2021年02月15日
小さきものは考えている 再掲
3年前の2/15にかいた記事。失われた家族を取り戻した話。
これを読み返しながら、やはり私は、不出来な自分の子として生まれ、私をはげまし続けた娘の成長を思うのだ。
【小さきものは考えている】
twitterのこの記事をみながら、娘が小さい頃を思い出した。
「息子からもらった数々のメモが出てきた。懐かしい。日付は12年前
当時病棟勤務だった母は息子と一緒に過ごす時間は少なく1人でお留守番が多かったなぁ
深夜に帰るとテーブルにメモが置いてあり、洗い物をしてくれていたり、ぬるくなったコーヒーが作ってあったり…寂しい思いをさせたな…なんか涙出た https://t.co/N7HPUByMdC」

子どもは一生懸命おとなのことをみている。そして、考えている。小さきもは手間がかかると思うのは、おとなの傲慢だ。
はりきって大掃除を手伝ってくれる娘の姿や、本を見ながらひとりでお菓子を作って、仕事に行っている私の帰りを待ってくれていた彼女によって、私は失われた家族を取り戻した。
結婚や出産が人生のすべてではないが、小さきものの一生懸命な姿や思いは、小さな単位でないと気づけないこともある。
そんな姿に、私は親にしてもらい、彼女は鮮やかに子どもを卒業していった。
twitterの、この男の子は成長し、ちゃんと反抗期も迎えているらしい。やがて、彼は母親からちゃんと卒業し、次なる世界を見つけ優しい思いを発揮するに違いない。

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