2023年06月23日
本来無一物
【茶】
最後の追い込みで、経費もなんとかなりそな気配なので、明日の買い物へ。
ジョアンで明日の楽屋用のパンを買ったあと、#原ヲビヤ園 でほうじ茶を買いながら、
6/3に圓通寺で #和敬清寂茶会 をしてから完全に茶から離れ、「壁の鏡とおひめさま」の稽古や準備していたので、茶にもどれるんかしらと言ったら、楽屋見舞いをもらっちゃったよ(笑)
ありがとうございます。
帰りに、サンマルクカフェで茶道雑誌「#なごみ」を読みながら遅い昼ごはん。「なごみ」も、まさかケチャップ飛ばしながら読まれるとはゆめゆめ思わなかっただろうね(笑)

陰陽五行の特集を読むつもりで買ったけど、「もしも○○を招いたら 夢の茶会」の特集が、無学文盲の茶人、#本来無一物 の 六祖 #慧能 で、あまりにかっこいい設えに、またまた茶への思いが募る。

「よけいな言葉は本質を見失わせる。無名の道具は、禅の自由さに通じる」
いかしたコピーだね(笑)
禅のことを書くと蘊蓄ギタリストからきっと注釈がはいるので、私は簡単に(笑)
■本来無一物とは
事物はすべて本来空 (くう) であるから、執着すべきものは何一つないということ。
……………
禅宗の五祖 弘忍が、悟りの偈がうまくできたものに法を継がそうといい、門下筆頭の神秀が
「身は是れ菩提樹、心は明鏡台の如し、時時に勤めて払拭せよ、塵埃を惹かしむること勿れ」
身は菩提樹、心は鏡のように清浄なものだから、常に掃除して塵やほこりが着かないように勤めなさい。
と偈を示したところ、慧能が
「菩提本と樹無し、明鏡亦た台に非ず、本来無一物、何れの処にか塵挨を惹かん」
本来、仏心には菩提樹とか明鏡台などというとらわれは無い、無一物である、それなのに何処に塵挨を着けようというのか。
と示し、弘忍は、やはり慧能はただものではない 六祖は慧能にと密かに決め、六祖としての伝法の証である衣鉢(衣と食器)を慧能に渡し、襲われぬようこの場をすぐ去れと諭します。
夜が明け、慧能の六祖は気に入らぬと慧明という僧が慧能を追いますが、慧能の人間力にすっかり魅了され、弟子になりました。
慧能と慧明のやりとりは「無門関」第23則「不思善悪」にありますとのこと。
https://zenzine.jp/learn/1142/
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