2011年03月19日
昭和8年の高松を見ている。

エアコンだ電気カーペットだ、遠赤外線イオンストーブだと、ほとんど電気に頼っていたので、
納屋にしまい込んでいた灯油ストーブが使えるかどうかを試し中。

同じ灯油を使うにしても、ファンヒーターは電気がないと使えないけど、湯も沸かせて、蒸気もでて、停電しても使えたんだよな…
その間に、明日、義援金茶会をさせて頂く血屋敷井戸跡あたりを、昭和8年の地図でみております。

この井戸は生駒さまの時代の御厩のあたりにあったようで、その後、どう使われていたんだろうとおもってましたら
昭和8年当時、井戸のあたりには高砂湯というお風呂屋さんや、玉藻温泉という温泉つき娯楽場があったようで、
やっぱり、良い水脈がのこってたんですね。
今、ベーグルベーグルがあるあたりに、高松見番があって芸者さんたちの采配をしていた模様。
この昭和8年の地図をみるときのガイドは、ばばさま(昭和5年生まれ)。
今日も、東浜港での材木荷役の話や、大衆座をいっときばばさまのおじいちゃんがやっていた話など新ネタ満載。
ばばさまが、井戸っていうのは井戸の住人というのがいらして、井戸を塞ぐときは竹のふしを抜いたものを井戸にさし、お願いをせないかんのでとのこと。
水の少ない高松は、特に井戸の人たちと仲良くしとかないかんがな。
明日は、井戸のみなさんと一緒に東日本の復興を祈りましょな。
るいまま
http://ruimama.ashita-sanuki.jp/
Posted by るいまま at 12:28│Comments(0)
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