2025年05月18日
あいまいなるもの
【あいまいなるもの】
夕べ、#無用的茶会 の片付けを終えたラムセスが、#フクモ陶器 のステッカーをお渡しするのを忘れていたと、#茶室る庵 に寄ってくれた。

このステッカーさえ貼っていれば、初めて会ったひととも「あぁ、あのフクモの」と、すぐに距離を縮めることができる免罪符。女子高生の間で流行っているらしい(笑)
フクモ陶器さんの、陶芸技術と知識は、実はそうそう真似れるものではなく、自らインチキ骨董とよぶ作品にしても、古のことを何も知らなければ作れやしない。
わざわざくり抜いたり、閉じ込めたり、穴をあけたり、何層にもするのも、できる技術があってのことで、
ぶっ飛んでますなの一言ですまそうなんてひとは、浅学甚だしい(笑)
フクモ陶器は、唐物から女子高生の流行りまで、知り尽くしてのインチキの髄をいく。知らない私たちこそが イカサマだ(笑)
ただ、フクモ陶器さんは、素直に騙されるひとこそ歓迎し、そんな話は喜びはしないと思うけどね(笑)
朝、何を飲むかの話になり、最近は小豆茶とか桑茶でコーヒーはのまないんだよと、謎のハーブティーをラムセスに差し出すと、
ラムセスが、コーヒーって抑えなくてはいけない決め所がいくつかあって、実は難しいですものね。結局、僕はフレンチプレスになりますと言った。
その点、抹茶って一番あいまいだとは思いませんか?とラムセス。
そうそう、見せる茶は別として、茶は、湯さえ沸かせば即始まるインスタントみたいなもの。私なんぞ、カフェオレボウルに3服分くらい点てちゃう行儀のわるさだよ(笑)
抹茶を肩苦しいもののイメージに押し上げたのが誰か?の追及はどっちでもいいが、茶の、このあいまいなる部分こそが、実は日本の「懐が深いことを良しとする文化」の真髄かも。
だが、勝敗や白黒や正誤がきっちりじゃないといけないひとには、なかなか馴染めぬ世界かもしれないね(笑)
今朝の茶のお菓子は、晴美さんからいただいた、片原町 冨久ろ屋「知恵ふくろ」。懐紙も使わず、ボロボロの茶筅で点てる、キッチンドランカー(笑)


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