2019年12月22日
それはそれで「ええ感じやんな」。
12/22 今日は数奇者茶会
夕べ、春から松山に赴任した若い友人が「宿舎の隣にあるお菓子屋さんの珍しいお菓子です」と買ってきてくたお土産をあけると、
お店の住所が40年前暮らしていた場所のすぐ近くで懐かしさに声をあげた。

兄の発病をきっかけに、社会やおとなの醜さをみてしまい、思春期から高松を出るまでの数年間、私自身も心を閉ざしていたので、
あの時代の高松は大嫌いで、松山は私を救ってくれた町だった。
田舎の小さな女子大だが、学生会の企画部長だった私は、毎日がほんとに楽しく、活発に日々を送り、一生 松山にいたいと思っていたほどだ。
2年生のときに、卒業実験の担当をしてくれていた教授の伝で、東京茗荷谷にある大学(そこが娘の母校になったのも何か縁を感じている)にしばらく通うことになり、
気持ちは松山か東京に揺れたが、結局、私は高松に帰ってきた。いや、連れ帰られた。
そのあとも、何度か高松を逃げ出すが、やっぱりここにいて、それも一番苦手だった場所に事務所を持ち仕事をしている。
けれど、ここに帰ってきたから出会えたひと(おとなになったから出会えたひと)も多く、
うまい具合に「変な子(私)」には「変な子」が集まってきてくれて、松山、東京時代に培ったさまざまことを実現できている。
だから、それはそれで「ええ感じやんな」。
明け方まで、そんなこんなの話をしてたので、やや遅めの目覚め。
では、昼ごはん。

#ブランチ
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