2009年05月17日
東谷散策



秀たちは 本日 小豆島。
ロケハン隊は東谷散策
雨の東谷は むちゃいいね
土地が歌っているようだ
ここでは ほとんど人に会わないんだけど 手入れされた土地をみると ちやんと人にまちが愛され ここに人が息づいていることを感じる
平尾神社で 良い気をいただき移動
2009年05月12日
2009年05月11日
2009年05月07日
まちと人を描くためのロケハン
何かのためにというのではなく、歩き続けることで、見続けることで、体の中からあふれ出る「創りたい」という思いを、決して消さないためのロケハンです。
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■文化住宅
国道沿いに建つ木造の二階家は、ふたつの家が一つになった二戸前の文化住宅でした。
二組の家族は、それぞれの思いをもって日々の幸福につつまれていたのでしょう。
海に向かって上下に開く窓からは、このまち特有の潮風がながれこみ、その向こうの洋室には、決して本物ではないけれど、この家の人たちが愛したものがあふれていたのです。
玄関先には、誕生日に買ってもらったばかりの自転車が置かれ、お父さんがペンキで描いてくれた名前が光っていました。
今となっては、住む人もなく、道行く人たちは、この朽ち果てた姿に眉をひそめます。
けれど、庭先の木々はしっかりと根をはり、豊に葉をつけ、ここに命があることをしらすのです。
■人工土地
坂出駅裏にある人工土地は、戦後、このあたりにひしめいていた塩田従事者の小さな住宅を、何層階もにすることによって、広く豊かなものにしようと考え出された、未来都市です。
しかし、未来予想図のなかで組み立てられた都市は、暮らす人には少し窮屈で、コンクリートと真っ白な建物のなかに息苦しさを感じていました。
誰かが植木鉢を置き、路地で育てていた万年青を表に出し、祠ができ、生活の匂いのするさまざまなものが置かれ、いつしか「人」の暮らす「場所」になっていました。
「まち」は、「人」によって作れられる。
まちを歩くと、たとえそこい人が歩いていなくても、そのまちの体温のようなものを感じることがあります。
■産婦人科という場所
病院は、いくつもの悲喜が溢れる場所ではあるけれど
産婦人科くらい、幸せに充ちた場所はないでしょう。
産婦人科くらい、悲しみにあふれる場所はないでしょう。
そして、陰と陽がこんなにも強く重く共存する場所はありません。
病院から繋がる回廊の先には入院室。
隣室から聞こえる逞しき赤ん坊の声を聞きながら、ひとつ・・ふたつ・・と指を折る女は、時を数えているのではなく、時を耐えていることを、この建物は知っています。
正面玄関から見上げたところにある縦長の窓。
あなたは、ここから何をみたのでしょう。
2009年05月06日
2009年05月06日
2009年05月06日
2009年05月06日
悪巧みロケハンいきます(坂出)
本日は、坂出をロケハンします
自分のブログが資料になるという わかりやすい方法
http://blog.livedoor.jp/ruimama_studio/archives/50980417.html
こうやって貼り付けておくと、ロケハン途中にのぞけるわけさ
2009年05月03日
ロケハン終了 かえります





最後は 福島新地、厳島神社界隈を歩きまして ロケハン終了
戦前 戦後が この一角に点在しておりました。
田川さんに さざんか亭の奥村さんに挨拶しときと言われて お寄りしたのだけど 人の気配がなく 今日はできなかったので次回に〜
ほな 急いで帰ります!