2022年11月28日
単なる観光じゃなく。
【単なる観光じゃなく】
伏見まち歩きは、#京都ミステリー紀行 のガイドの谷口により、時代が結ばれる。
千年の都はとにかく幅広い。私のようにステレオ的にいろいろ知り、ひゃーひゃー空想に浸るものは、このタイムマシーンに乗る。
反対に、平安、戦国、江戸、近代、現代と、ひとつの時代を深く知りたいひとは、それを伝えれば、また違った引き出しからおもしろいものを出してくれるに違いない。
ガイドと一口に言っても、決まった資料を覚えて話してくれるガイドさんと、調査のあとに自説も挟みながら広がりあるガイドをしてくれるひとでは、旅の面白さは違ってくる。
谷口くんに、コロナの間、どうだった?と聞くと、やはり最初の年の2ヶ月は開店休業状態となったそうだが、
そのあと、顔見知りの小さな団体の車での移動に同行ガイドすることが増えだしたとのこと。それはガイドさんにも質問しやすくいいね。
コロナによって旅の仕方も変化していくかもしれないね。
京都は寒いとインプットされがちで、ついついダウンなんかを着て行ってしまい後悔するが、いまの京都は、11月の終わりでもあたたかい。
谷口くんが、「温暖化温暖化っていいますが、源氏物語を読んでいると、末摘花は粗末なもので京都の冬を過ごせているんですから、あの頃も今くらいだったんじゃないかと思うんです(笑)。1000年回って戻ってきたのかも(笑)」
と言うと、そうかもなぁと納得。紫式部も、すーすー風が吹き抜ける館で書き続けられたんだしさ(笑)
とにかく千年の都は、中心部の立派な所以外は、とてもおおらかだ。

写真1は、秀吉の #伏見城の石垣の残石。大手門が移築されている #御香宮神社 に、囲われるでもなく普通に置かれている。
宮内庁管轄になっている大手通だった桃山御陵までの参道にも、石垣だった石が普通に(笑)

写真2は、#近鉄桃山御陵駅前 の地図。秀吉の家臣の名前が、そのまま町名として残る。多くの家臣をつれて、この地に来た秀吉は、ここに都を作ろうとしていたんだと、私も思う。
京都なら、へんてこな名前に変えず、この地名を使い続けてくれるはず。

写真3は、伏見に残る銭湯 #新地湯。昭和初期のレトロモダンな建物。中書島繁栄会という夜の街の真ん中にある。
映画会や年末のイベントなど、ひとが集まる場として生かされているそう。
京都は景観規制が多そうにおもうけど、実は高さなどの決まり事があるだけで、京都の景観を守ろうとするひとの自主規制によって秩序が保たれているそう。
看板の高さ規制があるので、新地湯の煙突の文字はひっかかりそうだが、こちらは銭湯の気概!

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