2023年08月25日
家は自分が暮らすぶんだけ良い
【終の棲家】
同世代の友だちとお茶を飲みながら、父が生きてた頃「#家は自分が暮らすぶんだけ良い」と言っていた話をする。
子どもも減り、結婚しないひとも増え、住む人、管理できるひとのいなくなった家余り状態は他人ごとではない。
住まないからといって放ってはおけず、空家や空地となっても、管理したり草刈したりはしないといけないから大変。
なんにもいいことないのに「本家」という名ばかりの役割で、売ることもままならずって話は、よく聞く。
お隣のおじさんの、自分の年齢的にもうきちんと管理できないから手放そうと思いますという理由は、ほんとにまっとうな理由だ。
夫の父が倒れ、高松の施設に入ることになったとき、夫は尾道の家をすぐに処分した。
私は、尾道の別荘みたいに置いておけばいいのにと呑気なことを思ったが、あのとき処分してくれたのは、最善で賢明な判断だったと今にして思う。
ただ庭の草刈だけに尾道に通うなんて、働き盛りの私たちにできるわけがなかった。
我が家は、夫が私たちのマンションを管理し、私が私の実家を管理していて、いまのところは順調ではあるけれど、あと20年したらどうなるやら。
不動産が資産という考えは、不動産屋さんや、外から見るひとが思うだけ。
父が言っていたように、普通のひとは自分の暮らす終の棲家だけがあれば良い。
「私たちがこんな話をするようになるとはね(笑)」
とふたりで笑い、間違いなく歳は重ねていることを実感する。

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