2024年02月13日
有斐斎弘道館 ただ保存するだけでなく営む
【ただ保存するだけでなく営む】
Facebookでフォローさせていただいてる京都の菓子職人さんのpostで知った #一席一菓のお茶会 に行って、#有斐斎弘道館 と 茶人 #太田達 さんを知る。

有斐斎弘道館は、取り壊され跡地にマンションを建築する憂き目にあいかけた建物。2009年、太田さんをはじめとする文化人たちが待ったをかけ、保存に乗り出した。
一席一菓の茶席で、さらさらっと太田さんが話してくれたときは、すごいなぁとおもったが、
帰ってからyoutubeを見ていて、3年くらい前にNewsPicksに京都市長らとともにお茶人がでていて、建物の救済保護のため「この年で大きな借金を抱えました」と話していたのを思い出した。
太田さんの経歴をみていると、茶人だけでなく、上七軒の菓子輔「老松」の社長であり、学者であり、大学の先生であり、有斐斎弘道館を支えるひとであり、
分かりやすくまとめてくれているサイトがあったので貼っとく。
前編
https://www.kimonoichiba.com/media/column/402/
後編
https://www.kimonoichiba.com/media/column/403/
太田さんたちが建物を救済したときは、いまの有斐斎弘道館からは想像できないくらい荒れていたようで、
「荒れ果てていた屋敷や庭の整備を行い、現在は茶道を中心に和歌や能に関する講座を「ちゃかぽん」と称して開催しています。ちゃかぽんとは幕末の大老・井伊直弼のニックネームで、彼が愛した茶の湯、和歌、鼓のポンと鳴る音を合わせた言葉。」とある。
保存は、ただ守るだけじゃなく、使い広め、その存在価値をみんなに知ってもらえる経営をしてこそ意味があるに違いない。
太田さんも理系のひと。インタビュー記事の以下の部分が好き。
「太田さんにとって京菓子とは、という疑問を投げかけると、
「物理と化学に文学(和歌)をのせて、約50gの立体造形に仕立てたもの」
という、本質剥き出しのお答えが返ってきました。
「僕は理系人間だから、ナノ理論とかで考えてしまうのね。でも、お客さんに喜ばれるお菓子を作ろうと思ったらそれだけでは駄目で、コピーライティング的な視点が要るぞと思った。どんな立場にも年齢にもなれる視点ね。和歌はその糸口なんじゃないかと思う。」
………………





「弘道館」は、学問所というほどの意で、江戸時代には全国に見られました。京都・上京に位置するここ弘道館は、江戸中期の京都を代表する儒者・皆川淇園(みながわきえん/1734-1807)が1806年に創設した学問所で、私立大学の先駆とされています。淇園は「開物学」という独自で難解な学問を創始しましたが、詩文や書画にも優れた風流人で、山水画は円山応挙に劣らずと評されたほどでした。門弟3千人とも言われ、多くの文化人と親交を結び、また亀山藩や膳所藩など、地方に賓師として招かれました。弘道館は、この址地辺に建てられた石碑(註)にちなみ、名付けました。また、有斐斎(ゆうひさい)は、淇園の号のひとつです。
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