2021年02月15日
叙情的なひとは ときに残酷
【叙情的なひとは残酷】
今週は、毎日、締切やら打合せやら本番やら、まぁまぁ大変なわけだ。そんなところに立原道造の「雲の祭日」が届いてしまう。読み出すと時間はすぐ経つ。
彼の最期の恋人、水戸部アサイが一生道造を思い独身だったと思う方が、中年以降のおじさまに多いのに驚く。
道造はとてもハンサムで背も高くよくもてた。24歳で亡くなるまで何度も恋をし、恋人も複数いた。
アサイは、道造がいよいよ病に蝕まれ身体が弱った頃に出会った恋人で、最期の1年、献身的に介護看病しよりそうが、道造は、つい前の恋人の話をしてしまったりして彼女を傷つけることもあったようだ。
叙情的なひとは、自分に酔いしれる癖があり、悪気なく現実よりも思い出を大事にしてしまうのは、今も昔も同じ。
そんな道造を支えたアサイは、ちゃんと現実をみることができる女性だったのだと思う。
道造が亡くなったあと、アサイは、結婚し新しい人生を紡ぎ75歳で亡くなっている。独身で道造を思い続けたというのは、おじさまの幻想。
そんなアサイだから道造はひかれたのかもれない。

では、昼ごはん。

素敵なおじさまから
■お願いですから・・ おじさんの幻想を爆破しないでください! 内心には知っているけれど・・・
るいまま「アサイは、道造が亡くなると同時に知人の前から姿を消します。
30年後、彼女を探したひとによると、彼女は道造からの15通のラブレターを大切にしていたそうですよ。
生きるため現実を見るとしても、決して道造を忘れたのではなく、愛は違う形で育まれたのです。きっと。」
■う・・ん おじさんは違う幻想と乙女の夢のなかに生きている。。 ぼくも 含めて皆が真実を知っていることだけれど、幻想のまま死なせて欲しい・・よな (笑)
るいまま「おじさまは、とてもロマンチスト。気をつけます(笑)」
コメントありがとうございました。
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。