の風のなかにも雅味のある接客、居住部門などの間取りや、意匠と構造に特徴があり、また床下の抜け穴等にも当時の面影を残しています」

と、あるように、山麓の土地をうまく利用した高床の建物の下にある抜け穴も見ることができます。ロフト的な2階部分があるせいか、大変涼しい構造で、気温30度近い日に街を散策する私たちには天国。







大寄せの茶会もできる広々とした建物ですが、門からここまでは1段1段が高い石段を上りますので、お気をつけください。



はい、私は大好きなやつです(笑)







  

2022年05月30日

たつの1 茶人号でいく突然遠足



【たつの1 序】

またも始まる 茶人号でいく突然遠足。



今回は、兵庫県西播磨「#たつの市」を目指します。

たつのは南北に細長く広がるまち。海も山も美しい、瀬戸内の雨の少ない気候の過ごしやすいまちで、高松に似ていますが、

決定的に違う点は、戦災を免れ、ひとびとの暮らしとある「街の風景や歴史的建造物」がたくさん残っていること。

予約も事前準備もないままの小旅ですが、龍野藩主脇坂氏の上屋敷跡に茶室があるらしいということだけは、野良猫派 茶室る庵のプロデューサーとして調べはつけておりましたので、

まずは、#国民宿舎赤とんぼ荘 で地図をもらい、街の概要をつかみ、#聚遠亭 を目指します。





たつのといえば、詩人・#三木露風。三木露風といえば「赤とんぼ」。

まちのいたるところに赤とんぼに纏わるものがあり、赤とんぼ館の前には、石碑を巡る童謡の小径も。





赤とんぼの歌詞にある「ねえや」のこと、山田耕筰作曲といわれるがシューマン作曲であることなどの蘊蓄はのちほど(笑)



三木露風とともに、太地喜和子が龍野芸者としてマドンナとなり撮影された、フーテンの寅 「#男はつらいよ寅次郎夕焼け小焼け」(1976)も、たつのでは今も多くのひとに愛されており、

赤とんぼ館では、ここで寅次郎に扮するひとたちの写真展開催中。

■フーテンの寅 寅次郎夕焼け小焼け
https://www.city.tatsuno.lg.jp/shoukoukanko/rekishi.html



  

2022年05月28日

ごうさんが やってきた



【ごうさんが 来たわ!】

シーカヤックで無人島に行ったり、ログハウスに泊まったり、ダッチオーブンで料理からお菓子まで作って食べさせてくれたり、

アウトドアの基地 #野あそび屋 で遊んでたのは、もう15年以上前らしい(笑)

ごうさんは、そこのキャプテンだったひと。



完全なる街暮らし、アウトドアとは縁遠い私が、なんでごうさんと仲良しになったか、いまだに謎だが、

あの頃、ハイヒールしかはかなかった私のヒールがデッキに引っかかって抜けなくなったのは、ごうさんも私も覚えていたわ(笑)

あのとき、走り回っていた少年たちは、みんなおとなになり、野あそび屋も無くなったけど、その間に ごうさんは沖縄、奄美の民族楽器 #三線 のすごいひとになってた。

ごうさん、実は野点もできるらしい。ごうさんの点前とダッチオーブン料理と三線でエンターテイメント茶会したいもんだわ(笑)








  

2022年05月28日

土曜日の茶室る庵 5/28記録


【土曜日の茶室る庵 5/28記録】

今日のお点前は涼子ちゃん、岩瀬さん。





岩瀬さんは、前回、わからないところを洋子ちゃんに詳しく解説してもらってメモをとり復習したおかげでずいぶん上達。嬉しいね〜。

ふたりとも姿勢が良くなってきたわ。少しずつ、少しずつ前進。

着物の着付けは、ふみえちゃんと岩瀬さんが声をかけあってやっていたので、なるべくまかせ仕上げを手伝う。やがて盆点前ガールズだけでできる日がくるはず。

2班にわけたのは正解。半東役も点前も、落ち着いてできる。着物をきて立ったり座ったりだって、お菓子を形よく盛るだって、日常にはなかなかないことで、なんでも経験。

【茶碗】

盆点前ガールズが茶碗棚から選んだお茶碗はこちら。苫米地グリーン、北山レッドは相変わらず人気。




【お菓子】
ふみえちゃんの差し入れ #くつわ堂 よもぎ団子
くまもと #正観寺丸宝 #松風



盛り付け担当は岩瀬さん。

今日のチームのために、松風のご紹介、もう一回貼っとくね。

■正観寺 丸宝の「松風」
は菊池市に古くから伝わる伝統菓子であり、主原料は良質の小麦粉、甜菜糖(てんさいとう)、地卵、芥子(けし)の実を用い、独特の技術により製造されている逸菓です。体に優しい甜菜糖を用いて、上品な甘みを出して香ばしく焼き上げています。

また厚さ1.2mmの薄さにこだわり、その薄さゆえ、味を集約させるのは非常に難しく、湿度と気温で風味や食感が変わってしまうため、季節によって作り方を変える職人伝統の味を兼ね備えたお菓子です。

 とても薄くパリパリとした食感で上品な甘さ・見た目も上品な「正観寺 松風」は、まさに天下一品のご賞賛を頂いており、その特有の風味はお茶菓子として、また、ご贈答として親しまれています。と 松風。







【サンジソウ】

猫が運んだ #サンジソウ、いよいよ終わりに近づいたので茶室にもってきた。

普通、茶の湯の席の花は蕾のうちに切り取られるが、うちは満開になってから(笑)

サンジソウの花言葉は、真心、永遠にあなたのもの。

なかなか乙女ね。








  
Posted by るいまま at 21:14Comments(0)■るいまま■茶室る庵