2025年01月19日
まずは ごはんを食べよう 映画「どうすればよかったか?」鑑賞記録」
【ごはんを食べよう】
映画「#どうすればよかったか?」を観終わり、少しさんぽしてきた。
教授から、この映画は観るひとによっては苦しくなるかもしれませんと聞いていたが、私は清々しい。
8歳年上の優秀で天使のようだった姉が、医大生となり24歳のとき精神分裂症(統合失調症)と思われる症状を発症する。
しかし、救急車で運ばれた彼女は、青年期にはよくあること分裂症と診断するのは時期尚早と言われたと家に帰される。
これにより、両親は、#娘は精神病ではない!という考えから逃れられないまま時間は過ぎる。
それから約10年。
弟である監督の #藤野智明 さんが録音した、姉が喚き散らす音声から映画ははじまる。
この映画は、是非を問うものでも解決をいうものでもなく、精神分裂症患者の家族をもつ青年が、たんたんと記録を取り続けたドキュメンタリーだ。
ピアノも絵も上手で学力優秀な姉は、研究者の両親と海外での生活を経て、生徒会の会長としてひとをまとめるような快活な少女時代を送り、医大生となる。
マコちゃん(姉)、パパ、ママ、ともちゃん(弟・監督)と呼び合う家族は、普段からナイフやフォークを使い食事をするモダンな一家だ。
誕生日や季節ごとのパーティーもかかさない。研究者の両親の研究室には高額な精密機器がならぶ。母親は、それを得意げに話す。
優秀じゃなかったという弟だって、北大の学生だ。
こんな非の打ち所のない家族に精神病患者が生まれるはずがない。マコちゃんは分裂症じゃない、パパが国家試験を強要するからいけないのだ。マコちゃんは国家試験はいいから論文をかけばいい。
その考えは、たぶんママが亡くなるその日まで続く。
弟のともちゃんが大学生になり、姉をちゃんと病院に連れていき治療しなきゃだめだと言う。
しかし、8年遅れて生まれてきたともちゃんは、この家の家族ではあっても、姉のことについては他人だ。
ママは、「あなたになんか何もわからない、何十年も彼女とくらし、ドクターである自分たちの判断こそが正しい!」と、弟を突き放す。
藤野監督が、姉が発病し自分が家を出る子ども時代のことを話す。
毎日が地獄のような日々なのに、それを認めない両親、自分(監督)は家族として認められない環境にあって、死んでやろうか、殺してやろうかと思うこともあった。でも、そんなことをして、自分の人生を台無しにはしたくなかった。
正に…。
私も、そのとおりの少女時代を送り、大学にいくといって家をでた。いや、出口の見えない地獄から逃げた。
藤野家は、ママが80代になりせん妄症状がでて、だれかが来る、だれかに狙われていると言い出し、家にはふたりの常軌を逸したひとがいるようになる。
そして、83歳でママは亡くなり、50代になったマコちゃんは、ようやく専門医の治療をうけられるようになって、幸いにも彼女の症状に合った薬がみつかり苦しみから逃れられた。
監督が帰省のたびに記録した動画のなかで、両親は確実に老いていく。マコちゃんは、症状が悪くなると表情がなくなり凄まじい声で叫ぶが、治療がすすみ落ち着くと笑顔も増え、おどけてもみせる。
大正生まれのパパが脳梗塞で倒れてからは、マコちゃんが食事の世話や介護をしていく。
が、彼女がこうした平和な生活を取り戻したとき、彼女の身体はステージ4の癌に侵されており、60代で亡くなる。
残されたパパは、100歳を超えている。ともくんは、パパに聞く。なぜ姉を精神科につけなかったのか。果たして、我が家のやり方はただしかったのか?
パパは言う「認めたくはなかった…」
親ならば、誰だってそうだ。ましてや、優秀と言われた子に、精一杯の愛情と経験と学ぶ機会を与えつづけ、それに間違いなどなかった。
この子が、精神分裂症などであるはずがない。社会から後ろ指をさされるはずがない。
私は弟のともちゃんと似た人生を送ってきた。いや、父が早くに亡くなり、母が老い、共に兄を診るために夫とはなれ実家に暮らし、日常的に兄と接していたぶん、もっと壮絶だったかもしれない。
8年前、病院の力を借りて兄を入院させ、4年前からは施設のひとの力を借りながら母を看るいまが、人生の中で一番おだやかだ。
それでも、兄の姿をみるたびに心は荒む。金銭的にも肉体的にもしんどい、この時間がいつ終わるのだという思いにもなる。
だから… 、マコちゃんの葬儀のシーンを観ながら、この果てない闇は、必ずいつか終わるのだとホッとした。
まずは、ごはんを食べよう。
泣くことも、嘆くことも、まだ許されはしない。

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