2021年04月20日
茶でも一服お飲みくだされ
4/20 goodmorning
【茶でも一服お飲みくだされ】
今日は、日本に茶を運び「喫茶養生記」を書いた僧「栄西」の生まれた日。
宋に留学していた栄西は、茶の種を持ち帰り佐賀県脊振山(せぶりさん)に植え栽培に成功し、
京都の明恵上人が栄西よりその種を譲り受け、栂尾(とがのお)で栽培した茶が宇治茶の基となり、日本全国に広がったので、
栄西が茶祖とも呼ばれるけれど、それより前、遣唐使として中国に渡った最澄だって空海だって中国から茶を運んでいる。でも、茶栽培はうまくいかなかった。
ただ、栄西も最澄も空海も、私たちは歴史上のひととして簡単に並べるけど、
栄西は1141年生まれ、最澄は767、空海は774。こんなに時代が違えば技術だって大きく違うよ、そりゃね。
喫茶養生記は、「深酒癖のある源実朝に献上された」と吾妻鏡に記されているので、やはり、茶は飲料というより薬だったのだと思う。
その後、中国伝来の茶の飲み比べをして競う「闘茶」が武士の間で流行り、これはいまの濃茶のようなものを百服近くのんだというから、薬も毒となるはな。
闘茶は禁止されるが、ダメダメと言われるとやりたくなるのが世の常。武士が身分を隠し闘茶の席に現れ、のちのわび茶の祖「村田珠光」と勝負する、茶室演劇「珠光の庵」は、面白かったね♪
人間の欲得と一通りの酸いも甘いもも知った村田珠光は侘び茶を確立させ、それが武野紹鴎、千利休へと繋がり、武士たちの茶へと広がるのだけど、
夕べ、見ていた、織部の茶の筋にある広島の上田宗箇流は「美し」、小堀遠州流は「綺麗さび」と、武士たちもただ荒々しく強くだけじゃなく、精神の美しさを求めていたんだなと感じるよ。
中国でのお茶の発見は紀元前2700年。
古代中国の神「神農」は、草木の薬効を調べるために自ら何度も毒にあたっては薬草の力で甦る実験を繰り返し、薬の効能を見つけたそう。
もちろん、栄西が中国から茶の種を持ち帰る以前にも日本には茶文化はあり、たぶんそれが「山茶」と呼ばれる茶たちで、
これもやはり薬効はあり、昔のひとたちは、日々の養生と茶によって心身整えていたので、
コロナでやけっぱちになる前に、茶でも一服 お飲みくだされ。


と言いながら、朝は珈琲(笑)

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