2024年09月30日
逢いすべき大人 西垣正信×佐上義昭
【逢いすべき大人】
久米仙人 蘊蓄ギタリスト #西垣正信 と、これだけ話せる #佐上義昭 さんに敬服する対談。この若さで、これだけ広い知識と落ち着き。さすがですな。

https://youtu.be/nFJb1ASMKm0?si=y3__d1AI4F-qqWsI
佐上くんだから引き出す、おもしろいお話もたくさんでますので、必見。
中盤からでてくる味と音と香りは、同じって話は、 とても興味深いお話。
佐上さんが、早くおとなになりたかったと言うのはわかるような気がする。10代が人生のピークで青春の汗臭さに溺れてたひととは一味も二味も違った少年だったはず。
1時間半ほどありますから、夜、全部片付けてから、ゆっくり聴くのがよいかも。私も、後半は夜に。
佐上くんは、マーラに似てるらしいよ(笑)
月の光 自分が出来が悪いとおもうときほど、女のひとに受けがいいらしいよ。お気の毒に(笑)
……………
蘊蓄ギタリストから
近い内に公開されるという自分の対談動画への前もっての補足
佐上君とのこの飲み話の後半でぼくは自分の手に余ることに触れてしまっています。
もしも、音楽の直感として受容していただけるようであればよいのですが
どこから降ってわいた「心・・意識・・・音楽・・世界」のことを話したのか? の弁明です
自分が十代のころ どんな本を一番に執拗に読み続けたか、というと 間違いなく「無門関 むもんかん」です
臨済禅などでは座るだけではなく こういう問題集があります。
「無門関」というタイトルは本当にすばらしいものです。自ら生まれたもの・・例えば知識や意識が存在するとすれば
それは自ずと「門」を通過した痕跡がないはず、門の痕跡があるのは知識や心は外から輸入されたもの、
ちょいと量子論みたいでカッコよいね
この本を最初に盛永宗興老師に与えられ 毎週の提唱(講座)で教えていただいた。
現代の視点ではすこし不思議な書物です。最初に「問」があって続いて解説と場合によっては解答もある。
写真の本は普通の無門関の本ではなく 改定評唱冠註無門關 はその解説にまた階を重ねた解説つき・・という とんでもなく親切な書物なのですが、
これを読んでも口頭試問(参禅)では まるで解答できないのですね。
知っている、とか できる とかということの本質を鍛えられます
この本のよく知られた第一問は
「趙州狗子」 狗子(くし くす =犬)に仏性があるか?ないか?
で 答えは「無」 問われているのは 犬か人か?の問題でもなく 仏性(ほとけのこころ)が世俗の心か?を問うているのでもなく、
ま、さすがにそこの第一歩にはつまづかなくても 十代のアホなぼくにはその先に思いは踏み出すことができない問でした
答えの「無」も 有無の無ではないし、、、そう その頃一世風靡をしたサルトルの「存在と無」の
L'Être et le Néant の「ネアン」はすこし近いのかも
もっと近いのは ずっと前のボードレールの詩集「無の味(味覚)」 Le Goût du néant かもな・・
この詩集はその対談の時にでたお題 香り、味のときに触れるべきやった、賢い思いはあとからくる、というのは賢くなんいんだな
ボードレールがこの詩集で歌う
「....あきらめろ僕の心、眠れ お前の獣の心よ」

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