2010年09月07日
男たち かく語る!(映画「庵治石の味」)
土曜日の、石あかり月あかりライブ at 洲崎寺「るいまま組玉手箱ライブ」、日曜日の桂平治さんの落語会のお手伝いと終えまして、
日曜日、夜7時30分からは、いよいよクランクアップとなった映画「庵治石の味」の打ち上げでございました。
石あかり月あかりライブをご覧いただいたみなさまはご存じのように、
ワタクシ、加減というものをしらないので、ステージではすべて出し切りますので
日曜日の朝は、立ち上がるのもやばいんじゃないか?という状態ではあったのですが、
なんたって、愛するカメさんに会えるのも、この日が最後
はってでもいかねば・・・(笑)
「るいまま、よく、それだけ動けますね」と、みっちが言うてましたが
私はごくごく普通の人間ですが、人とちょっと違うとすれば、
「欲望」が「体力」を作り出せる特技を持っているってことですなっ!
■映画「庵治石の味」は、若いけど相当力のある片岡秀明監督によって撮られていることはお話ししましたが
そのまわりを固める、照明・撮影の部隊もすばらしく
【撮影】はやしまこと 【照明】吉角壮介 という名前をきけば、映画好きの人ならば「あっ」と思うのです。
しかし、そこがすごければすごいほど、若い片岡くんが、しんどいだろうなと言うのは想像できること。
私たちのつくるステージも同じながら、
力のある人との仕事は、勉強になることは山ほどあるけど
それを仕切っていくしんどさは、並大抵ではありません。
■そんなことは重々わかっていたので、私はずっと片岡くんに声はかけなかったし
現場で仲良くなったり友好を結んだりしようとは思っておらず、
「るいまま、片岡監督と、未だ心かよわせず」
と、書き続けていました。が!
※くち歪んでます。
はい、このとおり、片岡監督とるいまま、この日最初の言葉交わしましたよ。
「撮影はすんだけど、これからの編集のほうが大変だね」というと
笑ってるんだか、泣いているんだか、寝てるんだか、生きているんだかわからんような
もう、精魂尽き果てたようなお顔で「はい」と、監督がお返事。
そのやりとりをみていた、ブログウォッチャーたちが、
「るいまま、片岡監督と仲直りしたん?」
と、言い、事情もわからぬ片岡くんは、
「えっ えっ、何ですか、それ」
「うん、ええんだ。君は、そんなこと考えんでええので、ええ映画つくってくれ(笑)」
■その後、それぞれのチームの挨拶がつづき
■やはり、この日、実際に言葉を交わしたのははじめてとなる、
東京で、この映画の撮影現場にいられないことにもんもんとする、プロデューサーの有川くんともお話。
彼が、中学生のころ、一度人生を放棄したいような落ち込みの日々をすごし
そのころ、がらがらの映画館でみた「ニューシネマパラダイス」によって、立ち上がる力をえたことは
ブログ「映画「庵治石の味」制作日記」にも書かれていましたが
同じ年代(時代は違うけど)、やはり家に引きこもって人生の果てばかり考えていた私には
心の芯のあたりにぎゅ~っとくるものがあります。
あきらめてしまえば、そこですべては終わってしまう。
映画でも、舞台でも、音楽でも、落語でもなんでもかんでも
とにかく、あきらめれば、そこですべては終わってしまうわけで
なにかを成す力なんて、才能でもなんでもなく、「続ける」という「心の体力」なのです。
この人は、たぶん、それを知って動いています。
■映画「庵治石の味」のチームが万全であったとは、私は思いませんでした。
初めてエキストラをつれて、撮影に参加したとき、なぜ、このくらいのこと把握してない!と
助監督の長谷川君を怒鳴り飛ばしたのは私です。
こんな状態で、ほんとに進んでいけるのか!とも思っていました。
その中で、常に、口の重い片岡くんに寄り添うように、
まわりに気をつかうカメさんこと亀田さんの力は偉大でした。
二次会の席で、カメさんが言ったことば
「この映画の75%までは、牟礼のみなさんがつくったんです」
これが、彼の人柄のすべてを表しているような気がします。
そう、この映画は、ビールのジョッキーひとつでも、夜中まで探し走る「おとこたち」の
「言うたことは、言うたもんが必ずする」
の動きがあったから、わずかな撮影時間のなかにとりあげられたのです。
「牟礼・庵治の男でなけりゃ、こんなもん できとるかい!」
この、職人気質の男たちだったからこそ、途中でなげだすことなく
彼らのサポートを続けたんです。
(この人たち、たぶん、撮影期間中、仕事になってないよ 笑)
そして、職人たちだから、片岡監督の苦しさも、有川プロデューサーのもんもんとする心も
言葉には出さずとも、ちゃんとくみ取ったのでしょう。
■打ち上げの最後の挨拶で、片岡監督が言った
「撮影は終わりましたが、映画の制作は終わっていません。
これは、やっと折り返し点まできたというところ。
だから、僕は、この席ではしゃくごとはできないのです」
片岡くんや、有川くんよりも、もうひとまわり若い子たちが
この暑さのなか、わずかな睡眠時間、雑魚寝状態の現場でもついていくのは
そうした、映画バカともいえるまっすぐで真摯な姿勢を、背中から見続けているからであって
いいことも、悪いことも、全部全部ふくめて
きっと、この先、彼らの血肉になっていくんだろうな。
■キャストのみなさんは表側にでる華であり、そのぶん直接観客の批判も賞賛もうけるわけで
だからこそ、真剣であるというのは当然ですが
このかわいらしい顔をもつ青年からでた言葉
「監督、僕は本気で監督にぶつけてるんです。監督も本気でうけてください」
最後の日、ぎりぎりの時間まで、監督があきらめてはいけない
僕は、ぎりぎりまでつきあう覚悟はあるんです。
と、詰め寄る姿は、まちがいなく「男」でありました。
■そして、総指揮をとった大久保さん、アソシエイトプロデューサー伊藤さん
こんな大人がいないと、できんかったわな。
ある意味、このチームの誰よりも「少年」であったのは大久保さんかもしれません。
■さて、最後に読んでいただきたいブログがあります。
映画「庵治石の味」制作日記の中にある、監督・片岡秀明くんの日記です
「ブラジルで映画を撮った時の話」
2006年、片岡くんが単身ブラジルに渡り、15人のブラジル人スタッフと映画をとります。
注意に注意を重ねていたにもかかわらず、撮影途中の事故により、女優さんが大けがをしました。
それは映画の撮影続行不可、いやプロダクションの崩壊にもつながるものでした。
<<本文から
「本当に「終わりだ」と思った瞬間、自分の中で何かが「崩壊」した。
気が付くと、僕はその場にいた全員に抱きしめられてました。
ルシア(家の肝っ玉母さん)が、「大丈夫、みんな分かってるから大丈夫」
と、強く強く抱きしめてくれた。
そして、次の日から「何か」が変わった。
プロダクションを建て直すため、ベアトリス(プロデューサー)が、
制作会社、機材屋、弁当屋、ロケーション、あっちこっち奔走。状況を説明。
ほとんどの方々が、
「今回はお金は払わなくて良い。他に出来る事があれば力を貸す」と言ってくれて、
カチャ(けがをした女優)は「私は辞めたくない、続けたい」と言い手術を受け、
クルーたち全員もすぐさま、他の仕事をキャンセル。
プロダクションは二週間で建て直り、撮影が続行されました。(つづく)」
詳しくは本文で。
**************
人間は一人ではない、決して一人ではないのです。
世界中どこにいっても、そこにいるのは「人」であり、「心」です。
なにがどう便利になって、なにがどう効率をもとめても
「映画」なんて、効率の悪い芸術の魔物にとりつかれてしまう人がいて
彼らが、愛すべき人なのは
そこに、「人」と「心」が、確かに介在しているからなのです。
日曜日、夜7時30分からは、いよいよクランクアップとなった映画「庵治石の味」の打ち上げでございました。
石あかり月あかりライブをご覧いただいたみなさまはご存じのように、
ワタクシ、加減というものをしらないので、ステージではすべて出し切りますので
日曜日の朝は、立ち上がるのもやばいんじゃないか?という状態ではあったのですが、
なんたって、愛するカメさんに会えるのも、この日が最後
はってでもいかねば・・・(笑)
「るいまま、よく、それだけ動けますね」と、みっちが言うてましたが
私はごくごく普通の人間ですが、人とちょっと違うとすれば、
「欲望」が「体力」を作り出せる特技を持っているってことですなっ!
■映画「庵治石の味」は、若いけど相当力のある片岡秀明監督によって撮られていることはお話ししましたが
そのまわりを固める、照明・撮影の部隊もすばらしく
【撮影】はやしまこと 【照明】吉角壮介 という名前をきけば、映画好きの人ならば「あっ」と思うのです。
しかし、そこがすごければすごいほど、若い片岡くんが、しんどいだろうなと言うのは想像できること。
私たちのつくるステージも同じながら、
力のある人との仕事は、勉強になることは山ほどあるけど
それを仕切っていくしんどさは、並大抵ではありません。
■そんなことは重々わかっていたので、私はずっと片岡くんに声はかけなかったし
現場で仲良くなったり友好を結んだりしようとは思っておらず、
「るいまま、片岡監督と、未だ心かよわせず」
と、書き続けていました。が!
※くち歪んでます。
はい、このとおり、片岡監督とるいまま、この日最初の言葉交わしましたよ。
「撮影はすんだけど、これからの編集のほうが大変だね」というと
笑ってるんだか、泣いているんだか、寝てるんだか、生きているんだかわからんような
もう、精魂尽き果てたようなお顔で「はい」と、監督がお返事。
そのやりとりをみていた、ブログウォッチャーたちが、
「るいまま、片岡監督と仲直りしたん?」
と、言い、事情もわからぬ片岡くんは、
「えっ えっ、何ですか、それ」
「うん、ええんだ。君は、そんなこと考えんでええので、ええ映画つくってくれ(笑)」
■その後、それぞれのチームの挨拶がつづき
■やはり、この日、実際に言葉を交わしたのははじめてとなる、
東京で、この映画の撮影現場にいられないことにもんもんとする、プロデューサーの有川くんともお話。
彼が、中学生のころ、一度人生を放棄したいような落ち込みの日々をすごし
そのころ、がらがらの映画館でみた「ニューシネマパラダイス」によって、立ち上がる力をえたことは
ブログ「映画「庵治石の味」制作日記」にも書かれていましたが
同じ年代(時代は違うけど)、やはり家に引きこもって人生の果てばかり考えていた私には
心の芯のあたりにぎゅ~っとくるものがあります。
あきらめてしまえば、そこですべては終わってしまう。
映画でも、舞台でも、音楽でも、落語でもなんでもかんでも
とにかく、あきらめれば、そこですべては終わってしまうわけで
なにかを成す力なんて、才能でもなんでもなく、「続ける」という「心の体力」なのです。
この人は、たぶん、それを知って動いています。
■映画「庵治石の味」のチームが万全であったとは、私は思いませんでした。
初めてエキストラをつれて、撮影に参加したとき、なぜ、このくらいのこと把握してない!と
助監督の長谷川君を怒鳴り飛ばしたのは私です。
こんな状態で、ほんとに進んでいけるのか!とも思っていました。
その中で、常に、口の重い片岡くんに寄り添うように、
まわりに気をつかうカメさんこと亀田さんの力は偉大でした。
二次会の席で、カメさんが言ったことば
「この映画の75%までは、牟礼のみなさんがつくったんです」
これが、彼の人柄のすべてを表しているような気がします。
そう、この映画は、ビールのジョッキーひとつでも、夜中まで探し走る「おとこたち」の
「言うたことは、言うたもんが必ずする」
の動きがあったから、わずかな撮影時間のなかにとりあげられたのです。
「牟礼・庵治の男でなけりゃ、こんなもん できとるかい!」
この、職人気質の男たちだったからこそ、途中でなげだすことなく
彼らのサポートを続けたんです。
(この人たち、たぶん、撮影期間中、仕事になってないよ 笑)
そして、職人たちだから、片岡監督の苦しさも、有川プロデューサーのもんもんとする心も
言葉には出さずとも、ちゃんとくみ取ったのでしょう。
■打ち上げの最後の挨拶で、片岡監督が言った
「撮影は終わりましたが、映画の制作は終わっていません。
これは、やっと折り返し点まできたというところ。
だから、僕は、この席ではしゃくごとはできないのです」
片岡くんや、有川くんよりも、もうひとまわり若い子たちが
この暑さのなか、わずかな睡眠時間、雑魚寝状態の現場でもついていくのは
そうした、映画バカともいえるまっすぐで真摯な姿勢を、背中から見続けているからであって
いいことも、悪いことも、全部全部ふくめて
きっと、この先、彼らの血肉になっていくんだろうな。
■キャストのみなさんは表側にでる華であり、そのぶん直接観客の批判も賞賛もうけるわけで
だからこそ、真剣であるというのは当然ですが
このかわいらしい顔をもつ青年からでた言葉
「監督、僕は本気で監督にぶつけてるんです。監督も本気でうけてください」
最後の日、ぎりぎりの時間まで、監督があきらめてはいけない
僕は、ぎりぎりまでつきあう覚悟はあるんです。
と、詰め寄る姿は、まちがいなく「男」でありました。
■そして、総指揮をとった大久保さん、アソシエイトプロデューサー伊藤さん
こんな大人がいないと、できんかったわな。
ある意味、このチームの誰よりも「少年」であったのは大久保さんかもしれません。
■さて、最後に読んでいただきたいブログがあります。
映画「庵治石の味」制作日記の中にある、監督・片岡秀明くんの日記です
「ブラジルで映画を撮った時の話」
2006年、片岡くんが単身ブラジルに渡り、15人のブラジル人スタッフと映画をとります。
注意に注意を重ねていたにもかかわらず、撮影途中の事故により、女優さんが大けがをしました。
それは映画の撮影続行不可、いやプロダクションの崩壊にもつながるものでした。
<<本文から
「本当に「終わりだ」と思った瞬間、自分の中で何かが「崩壊」した。
気が付くと、僕はその場にいた全員に抱きしめられてました。
ルシア(家の肝っ玉母さん)が、「大丈夫、みんな分かってるから大丈夫」
と、強く強く抱きしめてくれた。
そして、次の日から「何か」が変わった。
プロダクションを建て直すため、ベアトリス(プロデューサー)が、
制作会社、機材屋、弁当屋、ロケーション、あっちこっち奔走。状況を説明。
ほとんどの方々が、
「今回はお金は払わなくて良い。他に出来る事があれば力を貸す」と言ってくれて、
カチャ(けがをした女優)は「私は辞めたくない、続けたい」と言い手術を受け、
クルーたち全員もすぐさま、他の仕事をキャンセル。
プロダクションは二週間で建て直り、撮影が続行されました。(つづく)」
詳しくは本文で。
**************
人間は一人ではない、決して一人ではないのです。
世界中どこにいっても、そこにいるのは「人」であり、「心」です。
なにがどう便利になって、なにがどう効率をもとめても
「映画」なんて、効率の悪い芸術の魔物にとりつかれてしまう人がいて
彼らが、愛すべき人なのは
そこに、「人」と「心」が、確かに介在しているからなのです。
【四国高松るいままyoutube】
http://ruimama.ashita-sanuki.jp/e1202617.html
【髙松まちかど漫遊帖】
まちかど漫遊帖オフィシャル 漫遊帖2023春コースリスト
Posted by るいまま at 15:07│Comments(7)
│その他
この記事へのコメント
ほんのちょっとのバカな奴がいるから、世の中は発展するらしいです。
Posted by rookie@yokohama at 2010年09月07日 18:30
★ヨコハマの先達のコメントに誘われて★
ものがたり。だなぁ。
今週も、路上に出よう。と。
触発されてムラムラ。
ものがたり。だなぁ。
今週も、路上に出よう。と。
触発されてムラムラ。
Posted by rookie@あしたさぬき本家 at 2010年09月07日 19:14
■rookie@yokohama
うん、その説は正しいとおもうよ(笑)
うん、その説は正しいとおもうよ(笑)
Posted by るいまま at 2010年09月07日 19:14
■rookie@あしたさぬき
ふふふふ ムラムラするやろ~
ふふふふ ムラムラするやろ~
Posted by るいまま at 2010年09月07日 19:18
私は頑張って 氷 を 持って行きます。
もう そろそろ・・・
もう そろそろ・・・
Posted by かずのぶ at 2010年09月07日 20:57
■かずのぶ
そろそろ まかない一緒に食べてよ。
そろそろ まかない一緒に食べてよ。
Posted by るいまま at 2010年09月07日 20:59
人見知りする私は・・・
呼んでくれなんだら
寂しく・・・帰ります 笑
呼んでくれなんだら
寂しく・・・帰ります 笑
Posted by かずのぶ at 2010年09月07日 21:40
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