2024年11月25日
池大雅展 at 京都文化博物館
【池大雅展】
売茶翁の茶屋にあつまる文化人のひとり #池大雅。
美術のことは語る知識もないが、#山亭小酌図 のなかにある東屋で語らうひとたちの顔をみて、あぁ来て良かったと思う。

5人のいろんなタイプのひとが酒を酌み交わし、背をむけたひとは何やら紙をひろげて話をしている。こりゃ、#間違いなく蘊蓄たれてるな(笑)
ほかのひとたちも、ああでもないこうでもないと言いながら笑っている。
東屋は山深い所にあり、このひとたちを邪魔するものはいない。
水墨画なら立派な場所や景色が主役なんだろうが、いや、池大雅の絵も、大雅が理想郷とした風景こそ見るべきところなんだろうが、
どの作品も、ここに現れるひとたちが、とても生き生きしててユーモラスで、細かなところに何か隠されたカラクリ絵を観ているようで飽きない。
大雅の弟子(#野呂介石)が、大雅とやはり画家だった妻の #玉蘭 がくらしていた住まいの図を残しているが、

周囲に菜畑があり、屋根から葛や蔦が垂れ下がって扉も閉じず、食事のときには雀が集まってきていたとのこと。
絵や文や歌をかき、他人に精神をとらわれない暮らしをし、来る人拒まず、描いてくれと言われれば「はいはい」とかき、お代をいたはだくのを忘れるおおらかな夫婦であったよう(笑)
「#高士訪隠図屏風」は、文人にとって些細な事から離れ隠遁生活するのは理想の生活。でも、大雅の隠遁生活には友だちがやってくる(笑)

「#柳下童子図」にある 子どもたち。橋の上からエビを採ってる。これは子どもが真ん中で景色は簡略化。エビ採る子どもが主役。

書画の才は、神童と呼ばれるほど子どものときから長けていたけれど、お金とは縁がうすかったよう。
若い頃には、暮らしのために扇絵をかいて売り歩いたこともあるが、そちらはあまり売れず瀬田の唐橋から投げ捨てたと解説にあって、

扇を欲しがるようなひとにおもねることはなかったんだろうね(笑)
いよいよ商売には向いてなかったけれど、#自分に嘘のない人生を歩んだ画家 だったとわかった。
10年ほど前に #池大雅美術館は閉館 し、作品は京都市に寄贈されたそうで、なかなかみることができなくなっていたようだから、やっぱり最終日、#京都文化博物館 に滑り込んだのは正解だったなと思う。
………………
ちなみに、12/7(土) この京都文化博物館で、愛すべき蘊蓄ギタリスト 西垣 正信 のシューベルト「冬の旅」全曲の初演がございます(笑)

■本人より
秋風も吹かないし、世間や日本の社会は癒やしの音楽を求めている時代に
冷たく孤独な「冬の旅」のご案内です
案内を公開することで、自分がこの楽譜書きからも逃避できなくなることを期待してのご案内です
僕自身 日毎この楽譜を校正していて 心が凍結することはあっても 癒やされることはありません
絶望と死に直面し若者の凍りついた心、氷のかけらに映る世界は諦観した自らの平穏
「癒やし」という薬は外に・・薬局で求めるものではなくて
凍った自らの孤独の鏡に映る世界、と歌う作品です
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