2009年12月28日
異形のメモ

癌への考えについて ちょっとまとまったことを書きたいのだけれど PCの前に座ることができないので携帯からメモ
まず、先日の立花隆の癌医療に関する番組から
癌細胞というのが 完全悪ではなく、進化の中で生まれるべくして生まれたものであること
正常細胞が癌細胞と完全なる敵対関係ではなく 時には癌細胞をかくまう役割ももち
今の技術では、かくまわれると発見は難しいこと
抗がん剤の刺激により 一旦勢力を縮小した癌細胞が、ある日耐性をもち反乱をおこすこと
科学治療を積極的に行い、副作用と戦いながら自分の体の変化を綿密にデータ化していた科学者が 取材から1ヶ月後になくなっておられたこと
山陰にある診療所は、抗がん剤治療をしない。立花隆がそこを訪ね、患者さんと会うシーン。
とてもおだやかな顔で患者と医者が話す。医師は「死がきそうですか」と尋ねる。
穏やかに過ごす人たちは、「死」が迎えにきそうな感覚を予知する能力をもっていると医師は言う。
たぶん、人間にはみんな備わっているのだ。
あまりに過酷な戦いの中で、その感覚すら忘れてしまうことがあるのだ。
取材を終えた立花隆の感想は、「私は、再発をしたとき、癌とは戦わない」だった。
私は、この番組以前から「癌と戦おうとしないヘタレ」な患者である自分を心のどこかで恥じ、
真面目に治療をうける方たちが、副作用に苦しむのを見るにつけ、この病気の厄介さを感じていた。
治療を頑張ることがヨシとされる中で、副作用を抱えての仕事は無理だと、全ての治療を拒否して、「死にたいのか」と言われる、肩身の狭い私だったが、
少し、楽になった。
ただ、それ(戦わない)は、私の今の環境だから許されることで
立花隆も60歳をこえる年齢であるから その結論をだしたのではないか
若くして癌になられたかた
幼い子どもを抱えるかた
どんな辛い方法であっても、一縷の望みと言われても、「生」を信じて治療に立ち向かうことを否定してはいけないと思っいる。
夕べは、アホほど稽古したあと、ライブを終えた屋根マスターと、ムジークマスターみのさんと3人で
宇宙や時間や歴史のなかでの人間の存在や
生死に対する意識が、年齢とともに変化してくることを話し倒した。
さて、この1年に頂いた500枚近い名刺をどう整理するか途方にくれていたとき
私が、本当につきあっていくのは、このなかの10人にも満たないのではないかと気付いた。
私なんぞ、この中の何人の方の記憶に残っているだろう
名刺をカルタのように広げて、「るいまま、私は君とずっとつきあっていきたいよ。君が必要だよ」と思って下さるかたの名刺だけ光ればいいのに(笑)
一枚も光らなくても、絶望はしないけど 寂しくはあるはな。
そう思うなら こんなめんどくさいものわたさんとってくらいの悪態はつくかもな(笑)
じゃ、そろそろ本年最後の某社詣で。
Posted by るいまま at 09:13│Comments(1)
│■命
この記事へのコメント
おとといの石橋幸 ロシア歌謡・俗謡ライブ、素晴らしかったです。そういやぁいまだにガルガンチュアの扉には 立花隆の店 の小さなプレートが張られてますよ。
Posted by ひげダンサー at 2009年12月28日 10:10
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