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2016年04月25日

映画「広河隆一 人間の戦場」を観る。






フォトジャーナリスト広河隆一さんは、決して激しい物言いはしないが、その生き方はきちんとした背骨をもつ。

全世界の人間に平等に与えられるは「生きる権利」だ。しかし、世界では、それすら守られず、人間の尊厳を打ち砕かれる場所がある。

彼は、そこに出向き、取材をし報告するだけでなく、自らの命をかけて救済支援活動をつづけ、命を守る。

イスラエルに出向いた広河は、現地のひとに言われた言葉から自分の立ち位置を決めたと話す。

「それが悲惨なことであっても撮らなくてはダメだ。カメラをむけること、それが東洋人のあなたであることで、抑止力があるのだ」

1982年 レバノンのパレスチナ難民キャンプの虐殺事件を撮影し、その映像が証拠として世界に配信された。

その後、広河は、パレスチナの子どもの里親運動をし、親をなくした子どもたちの生活費や教育費支援や生活環境の支援を行っている。

1989年、西側ジャーナリストとして初めてチェルノブイリの立ち入り禁止地区にはいって取材し、隠された放射能汚染を告発したあと、チェルノブイリ子ども基金を開設、医療支援や保養所の建設をおこなった。

この医療支援で甲状腺ガンの手術をし、治療を続け、大人になって子どもを生んだナターシャさんが、その頃の様子を話す。

被曝しても、早い段階で治療をはじめ、保養所で年に20日ほど過ごすことで体内被曝量が軽減されるのだそうだ。

日本でも、広河たちの運動で沖縄に保養所ができた。

広河は、「ナターシャは成功例なのです。日本のようにのんびりしていけはいけないんです」ど語気を強めた。

普段、私たちは、生きることは当たり前のことだと思っている。しかし「生」が当たり前ではない場所があり、それは日本だって他人事ではない。



映画館をでると、珈琲倶楽部の大西さんに会った。
「ヘビーな内容だったね。でも、観てよかった」と帰られた。

高松での上映は終わってしまったが、まだまだ自主上映会が日本全国で行われる。

機会があれば是非観てほしい、そして考えて欲しい。私たちは、なにを選ぶべきか。










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