2010年04月15日
必要になったとき おいで

先日、東祖谷のゲキヤクんちを訪ねたときの話をまとめたいんだけど、なかなかまとまった時間が取れないので携帯から
東祖谷の古い民家と山を借り、週末に通ってコツコツと改築整備を重ね、
少しずつ滞在期間を伸ばし、自身が山暮らしに慣れながら、スイッチだけの生活しかしらない子どもたちを受け入れる体制をととのえていったゲキヤクは、
現在、週のほとんどを東祖谷で暮らし、都会からきた中学生に「自然」のなかにある危険や「火」の怖さをときながら、それらとどう付き合っていくかを体験という方法で伝える
自然の中では、全くもってお手上げ状態の私は、そこに身を置くだけで精一杯。
いや、西祖谷から まだまだはるか奥にはいる場所に通い続けて、7年かけて現在の状態に持っていったゲキヤクに対しては何も言えない。
でも、ゲキヤクは、そんな私からも言葉を引き出そうとする
ややくどいくらいの言葉に、友人ゆえの無礼さで静かにしてよといったけれど、
山の暮らしのなかにコミュニケーションゼロなど有り得ないのだ。
お互いの身を気遣いながら、厳しい冬を 困難な山道を乗り越え、楽しみや喜びを見つける術を生み出す。
たぶん、ゲキヤクは、自身が体で感じた、その喜びを伝えたいのだなと思った。
テレビやネットから受ける刺激とは全く違う、自然が教える刺激を伝えたいのだな。
大事なことは、「言葉にだす」 「自ら動く」ということだ。
それを実行している人の前では、どんな理論も色あせる。
でも、方法はさまざまであり、受け止め方もさまざま。ゲキヤクの方法についても異論を唱えるひとはいるはず。
けれど、だからこそ、そこから会話や議論が生まれる。
ただ、ひとつ言えるのは、方法に絶対はなく、多種多様であること。
片側からの強い言葉は、良し悪し以前に反発を生むこと。
子どものように夢中で話すゲキヤクに「私は静寂を楽しみたいんだから静かにしてよ(笑)」とはいっても、決して反発を感じないのは
ゲキヤクも、相手の言葉を受けとめる意志と余裕があり、強硬ではないからだ。
東祖谷は遠い。
車を操れない私が、ちょこちょこ通える場所ではない。
帰り際、ゲキヤクが言った言葉が印象的だ。
「無理に来ることないんやで。るいままが疲れはて、ここでの時間がほんとうに必要になったときおいで。
そのときは、どんなにしてでも来れるもんや」
焦ることはないのだ。
非合理的なことのなかに合理はあるのかもしれないと感じた1日だった。
※ 写真は、改良を重ね、とうとう笹舟流しに成功した もうちゃん(笑)
2010年04月11日
しわしわいかんかね〜



標高560メートルの東祖谷では、下のまちと同じだけ動いていると息切れします。
ここでは ここのスピードでくらさないといけません
しわしわは、ゆっくりしなさいよという 優しい言葉
東祖谷には妖怪伝説(こなきじじい)もありますが、それは危険なところにいってはいかんよという教え
2010年04月11日
たけのこのバーベキュー美味し



飯たけました〜
阿波の銘酒 今小町
たけのこの焼いたん
谷合の村は 日の出 日の入り 満天の星こそ 味わってほしいとゲキヤクが言うてます。
是非 お泊まり下さい
たぶん、みのさんは こんな空間を作ろうとしてたんやろな…
2010年04月11日
おくどさんで飯を炊く




まず 新聞をまるめてつめる
ガスバーナーの使い方をならい火をつけ
薪をいれながら火の番をしていきます
はがまからヨダレがでるまで バンバンもやし
ヨダレがでなくなったらできあがり
2010年04月11日
東祖谷 浪漫亭 きました~





丸亀のまちあるきガイドでもある、ゲキヤクがつくった東祖谷の浪漫亭
かずら橋からどんだけいくんやという奥までまいりました。
中学生の山間生活体験の場でもあります
箱膳 いろり 蝋燭の生活 たくさんの日本人の知恵がつまっています
2010年04月11日
祖谷の京上にむかってます

はい。昨夜というか、今朝3時40分帰宅@るいままです。
無事、車に乗っております
いや、まったく無事ではなく、お迎えがきたとき予想どおり パジャマで 頭は爆発しとりました。
玄関先で待たせて目鼻を書くというテイタラク
でもでも、無事発車〜