2009年12月23日
2009年の冬至
冬至の日には、「しっぽく」だな! と、会議のあと「明石家」
ほんとは、珈琲を飲もうと商店街にでてきたのだけれど、この日の商店街はすごい人出で、スターバックスも屋根裏も満席。
夜6時の明石家で、ようやっと4席みつけて、珈琲がうどんになる(笑)

結局、なんだかんだのしわ寄せが、弱いところにやってくるという構図は続いているなと感じている。
紙に書いて契約をすれば、すべてが解決するかといえば
世の中には、紙の上だけではどうにもならないことがあって、どんなに紙に書いて確認しても、綻びはでてくるだろうし
ならば、最後は「こころ」のところを、きちんと最初からやり直すしかない、
というのが、ここ数日の結論だ。
とあるところで見た写真に
「これだけ、たくさんの人を傷つけておきながら、当たり前のように笑える神経がわからんわっ!」
と、思いながらも、この人こそが、一番弱い人なのかもしれないとも思った。
この人の後ろにも、守らないといけない人がいて、自分がやったことや口にしたことに蓋をしてでも
それを正義と言い切らねばいけないのだろうと思うと、とても悲しい。
所詮、来年になれば、もう顔をみることもないのだろうと話にのぼるたびに、構造の作った悲しみに胃が痛む。
人の出会いは、無駄なものはひとつもなく、この出会いも大事なものだったのだと思うが、
不思議なもので、全ての出会いが永遠につづくことはなく、自然と淘汰される。
できれば、憎悪のない形で別れたい。
そのためには、
侘びを望むことよりも、ただ自然に離れ、人間がもつ「忘れる」という能力に任すのが一番いいのだ。
明石家をでて、「じゃ、良いお年を。来年もがんばりましょう!」と、みんなと別れ
気になっていた用事をひとつすませてから、annriちゃんが週に2回マダムをつとめる「Bolero」へ行く。

久々に会ったTさんと、「なぜ一人で暮らしているのか、一人で暮らすことは寂しくないか」の話になって
「強烈な寂しさが襲ってくることはありますよ」と、笑った。
私は子どものころ、体も心も弱く、ひなひなと社会のなかで姿を消そうな時間を過ごしていたけれど
娘が生まれてから、とても丈夫になり、彼女によって「人間」として社会に生きることの自信をあたえてもらった。
それからは、健康で頑丈であることが、「前を向く」原動力になっていたのに
4年前、現役途中で亡くなった父と同じ「癌」になり
残された時間というのを考えるようになった。
残された時間をいかに生きるかと考えたとき、
「人が、どういおうと、自分が、あぁ 楽しかったと思える人生にしたい」
と、一人で暮らすようになった。
「普通、病気になったら、不安になって誰かと暮らしたいと思うんじゃないんですか?」
と、尋ねられ
「そうですよね」
と、答えながら、体もこころも弱く、人との摩擦におびえながら、ただ家の中で暮らし続けていた子どものころと
少しも変わってはいないのだなと思った。
Tさんが帰ったあと、Aさんがやってきて、マダムannriに
「君ね、喋りすぎだ! こういう場所のママというのは、そんなに喋らず、客の話をひきださなくてはいけない」
と、注意し
「ここはね、annriの話がウリですから」(強いね)
と、annriちゃんが答えた。
だからかどうだか、Aさんが帰ったあと、客ひとりとなった私は、annriちゃんの話を聞き続けることに(笑)
お話はおもしろいのだけれど、たしかに聞き続けるのはやや疲れ、屋根マスターに電話をして救済してもらう。

この夜、私は、とある人のとある言葉に、やっぱりとても傷ついていて
家で一人になれば、よくないことを考え始めるのをわかっていたのだ。
だから、はじめて会った人たちと、こころの中のこととは全く関係のない話をしながらときを過ごす。
辛いことや悲しいことを、他人に相談することは、まずない。
慰められるほどに、傷は深く深く差し込んでゆき、潰瘍は広がる。
潰瘍となってしまうと、完治までに時間がかかる。
負った傷は、自分の方法で縫い合わせるしかないのだ。
傷の治療は、明け方までつづいた。
この荒療治は、一人で暮らしてなければ とうていできはしない。

あと、何年生きられるのか、わからないけれど
できれば、「ああ、おもしろかった」と言って、旅立ちたい。
と、思う 2009年の冬至。
ほんとは、珈琲を飲もうと商店街にでてきたのだけれど、この日の商店街はすごい人出で、スターバックスも屋根裏も満席。
夜6時の明石家で、ようやっと4席みつけて、珈琲がうどんになる(笑)

結局、なんだかんだのしわ寄せが、弱いところにやってくるという構図は続いているなと感じている。
紙に書いて契約をすれば、すべてが解決するかといえば
世の中には、紙の上だけではどうにもならないことがあって、どんなに紙に書いて確認しても、綻びはでてくるだろうし
ならば、最後は「こころ」のところを、きちんと最初からやり直すしかない、
というのが、ここ数日の結論だ。
とあるところで見た写真に
「これだけ、たくさんの人を傷つけておきながら、当たり前のように笑える神経がわからんわっ!」
と、思いながらも、この人こそが、一番弱い人なのかもしれないとも思った。
この人の後ろにも、守らないといけない人がいて、自分がやったことや口にしたことに蓋をしてでも
それを正義と言い切らねばいけないのだろうと思うと、とても悲しい。
所詮、来年になれば、もう顔をみることもないのだろうと話にのぼるたびに、構造の作った悲しみに胃が痛む。
人の出会いは、無駄なものはひとつもなく、この出会いも大事なものだったのだと思うが、
不思議なもので、全ての出会いが永遠につづくことはなく、自然と淘汰される。
できれば、憎悪のない形で別れたい。
そのためには、
侘びを望むことよりも、ただ自然に離れ、人間がもつ「忘れる」という能力に任すのが一番いいのだ。
明石家をでて、「じゃ、良いお年を。来年もがんばりましょう!」と、みんなと別れ
気になっていた用事をひとつすませてから、annriちゃんが週に2回マダムをつとめる「Bolero」へ行く。

久々に会ったTさんと、「なぜ一人で暮らしているのか、一人で暮らすことは寂しくないか」の話になって
「強烈な寂しさが襲ってくることはありますよ」と、笑った。
私は子どものころ、体も心も弱く、ひなひなと社会のなかで姿を消そうな時間を過ごしていたけれど
娘が生まれてから、とても丈夫になり、彼女によって「人間」として社会に生きることの自信をあたえてもらった。
それからは、健康で頑丈であることが、「前を向く」原動力になっていたのに
4年前、現役途中で亡くなった父と同じ「癌」になり
残された時間というのを考えるようになった。
残された時間をいかに生きるかと考えたとき、
「人が、どういおうと、自分が、あぁ 楽しかったと思える人生にしたい」
と、一人で暮らすようになった。
「普通、病気になったら、不安になって誰かと暮らしたいと思うんじゃないんですか?」
と、尋ねられ
「そうですよね」
と、答えながら、体もこころも弱く、人との摩擦におびえながら、ただ家の中で暮らし続けていた子どものころと
少しも変わってはいないのだなと思った。
Tさんが帰ったあと、Aさんがやってきて、マダムannriに
「君ね、喋りすぎだ! こういう場所のママというのは、そんなに喋らず、客の話をひきださなくてはいけない」
と、注意し
「ここはね、annriの話がウリですから」(強いね)
と、annriちゃんが答えた。
だからかどうだか、Aさんが帰ったあと、客ひとりとなった私は、annriちゃんの話を聞き続けることに(笑)
お話はおもしろいのだけれど、たしかに聞き続けるのはやや疲れ、屋根マスターに電話をして救済してもらう。

この夜、私は、とある人のとある言葉に、やっぱりとても傷ついていて
家で一人になれば、よくないことを考え始めるのをわかっていたのだ。
だから、はじめて会った人たちと、こころの中のこととは全く関係のない話をしながらときを過ごす。
辛いことや悲しいことを、他人に相談することは、まずない。
慰められるほどに、傷は深く深く差し込んでゆき、潰瘍は広がる。
潰瘍となってしまうと、完治までに時間がかかる。
負った傷は、自分の方法で縫い合わせるしかないのだ。
傷の治療は、明け方までつづいた。
この荒療治は、一人で暮らしてなければ とうていできはしない。

あと、何年生きられるのか、わからないけれど
できれば、「ああ、おもしろかった」と言って、旅立ちたい。
と、思う 2009年の冬至。
Posted by るいまま at 15:50│Comments(5)
│■命
この記事へのコメント
とても哀しくそして 温かいです。
Posted by みつき at 2009年12月23日 18:03
>負った傷は自分の方法で縫い合わせるしかない
同じくです
同じくです
Posted by ぴよ at 2009年12月23日 18:29
わりと みんな 自分と 同じくらい傷ついて
自分と 同じくらい 繊細で且つ 図太くて…
不思議なことに ツボが 違うけど
だから わからないことはわからないから 摩擦も起きる。
想像力を豊かにしていきたいなと 思っています
楽しい味わい豊かな人生にしていきたいなと 思っています
自分と 同じくらい 繊細で且つ 図太くて…
不思議なことに ツボが 違うけど
だから わからないことはわからないから 摩擦も起きる。
想像力を豊かにしていきたいなと 思っています
楽しい味わい豊かな人生にしていきたいなと 思っています
Posted by みっち at 2009年12月24日 00:56
なんがいいたいんか わからんけど
でも
るいままは
確かに 愉しく味わい豊かな人だと 感じています。
でも
るいままは
確かに 愉しく味わい豊かな人だと 感じています。
Posted by みっち at 2009年12月24日 01:02
お初でございます
「ただ自然に離れ、人間がもつ「忘れる」という能力に任すのが一番」
というセンテンスに、うんうんと納得☆
いつの頃からか、アタシもそうやって、自然淘汰してしまうタイプになりました。
時々、それは「逃げ」ぢゃないのか?と自分を責めたりもしますが・・・
でも怒りのパワーを持ち続けるより、そのパワーは他に放出する方がいいやって、無理やり思考転換しています(苦笑)
あ、余談ですが
来月「落語会」見学させていただきますね~♪
「ただ自然に離れ、人間がもつ「忘れる」という能力に任すのが一番」
というセンテンスに、うんうんと納得☆
いつの頃からか、アタシもそうやって、自然淘汰してしまうタイプになりました。
時々、それは「逃げ」ぢゃないのか?と自分を責めたりもしますが・・・
でも怒りのパワーを持ち続けるより、そのパワーは他に放出する方がいいやって、無理やり思考転換しています(苦笑)
あ、余談ですが
来月「落語会」見学させていただきますね~♪
Posted by ひがしのまりん
at 2009年12月24日 10:23

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