2009年12月23日
いゃぁ すごいなぁ

文化会館の芸能ホールは やっぱりいいねぇ
座席が気持ち狭いけど
ちょうどいい大きさと設え。
今日は、高松以外の方も多くて、嬉しい限りです。
宇多津うたんぐらチームの 常ちゃんご夫婦も 高松まできてくださって
屋根裏で 一緒にお食事。
屋根裏は26日まで カップルのご予約でいっぱいです〜。
おひとりの方は 遅めのお時間に〜
2009年12月23日
2009年の冬至
冬至の日には、「しっぽく」だな! と、会議のあと「明石家」
ほんとは、珈琲を飲もうと商店街にでてきたのだけれど、この日の商店街はすごい人出で、スターバックスも屋根裏も満席。
夜6時の明石家で、ようやっと4席みつけて、珈琲がうどんになる(笑)

結局、なんだかんだのしわ寄せが、弱いところにやってくるという構図は続いているなと感じている。
紙に書いて契約をすれば、すべてが解決するかといえば
世の中には、紙の上だけではどうにもならないことがあって、どんなに紙に書いて確認しても、綻びはでてくるだろうし
ならば、最後は「こころ」のところを、きちんと最初からやり直すしかない、
というのが、ここ数日の結論だ。
とあるところで見た写真に
「これだけ、たくさんの人を傷つけておきながら、当たり前のように笑える神経がわからんわっ!」
と、思いながらも、この人こそが、一番弱い人なのかもしれないとも思った。
この人の後ろにも、守らないといけない人がいて、自分がやったことや口にしたことに蓋をしてでも
それを正義と言い切らねばいけないのだろうと思うと、とても悲しい。
所詮、来年になれば、もう顔をみることもないのだろうと話にのぼるたびに、構造の作った悲しみに胃が痛む。
人の出会いは、無駄なものはひとつもなく、この出会いも大事なものだったのだと思うが、
不思議なもので、全ての出会いが永遠につづくことはなく、自然と淘汰される。
できれば、憎悪のない形で別れたい。
そのためには、
侘びを望むことよりも、ただ自然に離れ、人間がもつ「忘れる」という能力に任すのが一番いいのだ。
明石家をでて、「じゃ、良いお年を。来年もがんばりましょう!」と、みんなと別れ
気になっていた用事をひとつすませてから、annriちゃんが週に2回マダムをつとめる「Bolero」へ行く。

久々に会ったTさんと、「なぜ一人で暮らしているのか、一人で暮らすことは寂しくないか」の話になって
「強烈な寂しさが襲ってくることはありますよ」と、笑った。
私は子どものころ、体も心も弱く、ひなひなと社会のなかで姿を消そうな時間を過ごしていたけれど
娘が生まれてから、とても丈夫になり、彼女によって「人間」として社会に生きることの自信をあたえてもらった。
それからは、健康で頑丈であることが、「前を向く」原動力になっていたのに
4年前、現役途中で亡くなった父と同じ「癌」になり
残された時間というのを考えるようになった。
残された時間をいかに生きるかと考えたとき、
「人が、どういおうと、自分が、あぁ 楽しかったと思える人生にしたい」
と、一人で暮らすようになった。
「普通、病気になったら、不安になって誰かと暮らしたいと思うんじゃないんですか?」
と、尋ねられ
「そうですよね」
と、答えながら、体もこころも弱く、人との摩擦におびえながら、ただ家の中で暮らし続けていた子どものころと
少しも変わってはいないのだなと思った。
Tさんが帰ったあと、Aさんがやってきて、マダムannriに
「君ね、喋りすぎだ! こういう場所のママというのは、そんなに喋らず、客の話をひきださなくてはいけない」
と、注意し
「ここはね、annriの話がウリですから」(強いね)
と、annriちゃんが答えた。
だからかどうだか、Aさんが帰ったあと、客ひとりとなった私は、annriちゃんの話を聞き続けることに(笑)
お話はおもしろいのだけれど、たしかに聞き続けるのはやや疲れ、屋根マスターに電話をして救済してもらう。

この夜、私は、とある人のとある言葉に、やっぱりとても傷ついていて
家で一人になれば、よくないことを考え始めるのをわかっていたのだ。
だから、はじめて会った人たちと、こころの中のこととは全く関係のない話をしながらときを過ごす。
辛いことや悲しいことを、他人に相談することは、まずない。
慰められるほどに、傷は深く深く差し込んでゆき、潰瘍は広がる。
潰瘍となってしまうと、完治までに時間がかかる。
負った傷は、自分の方法で縫い合わせるしかないのだ。
傷の治療は、明け方までつづいた。
この荒療治は、一人で暮らしてなければ とうていできはしない。

あと、何年生きられるのか、わからないけれど
できれば、「ああ、おもしろかった」と言って、旅立ちたい。
と、思う 2009年の冬至。
ほんとは、珈琲を飲もうと商店街にでてきたのだけれど、この日の商店街はすごい人出で、スターバックスも屋根裏も満席。
夜6時の明石家で、ようやっと4席みつけて、珈琲がうどんになる(笑)

結局、なんだかんだのしわ寄せが、弱いところにやってくるという構図は続いているなと感じている。
紙に書いて契約をすれば、すべてが解決するかといえば
世の中には、紙の上だけではどうにもならないことがあって、どんなに紙に書いて確認しても、綻びはでてくるだろうし
ならば、最後は「こころ」のところを、きちんと最初からやり直すしかない、
というのが、ここ数日の結論だ。
とあるところで見た写真に
「これだけ、たくさんの人を傷つけておきながら、当たり前のように笑える神経がわからんわっ!」
と、思いながらも、この人こそが、一番弱い人なのかもしれないとも思った。
この人の後ろにも、守らないといけない人がいて、自分がやったことや口にしたことに蓋をしてでも
それを正義と言い切らねばいけないのだろうと思うと、とても悲しい。
所詮、来年になれば、もう顔をみることもないのだろうと話にのぼるたびに、構造の作った悲しみに胃が痛む。
人の出会いは、無駄なものはひとつもなく、この出会いも大事なものだったのだと思うが、
不思議なもので、全ての出会いが永遠につづくことはなく、自然と淘汰される。
できれば、憎悪のない形で別れたい。
そのためには、
侘びを望むことよりも、ただ自然に離れ、人間がもつ「忘れる」という能力に任すのが一番いいのだ。
明石家をでて、「じゃ、良いお年を。来年もがんばりましょう!」と、みんなと別れ
気になっていた用事をひとつすませてから、annriちゃんが週に2回マダムをつとめる「Bolero」へ行く。

久々に会ったTさんと、「なぜ一人で暮らしているのか、一人で暮らすことは寂しくないか」の話になって
「強烈な寂しさが襲ってくることはありますよ」と、笑った。
私は子どものころ、体も心も弱く、ひなひなと社会のなかで姿を消そうな時間を過ごしていたけれど
娘が生まれてから、とても丈夫になり、彼女によって「人間」として社会に生きることの自信をあたえてもらった。
それからは、健康で頑丈であることが、「前を向く」原動力になっていたのに
4年前、現役途中で亡くなった父と同じ「癌」になり
残された時間というのを考えるようになった。
残された時間をいかに生きるかと考えたとき、
「人が、どういおうと、自分が、あぁ 楽しかったと思える人生にしたい」
と、一人で暮らすようになった。
「普通、病気になったら、不安になって誰かと暮らしたいと思うんじゃないんですか?」
と、尋ねられ
「そうですよね」
と、答えながら、体もこころも弱く、人との摩擦におびえながら、ただ家の中で暮らし続けていた子どものころと
少しも変わってはいないのだなと思った。
Tさんが帰ったあと、Aさんがやってきて、マダムannriに
「君ね、喋りすぎだ! こういう場所のママというのは、そんなに喋らず、客の話をひきださなくてはいけない」
と、注意し
「ここはね、annriの話がウリですから」(強いね)
と、annriちゃんが答えた。
だからかどうだか、Aさんが帰ったあと、客ひとりとなった私は、annriちゃんの話を聞き続けることに(笑)
お話はおもしろいのだけれど、たしかに聞き続けるのはやや疲れ、屋根マスターに電話をして救済してもらう。

この夜、私は、とある人のとある言葉に、やっぱりとても傷ついていて
家で一人になれば、よくないことを考え始めるのをわかっていたのだ。
だから、はじめて会った人たちと、こころの中のこととは全く関係のない話をしながらときを過ごす。
辛いことや悲しいことを、他人に相談することは、まずない。
慰められるほどに、傷は深く深く差し込んでゆき、潰瘍は広がる。
潰瘍となってしまうと、完治までに時間がかかる。
負った傷は、自分の方法で縫い合わせるしかないのだ。
傷の治療は、明け方までつづいた。
この荒療治は、一人で暮らしてなければ とうていできはしない。

あと、何年生きられるのか、わからないけれど
できれば、「ああ、おもしろかった」と言って、旅立ちたい。
と、思う 2009年の冬至。