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2008年09月12日

長崎さるくの茶谷さんのこと つづき

さて、昨日 スタバで号泣しながら読んだ、資料「まち歩きが観光を変える」

長崎さるくの茶谷さんのこと つづき長崎さるくの茶谷さんのこと つづき


この本は、茶谷さんとしては、ごく淡々とコーディネイトプロデューサーとしてかかれた「Note」なのだと思うのだが、やっぱり、何をどう出せば人はどう反応するかを、意識無意識関係なく構築されているところは さすが。


■昨日、心を打ち抜かれた 茶谷さんの言葉

p54 茶谷「(長崎の)市民ツアープロデューサーと心中してみるか」

この本のなかにも書かれているのだが、広告代理店に丸投げしてしまって、まちが何をしたいかがはっきりしないまま進むと、まちを見たこともない人たちによって机上で作られた「りっぱな企画書」ができて、それはとてもりっぱだけれど、まちのひとたちとは遠いところにあるということ。

長崎さるくは、まず、長崎の人たちが「まち」を考えて自分たちの考えを形にした時点で、茶谷さんに相談をもちかけている。


p40 茶谷「・・惚れ惚れする書きっぷりである。何をしたいのか、何を求めているのかがよくわかる。このような企画書を役所の手で書かれたらプロはお手上げであろう。プロでもここまで書ける者は少ない」

この「書きっぷり」という言葉に、なにかと周りに気を使わなくてはならない立場の人たちが、もう、ここで腹をくくって本気ですすまないといけないのだという強い思いで進んだ姿勢が、茶谷さんに伝わったところではないかと思う。

このときの長崎の担当だった田上さんは、このころ奥さんに言っている。


p56 田上「私は運命共同体として血判状を押す覚悟はもちろんあります・・・・・・万一2006に失敗して市役所を辞めてもいいかと家内に聞いたら「いいよ」と言ってくれたので、足元は固まりました」


市民のなかにも長崎のことを本気で考え動いてくれている人がたくさんいて、田上さんは、その人たちとの繋がりも既に作っていた。

女性活動・歴史家・観光コンベンション・被爆体験をもつみなさんなど、このまちを語り愛した人たちの中には、長崎ならではの「華僑」の人たちもいた。
中華料理店経営の陳さんは、


p59 陳さん「他人から押しつけられるのではなく、自分たちでやりたい」ということを強調した。




■その人たちが一様に思うのは、「東京に持って変えられたくない

p60 「(それまでの長崎で開催された大きなイベントは)、地元はくたくたになるまでよく働いたが、おいしいところは東京のスタッフが持ってかえり、長崎には何ものこらなかった」

こうした思いは、「よそから来たプロデューサー(茶谷さん)への抵抗感」の背景にあった。


そうした中で始まるのは、高松・香川という小さな規模でも、私にもあった。横の繋がりをつくっていきたいと、叫び続けても、どこの馬の骨ともわからない私を信じていただくまでの時間はかかった。


■2004年3月、茶谷さんに思いを整理してもらい田上さんが言いたかったことはこうでしょ?と聞かれた田上さんは、もう一度「自分がしたかったこと」を改めて考える。



p66 田上「自分がたりたいことを根っこから言うと、まちや人が、本来持っている個性やパワーをめいっぱい出す姿を見ることかもしれません」


東京流の長崎イベントは不評に終わっている。茶谷さんが考えたのは


p69 茶谷「市民をいかに巻き込むか」ではなく「市民自らがいかにやるか」です。


私は、この言葉に、「そうなんだよ!」と声をあげそうになった。

よく、市民を巻き込んで行きましょうといわれる。
でも、そんな高見から見ているモノに、誰が巻き込まれたいかよ!!

長崎市に2度目の研修にいったとき、長崎市役所の方との座談会があった。担当の方が、さるくが始まってから仲間(市民)から言われた言葉で一番嬉しかった言葉を話してくれた。

「最初は、どうせ役所のものと思っていたが、私たちの何倍も動く姿をみて、許してやろうと思った(長崎弁で)」

そのくらい腹をくくって立ち向かったということだ



■長崎には、長い長い歴史がある。原爆投下という重い歴史もある。

p73 茶谷「長崎の人たちは、数奇な運命をそのままに受け入れて暮らしていく術を、今でもしっかりと身につけている。「私はこのように生きてきた」「このように生きている」と、中まである同じ市民に自分のおとを知ってもらいたいのだ。それが長崎流の生き方なのだ。私は、そう思った」

茶谷さんは、そうした長崎の人たちを、なんと幸せな市民なのだろうと言う


p73 茶谷「故郷を喪失し自分の生きている場を失っている多くの日本人に比べて、なんと幸せな市民たちなのだろう。自分の住んでいるまちに、自分のアイデンティティを求めることのできる稀に見る恵まれた市民なのだ」

まちあるきは、そんな市民への「舞台づくり」ではないか。
「アクションプラン」にも、市民が自分のまちを観光客の手から取り戻して、自分たちのものにすることだと強調されていた。

外来の客の数を増やすことだけが目的視されるにもかかわらず、「自分のまちを楽しみたい」というのが、長崎の場合前提になっている。

ならば、その血をたぎらしてもらおう。自分らしさを取り戻してもらおう。

そして、茶谷さんは、よそもののプロデューサーとして不思議な自身をもち


p74 茶谷「長崎ならうまくいく」

と自分に言い聞かせる。




■ところが、茶谷さんと血判状まで交わそうと熱く語っていた田上さんが、全く関係のない部署に異動することになる。

茶谷さんを、長崎にここまで熱中させるのは田上さんの熱意があったからこそだ。


この春、まちかど漫遊帖も、なにもないところから、供に夜も日もない活動を続け、走り続けた高松市観光振興課(まちかど漫遊帖事務局を置く)が、課長以下全員異動となった。

なんでよ! なんで、今なんよ!

ようやくまとまりかけたものを、いったいどうしたいというのだと、高松市の人事を恨んだのもこのころだ。

けれど、茶谷さんもそうであったように、進みはじめているものを止めるわけにはいかない。ただ、前をむくしかない。

私も、歩む足をとめるわけにはいかず、今年の秋のまちかど漫遊帖の構築にむかった。




■香川県も、来年、まちあるきだか まちづくりだかをテーマにした「博」が行われる。

「博」について、形あるものがないがために、人に伝わりにくいと、あれこれと策を練ろうとしている部署もある。

私は、そんなものに(今のところ念のため)興味はない。

あるのは、ここまで構築した「まちかど漫遊帖」を確実に進めることだ。この中には、「まちへの思い」も、新しいまちの楽しみ方も、市民の誇りも、知恵も、すでに詰まっている。

張りぼて的に、なにを貼り付けても、ぼろぼろと落ち崩れるのは目に見えている。

必要なのは「張りぼて」ではなく、「揺るぎない土台」だ。


目玉のないことでの「博」の開催についての不安は、長崎にしても同じだったようだ。田上さんがいなくなり、事務局の中でも事情がよくのみこめず「なにをするのかわからない」スタッフがいる。

その中で、茶谷さんは、アクションプランを何度も読み直す。

そして、伊藤市長(当時)に会い



p87 茶谷「まち歩きで観光スタイルを転換するという基本だけは譲れない」と、絶対にブレない覚悟を伝えた。




■具体的な方法として、まちの地図づくりがはじまる。

その中に、商店の名前をいれるかどうかで議論がでる。行政のつくるものであれば、一部の商店がでてはいけないが、これは市民が自分の力でつくるものである。

まち歩きというコアな部分を巡る地図だからこそ、角角の商店は必要になる。

茶谷さんたちの地図への思いは


p95 「地元の吐息が伝わるような地図」だった。

そして、「さるく」のボランティアガイドさんたちに求めたものは、「みなさんが、この博覧会の顔」であるということだ。

さるく博に求められたのは「歴史博士」ではなく(もちろん知っていれば強みだけれど)


p100 茶谷「自分が生まれた、自分が育ったまちの自分の刑ケインを語ってください。若い頃はこのまちはどうだったのか。恋をして結婚をして、今、わがまちを見る心境や経験を語ってください」




■さるくがそうやって準備をしているころ、愛知県では途方もない巨額を投じて「愛知万博」が行われたいた。

映像技術を駆使したパビリオンがあり、冷凍マンモスがいて、ロボットがいる、トトロの世界がある。

この予算が総額3千億円・・・


p116 「わずか10億前後の予算の「さるく博」では」・・・と茶谷さんは書く。



それを読みながら、たぶん、香川の人たちは、みんな眩暈を起こしそうになる。

億なんて・・・千万なんて・・・数百万なんて・・・

そんな途方もない金額、私たちは・・・見たこともない・・・


私が「絶対に、さるくなんかに負けない!!」

と立ち上がったのは、全くお金のない、このまちを、絶対にどうにかしてやるという思いからだ




■とはいえ、愛知万博に比べれば、さるくも決して余裕のあるものではないことはわかる。

さるくが、地域規模の広報しかできないもどかしさを感じながらも、焦点を定めて広報をしていく様が書かれている。

多額の費用がかかるマスコミ広報の不足を補うために「長崎からの手紙」という、市民が直接、市外の親戚や知人にガイドブックを送るという方法だ。

書いたものは、市民が送るのではなく、役所にもっていくと事務局がまとめて送る。料金は事務局が負担する。

これも、10億という予算があるからできることなのだ。

でも、まちかど漫遊帖の、貧しい予算であっても、「自分のまちを知らせたい」という強い思いだけはある。

個人レベルでの、ガイドブックの送信は続いている。


p124 茶谷「こうして、旅行エージェントの反応は鈍かったが、それでもいくつかの旅行商品として「長崎さるく博」は成立していった。
その人たちがエージェントの窓口に出かけていって「長崎に行きたい。まちあるきをやっているそうですが」と問いかけることで、情報が逆流して、東京大阪のエージェントもじょじょにではあるが、さるく博が認知されるようになった」




■茶谷さんの姿勢は、最後までぶれなかった。

やがて、長崎市民の中に、まちあるきは「面白いのだ」という納得と、長崎のまちはそれに十分に堪えているという自信がうまれ、無謀だ、失敗するという声は聞こえなくなる。

けれど、120日間という長丁場は、人々の体を痛めつける。

私自身、石あかりロードの石あかり月あかりライブの準備が4月からはじまり、同時期から漫遊帖の研修が開始され、5月~7月という時期に漫遊帖の調査のために外を歩き回りながら、石あかり月あかりライブの企画書書きが重なる。
石あかり月あかりライブの2ヶ月の本番がつづくころ、漫遊帖のガイドブックやちらしのコピーライトと編集作業が重なる。

一年の2/3までを、ほとんど睡眠不足のまま暮らしていると、どんなに強い思いでいても、徐々に体はよわり心は落ち込んでいくことがある。

でも、その歩をとめることはできない。

梅雨と炎暑を迎えた さるく博も同じだ。それを支えるのは、


p151 ガイド全員に行き渡った「ここでバテではいけない!」

自分たちでつくるものであるから、自分たちが倒れるわけにはいかない。

ガイドは生身の人間だ。ガイドが弱音を吐き始めたら、もう博をやめるしかない。



p116 茶谷「私はガイドの精神の高揚に博覧会の成否を賭けていた」


それは最後まで貫かれた。





■育てることも大事。支えることも大事。

しかし、関わる一人一人の思いが落ちないことがなによりも大事なのだ。


どこにでも呼んで欲しいと、常に行政には話す。遠慮はいらないから、どこにでも呼んで欲しい。

私にできるのは、茶谷さんのような知的なことではないが、

「続けることの大事さ。心を持ち上げることで、どれだけやっていることが楽になるか」

を伝えることはできる。



********************

そんなこんなで、私は、茶谷さんに逢える日を心待ちにしている。




「ちゃんとした ご案内状」


 日頃は、まち歩き観光にご尽力いただき、ありがとうございます。
 さてこのたび人材育成部会では、外部講師として、長崎さるく博総合プロデューサー・茶谷幸治氏を招聘することになりました。まち歩き観光全般に関わる内容の研修会を実施する予定です。
 お忙しいとは存じますが、人材育成部会のみならず商品化・情報発信部会の方々もご出席くださいますよう、お願い申し上げます。




○日 時     平成20年9月15日(月) 13:00~17:30
                 9月16日(火) 9:00~16:00
○場 所     香川県社会福祉総合センター3階 大会議室 ほか
            (高松市番町1-10-35  高松高校向かい)
















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Posted by るいまま at 11:53│Comments(4)仕事
この記事へのコメント
取りあえず、長く維持できるもの…長く愛されるものを提供し続けることが大切なんだなぁ。
Posted by 秀一郎 at 2008年09月13日 00:16
長崎は学生時代を過ごしたまちです。

修学旅行の小学生は、子どもたちだけでルートを組んで、「ウォークラリー」をやります。

路面電車、ちりんちりんアイス、シーボルト通り、眼鏡橋、諏訪神社。
30年ぶりに訪れてもまちが変わらないのは、まちを愛してそこで守り続けている人たちがいるからなのですね。
感動しました。
Posted by ハル at 2008年09月13日 09:36
長崎はひとりで何度も行きました。
名所旧跡は一度回ればそれきりだったのに、なぜそれほどその街に惹きつけられたのでしょう。
たぶん私は、耳元に流れる、そこの人たちの話すなまりを聞きに行っていたのだと思います。
 
Posted by ねね at 2008年09月13日 10:54
■秀

そだね。まずは、10年だと思って、私は動いているあるよ。

一朝一夕にできるもんでもないからなぁ


■ハル

そうなんか・・・

土壌というのは大事ですね。本を読みながら、「長崎さるく」を始める前のワーキンググループの話し合いっていうのが、すばらしかったようです。

まちを愛する人たちが集まって作ったものだから、生きていたんだと思いました。


肩肘張って「まちづくり」っていわずに、自然な形で、進めたいですねぇ。


■ねね

おおっ そうでしたか。

「耳元に流れる 、そこの人の話すなまり」

ほんとに、これはどんなお土産よりあたたかいですね。
Posted by るいままるいまま at 2008年09月13日 11:17
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長崎さるくの茶谷さんのこと つづき
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