2009年09月27日
そうですね。ありがとう!
このブログは、私にとってはツイッターであって、
綺麗なこと、美しいだけを書くために始めたことでもなく、泣き言も怒りも書きますと何度も言いながら
「るいまま」としての言葉として書いているので
これまでも、いろんなことがありましたが、特別ゆるめることもなく進んでいます。この先もです。

■先日かった若い女の子のCDの歌詞の中に
「自分を壊しそうになったから、私は光になったのさ
形無いものになれば壊してしまうことはないと
たとえそれが暗闇でも見失うことはなかった
次第に強く光りたいと望むようにさえなった」
とありました。ええとこついてるなぁ。
■言葉たちのなかには、「なぜ、今、あなたが?」というところから現れるものがあります。
どう考えても、それは、あなたが発しないやろと思うところから聞こえた言葉は
今、ここに必要なものを「誰かの肉体を借りて、誰かが話してくれている言葉」です。きっと。
「マゾなんか?」と思うのだけど、私はだんだんk氏が愛おしくなってきています。
「ここまで食いついてくるのは、よっぽど るいままのことが気になって仕方がないんやで」って
みんなに言われていますが
これは、もしかすると、まもなく17回忌を迎える父からの手紙なのではないかと思うのです
(ご本人には、そんな気は全くないと思うのですが)
父が生きている頃、私は、彼が悲しんだり、彼が思う「娘」としての枠を超えたりしないよう
注意深く生きておりました。
私は、父が大好きで、常に父に好かれる人でありたいと思っていました。
私が、社会に向かって言葉を発する小説を書き始め、それが小さな賞を取った年、父は亡くなり、
見届けてから亡くなったのねと言われて、そうかなと思っていましたが
今にして思うと、父は「小説を書く娘」を、好きではなかったと思います。
私が絵を描いたり、舞台で歌ったり踊ったりすることは大好きで、
典型的なワーカーホリックであったのに、それだけはどんなに無理をしても見に来てくれていました。
どうみても「並」程度の娘も、彼にとっては誰よりかわいかったのだろうというのは強く感じていましたし、
誰よりも愛してくれたことを、ほんとにありがたく思っています。
けれど・・・・
昭和のはじめの生まれであった彼は、「女子が物言う」ことを受け入れることは
最後までできなかったのではないかと思うのです。
常に「自由であれ」「個性的であれ」「好きなことをしろ」といってくれても、
それは、「彼の手のなか」でという条件付きであることは、だいぶ小さい頃から知っていました。
だから、父を悲しませたくなくて、頼りなさを演じたこともあります。
今の私は、生前の父そっくりだと言われます。
けれど、父さんが望んでいたのは、こうではないよな・・・・
父さんの考える女の幸せは、これではないよな・・・・
申し訳ない。
■いやいや、この日記の本題はそこではありませんでした。
先ほど、遠いところから届いたメール。
「生きていれば、いろいろあるよ」
ほんとにそうですね。
あれこれあっても、今まで漫遊帖から離れることができなかったのは、頂いたメールのとおりだと思います。
自分が思い描いたものが全く違ったものになってしまうかもしれない・・・
そんなのは耐えられないなと思い、何度も思いとどまったのですが
この2、3日、その変化が全部悪いことなのか?と問いかけているうちに
だんだんに(いっぺんにではなく、だんだんに)、視点をかえれば「必要なこと」と思うようになってきました。
詳しいお返事はメールでしたいと思うのですが、
いただいたメールの内容はどれもこれも「うん そうですね」と思うもので、
ありがたく、そして、この悩みをかかえるのは私だけじゃないんだと、少し肩の力も抜けました。
Tさんの立場は立場で、計り知れないご苦労を感じます。
私にできることなどないかもしれないけれど、お話ができる時間があれば
私の身は、少々ながら余裕ができると思うので、出かけていこうと思います。
綺麗なこと、美しいだけを書くために始めたことでもなく、泣き言も怒りも書きますと何度も言いながら
「るいまま」としての言葉として書いているので
これまでも、いろんなことがありましたが、特別ゆるめることもなく進んでいます。この先もです。

■先日かった若い女の子のCDの歌詞の中に
「自分を壊しそうになったから、私は光になったのさ
形無いものになれば壊してしまうことはないと
たとえそれが暗闇でも見失うことはなかった
次第に強く光りたいと望むようにさえなった」
とありました。ええとこついてるなぁ。
■言葉たちのなかには、「なぜ、今、あなたが?」というところから現れるものがあります。
どう考えても、それは、あなたが発しないやろと思うところから聞こえた言葉は
今、ここに必要なものを「誰かの肉体を借りて、誰かが話してくれている言葉」です。きっと。
「マゾなんか?」と思うのだけど、私はだんだんk氏が愛おしくなってきています。
「ここまで食いついてくるのは、よっぽど るいままのことが気になって仕方がないんやで」って
みんなに言われていますが
これは、もしかすると、まもなく17回忌を迎える父からの手紙なのではないかと思うのです
(ご本人には、そんな気は全くないと思うのですが)
父が生きている頃、私は、彼が悲しんだり、彼が思う「娘」としての枠を超えたりしないよう
注意深く生きておりました。
私は、父が大好きで、常に父に好かれる人でありたいと思っていました。
私が、社会に向かって言葉を発する小説を書き始め、それが小さな賞を取った年、父は亡くなり、
見届けてから亡くなったのねと言われて、そうかなと思っていましたが
今にして思うと、父は「小説を書く娘」を、好きではなかったと思います。
私が絵を描いたり、舞台で歌ったり踊ったりすることは大好きで、
典型的なワーカーホリックであったのに、それだけはどんなに無理をしても見に来てくれていました。
どうみても「並」程度の娘も、彼にとっては誰よりかわいかったのだろうというのは強く感じていましたし、
誰よりも愛してくれたことを、ほんとにありがたく思っています。
けれど・・・・
昭和のはじめの生まれであった彼は、「女子が物言う」ことを受け入れることは
最後までできなかったのではないかと思うのです。
常に「自由であれ」「個性的であれ」「好きなことをしろ」といってくれても、
それは、「彼の手のなか」でという条件付きであることは、だいぶ小さい頃から知っていました。
だから、父を悲しませたくなくて、頼りなさを演じたこともあります。
今の私は、生前の父そっくりだと言われます。
けれど、父さんが望んでいたのは、こうではないよな・・・・
父さんの考える女の幸せは、これではないよな・・・・
申し訳ない。
■いやいや、この日記の本題はそこではありませんでした。
先ほど、遠いところから届いたメール。
「生きていれば、いろいろあるよ」
ほんとにそうですね。
あれこれあっても、今まで漫遊帖から離れることができなかったのは、頂いたメールのとおりだと思います。
自分が思い描いたものが全く違ったものになってしまうかもしれない・・・
そんなのは耐えられないなと思い、何度も思いとどまったのですが
この2、3日、その変化が全部悪いことなのか?と問いかけているうちに
だんだんに(いっぺんにではなく、だんだんに)、視点をかえれば「必要なこと」と思うようになってきました。
詳しいお返事はメールでしたいと思うのですが、
いただいたメールの内容はどれもこれも「うん そうですね」と思うもので、
ありがたく、そして、この悩みをかかえるのは私だけじゃないんだと、少し肩の力も抜けました。
Tさんの立場は立場で、計り知れないご苦労を感じます。
私にできることなどないかもしれないけれど、お話ができる時間があれば
私の身は、少々ながら余裕ができると思うので、出かけていこうと思います。
Posted by るいまま at 02:57│Comments(0)
│■るいまま
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