2022年11月26日
すべての道は伏見に通ず
【#京都ミステリー紀行 伏見編】
一度行ったら癖になる #谷口年史 京都ミステリー紀行。今回は #伏見を歩きます。

通常コースには入っていないけれど #伏見桃山御陵 にまわり、巷で噂の大階段を見たいと話すと、
谷口くんが「そんなに話題になるような大階段かな?(笑)」と言っていたのが、実際にみて「なるほど〜(笑) これなら、マイトさんでものぼれますわ」

大階段はやや誇張されてましたが、明治天皇がここ桃山御陵に墓をと遺言した理由は、ここに続く参道を歩くとわかります。それはそれは気持ちよい場所。
階段を上りきったところに円墳。その正面に建つのは乃木希典を祀った乃木神社
桃山御陵のある場所は、#豊臣秀吉 が築いた #伏見城跡地 でもあり、一部ではここを秀吉は隠居所にしようとしていたと言うひともいますが、
京都、奈良、近江、大阪への交通の便が抜群に良い伏見の地形、伏見城の周りをぐるりと囲む地名に残された家臣の名前を見ると、秀吉は本気でここを中心都市にしようと考えていたという谷口くんの解説に納得できます。
#御香宮神社 には、#伏見城の大手門 が移築されていますが、秀吉好みの派手で立派なもの。当時は鮮やかに彩色されていたので素晴らしかったはず。御香宮神社拝殿が、近年整備され鮮やかな色になっておりますから、それを見ると想像できます。



伏見は、今でこそ京都に組み込まれていますが、江戸時代は伏見まわり八か村を支配した伏見奉行のあったところ。
今の銀行である両替商がずらりと軒を連ね、造幣局である銀座もありました。
伏見の酒蔵は、伏見奉行 #小堀遠州 が3900石の酒造米を開発し、酒造株が許可されたそうで、ここで遠州の名前がでてびっくり、小堀遠州は茶の湯いがいにも大きな功績を残していたんですね。


灘の酒はさらさらたくさん飲めるが、#伏見の酒 は濃く甘く通好みの酒。おとなになったら伏見の酒を!は、谷口くんからの伝言。
伏見は、水に恵まれ酒醸造という産業が発達し、豊かな水量の #宇治川(淀川)には大きな船も行き交い、海はなくとも海運の港はあり、そうした男たちの集まるまちには当然ながら #遊郭 もひろがり、経済的にとても潤った街でした。



いまも十石舟を模した観光ボートが川を走りますが、その波の大きさにびっくり。
約4時間、あるきに歩いたツアーの最後、川べりの公園で谷口くんが見せてくれたのは、
「#すべての道は伏見に通ず」
を納得させるオブジェ。京都、大和、近江、大阪。4つの大都市の真ん中に伏見はあり、秀吉という類まれなる大武将がここに都を作りたかった意味が再確認できるのでした。

あ、伏見といえば、例の坂本龍馬の寺田屋ですが、こちらの刀傷はレプリカ(笑)。でも、このレプリカ宿が出来た経緯自体はおもしろいので、伏見にでかけ、京都ミステリー紀行の谷口くんに聞いてね。
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