2021年01月12日
尾垂釜と野面積みのこと
【尾垂釜と野面積み】
先日の茶会で、古い釜の底がぬけるという話になり、それはそれで大変だが、いくら古く錆びた釜でも、鉄製の釜の底が突然ドンッと抜けるなんてあるのか?と思っていたら、
利休十職の釜師大西家以前、南北朝の頃に九州・遠賀川流域の荘園から宮中に献上されていた芦屋釜など古い釜は、
底が腐食して壊れると、底を打ち抜き一回り小さな釜を嵌め込んで修繕し使ってうようで、
その時 打ち欠けた部分をそのままにして、尾垂釜(おだれがま)と呼ぶとあった。(後には、わざと尾垂れにする釜もある)
当時の技術で継いだので、抜けるのも致し方ないともいえるが、南北朝と言えば700年近く前のこと。
特別な機械もないまま、人の力と知恵で修繕されたものが今の世まで残り、道具として使われていたということは凄いことじゃないか。
昨日、古高松の まち歩き構築をしているとき、ガイドの城ガールから、こちらも南北朝の頃と思われる野面積みの石垣を紹介され、
計算しつくされた現代建築でも壁面がズルリと落ちる事故があるのに、当時のひとたちが経験から考えだした野面積みが崩れず、今も残っていることに敬意をひょうした。
欲望のまま争い世界を征服することより、個々のもつ知恵や技術にプライドをもったひとが残したものほうが、何百年も形あるものを残せるのにね(笑)
写真は、先日の茶会の釜。釜師 大西家2代のものと言われているが、もっと古く芦屋釜かもしれない。

小ぶりの尾垂。とてもいい音が鳴る。
■芦屋釜について
https://ashiyakankou.com/ashiyagama/about/
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