2015年12月21日
小さな命へのクリスマスプレゼント

恵美さんが 美味しいものもってるいまま組に来てくれたので、今年いろいろ手伝っていただいたお礼をお渡したら、
いつも通り「まだ暮らしに困ってない」とおっしゃるので、
ほな今年最後の寄付にまわしますよと「国境なき医師団」のニュースレターを見せると「そうして」と言う。
うちらは、貧乏なのに、いつもだいたいこういう流れ。
クリスマス、どこか知らない国の小さな命に毎年贈るプレゼント。
よろしければ、あなたも。
http://www.msf.or.jp/landing/201503_motherandchild/?page=80&code=web1503&utm_medium=cpc&utm_source=yahoo_promotion_ad&utm_campaign=motherandchild_feb15
2015年12月21日
「あなたを待ってたよ!」って言いたい
私は今でも、気持ちが落ち込んだら、九州新幹線全線開通のCMをみる。
https://youtu.be/UNbJzCFgjnU
「あなたを待ってたよ!」って笑顔が、ひとにどれほどの元気と勇気を与えるか教えてくれる。
眉間にしわをよせ、うつうつと考えてるほうが 賢そうに見えるかもしれないが、ほんとに賢いひとは、そんなところで鬱々しないさ。
顔をあげ、前に向いて進もうじゃないか!
2015年12月21日
33番教室

「下町ロケット」をみていて、小学校の頃、毎年、年賀状にロケット打ち上げの絵を描いて送ってきていた少年のことを思い出した。それは10歳の子どもが描いたとは思えない精密なものだった。
私たちは「33番教室」という学級雑誌を二人でだしていて、彼が編集長で私は記者だった。いや、その逆くだったかもしれないが、とにかく私たちは「33番教室」の編集会議でいつも忙しかった。
アメリカ育ちで日本の普通の子どもが知っていることをあまり知らない彼と、子どもの好きそうなテレビ番組や遊びが苦手だった私は、妙に気が合って、あまり子どもらしくない話ばかりしていた。
子どもぽいいじめや嫉妬とは別世界にいた彼は、時々野蛮な子どもの標的になることもあったが、それでいじけることもなく、博学で、彼の話は、どんな先生の話よりもおもしろく、あの頃は 彼と話をすることだけが楽しみで学校に行っていたような気がする。
私たちは、その後 放送部を作り、昼の番組を作っては忙しい小学生をつづけていた。私は彼の作りたい番組に応えられる人になりたいと、いつも思っていた。
彼も私と話をするのが楽しいに違いないと、ずっと思っていたのに、5年生のとき、彼がある女の子が好きなのだと告白した日、あぁ 私は女子ではなく、単なる同士でしかないのだと知る。
がしかし、あの頃が一番楽しかったことにはかわりない。
その後、兄が精神病を発病し、思春期にはいったばかりの私は学校に行けなくなり、そこからは学校が楽しいという思い出は少ない。
彼とは中学で離れてからは会うこともなくなってしまい、何かを立ち上げたり、作り上げるという喜びを共有できる友だちは皆無となった。
「下町ロケット」のロケットが打ち上げられる映像をみて、あぁ あの少年はどうしているだろうと懐かしさに 検索してみた。
果たして、彼の進学先である東京大学と彼の名前を入れただけで、簡単に今の彼が現れた。
タレ目で人懐っこい笑顔があまりにかわってなくて笑ってしまった。ゼミの子たちに混じって真面目にエアーホッケーをする写真も、彼らしい。
連絡をとろうなどとは努々思わないが、彼がちゃんと学者になってくれていたことがなにより嬉しい。
私は比べものにならないような薄っぺらい人間だが、小説を書いたり、しゃべったりする人になった。
小説の連載ページも、化学の特集ページもあった「33番教室」。どこにいったのかな。
写真はJAXAのwebから