2020年01月25日
茶室る庵 「桃花笑春風」に思うこと
【桃花笑春風】
(とうか しゅんぷうに えむ)

茶室る庵にかかる軸は、たいてい余所のお宅でいきどころを失い、言葉に引かれた私にたまたまみつけられ「我が庵に来るかい?」と声をかけたものだ。
ちょうど、かん氏を動物保護協会に迎えに行った時に似ている。
この軸も、最初はお高いもので、お茶人のお宅のお茶室の春の床を飾ったのだったのだろうが、
今は私が求められるくらいに値も下がり、茶室というにはあまりに粗末な「茶室る庵」にかけられる。
それでも、なにかかにかとひとが集まる小さな茶室で、「これはなんて書いてあるの?」と話の輪のなかにあるほうが、しまいっぱなしで押し入れの奥で眠るばかりになるよりはしあわせに違いない。
茶の湯の世界には、さまざまな趣味があり、お菓子の好きなひとも、お茶碗や道具が好きなひとも、お花が好きなひとも、きものが好きなひとも、ただ茶室に座る時間が好きなひとも、集うことが好きなひともいて、
そのすべてを受け入れてこその世界だと私は思うが、なかなかそうもいかない事情もあるんだろうなと、野良猫は感じている。
この軸の言葉「桃花笑春風」は、
去年今日此門中
人面桃花相映紅
人面不知何處去
桃花依舊笑春風
の最後の句からきている。
去年の今ごろ少女に会った
桃の花の紅が頬にうつって美しい子だった
あの子はどこにいったのだろう
桃の花は変わらず春風に吹かれ美しく咲いているのに
てな感じの意味だと思う。
SNSがあったり、メールがあったり、ひとり一台電話を持っていたりの今では、離れ離れになっても簡単にまた会える術があるが、
そうなってしまったから、ひととひととの関わりが雑になっているような気もする。
この句ができた頃のひとたちは、切ない時間を耐えながらおとなになっていったのだろう。
そんなこんなで、節分がすぎたら、茶室る庵にこの軸をかけ、おひなさんを飾り、恋人たちのことを思いながら一服いただくことにする。
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