2009年12月12日
2009年12月12日
お疲れさまでした!



西成先生 豊浦くん お疲れさま〜
善通寺のみなさん、明日のエクスカーションを受け持つまちのみなさん、倒れないようにね。
開催地のみなさんは、ほんとに大変だったとおもいます。
ありがとうございました
お集まりの皆さんが、楽しそうなお顔をされていて、浮き世の義理とはいいながら(笑)、私も楽しませていただきました。
楽しいってことは、すべての基本ですよね。
なぜか、三矢さんは 丸亀の宣伝マンになってるしさ(笑)
私も またまた まつとのマーチうたいまして
なんでみんなしってて一緒に歌ってるんです?
と きかれたので
どんだけ 今まで芸人として営業活動して歌唱指導してきたか(笑)と。
帰り道 久しぶりに あんりちゃん たま平と 「無」でずんやり話しこみ
来年からの宇多津のこととかいろいろ
やっぱり まだまだせないかんことあるみたいね・・・
じゃ。高松かえってマイトさんと おデートしますわ。
2009年12月12日
交流会で




川染先生推薦のキウイ牛丼
塩江の藤沢のおばあちゃんが作ってくれた しっぽくそば いただいてます
これらのサービスをしてくださったのが 夏にお世話になった サバドレラルンバのサックスさん
世間はほんまに狭いわ。
夏、むちゃくちゃのせてくれて楽しかったですといっていただき、私も嬉しいです!!
2009年12月12日
パッセンジャータ
まちを練り歩くという意味
西成先生から、こういうものになってはいかないかの質問あり
「夕方 6時から8時ころまちのひとが 散歩だけではなく、まちにでて買い物をしたり カフェにより まちを練り歩こうということ」
オンパクではやっていが 日本の風土になかなか合わず苦労しているとのこと。
2009年12月12日
行政とどう組むか

事業の継続性についてのお話になっています
続いていくために、行政も 私たちも考えていかなくてはならないと 鶴田さん。(法人化、NPO化)
西成先生から そうなったときの まちあるきのプライスがあがってしまわないか?
オンパクについて 毎日開催の500円 7人のまちあるきで黒字です。
2009年12月12日
ただいまよりパネルディスカッション

まち自慢からはじまる 地域づくり
オンパク 鶴田さん
吉備路 加藤さん
観音寺 豊浦くん
コーディネーター西成先生
今、三矢さんとお話を聞いています。
まつとの卒業について ほんとにお殿様がのぞんでらっしゃるかどうか 聞いていただくことにしました。
まつとの&ぼっくり卒業を書いたら ふたりを卒業させないで欲しいという声がたくさんあがっていますので
もうすこし 頑張ってみないと。
2009年12月12日
全国事例2


■長崎さるく
パワーポイントをつかわない すばらしいお話ぶり
まちあるきといえば さるくと言われるゆえんは、こうした広報の力もありますよね
タウン情報誌の方です
ガイドのみなさんがやってて楽しいこと
わたしたちは黒子じゃない
大事ですね
■観音寺
さて、石川くん
母のような視線で片桐さんがみています。
長崎さるくさんの立て板に水のようなお話のあとは大変ではありますが、
素朴な語りと パワーポイントにでてくる 片桐さん 豊浦くんの アニメにうけまくりです。(裏技やわ〜)
2009年12月12日
全国事例紹介〜


■松江ゴーストツアー
ホスピタリティのお話などは どこにもあることではございますが
ラフカディオハーンをテーマに 「闇」を遊ぶところを うまく話しております。
こうした話し方は大事ですね。
秀や、おかんさんが大好きな世界ですな(笑)
■吉備路
あがってらっしゃいます。
これだけ「まちあるき」のみなさんが並んでいるとね(笑)
みっふぃが岡山県庁に出向していたころに一緒に組み立てたようで、基本のところは押さえてあります。
ガイドのみなさんが自らおもしろがっていくことで 成長されているお話は よくわかります。
やる気になったときが 伸びるときですね
■新潟三条
お! お久しぶりの岡村さん。
地域ブランドについてお話。
まず、燕市と三条市は別の市であること
三条は職人のまちでありますから、地域ブランドをうみだし 観光にむすびつけようとしてます。
永井さんのお膝元ですから、がさすがのお話ぶりです。
2009年12月12日
全国まちあるき観光サミットきとります



浮き世の義理で善通寺まできておりまして
善通寺市民会館では 全国まちあるき観光サミットが開催中。
オンパクの鶴田さんが講演中です。
行政さんはあまり古いものはお好きじゃないけど、これが集客交流の材料となるんですよと
竹瓦の事例を話されてます
(いいぞいいぞ、鶴田さん)
スクラップ&ビルドか、文化財をもっとみんなの手におろし、資産としてつかうかというのは
縦割りの世界ではなかなか難しいものがあるんですけどね。
何をどうおもしろがって、何をどう活用するかは、動く人間の目線、精神、センスにより変わってきますわな。
2009年12月12日
洲崎寺のおじいちゃん、ありがとうございました。

昨夜は、いつもいつもお世話になっている、むれ洲崎寺のおじいちゃん「御城俊慧さん」のお通夜でした。
ぴよ・みっけ・ぴよ旦那・ぽんちゃん・慶子ちゃんとお別れにいってまいりました。
石あかり月あかりライブがはじまって、丸5年。
源平の古戦場を模した素敵な庭は、むちゃな企画をたてつづける私たちをも拒否することなく受け入れてくれ、
そして・・・
その庭で、いつもいつも静かに私たちを見守ってくれていたのが、洲崎寺のおじいちゃんでした。
気安く洲崎寺のおじいちゃんと言っていますが、
源平の時代以前から今までつづく由緒ある寺を15歳で継ぎ、60年以上守り続け
地域の人たちからの信望あふれるご住職で、息子の御城さんがごあいさつのとき
「わからないことがあれば、父にきけば、何でも教えてくれた」
と、おっしゃっていたように、このまちの歴史的なこと、文化に関することも
こつこつと研究し、保存をつづけておられました。
夏がおわり、秋になって石あかり月あかりライブの音響照明機材の片付けにうかがったときに
ご容態のことは聞いていましたが、いつもどおりの優しい笑顔は変わりなく
まだまだずっと、お目にかかれると思っていましたから、新谷さんからの電話をうけても、
石あかりロードの事務局から連絡があっても、なんだか実感はわいてはこなかったのですが、
お通夜の席に現れた、30人ものお坊さんの、今までみたことも聞いたこともないような
すごみあるお経を体に感じながら、偉大なるご住職が召されたことを思い知ったのです。
最後のお別れをしに、おじいちゃんのお顔を拝見にいくと、
眠っているような微笑んでいるような、いつも通りの優しい顔で
不思議と悲しみよりも、お疲れ様でした。ありがとうございました。という思いがあふれ
それは、おじいちゃんが与えてくれた慈愛によるものではないかと思ったのです。
通夜の式のあと、食事をいただきながら、御城さんと話をしていると、
「るいままたちとの出会いも、うちの父がきっかけを作ってくれたようなものなんだよ」
と聞き、そうでしたかと、再び、おじいちゃんへのお礼の気持ちが・・・。
おじいちゃんから御城さんに、一番よい時期に世代交代がおこなわれ、あの庭は出来、
地域の人たちに楽しんでもらえ、
源平をもっともっと身近なものとして感じていただけるものとして送り出されました。
洲崎寺の庭があっての、石あかり月あかりライブであり、
1kmつづく石あかりロードの真ん中、ほっとひと息つける場所が、あの庭です。
おじいちゃんは昭和2年生まれ、うちの亡くなった父より少し年上ですが、
青春期に太平洋戦争があった世代です。
戦争によって翻弄された人生に腐ることなく、力強く立ち上がった世代でもあります。
おじいちゃんが、旅立つ直前「尾崎放哉の夢をみた」と言われたそうで
家族も仕事も捨て、小豆島の南郷庵に流れ着いた放哉とは、まるで真逆の人生であったように思うのですが
「ご苦労様。これからは思うままの旅にでましょうか」と、放哉が言葉をかけたのかもしれません。
本葬は、本日2時から、洲崎寺さんで。
私は、断れぬ筋からの再びのお願いで、善通寺で行われるサミットにでかけるので
るいまま組からは、みっけが代表でまいります。
洲崎寺さんは、真言宗のお寺。
同時間に、弘法大師・空海ゆかりの地に身を置くのは、なにかのご縁かもしれないなと思っています。