2021年02月16日
月に一度の喫茶室 2月@ 水屋係 おわりました
【水屋係おわりました(笑)】
まさか、るいままが水屋のお手伝いとは!と言われながらはじまった、月に一度の喫茶室の立礼薄茶席の水屋。
梅ケ枝餅を焼くお手伝いだけ…で済むはずもなく、洋子ちゃんと連携して、お茶こして、茶碗温めてお茶入れて、茶碗洗って次の席の準備してとやってるうちに夕方。
よく働きました(笑)




なぜか、濃茶席より薄茶席のほうが長いという逆転現象が起きまして(薄茶席の亭主がいっぱいお話したいことがありまして 笑)、
先に終わった濃茶席のみなさんが、「るいまま、私たちはいつでもいいからね」と待っていてくれて、薄茶席8席目のお客さまを送りだしたところで、濃茶席へ。
洋子ちゃんと、三友堂のバレンタインだけのお菓子「ハートとラブレター」をいただきながら、山下先生が練ってくださる濃茶の香りにホッ。
やはり、一度に練り各服に注ぎわける方法のほうが香りがたつね。
一日のバタバタ疲れが一気にぬける美味しさに、「あぁぁ、美味しい」と声にだしてしまう(笑)


そのあと、濃茶席のみなさんに薄茶席に来ていただき、梅ケ枝餅でお薄をいただく。官休庵若宗匠好み星野製茶園 暁の白がこれまた香りたつ薄茶。


抹茶に含まれるカテキンがウイルス感染対策に効果ありなのは、茶の湯の世界ではよく知られたこと。
一回一回、熱湯で茶碗を清め温め抗菌にもつとめているから、茶の湯の席で感染したという話はきかない。
コロナ以降、茶席の窓を開け放ち、お菓子は銘々皿、濃茶は各服と、お菓子取りまわしのお箸づかいや、濃茶のまわしのみが無くなったことで、むしろ茶席が身近なものになったかも。
■2月25日は菅原道真の命日。薄茶席のお菓子は道真ゆかりの梅ヶ枝餅。
菅原道真が大宰府へ権帥として左遷され悄然としていた時に、安楽寺の門前で老婆が餅を売っていた。その老婆が元気を出して欲しいと道真に餅を供し、その餅が道真の好物になった。後に道真の死後、老婆が餅に梅の枝を添えて墓前に供えたのが始まりとされている[1]。別の説では、菅原道真が左遷直後軟禁状態で、食事もままならなかったおり、老婆が道真が軟禁されていた部屋の格子ごしに餅を差し入れする際、手では届かないため梅の枝の先に刺して差し入れたというのが由来とされており、絵巻にものこっている。





【ビストロ ボン】
喫茶室のお手伝いが終わった、洋子&るいまま、ふたりでささやかなる打ち上げ。
もはや、いつもみたいに歩く元気もなく、るいまま組事務所至近の「#ビストロボン」で夜ランチ。
まちの洋食屋さんは、ハンバーグもジンジャーポークもお値段も間違いなく満足。
るいまま組に帰って珈琲飲むかなんていってましたが、まだまだ週のはじめ、明日もお仕事がパンパンなので、洋子ちゃんを送って早い解散。



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