2011年03月17日
原発建設に、棟梁と小僧の関係はあるのか?
アニメ化された「原発くん」をみながら、なんとなくわかった気でいたけれど
考えたら、この二日くらいが山場ですと原発くん先生はいっていたけれど、
二日どころか、どんどん広がっていっているのは、なぜなんだろう?
テレビにでてくる先生たちの話では、「花粉」と同じ対策が有効というのだけれど
花粉は季節性のものなんだけど、原発くんはどこまで続くのだ?
今の状態は、どうみても、お城の火事をバケツリレーで火消しをしているように見えてしまう。
そもそも、福島原発のタテヤと呼ばれる外側の囲いが、こんなに大変なものを囲うにしては、あまりにひ弱に見え
もはや、囲いそのものが無くなってきていて
図でしかみたことはないけれど、中の金属製のフラスコみたいなものは大丈夫なんだろうか?
今、テレビで解説をしてくださっている先生たちは、説明はしてくれてるものの
「ちゃんと設計したのに、なんで、こんなことになったんだろう」
と思っているんではないんだろうか?
私は、これをみながら、ひところ騒がれた「欠陥住宅問題」を思う。
先生たちは、間違いのないものを作ったとしても、現場で設計図をみながら作ったひとたちは
先生たちの思いを全部くみとってつくられたんだろうか?
ビルを作っている友だちが、セメントの中に缶ジュース1本分の砂糖がはいったら使えなくなると話していた。
でも、現場では、夏のあつい最中作業が進めば、缶ジュースを飲んでその缶を無意識になげる人だっていると聞いた。
設計図に書いてある数字や形だけじゃなく、守るべきことはあって
でも、なかなか、それを全部理解して現場に伝えられる人がおらず
思わぬことが多々おきるんだともいっていた。
昔、ものづくりは師匠と弟子がいて、弟子は師匠の仕事を盗みながらいろいろなことを覚えていった。
小僧からたたき上げた棟梁は、それまでのあらゆる経験で家をつくりあげる。
だから、設計図には書けない、わずかな部分の気遣いや、経験から来る直しがあって
設計以上の狂いのない建物は建ち上がり、何百年もの時間をこえて今に残る。
けれど、今の住宅は、まるでプラモデルのキットのように作られ、
特別な技量がなくとも、印を合わしていけば形は作れるようになっていて
デザインだけ美しい建物が、あっという間に建つ。
ところが、ちょっとした気遣いや、経験から来る小さな直しがないために
「とりあえず」のものが多くなり、いや、わざとでなくても経験がないからきづかぬことが増え
建ってしまってから「欠陥」がみつかり、その部分だけ小直ししたら、また別のところが変になり
とイタチごっこがはじまる。
この原発を作ったひとたちは、棟梁と棟梁を尊敬する弟子や小僧だったのだろうか?
それまで人が作ったこともないようなもので、人が経験したこともないような事態がおこったので
予期できないことがたくさんあったに違いないけれど
これほど危険をはらむものだからこそ、端々まで「作る意味」や「リスクの重大性」が
行き渡っていなければいけなかったのではないだろうか?
チェルノブイリちゃんのようにはなりませんと、アニメはいっていたけれど
今は、不良化してあばれまくる原発くんが、どうしたいのかもわからぬまま
「とりあえず、お菓子でもあげようか」「とりあえず、好きなもん買ってあげるよ」と
逆撫でしてんじゃないんだろうか?
疲れ果て、凍える被災地のみなさんにも、救援にいっているみなさんにも
これ以上過酷なことがおこらないように、私は願うしかできない。
人間て、なんて非力で、なんて馬鹿なんだ。
自分の手におえないようなもの持ってしまって・・・
考えたら、この二日くらいが山場ですと原発くん先生はいっていたけれど、
二日どころか、どんどん広がっていっているのは、なぜなんだろう?
テレビにでてくる先生たちの話では、「花粉」と同じ対策が有効というのだけれど
花粉は季節性のものなんだけど、原発くんはどこまで続くのだ?
今の状態は、どうみても、お城の火事をバケツリレーで火消しをしているように見えてしまう。
そもそも、福島原発のタテヤと呼ばれる外側の囲いが、こんなに大変なものを囲うにしては、あまりにひ弱に見え
もはや、囲いそのものが無くなってきていて
図でしかみたことはないけれど、中の金属製のフラスコみたいなものは大丈夫なんだろうか?
今、テレビで解説をしてくださっている先生たちは、説明はしてくれてるものの
「ちゃんと設計したのに、なんで、こんなことになったんだろう」
と思っているんではないんだろうか?
私は、これをみながら、ひところ騒がれた「欠陥住宅問題」を思う。
先生たちは、間違いのないものを作ったとしても、現場で設計図をみながら作ったひとたちは
先生たちの思いを全部くみとってつくられたんだろうか?
ビルを作っている友だちが、セメントの中に缶ジュース1本分の砂糖がはいったら使えなくなると話していた。
でも、現場では、夏のあつい最中作業が進めば、缶ジュースを飲んでその缶を無意識になげる人だっていると聞いた。
設計図に書いてある数字や形だけじゃなく、守るべきことはあって
でも、なかなか、それを全部理解して現場に伝えられる人がおらず
思わぬことが多々おきるんだともいっていた。
昔、ものづくりは師匠と弟子がいて、弟子は師匠の仕事を盗みながらいろいろなことを覚えていった。
小僧からたたき上げた棟梁は、それまでのあらゆる経験で家をつくりあげる。
だから、設計図には書けない、わずかな部分の気遣いや、経験から来る直しがあって
設計以上の狂いのない建物は建ち上がり、何百年もの時間をこえて今に残る。
けれど、今の住宅は、まるでプラモデルのキットのように作られ、
特別な技量がなくとも、印を合わしていけば形は作れるようになっていて
デザインだけ美しい建物が、あっという間に建つ。
ところが、ちょっとした気遣いや、経験から来る小さな直しがないために
「とりあえず」のものが多くなり、いや、わざとでなくても経験がないからきづかぬことが増え
建ってしまってから「欠陥」がみつかり、その部分だけ小直ししたら、また別のところが変になり
とイタチごっこがはじまる。
この原発を作ったひとたちは、棟梁と棟梁を尊敬する弟子や小僧だったのだろうか?
それまで人が作ったこともないようなもので、人が経験したこともないような事態がおこったので
予期できないことがたくさんあったに違いないけれど
これほど危険をはらむものだからこそ、端々まで「作る意味」や「リスクの重大性」が
行き渡っていなければいけなかったのではないだろうか?
チェルノブイリちゃんのようにはなりませんと、アニメはいっていたけれど
今は、不良化してあばれまくる原発くんが、どうしたいのかもわからぬまま
「とりあえず、お菓子でもあげようか」「とりあえず、好きなもん買ってあげるよ」と
逆撫でしてんじゃないんだろうか?
疲れ果て、凍える被災地のみなさんにも、救援にいっているみなさんにも
これ以上過酷なことがおこらないように、私は願うしかできない。
人間て、なんて非力で、なんて馬鹿なんだ。
自分の手におえないようなもの持ってしまって・・・
Posted by るいまま at 14:45│Comments(2)
│原発
この記事へのコメント
そうなんですよ、るいまま。
設計図を書く人は現場には決して行かないからです。
恐くて、現場には行けないのです!
建ってしまってからの欠陥を直しに行くのは設計者ではないのです。
アニメの「原発君」も、
見て、原発ってそうなのかーと思ったらおしまいです。
間違った教育というかあまりにひどい。。。。
設計図を書く人は現場には決して行かないからです。
恐くて、現場には行けないのです!
建ってしまってからの欠陥を直しに行くのは設計者ではないのです。
アニメの「原発君」も、
見て、原発ってそうなのかーと思ったらおしまいです。
間違った教育というかあまりにひどい。。。。
Posted by 匿名ですみません at 2011年03月18日 01:15
■匿名さん
そうですね!
最後まで責任をもてないなら、最初から建ててはいけない。
自分の手におえないものを推進してはいけにと、真剣に思っています。
そうですね!
最後まで責任をもてないなら、最初から建ててはいけない。
自分の手におえないものを推進してはいけにと、真剣に思っています。
Posted by るいまま
at 2011年03月20日 08:13

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