2024年11月25日
有斐斎弘道館 跡見の茶会 11/24 記録
【有斐斎弘道館 跡見の茶会 記録】

今月の弘道館月釜は、謎が解けたり知れたり。
11月は菓子展があるので遅めの炉開きですと太田さん。茶事には7つの式があり、今日は「#跡見の茶会」。
跡見の茶会とは、「茶会に参会できなかった者に道具の取り合わせや趣向などを披露する茶会」で、
つい最近、誰もが知ってる #外国の要人 を、太田さんが弘道館にお迎えしたときの設えを残しておいてくださいました。

■まず、跡見の茶会として残されたものひとつめは、待合のサンタクロースにみたてられた #曾我蕭白 のほていさん(笑)

曾我蕭白は「江戸時代中期の絵師。蛇足軒と自ら号した。高い水墨画の技術を誇る一方、観る者を驚かせる強烈な画風で奇想の絵師と評される」wiki。
確かに、このほていさんも奇天烈。
■#露地草履 は、跡見の茶会には含まれないかもしれませんが、私は 外国の要人が履いた洋装用の露地草履で茶室に移動。

■道安の消息
床の掛け物は、利休の実子 道安のお手紙。道安は不遇な人生を辿り、年末なのに餅を買う金もないなどとかかれている。

世がクリスマスだなんだと浮かれているころに、そんな話を聞くと、切ない。
■花
こちらも跡見。要人の茶会のとき、華道池坊次期家元 #池坊由紀(専好)さんが生けたお花。
花入は、#道長の経筒。

■床には細川ガラシャ、#茶杓は細川三斎。
細川ガラシャ(たま)は、明智光秀の三女、細川忠興(三斎)の正室。と言うことで夫婦でおでまし。



■弘道館ならではの「#白善哉と粟餅」。なんとも上品でこっくりしたお味。


豆は、みんなが想像していた隠元ではなく「白小豆」という特別な豆で、白小豆が手に入らない年は普通の小豆だったこともあるんですよと同席の方。
私は、椀の蓋の柄を見せて欲しいと言われていたので蓋を伏せて置いてますが、茶事では上向きに。
■#善哉は一休禅師が名付けた
村田珠光と一休禅師が親しかったのは、蓮行さんの劇団衛星の茶会演劇「珠光の庵」でみんな知りましたが、
侘び茶や草庵を作った村田珠光が、正月のかたくなった餅を柔らかくし山椒のきいた味噌をかけて客をもてなし「珠光餅」と呼ばれていたが、
一休禅師が味噌を甘い小豆餡に変え「よきかな よきかな」と言って善哉は生まれた。
…ってことは、善哉には必ず餅を入れなきゃダメじゃん。
■#北野大茶会図

秀吉が催した北野大茶会の図をみると北野天満宮は松だらけ。梅はない。天神さんには梅ていうのは国の政策。
この大茶会の中のどこかの茶室の古材が、この日の風炉先。






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